第8話迫りくる脅威
朝の光がカーテンの隙間から差し込み、部屋を柔らかく照らし始めた。
外では小鳥たちが爽やかな朝を告げるようにさえずっている。
そんな中、レナードはゆっくりと目を覚ました。
寝室は静かで穏やかな空気に包まれていたが、彼の身体には微かな疲労感が残っていた。
「ふう...久しぶりに寝たような気がするな。だが少し...疲れた気もする」
彼はベッドの中で伸びをしながら、昨夜の記憶が鮮明に蘇るのを感じた。
アナスタシアとの情熱的な夜、彼女の肌の温もりと柔らかな囁きが今も彼の心に焼き付いていた。
その余韻が、まるで夢の中にいるかのような感覚を引き起こしていた。
「アナスタシアは...」
彼はゆっくりと身体を起こし、隣で眠っている美しい女を見た。
彼女はまだ夢の中にいるようだった。
その寝顔は穏やかで、昨夜の激しい情事が嘘のように安らかだった。
――あんなにも騒いでしまっては町の連中に気づかれたのではないか?
我ながらはしゃぎすぎたか...。
レナードはサンブーカの茶葉で淹れた茶をマグカップに注ぎ、窓辺に立ちながら外の景色を眺めた。
朝早いにも関わらず多くの人の行き交う声が宿にまで聞こえてきた。
どうやら昨日の演説は一時的な効果ではなく、住民の心そのものを動かしたようだ。
「ふぁあ....朝ですか...?」
アナスタシアが目をこすりながらベッドから起き上がってきた。
「起こしてしまったか?すまないな」
「いえ、きもちよく起きれた所ですので...大丈夫です」
レナードは彼女にも自分が飲んでいるものと同じ茶を淹れたマグカップを渡した。
「よい香りです...これは、サンブーカですね。魔力の回復効果も期待できる薬効成分があります。実はこれもっとおいしくできる方法があるのですよ、ご存じですか?」
「いや...茶などほとんど気にしたことがなくてな」
「サンブーカの花びらを乾燥させて、それをティーポットに入れるのです。沸騰した水をそこに注ぎ吟遊詩人が一曲歌い終わる程度に蒸らすのです。さらにそこに蜂の蜜を少量加えると風味がまして大変美味なのです!」
彼女はまるで夢を語る子供のように瞳を輝かせていた。
「ほう、詳しいのだな。ではまた見つけた時に淹れてみるとしよう」
「ええぜひ!楽しみです...!!」
そう言うと彼女はレナードに近づいて唇を重ねた。
彼女の柔らかい肌と胸の感触が心地よい刺激を与えてくれた。
その口づけはサンブーカの味で口を満たしていった。
だが穏やかな時は慌てふためいた伝令の声で終わりを迎えた。
「大変だ!執政官が兵を率いてハルヴィナに帰還される!!」
...
......
...................
――――――――――――――――――――――――――――――――
執政官...民の代表として貿易、税制、法の執行などを管理する者。
通常は市民や商人によって構成するギルドによって選ばれるが、貿易都市ハルヴィナの執政官は長らくハモンド家がその任に就いてきたという。
ハルヴィナはオルランド王国の属領であり重要な要所の一つでもある。
その為、王家の血縁に近いハモンド家から選出されていたのだという。
衣服を整えたレナードとアナスタシアは広場に行き、落ち着かない様子の衛兵から話を聞いた。
「執政官は魔族の襲撃に伴い、都市を離れていたのだろう?」
「はい、少数の衛兵を引き連れてウィンストン城に救援を要請しに行ったと...。結局魔族は執政官の不在を確認すると攻撃を中止して撤退したのですが...」
「ふむ...では、執政官はどの程度の兵力を連れてこちらにきている?」
「正確にはわかりません...。物見やぐらの者によれば、おそらく大隊規模かと...進軍速度はそれほど早くはありませんが、明後日の日暮れには到着するでしょう」
「なるほどな...」
――執政官がハルヴィナの変化を受け容れてくれればよいのだが、まず無理だろう。
魔性の者にそそのかされたとして大粛清を行いかねん。
「残存しているハルヴィナの兵力はどれほどだ?」
「都市の衛兵は200程でしょう。元々は500の兵員がおりましたが、先日の戦闘で大半を失い、海上の防衛部隊も減らすわけにはいきませんので...」
「わかった。では総員に厳戒態勢をとらせろ。市民にも隠さず戦闘になる可能性を伝えるんだ」
「はっ!レナード様、それと衛兵隊を統括しているラインハルト隊長がお会いになりたいと」
「どこにいる?」
「行政庁舎におります」
「アナスタシア、行こう」
レナードは静かに呼びかけ、彼女もうなずいた。
彼女の歩みはしなやかで、その魅力的な香りがレナードの鼻をかすめた。
昨夜の事を思い出していると、彼女はニコッと彼に微笑んで見せた。
可愛いと、彼は思った。
レナード達は周囲の様子を見渡しながら歩を進めた。
彼の視線は、通りの両側に立ち並ぶ家々の残骸を捉えていた。
いくつかの建物は完全に崩れ去り、瓦礫の山と化していたがその隣には新しい木材で修復された家が見られた。
修復された家の窓からは、人々の生活の温もりが感じられた。
「少しずつ、街が再生していますね」
アナスタシアが静かに言った。
レナードは彼女の言葉にうなずきながら、通りを歩く人々を見つめた。
彼らは忙しそうに動き回り、瓦礫を片付けたり、新しい建材を運んだりしていた。
かつての絶望に沈んだ街ではなく、再び活気が戻りつつあった。
「家が壊れればまた建てればいい、だが人の心を建て直すのはそれ以上に大変だと言った人がいた」
レナードはかつて自分が仕えていたグレイシア姫を思い出していた。
慈愛の心に満ちた、人であれば聖女にふさわしい方であった。
「大事な方だったのですね」
「まあ、そうだな...守らねばならなかった。だが...守れなかった」
「我が執念の始まりだった...それが」
アナスタシアがぎゅっとレナードの手を握った。
その手は柔らかく細い指が彼の指を包み込んだ。
揺らいでいた心を支えるかのように。
やがて彼らは行政庁舎の前に到着した。
その壮大な建物は、戦闘の影響を受けながらも威厳を保っていた。
外壁には修復の跡があり、周囲には衛兵たちが厳重に警戒していた。
「レナード様!アナスタシア様!ラインハルト隊長がお待ちです!」
衛兵が前に進み出て重厚な扉を開き中へと案内してくれた。
行政庁舎の中には、立派な髭と威厳ある鎧を身にまとった衛兵隊長が待っていた。
その鋭い目がレナードとアナスタシアを見つめ、彼の顔には緊張の色が浮かんでいた。
「ご足労いただき感謝致します。レナード卿、アナスタシア様」
ラインハルトの声には、緊急と重みが含まれていた。
「"卿"などと付けなくていいぞ、隊長。俺は騎士ではあったが爵位は持たん」
「はっ...ではレナード様...ハルヴィナに迫る脅威を既にご存じかとは思いますがその件にてお二人を呼んだ次第であります」
「脅威か。執政官をそんな風に呼んでよいのか?」
「お戯れを。もはやこの都市に住む者たちの意思は固まっております。なおのこと、一人だけ逃げた執政官を擁護する者など誰がおりましょう?ですが一つだけお願いしたき事が...」
そう言うと衛兵隊長は携えていた剣を突然抜いた。
「我は貿易都市ハルヴィナの防衛を担う一兵。昨夜の広場にはおりませんでした故、その御言葉や志を伝え聞いたまで。市民の決意に水をさすつもりはありませんが、この身をもって知らねば...忠義は尽くせない」
「なるほど。確かに、あの場にラインハルト...お前はいなかったな。であれば、一日にして変貌した民衆の異様さを不審に思っているのだな。無理もない話だ」
「故にこそわが身をもって問いただしたい!これより先は王国に牙むく行為、しくじればハルヴィナは海の底に沈みましょう。失礼ながら、構えられよ...魔族の騎士殿!!」
衛兵隊長ラインハルトが立ちふさがった―――
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