第4話 舌を確かめられた

 アーサがカルロとレヴィルスに連れてこられたのは、食堂に併設されている小さなカフェテラスだ。二人はバーカウンターの中にいる店員へ指示を出し、それぞれ一杯のマグカップを用意させた。カウンター席に座らされているアーサが覗くと、カルロの手にはおそらく濃いめの紅茶が、レヴィルスの手にはコーヒーがある。


 まず、マグカップをアーサの前に持ってきたのはレヴィルスだ。


「これは新大陸で好まれるコーヒーです。どうぞ」

「は、はあ、どうも」


 出されたとあっては、いただかないわけにはいかない。アーサはコーヒーをくいっと一口飲む。


 すると、違和感に気付いた。これはただのドリップコーヒーではない、と顔を明るくする。


「これは、新大陸風の……分かった、エスプレッソのお湯割り? 口当たりが柔らかいのに、香りはエスプレッソそのものだし」


 レヴィルスの顔色が変わる。当てられた、と言わんばかりだ。


 レヴィルスを押しのけ、カルロが水の入ったコップをアーサへ差し出す。もちろん、紅茶の入ったマグカップもだ。


「水を飲め。それから、こいつはどうだ?」

「えっ、まだ飲むの」


 アーサの少しばかりの抵抗は、真剣な二人の表情の前には引っ込んでしまった。大人しく水を飲んで舌をリセットし、それから紅茶を飲む。


「この濃さとバニラの香り、ダルマニ王国産の紅茶のブレンドだわ。ブレックファスト・ティーね、ミルクティーにぴったり。朝食もそうだけど、クロテッドクリームたっぷりのスコーンをお茶請けにしたいわ」


 その言葉を聞いて、カルロは嬉しそうに笑う。アーサの背中を叩き、歓喜のガッツポーズをしていた。どうやら、当たりだったようだ、とアーサは他人事のように眺める。


 しかし、アーサの評価はそれで終わりではない。


「でも、器が全然なってないわ。だめ。紅茶は種類によって香りや舌触りのいいカップを揃えるのが基本でしょ。マグカップはだめ! 家で飲むんじゃないんだから。それからコーヒー、お湯が多すぎるわ。もう少し減らして、エスプレッソ一に対してお湯は二か三くらいでやってみて」


 長々と注文をつけたアーサに、二人は何となく居住まいを正す。アーサが間違っているのなら、この二人は真正面から指摘してくるだろうから、間違いとは思っていないのだろう。そこだけはアーサは安心した。


 カルロが尋ねてくる。


「お前の家は美食家で知られているとか、そういうことか?」

「まあ、色々」

「色々?」

「昔は秘密だったけど、うちは代々皇帝陛下の毒見役フードテイスターなの」


 それを聞いて、カルロとレヴィルスは驚きを隠さない。


「まあそれは形骸化してて、今では仕える皇帝陛下の好みの食べ物を探し出してくるお役目をいただいてるわ。だから、私もお父様に付いていって今まで世界中の食べ物をたくさん食べてきたのよ」


 現ニーフィンガル男爵、アーサの父は幼少のみぎりより現皇帝のそばに仕えて長い。すでに形骸化した毒見役ではあっても、皇帝ともなれば家族揃って食事を摂ることは少なく、もっぱらアーサの父と毎食を共にしていた。それゆえに、二人の仲はきわめて良好で、また味の好みも似ていた。皇帝はアーサの父を信頼し、安心できる美味な食材を取り寄せるよう命じており、そのためにはアーサの父は遠い新大陸まで行くことも躊躇わなかった。アーサは物心つく前からそんな父に同行し、最近になってやっとベルドランド大帝国本国に腰を落ち着けたのだ。


 少なくとも、貴族の令嬢にそんな経歴を持つ娘はアーサの他にはいない。ただ舌が肥えているだけならいくらでもいるが、アーサは数え切れないほどの世界各地現地の食材を食べ、料理が趣味のアーサの父の手で新旧さまざまな食べものを平らげてきた。豚の脂身の塩漬けからマンゴーと鶏肉の煮込み、緑豆の麺とナマズの具を混ぜたスープ、それはそれはたくさんだ。


 そうなれば、アーサの舌は今まで食べたあらゆるものを学習している。紅茶やコーヒーのテイスティング程度、朝飯前だ。


 カルロはアーサの右手を、レヴィルスはアーサの左手を掴み、キラキラと目を輝かせて訴えた。


「アーサ、その舌でうちの商品を確かめてみないか?」

「アーサ、君の舌を借りて商品作りをしたいんだが」


 そして二人は勝手に火花を散らす。


「おいこらレヴィ、俺が先に声をかけたんだ、真似するな」

「カルロ、彼女が紅茶とコーヒーどちらが好きか分からないうちからそんなことを言ってもしょうがないだろう?」

「それはまあそうだな。アーサ、どっちが好きだ?」

「どっちも好きだけど」

「じゃあうちに来い。ありとあらゆる茶葉を味わわせてやる」

「これからの時代はコーヒーだよ。女性もコーヒーを嗜む文化を作ろう」


 アーサは察した。この二人、本気でアーサという人材を求め、利用する気満々だ。


 美味しいものこそ好きだが、自由を縛られたくなんてない。何よりアーサは建前とはいえジェニーの毒見役、面倒な仕事を押し付けられたくなんてない。


 アーサは二人の手から何とか逃れ、席を立つ。


「私、ジェニーとお茶会があるのでこれで! じゃ!」


 そこからは、寮までダッシュだ。アーサは貴族令嬢らしからぬ走りを見せた。こんなことは新大陸でバッファローの群れから逃げる羽目になったとき以来だった。

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