3. 彼女の逆襲、そしてトゥルース

 同日夜、オフィスビル街――


 仕事を終わらせ、さっさとビルを出た。空腹だし、何か食べて帰ろうかな……と思っていたら、また嫌なヤツらに捕まってしまった。


「若ハゲ、コンパ行こうぜ!」

「行こうよぉ〜、若ハゲく〜ん。『ハゲビーム』見た〜い」


 キョウコの言葉に大爆笑する同僚たち。

 何度言われたって慣れない「ハゲ」という蔑みの言葉。僕だって好きでハゲているわけじゃない。ずっと気にしながら生きてきた。学生時代はみんな気を使って触れないでくれたけど、まさか社会に出てからこんな風に笑いものになるなんて思わなかった。もう転職することも考えなければいけない。仕事は一生懸命やってるし、実績も残している。けど、心をズタズタにしてまでこの会社で働きたくない。


「ねぇ、ねぇ、若ハゲくんって、下の毛もハゲてんのぉ〜?」

「ぎゃはははは! 若ハゲ、まだツルツルなのかよ!」


 あまりにも下品な侮蔑の言葉と、僕を指さして大笑いする同僚たちの姿に涙が滲み出てくる。くそっ……



「私の大切なひとを馬鹿にしているのは誰?」



 顔を上げると、呼吸するのも忘れるほどの凄い美人がそこにいた。

 淡いクリームホワイトのロングコートに身を包み、胸の膨らみが感じられる純白のブラウスとアースカラーのパンツでピュアなイメージをキープしつつも、アダルトな雰囲気を醸し出している女性だ。

 そして、茶髪のロング、キリッと上がった目尻、可愛い唇はナチュラルな色に染め上げられ、艶っぽさを演出している。完璧なメイクだ。

 僕は彼女を知っている。


「穂香さん……」


 僕たちに近づいてきながらコツコツと地面を鳴らすヒールは、僕への強力な援軍の到着を示しているようだった。


「ねぇ、誰だって聞いてるの。私の大切なひとを馬鹿にしているのは誰!」


 怒りを爆発させた美人から怒鳴られ、思わず怯む同僚たち。


「そ、そんなハゲ相手にしないで、オレ達と呑みに行こうよ! ね!」


 同僚の言葉に、ひきつった笑顔を浮かべながらうなずく他の同僚たち。

 穂香さんは、それを鼻で笑った。


「誰かを下げて、自分が上がった気になっている馬鹿って嫌いなの。だって、『私は馬鹿でーす』って自分で言ってるのと同じよ?」


 穂香さんの言葉に何も言い返せない同僚。

 他の同僚たちを舐めるように見渡す穂香さん。


「あら、全員その馬鹿っぽいわね。フンッ」


 その場の空気が凍りついた。


「馬、馬鹿はアンタでしょ! ハゲ好きなんてキモチワルッ!」


 キョウコの叫びに呆れた顔をする穂香さん。


「ハゲ? 別に好きじゃないわよ?」

「じゃあ、なんで――」


 穂香さんは言葉を被せるように言った。


「私はハゲが好きなんじゃなくて、真一さんが好きなの。わかる?」

「だ、だって、若ハゲ――」

「もう一度言うわ。私は真一さんが好きなの。まだ理解できない?」


 あうあうと何かを言おうとするが、何の言葉も出てこないキョウコ。


「毛が多いのが好きなら、猿とでも付き合えば?」

「ぷっ……!」


 穂香さんの言葉に思わず吹き出してしまった。


「さ、猿ですって!」

「だって、アナタには猿がぴったりだもの」

「なんて失礼なひとなの!」

「ほら、見えた」

「見えた……? 何がよ!」


 口を開け、自分の口の中を指差す穂香さん。


「???」

「アナタ、随分口内炎があるわね」

「それがなによ! 単なるビタミン不足でしょ!」


 左右に首を振り、蔑みの視線をキョウコに浴びせた。


「ひとつ助言してあげる」

「じょ、助言?」

「それ、何週間もビタミン剤飲んでるけど治らない。違う?」

「! なんでそれを……」

「早めに病院へ行きなさい」

「病院ですって?」

尿がいいわね」

「な、なんで泌尿器科に……」

「あら言っちゃっていいの?」

「…………」


「アナタ、多分性病よ」

「!」


 驚いたのはキョウコだけではない。

 その場にいる同僚たちも驚きの表情を浮かべている。

 そんな同僚たちに、薄ら笑いながら目を向ける穂香さん。


「ここにいるひとたち、みんなみたいね」


 穂香さんは呆れたように続ける。


「あなたたち、きっと『オレはゴムしてたから大丈夫』とか思ってるでしょ。オーラルセックスのときもゴムしてる?」


 瞬時にして同僚たちの顔が真っ青になる。


「彼女の口内炎の原因が性病だった場合、口から性器へと感染する可能性があるわよ。淋病、梅毒、さて何かしらね? ふふふっ」


 そして、穂香さんの顔に怒りの表情が浮かぶ。


「あなたたち、彼女や奥さんとも性交渉があるわよね。あなたたちのケダモノ以下の行動が原因で、大切なひとたちにも性病が感染している可能性があるわ。とにかく彼女が検査して、その結果次第ね」


 同僚たちがキョウコを睨みつけた。


「な、なによ! アンタたちがヤリたいって言うからヤラせてあげたんでしょ! 感染してたって自業自得でしょ!」

「ふざけんな、ヤリマン女! オマケに『あなただけ』って言ってたよな!」

「おい、オレもそう言われたぞ!」

「オレもだ! 『あなただけを愛してる』とか言って!」

「詐欺じゃねぇか!」

「詐欺だ! ふざけんな!」

「彼女だって思ってたのに! 詐欺だ!」

「馬鹿じゃないの! 全員、私を満足されられなかったグズのくせに!」

「なにを!」


 オフィスビルの真ん前で……なんて見苦しい……。


「真一さん、行こ」


 穂香さんに腕を引かれ、僕は下世話な言葉が飛び交う痴話喧嘩の現場を離れていった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 夜の公園――


 人気ひとけのない公園の奥で足を止め、僕の方へ振り向いた穂香さん。


「あ、あの、穂香さん……」

「ぷぷっ! 見た、アイツら! 色々カマかけたけど、ドンピシャだったわね! あはははは!」


 ひとしきり笑うと、微笑みを浮かべた穂香さんは僕を見つめた。


「真一さん」

「はい……」

「真一さんは、自分のことを『詐欺師』って言ったわよね?」


 うなだれる僕。


「僕は……僕はご覧の通りハゲで……みっともなくて……情けなくて……穂香さんに嘘を――」

「私も『詐欺師』なの」


 僕の言葉を遮った穂香さん。


「来て」


 僕の腕を引き、公園の茂みの奥へと入っていった。何の物音もせず、月明かりが穂香さんを幻想的に照らしている。


「真一さん、これからどんなことがあっても私から目を離さないで」

「……わかった」


 僕の返事を聞き、ブラウスのボタンを外していく穂香さん。


「えっ? ちょ、ちょっと待って」


 すべてのボタンが外され、僕の呼吸も早くなっていく。

 穂香さんはブラジャーに手をかけた。


「ほ、穂香さ……ん?」


 ブラジャーからぽろぽろと何かがたくさんこぼれる。パットってやつか。どういうこと?

 穂香さんは、そのままブラジャーをたくし上げた。

 美しい桃色の円と突起が女性のバストであることを主張している。


「……わかったでしょ……私……胸が全然無くてね……男のひとみたいでしょ……。私も真一さんに嘘をついていた『詐欺師』です。本当に、本当にごめんなさい……」


 声を震わせて涙をこぼす穂香さん。もしかすると、僕と同じように酷い言葉を投げかけられたりしていたのかもしれない。いつも元気で明るく振る舞う穂香さん。でも本当は、心の中でずっと泣き叫んでいて、心はもうボロボロなんじゃないだろうか。


「穂香さん。あの……」


 穂香さんは、僕の身体の変化に気付く。


「好きなひとの胸を見たら、誰だってこうなっちゃいますよ……」

「真一さん……」

「あの誤解のないように言っておきますが、胸の小さい女性が好きなわけじゃないです」


 僕は、しっかりと穂香さんの目を見据える。


「僕は穂香さんが好きなんです」


 微笑む穂香さん。


「……こんな胸の無い私でいいんですか?」

「こんなハゲの男でもいいですか?」


 穂香さんは僕に抱きついてきた。


「そんな真一さんが大好きです!」


 僕も穂香さんを強く強く抱きしめ返す。


 コンプレックスを隠すために『詐欺師』となった僕たち。お互いに『詐欺師』であることを明らかにし『本当の自分』になったとき、そこに生まれたのは絆であり、愛だった。コンプレックスを持つ者同士の馴れ合いだと笑うならば笑えばいい。穂香さんが僕を守ってくれたように、僕だって穂香さんを守ってみせる。必ずだ。


 誰もいない夜の公園の茂みの奥。

 僕たちは月に優しく見守れながら、初めて唇を重ねた。



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