第5話聖女とは

明かりが辺りを包み込み、空が徐々に青から金色に染まり始める頃、俺達は旅の準備を整えていた。

目的地はウィンストン城。

その壮麗な城に辿り着くためには、まず貿易都市ハルヴィナを経由する必要がある。

ハルヴィナは、さまざまな文化と商品が交差する場所であり、そこにはかつての冒険の香りが漂っていた。が、今回の旅は単なる冒険ではない。これは復讐の旅路なのだ。


背に重い荷物を担ぎ、足元にしっかりとしたブーツを履き直す。


「準備は整いましたか?」


隣でアナスタシアが声をかけてきた。

その瞳は紅く、吸い込まれるような感覚をおぼえる。


「ああ。問題ない...。しかし、その姿ではすこしまずいのではないか?」


彼女の黒い髪、深紅の瞳を見る。

それはまごうことなき魔族の象徴であり、人族の生活圏で見つかればただでは済まない。


「人は見た目ではありません...と、言いたいところなのですがそうもいってられませんよね」


アナスタシアは目を閉じて、祈るように手を組んだ。

すると髪の毛の色は黄金のような金色へと変わっていく。

そして彼女が目を開けると、青い瞳になっていたのだ。


「これは...魔法か?」


「はい。といっても、元々の色に変えているだけなのですが」


「驚いた。こんな魔法を使うのは道化師ぐらいかと思っていたんだが」


「聖女という立場は厳格で...歩けばどうしても人の目をひいてしまいます。ですので、修道院から離れてパンを買うときなどにはよく変装をしたものです。甘いパンで...ああ、また食べたいですね」


「ふっ、ならば道中パン屋をみつけたら見てみるといい」


「え...よろしいのですか?」


「もうお前を縛り付ける教会も、民衆もありはしない。自由に生きていいんだ」


「そ、それは嬉しいことですが...ふふ、なんだかなれませんね」


俺たちは司祭から二頭の馬を譲り受けた。

幸いなことにアナスタシアも馬術に覚えがあったようで二人並んで出発することができた。


ハルヴィナへと続く道は決して平坦ではないだろう。

険しい山道や広大な草原、そして不意に現れる危険。

しかし、その全てが俺たちを試し、そして鍛えるだろう。

なぜなら、俺たちの旅は復讐のための戦いなのだから。


「確認しておきたいんだが、勇者たちはどのあたりまで侵攻をしたんだ?」


「私が聞いたところによりますと、魔族の勢力圏は大きく後退し...もはや魔王城のあるマナス・リンドールまで防衛線が下がってしまっているようですね」


「な、そこまで...」


「勇者一向のパーティだけではなく、上位の冒険者の方々、人族の王国軍...傭兵に至るまでかなりの戦力が投入されています」


「全面戦争というわけだな。俺のいた城塞は単なる通過点でしかなかったというわけか」


「教会が有している軍も作戦に参加する予定だと聞いておりましたので、一刻の猶予もないのかもしれません」


「教会...聖典騎士団か?」


「はい。団長のガルヴァルド様と3人の副団長が率いている教会勢力も侮れません。...ですが、それにしてもこの破竹の勢いは...」


アナスタシアは手綱を握りながらも深く考え込むように視線を下に落とした。


「レナード様もご存じの通り、魔族の方々は精強であり魔術の才も人よりも優れています。数で負けているとしてもここまで押し込まれるのは異常です」


「俺も同じことを考えていた。実際人との小競り合い自体はこれまで何度かあったが、正直なところ取るに足らない存在だったんだ。俺たちにとって人というのは。それがどういうわけか、魔族と肩を並べる程の力を持ち始めている...」


馬車で街道を進んでいくと、血の匂いと肉の焦げたような匂いがしてきた。

それに反応してアナスタシアは口をきゅっと結んだ。


「レナード様...」


「ああ、近いぞ」


さらにしばらく進むと、悲鳴と金属のぶつかり合う音が風に乗って聞こえてきた。

俺とアナスタシアは顔を見合わせ、急いで馬を駆けさせた。

やがて視界に飛び込んできたのは、混沌とした戦闘の光景だった。


人族の行商人たちが野盗に襲われている。

行商人たちの馬車が道の中央に止まり、その周りで護衛たちと野盗が激しく剣を交えていた。

護衛の男が鋭い刃を振り下ろすと、野盗の一人が血を噴き出して倒れた。

しかし、次の瞬間、別の野盗がその隙を突いて護衛に襲いかかり、剣の切っ先が護衛の胸を貫いた。


だが、その混乱の中でさらに目を引いたのは、野盗の中に一人だけ異様なオーラを放つ者がいたことだ。黒いローブをまとい、手に杖を持つその男は、周囲の戦闘には目もくれずに呪文を唱えていた。

次の瞬間、男の杖先から巨大な炎が巻き上がり、行商人たちの馬車に向かって放たれた。


「魔法使いがいるぞ! 馬車が燃える!!」


行商人たちが叫び声を上げ、混乱に拍車がかかった。

炎が馬車を包み込み、荷物が次々と燃え上がる。

馬が驚いて暴れ出し、車輪が焦げる音が耳をつんざく。

アナスタシアがすぐさま馬から飛び降り、俺は驚いて声を掛けた。


「人同士の争いだぞ...介入するのか?」


「今この時、見過ごせば私は私を許せません。例え人だろうと魔族だろうと救済は平等に与えられるものです!」


彼女の真っすぐな瞳をみる。


ああ、やはりお前は聖女であろうよ。


「やれやれ、ならば後ろにいろ。戦闘の基本...騎士が前に出るものだ」


アナスタシアはにこっと微笑んだ。

俺は剣を抜いて戦闘に飛びこんだ。

目の前に現れた野盗の一人が剣を振り下ろしてくるのを、俺は片手で止める。


「遅い」


俺は斬りかかってきた野盗を真っ二つに引き裂いた。

野盗の臓物がボトボトと飛び散り、周囲は一瞬で血で満たされた。


アナスタシアは軽やかに野盗の間を駆け抜け、行商人たちの元へと向かった。

俺はその間に、野党を次々に斬り伏せながら黒いローブの魔術師に目を向けた。

彼の手元で再び炎が渦巻いている。


「お前ら...教会の修道士と護衛か...!?くそ!こんな奴らが出てくるなんてきいてないぞ!」


魔術師は叫びながら炎の魔法を俺に向かって放ってこようとしていた。


「炎の精霊よ、我が敵を焼尽せよ!スピンティール!!」


炎の弾けるような球が高速で放たれ、俺の身を炎で包み込む。


「ははは!出てこなければやられなかったものを!」


魔術師が勝ち誇ったように高笑いをする。

だが、その炎の中でゆらめく影は地に倒れる様子がなく雨にでもうたれているかのように自分の体を触って確認していた。


「は...?な、なんだ...なぜ、燃えん!?」


俺は全く熱さを感じない炎に拍子抜けしていた。

なんだこれは?ぬるま湯にでも入っているかのようではないか。


「ば、、、ばけものめ!!ならば...今一度!炎の精霊よ―――」


「その技は見飽きた」


俺は魔術師に向かって突進した。

魔術師が杖を振りかざすが、俺はその動きを読み、剣で杖を弾き飛ばした。

魔術師の目が驚きに見開かれた瞬間、俺はその胸に剣を突き立てた。


魔術師が崩れ落ちると同時に、炎は消え、馬車からは黒い煙が立ち上るだけになった。

戦闘の音が次第に収まり、野盗たちは退却を始めた。


行商人たちの治療を終えたアナスタシアは呪文を詠唱し始める。

"退却"を許さないつもりだろう。

彼女の瞳が蒼から深紅へと変わる。


「天上の光よ、清浄なる力を我に与え、邪悪を払え」


<<<聖光消滅/フォース・エクスティンクション>>>


その瞬間、アナスタシアの手元から眩いばかりの光が放たれた。

光はまるで生き物のように空間を満たし、まっすぐに野盗たちへと向かっていった。

野盗たちは突然の閃光に目を細め、恐怖に包まれた表情を浮かべて後ずさりする。

しかし、その光は容赦なく彼らを包み込んだ。


「い、、いやだ!いやだああああああ!!!」


野盗の一人が叫び声を上げたが、その声は次第にかき消されていく。


光に包まれた野盗たちの体が次第に消えていく。

まるで存在そのものが浄化されるかのように、彼らの姿は淡い光の粒子となり、風に乗って消え去っていく。その過程は一瞬のようであり、永遠のようでもあった。


光が完全に消えた時、そこにはもう野盗たちの姿はなかった。

彼らの痕跡すらも残らず、ただ静寂だけが残された。

アナスタシアは少し息を整えながら、肩の力を抜いた。


「彼らの魂は御神の前に浄化されるでしょう...ええ、虫けらのような魂でも...フフ」


彼女は静かにそう言った。

だが、その瞬間、彼女の瞳に一瞬だけ異様な光が宿った。

まるで暗い夜の深淵を覗き込んだかのような、冷たい、そして残酷な光だった。

その瞳は、まるで消え去った野盗たちの運命を嘲笑うかのように見えた。


「最期の時はいつも美しいものですね。ああ、いけません...」


彼女はそう言うと、下半身を抑えるようにして悶えた。

俺が彼女を労うために肩に手を置くと彼女はビクンとその身体を震わせた。


「ひゃんっ...いけません、レナード様...」


「な、なんだどうした...」


「私、なんて淫らな体になってしまったのでしょうか...」


そういうと彼女は自分の指を嚙むようにして濡れた瞳でこちらを見てくる。


こ、こいつ...野党の断末魔で発情したのか...


彼女の狂気じみた嗜虐性を垣間見てしまった俺は後ずさりした。


やがて行商人たちは安堵の表情で立ち上がり、燃え残った馬車の周りに集まっていた。

俺たちの助けに感謝するために、一人の初老の行商人が前に出てきた。


「本当に助かりました。あなた方がいなければ、我々は皆ここで命を落としていたでしょう」


初老の行商人は深々と頭を下げた。


俺は剣を収めながら、「無事で何よりだ」と短く答えた。

アナスタシアも静かに微笑んでいる。


「しかし、このあたりで野盗がでるとは...街道の警備はどうなっているんだ?」


初老の行商人は深刻そうな表情でうなずいた。


「実は、ハルヴィナが魔王軍の残党によって戦闘状態にあるのです。町全体が混乱していて、治安が悪化していまして...私たちはそれでも商売を続けなければならなかったのですが、まさかこんなところで襲われるとは思いませんでした」


「魔王軍の残党…」


俺は驚きを隠せなかった。ここら一帯の魔王軍は壊滅状態にあると聞いていたが残った同胞が抵抗を続けているようだ。


「ええ、魔王軍の司令官が倒されても、その部下たちはまだ散らばっていて、各地で悪事を働いています。ハルヴィナもその一つで、最近では特に攻撃が激しくなっていると聞いています」


行商人の声には不安が滲んでいた。


「それで、あなたたちはハルヴィナへ向かっている途中だったのですね?」


アナスタシアが優しく問いかけた。


「はい、そうです。でも、こんな状況では無事に辿り着けるかどうか…」


初老の行商人は顔を曇らせた。


「心配しないでください。私たちが一緒に参りましょう」


彼女はそう言って微笑みかけた。

その瞳は既に蒼くなっており、老商人は彼女の姿に心を打たれたようで膝をつき祈るように手を組み始めた。


「おお、神よ...あなた様はまるで聖女さまのようです。尊名をお聞かせください」


「私はアナタスタシアと申します」


「そ、その名は...聖女様ではありませんか!?なんという....僥倖....!!」


俺は彼女が名を名乗ったことに危機感を覚えたが、彼女がそれを制止した。

"大罪聖女"として異端扱いされている彼女を知ればその首を狙う者が当然出てくるはずだ。

俺の懸念はあたり、行商人の中には「異端ときいたが...」と話している者がいた。

そこでアナタスタシアは静かに語り始めた。


「そうですね、私を異端だとする声もありましょう。ですが私は何一つ変わりません、すべてを平等に愛することに何ら罪悪を感じてはいません。貧しいもの、豊かなもの、この世は理不尽で不平等が溢れています...故にこそ私たちは手を取り合い、共に前へ進まなければいけないのです。真の慈愛とは誰かに見定めらえるものではありません。それでもと思う者は私に剣を突き立てなさい。その心に正義ありと思うのであれば私の肉体を裂きなさい。愛することを"罪"だというのならば私は受け入れましょう」


アナスタシアの力強い演説が終わると、商人たちの中からは驚きと感動の声が上がった。

彼らはアナスタシアの言葉に心を打たれ、その強さと信念に感銘を受けていた。


初老の行商人が立ち上がり、深い感謝の言葉を述べた。


「貴女様はまごうことなき聖女様でございます。どうか我らをお導きくださいませ...」


その言葉に応えるように、他の商人たちも次々と立ち上がり、手を合わせて感謝の意を示した。

彼らの表情は穏やかで、そして希望に満ちていた。

もはや誰も彼女を"異端"だと言う者はいなかった。


アナスタシアはその姿を見つめ、微笑みながら静かに頭を下げた。


「一緒に困難を乗り越え、目的地に無事に辿り着きましょう」


商人たちはアナスタシアの言葉に再び感動し、彼女に対する信頼と敬意を深めた。

彼らの心は希望に満ち、困難に立ち向かう力を得たようだった。


俺たちは再び馬に騎乗し、後ろには行商人馬車を連れてハルヴィナへと再出発した。


「なあ...なんで名前を明かしたんだ?異端の名は知れたっているんだろう?」


「はい。確かに恐れを抱く者もいるかもしれません...ですが、私は"罪"を犯したとおもっていませんから名を偽る必要はないのだと考えています」


「フッ、なるほどな」


「それに...」


アナスタシアが俺の方を向いた。

その瞳には先ほどまでの聖母のような暖かさとは異なる、狂気的な輝きが宿っていた。

彼女の顔は静かながらも異様な笑みで歪んでおり、その表情は威圧するような力を放っていた。


「相手の方から向かってきてくれた方が、効率的ではありませんか...?」


俺は彼女の目を見つめ、何か言葉を返そうとしたが、言葉が詰まってしまった。

彼女の心は既に魔に染まっている...そう確信した。


目的地、ハルヴィナはもう目の前だった。



...

.......

...............



【大罪聖女】

神に背を向けし異端の聖女。神聖魔法である聖天魔法のみならず暗黒魔法まで行使可能。

その言葉には毒があり、聞く者を堕落させ深淵の産湯に沈ませる。


【デーモンロード】

悪魔の最上位種にして爵位をもつ魔界の君主。

悪魔に性別の概念はない為、レディではなくロードと呼ばれる。

漆黒の龍のような翼と二本の角をはやした姿は見るものを恐怖に落とし込む。

ガーラルドには存在しないはずであるが...

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