第12話森の賢者

夜が明け、再び旅が始まる。


レナードとアナスタシアは、前日の愛情の余韻を胸に秘めながら穢れ山への道を進んでいった。

穢れ山への道は険しいが、二人の絆はそれ以上に強固なものとなっていた。


「ところで...お聞きしてもよろしいでしょうか?」


「ん?なんだ?」


「レナード様っておいくつなのでしょうか?」


「16」


「え!?」


アナスタシアは驚愕の表情を浮かべ激しく動揺した。

そんな年下の相手に馬乗りなって...と罪悪感で押しつぶされそうになっていたのだ。


「嘘だよ、35だ」


「もう!びっくりしたじゃありませんか!!」


「はは、そう怒ることでもないだろうに」


アナスタシアはぷいっとそっぽを向くと先に馬を走らせて言ってしまった。

しばらくして二人は、その光景を目の辺りにすることになった。


「ナヌークウッドの森...太古の精霊が住む場所...ですが...」


だが、二人が目にしたのは神秘的で静謐せいひつな森とは程遠い光景だった。

巨大な木々は無残にも伐採され、その切り株が至るところに散らばっていた。

地面は荒れ果て、森の静寂は消え去り、鳥や動物たちの姿もほとんど見当たらなかった。

朽ちた枝や倒れた木々が、森全体に悲惨な状況を物語っていた。


「これは一体...」


アナスタシアは呆然と呟いた。


レナードは周囲を見渡しながら、眉をひそめた。


「オークか...ずいぶんと荒らしまわっているな」


倒された木々の間には、オークらしき足跡や、彼らが残した粗雑な道具が散乱していた。

焦げた木の幹や、焚き火の跡が所々に見受けられオークたちがここで何らかの作業を行っていたことを示していた。


レナードは地面に跪き、土の匂いを嗅ぎながら小声で呟いた。


「執政官を襲った連中かもしれん...帰り際に森を荒らしたか...」


突然、風が強く吹き残された木々がざわめき始めた。

精霊たちの声が風に乗って囁き、二人に警告を発しているかのようだった。

木々の間から、見えない目が二人を監視しているかのような不気味な気配を感じた。


「感じます...精霊たちの怒りを...木々が会話し、苦しんでいる...」


「進もう、アナスタシア。この森を抜けなければ、穢れ山には辿り着けない。オークどもが何を企んでいるのかを突き止めるためにも」


二人は荒れ果てたナヌークウッドの森の中へと足を踏み入れた。

木々の間を慎重に進みながら、彼らは精霊たちの怒りを感じ、同時にオークたちの残した痕跡を追いかけていった。


ナヌークウッドの森を進むうちに、レナードはふと足を止めた。

周囲の景色がぼんやりと揺らぎ、まるで夢の中にいるような感覚に陥った。

木々のざわめきが遠ざかり、森全体が静寂に包まれる。


ふと気づくと、前方に一人の女性の姿が現れた。

それは死んだはずのグレイシア姫だった。

彼女は美しい笑顔を浮かべながら、しかしその目には悲しみと怒りが宿っていた。


「レナード…なぜ助けてくれなかったのですか」


彼女の声が冷たく響く。


「グレイシア様...!そんな馬鹿な...」


レナードは驚きと恐怖に息を呑んだ。


「そう、私は既に死んでいる...ですが眠れないのですよ、この胸を焦がすような憎悪と苦痛が...あなたを待っていたのに....どうして?」


彼女は冷ややかに言い放った。


次にレナードの視界にかつての仲間たちが現れた。


―――エルレーン...ギムリット...ゲイル...ヴァルト爺...


彼らはレナードを責める眼差しで見つめ、責任を取れと剣を突きつけた。

「なぜお前だけが再び生を受けているのだ」とヴァルト爺が言い、剣の刃をレナードに向けた。

「お前のせいで命を落としたんだ。責任を取れ!」とゲイルが叫び、レナードに近づく。


レナードの心は重苦しい自責の念で押しつぶされそうになった。

彼は剣を手に取り、震える手でその刃を自らの首に近づけた。

涙が頬を伝い、彼の視界はぼやけていく。


「すまない....」


しかし、その瞬間、アナスタシアの手が彼の手首を掴んだ。


「レナード様!お気を確かに!あなたは自分を責める必要などありません...幻覚です!!」


彼女の声が響き渡り、レナードの心を引き戻す。


「はっ....アナスタシア...?」


「攻撃を受けています!...姿を現しなさい!」


アナスタシアは魔法の力を集中させ、周囲の幻覚を打ち破る呪文を唱えた。


    <<<聖天魔法/ディスペルイリュージョン>>>


光が閃き、幻影たちが消え去っていく。

残ったのは、森の奥深くから現れた美しい精霊ニンフだった。


「森の精霊よ、私たちは貴女を害する者ではありません...どうぞ通してはもらえませんか?」


アナスタシアはニンフに優しく問いかけた。

するとニンフは嫌悪感を露にしながら声を荒げた。


「お前たちのような邪悪な存在が害をなさないと?」

「ワタシは....ワタシたちは知っている...姿を偽ろうとも、その力、その闇の炎を」


ニンフが森の奥から他にも二人の前にどんどんと姿を現していく。

衣服を身につけない美女が森の木の上にいる光景は異様であった。


「その力は木を燃やす...その力は大地を穢す...その力は暗闇をもたらす...」

「そうデショウ...?悪魔卿」

「聖職者の生皮に身をツツんだ邪悪の化身...」


ニンフたちはアナスタシアを見て木々の間から囁くような声を出した。

アナスタシアは口をきゅっと結び、手を握りしめていた。


「そしテ...アナタ....ああ、なんて!なんて!!暗いノ...!?」

「まるで底の見えナイ井戸のよう...!」

「光すら届かない深淵...炎...闇...」


今度はレナードを見てニンフたちは嫌悪を含めて言葉を発した。


「俺達は、ここを通りオークに会いに行かねばならない。悪いが邪魔するというのであれば、押し通らせてもらうぞ...!!」


レナードは剣を抜き、その鋭い刃をニンフに向ける。

アナスタシアもまた、魔法の力を集中させその手に青白い光が集まり始めた。


その瞬間、森の木々が揺れ動き始めた。

大地から生えた巨大な木々が、まるで生きているかのように動き出し彼らを囲む。


「トレント...!森の守護者のモンスター...!!」


アナスタシアが驚きの声を上げた。


トレントたちがゆっくりと動き出し、レナードとアナスタシアに迫る。

戦闘が始まろうとしたその時、突然、辺りに大きな声が響き渡った。


    「「「やめよ」」」


木々の間から一人の老人が現れた。

その姿は威厳と知恵に満ちており、長い白髪とひげが風に揺れていた。

彼は杖を持ち、深い緑色のローブをまとっていた。


アナスタシアはその老人の顔を見て、驚きと敬意を込めて呟いた。


「フォリーカラドゥーン…森の賢者」


フォリーカラドゥーンと呼ばれた老人は静かに杖を振り、森の動きを止めた。


「精霊よ、この者たちは敵ではない。彼らはこの森を通る必要があるのだ」


彼は優しく言い聞かせるようにニンフたちに話しかけた。

その声はどこか懐かしく心を落ち着かせるような響きであった。


ニンフは賢者の言葉に従い、攻撃の姿勢を解いた。

トレントたちも再び木々の姿に戻り、森は再び平穏を取り戻した。


「森の賢者...?それはなんだ?」


レナードがアナスタシアに問いかけると彼女は答えた。


「森と共に在る叡智えいちの化身...女神フィリアが創り出したとされる三賢者の一人」


彼女がそう話すとフォリーカラドゥーンは笑った。


「はは、それは違うぞ。わしを創造したのはフィリアではない、わしらは同じ地から出でし者ではあるがな。わしを含めた賢者は"ダナン"より送り込まれた世界の観察者。そして双子の神は管理者じゃ」


「双子...?」


「知っておろう。フィリアと、そしてダハーカ。二柱の神」


「―――!!」


レナードとアナスタシアは驚愕の表情を浮かべた。

ダハーカの名を知る存在がいたことに動揺を隠せなかった。


「私たちは...女神フィリアの欺瞞を暴き、そして白日の下に晒します。真なる神ダハーカ様によって正しき道を歩むように...そのために歩んでいるのです」


「欺瞞か...。果たして欺瞞とはなんなのだろうな」


「何かしっているような口ぶりだな、賢者よ」


レナードは老人の瞳を見て言った。

それはまるで幾層もの年月を経た原石のようであった。


「わしら観察者は時代への介入を固く禁じられておる。故にそれを明かすことはできん...だが、そうじゃな...進言をすることはできよう」

「おぬしたちのその力、その使い方を誤ってはならん。火は夜の闇を照らし人々の生活に活力をもたらしたが、人の心に影をおとし焼き払いもした。その道の先にはいくつもの道が迷路のように複雑に絡み合い、どこを選ぶのかは至難じゃ。じゃがな、いつだって人はおのずと自分の中に答えをもっているもの...その旅路が幸あるものであることを祈っておるよ」


フォリーカラドゥーンはレナードとアナスタシアに近づき、その温かい眼差しで二人を見つめた。


「太古の悪意が目覚めつつある。気をつけよ...ウィングルドの息子、レナード。そしてアリステアの娘、アナスタシアよ...」


その言葉を言い終えると、フォリーカラドゥーンは穏やかな微笑みを浮かべ、杖を軽く振った。

すると、彼の姿は薄い霧のようにふわりと消え始め、やがて完全に消え去った。


「なぜ、父上の名を...?」


「お母様...」


レナードとアナスタシアはその場に立ち尽くしその言葉を噛み締めていた。

賢者の助言は蜃気楼のようにつかみどころがなかった。

だが、どこか心に深く響くものがあることを彼らは感じていた。


二人は再びナヌークウッドの森を進み始めた。

森の木々が再び静けさを取り戻し、道は少しずつ明るさを帯びていった。

レナードとアナスタシアは互いに目を合わせ、決意を新たに歩みを進めた。


ナヌークウッドの森を抜け、二人は再び広がる大地を見据えた。

前方には険しい山々がそびえ立ち、穢れ山への道はまだ遠く険しいものだった。

しかし、彼らの心には賢者の言葉が響き続けていた。


「この旅が行き着く先は正直どうなるかなどわからない。だが確かなことはある」


アナスタシアはレナードの方を向き言葉を待った。


「アナスタシア、君と出会えたことは俺の宝だ。...助けてくれてありがとう」


「ふふ、気になさらないでください」


「今いうべきことではないのかもしれないが...大事なんだ、君が。だから、ここで...剣に誓おう。君を必ず守り抜くと」


アナスタシアは微笑み、レナードの隣でその手を握り締めた。


「はい、私も...レナード様をお慕いしております...」




二人は力強く一歩一歩を進めながら、穢れ山に向かって歩みを進めていった。


...

.....

...........


――――――――――――――――――――――――――――――――


一本の巨大な老木の枝の上にフォリーカラドゥーンは立っていた。

その視線の先には数奇な運命を背負った二人組の男女―――


「あの二人ならば打ち破れるかもしれん...だが、その深淵に心が呑まれれば全てが終わる...」


老人はパイプを吸い、煙を吐き出した。


「旅の仲間を集めよ...それは暗闇に沈んだ者たち。隠匿された過去が蘇る...」


霧は徐々に老人の体を包み込み、やがて彼の姿を完全に隠してしまった。

霧は風に乗って静かに散り、まるで初めからそこにいなかったかのように消え去った。

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