第6話貿易都市ハルヴィナ
行商人たちを引き連れたレナード一行は、高い丘を抜けると海が見えてきた。
潮風が磯の匂いを運んでくる....だが、そこには不快な匂いも混ざっていた。
―――貿易都市、ハルヴィナ
港から続く広大な石畳の通りはまるで銀の帯のように市の中心へと伸びており、
通りの両側には商店や屋台が立ち並び、香辛料や果物、宝石や絹布が所狭しと並べられている。
各地の方言が飛び交い、賑やかな声と笑い声が響き渡る。
商人たちが自分の品物を声高に宣伝し、顧客と交渉する光景が繰り広げられている黄金都市である。
「初めてハルヴィナに来た時のことを思い出します」
アナスタシアが懐かしむような顔で語りだした。
「市の中心には、壮麗な建物がそびえ立ち...そのうちの一つ、中央広場に面した大聖堂は豪華な彫刻と鮮やかなステンドグラスで装飾され、その美しさに目を奪われたものです」
「広場では旅芸人が曲芸を披露し、子供たちが笑い声を上げながら走り回っている...」
だが、丘を下りて市に近づくにつれ彼らの胸を締めつけるような光景が広がっていた。
かつて賑わいに満ちていた港には、今や黒煙が立ち込め焦げた木材と壊れた船の残骸が散乱していた。
帆船の帆は引き裂かれ、旗は汚れ、風に無残に揺れている。
波打ち際には黒い油が漂い、かつての金色の輝きは見る影もなかった。
「これはひどいな...」
レナードは戦の跡が残る街並みを哀れに満ちた目で見ていた。
石畳の通りには瓦礫が積み重なり、倒れた商店や屋台の残骸が転がっている。
かつての賑やかな市場は廃墟と化し、焦げ臭い煙が鼻をつく。
商人たちの声も、交渉の喧騒も今はなく、ただ風が通り過ぎる音だけが響いていた。
「住民はどこへいった?都市の兵士たちは...?」
「もしかしたら...大聖堂かもしれません。有事の際は避難することになっていますから」
アナスタシアの言葉に従い、一行は大聖堂に向けて歩を進めた。
広場の中央にそびえ立っていた大聖堂は半ば崩れ落ち、その華麗な彫刻もステンドグラスも破壊されていた。
広場ではかつての賑わいが嘘のように、絶望が支配していた。
芸人たちの笑い声も、子供たちの遊び声も、戦の残酷な現実は悲鳴と苦痛に悶える声へと変わっていたのだ。
そこには多くの民衆が身を寄せ合っていた。
「おお、これはなんという...もはや、もはや商売どころではありませぬ...」
行商人の長の老人が震える手で神に祈りをささげた。
それを見て、アナスタシアはレナードに訴えかけるような目で見た。
「...聖女としての務めを果たそうと?お前を否定し、お前を殺そうとした神とその信徒を助けようというのか?」
「お許しがあれば...そうしたく思います」
「好きにするがいい、俺も人の全てを憎んでいるわけではない」
「...!!ありがとうございます、レナード様!」
アナスタシアはすぐさま馬を降り、負傷した避難民たちのところへと向かっていった。
修道女の姿の彼女を見た民衆は天の助けとばかりに彼女の下へと集まっていった。
「みなさん、怪我をされた方をなるべくこの広場に集めてはいただけませんか?」
彼女の声は清らかな風のように人々の耳へと届いていく。
その言葉に従い、なるべく軽傷の者から集まっていきやがて動くことも難しい重傷患者たちも都市の警備兵が担架で運んできた。
一通り人の動きが収まると、彼女は静かに目を閉じ、両手を胸の前で組み合わせた。
指をしっかりと交差させ、祈るように聖なる言葉を口にした。
「真なる女神よ、我が祈りを聞きたまえ。
汝の慈悲と癒しの力をこの者たちに授けたまえ。
φως και θεραπεία ... 」
<<<聖天魔法/フォトス・イアシス>>>
アナスタシアが唱えた回復の魔法は、負傷した難民たちのあらゆる傷を癒していった。
その光景はまるで教会に飾られる奇跡の絵画のようだった。
傷ついた者たちの表情には、驚きと希望が交じり合っていた。
彼らはその光の中で、母の胎内にいるかのような感覚を味わっていた。
痛みや苦しみが消え去り、その代わりに温かな安堵の感覚が広がっていく。
「聖女様だ...知っている...あの御姿を!」
誰かがそう叫ぶと、難民たちは彼女の姿を今一度その瞳に写した。
「聖女様...!聖女様だ...!!」
その声は次第に波打つかのように広がっていき、多くの民衆が跪いて胸の前で手を組んだ。
担架に乗っていた重傷患者もその身を起こし、警備兵までもか武器を置き一心に祈りをささげた。
彼らは新たな希望と、未来への勇気を取り戻したような表情を浮かべていた。
「やめよ!なにをしているか...この異端者めが!!」
静寂を打ち破ったのは、半壊した大聖堂から出てきた司祭の服をまとったものたちであった。
傍らには全身フルプレートの甲冑を見に纏った騎士を連れていた。
その声に難民たちも振り返り司祭たちを見る。
「大罪を犯し!聖女の座を剥奪された貴様が民を扇動し、あまつさえ邪悪な癒しを施すなど許しがたき行為!!その異端を捕らえよ!」
難民たちは慌てふためき、都市の警備兵もどうすべきを迷っていた。
今まさに難民たちを救い希望の光を輝かせた存在に対しての捕縛が正当なものだと思えなかったのだろう。
「し、しかし...司祭様...我々は...彼女は救ってくださったのですよ...!」
「なにを惑わされているか、この不埒者めが。おい!」
司祭は控えていた騎士に目くばせすると、騎士はクロスボウと呼ばれる射撃武器を取り出した。
そしてそれを構えると、先ほど発言した警備兵に向けて矢を放った。
その矢は警備兵の胸を貫き、うめき声をあげてその場で倒れてしまった。
「なんということを...!」
難民たちも警備兵たちもその行為に目を疑った。
アナスタシアは厳しい眼差しで司祭たちを睨みつけた。
「異端だろうと何だろうと、救いを求める者には手を差し伸べるもの...!私が、私がかつて祈りを捧げていた女神さまの教えにもそうあったはずです!慈悲の心を忘れてしまったのですか!?」
悲痛な声でアナスタシアは訴えかける。
だがその言葉を司祭は鼻で笑った。
「異端の言葉など聞くに堪えぬわ。貴様らもハルヴィナを襲撃した魔族の手の者であろうが!聖堂騎士団よ、奴らに神の裁きを!!」
司祭が号令を下すと聖堂騎士たちは剣と槍、クロスボウをそれぞれ構えアナスタシアに向かってきた。
アナスタシアはぎゅっと手を握りしめ、彼女に剣が振り下ろされた。
だがその剣は彼女の身を切り裂くことはなかった。
レナードの手が剣の切っ先を握りしめていたのだ。
「ぐっ...な、なんだこいつ...剣が、う、うごかん..っ!」
「レナード様...」
アナスタシアはレナードを見た。
「あとは任せておけ。お前たちも離れろ!ここは今から修羅場になる」
レナードは難民たちに声を掛け、それを聞いた民衆は広場からなるべく遠ざかっていく。
「司祭さまよ、おまえの言葉に正解は一つあるぜ。なんたって俺は...」
そう言うと、レナードは頭部を覆いかぶせていたターバンを取り外し黒髪が白昼の下に晒された。
「魔族なんだからな!!」
聖堂騎士たちが一斉に突撃する。彼らの剣が空を切り裂き、迫りくる。
しかし、レナードは冷静にその攻撃を剣で受け止める。
彼の身体は驚異的な敏捷性と力を持っており、聖堂騎士たちの攻撃は何一つ命中しない。
「くそ!こいつ強いぞ...!!」
聖堂騎士たちが後退りしたところをレナードは見逃さなかった。
彼の剣は光の如き速さで騎士のフルプレートの鎧を貫く。
聖堂騎士たちは驚愕の表情を浮かべ、成すすべなく次々と倒れていく。
「ばかな...正教会の聖堂騎士達が手も足もでないだと...?!」
―――やはり、この力は凄まじい。
以前でも倒せなくはないが、ここまでくるともはや子供と戯れているかのようだ。
フルプレートの鎧がバターのように裂ける。脆い、脆すぎる。
後方に待機していた聖堂騎士たちが一斉に魔法を唱え始めた。
光の矢がいくつも宙に出現し、レナードに向かって雨のように降り注ぐ。
勝利を確信した騎士たちは「やったぞ!ざまあみろ!!」と歓声をあげた。
しかし、煙の中から現れたのは傷一つ負っていないレナードが立っていた。
「聖魔法か?ここまで傷を負わないと自分でも気味が悪いな」
司祭はその様子を見て震え上がった。
反対にアナスタシアはその光景を見て、我慢ができなくなっていた。
「レナード様...わ、わたしも...我慢が...」
「ふっ...かまわん。後はくれてやる、好きにするといい」
「――!!はい...ふふふ...うふふふ....アハハハ!!!」
彼女の深紅の瞳は一瞬にして色を変え、その中には深淵のような闇が宿る。
黄金のような金髪もまた、漆黒の黒へと変化していく。
額からは2本の黒い角が生え出し、それと同時に彼女の背中から漆黒の翼が生えていく。
その翼は大きく美しく、闇の中を羽ばたく天使のようでもあった。
「ひ、、ひぃいい...!堕天使...いや、悪魔...!?」
聖堂騎士たちは尻餅をつく者、吐き出す者、逃げ出そうとする者が続出した。
もはや彼らの戦意は喪失してしまっていた。
「憐れで脆弱な人の子らよ....絶望しなさい。そしてその声を聴かせなさい...」
深紅の瞳が輝き始める。
彼女の口からは古の言葉が奏でられる。
その言葉は深淵から湧き上がるように低く、そして不気味に響く―――
「暗き深淵より我が呼び声を届けん...」
聖堂騎士たちの遺体が、彼女の言葉に応えて身を動かし始める。
彼らの遺体が邪悪な闇の力によって一所に引き寄せられる。
「虚無に沈む同胞よ、ここに集いし血肉を喰らい降臨せよ」
<<<
肉塊から生まれ出でたのは醜悪で残酷な化け物だった。
身の丈10フィート(3m)はありそうなその巨体は血を滴らせている。
犠牲者たちの血肉によって構成された身体は生理的な嫌悪をかき立てた。
「グア"ア"ア"ァアアアアア―――!!」
その怪物――スカルデーモンの叫びは戦意が喪失している者を恐慌状態にさせた。
ある者は小便を漏らし、ある者は髪を搔きむしって震えた。
「さあお食べなさい――スカルデーモン。彼らに救いを与えるのです」
聖堂騎士たちは一切抵抗することなく、その身を砕かれ
頭からしゃぶられ骨が砕ける音が響き渡る。
「いやだいやだいやだーーーーーーーーーーー!!」
「たすけて...たすけて....」
「マリアンナ...愛し....」
「母さん...たすけて........とうさ」
アナスタシアはその断末魔に酔いしれた。
口元は歪み、その手は自らの下半身をまさぐっていた。
「もっと...もっとそう、叫びなさい...はぁはぁ...あん...」
レナードはその様子に引いていた。
聖女としての彼女と、悪魔としての彼女はまさに表裏一体だと痛感する。
「いのち、いのちだけは助けて...ゆるしてください....」
あれほど威勢のよかった司祭が跪いて命乞いをしていた。
その姿には威厳はなく怯える子供のようであった。
「あら...そんなふうに赤子のようになられて....安心なさってください...」
「た、、たすけてくださるのですか?聖女様!!」
「もちろんですよ。さあ、お立ちになってください」
「おお...!なんたるご慈悲!このラダール、一生涯を御身に捧げます!!」
「ええ、ええ!そうでしょう。ではさっそく...捧げてくださいませ」
「へ...?」
その時、漆黒の鎖が司祭の身体に絡みつき彼の肉体を無慈悲に引き裂く。
鎖は彼の肉をえぐり、血しぶきが空に舞う。
彼の悲鳴が響き渡り、絶望の叫びが天地を貫く。
「ひぎゃぁああ!!!いだ、いいぃやめてえぇええ!!!!」
司祭は命乞いをするが、鎖はその悲鳴を無視し彼を地の底へと引きずりこむ。
彼の身体は鎖に引きずられ、地面に血の跡を残しながら徐々に闇の中へと消えていった。
「最期の声は、至極でした...ラダール司祭...んふ、ふふふふ」
「あはははははははは!!!!!!!」
彼女の笑い声がハルヴィナに響き渡る。
その姿はまるで教会にある地獄を描いた絵画のようであった―――
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