2. 彼氏の苦悩、そしてハラスメント

 あの日、連絡先を交換。その一週間後に、お礼とお詫びの意味を込めて食事の席をセッティング。会話もはずみ、楽しいひと時を過ごした。それをきっかけに自然とお付き合いを始めることに。


 真一さんはとても優しいひとだった。いつも私に気をつかってくれて申し訳ないくらい。これまでの男の中には、私があの日だと分かると「彼氏がいるのに健康管理がなってない!」とか「何でズラさないんだ! 愛が足りない!」などと怒り出す意味不明なクソ野郎もいたが、真一さんは予定を変更してデートを中止してくれたり、甘いものをもって私の部屋にお見舞いに来てくれたりしてくれた。男性にすべてを理解しろとは言わないけど、こうやって理解しようと寄り添ってくれる姿を見ると、本当に心が暖かくなる。私もそれを当然と思わないように気をつけ、彼に気を使うように努めていたので、私たちの仲はどんどん深まっていった。

 ガツガツしていないのも助かっている。彼とはいまだにプラトニックな関係だ。すぐにヤリたがる……というか、それだけを目的にするヤツは男にも女にもいるけど、彼はあまりそういう気がないのかもしれない。セックスが好きではない男性だっているだろうし、私は私で胸のことを気にする必要がなく、平穏な心を保っている。まぁ、私に魅力がないだけなのかもしれないけど……。



 付き合い始めてから三ヶ月後――


 以前から行こうと言っていた大通り沿いのカジュアルなイタリアンで空腹を満たし、夜の公園で腕を組みながら歩いて心を満たす。曇りのない冬の夜空には、満ちた月が美しいその姿を輝かせ、私たちを銀の光で包み込んでくれていた。

 ふぅっと刺すような冷たい風に思わず真一さんに身体を寄せる。立ち止まった私たちは言葉もなく見つめ合った。


(真一さんと口づけを交わしたい)


 心から溢れ出るそんな劣情に身を任せ、私はゆっくりと瞼を閉じた。私の両肩に手を置いた真一さんは、ゆっくりと、ゆっくりと私を引き寄せる。彼の呼吸する音だけが聞こえた。


 何も起こらない。


 両肩に置いた真一さんの手が震えている気がする。私はそっと瞼を開けた。そこには見たことのない苦悩の表情を浮かべた真一さんがいた。その瞳には涙が浮かんでいる。そして――


「ごめん……できない……」


 私とキスするのが嫌なのかと悲しい気持ちが滲み出てきた。


「穂香さんを……これ以上騙すことなんて……できないよ……」


 騙す? どういうこと? 本当は既婚者、とかってこと?

 疑問だらけの真一さんの言葉。彼は私の両肩から手を話した。


「穂香さん、ごめんなさい……僕はあなたを騙していました……」

「騙した……? どういうこと……?」


 不安そうな私を見て、涙をこぼす真一さん。

 彼は本当の自分を明らかにした。


 自分の頭に手を伸ばしかと思うと、そのまま髪を剥ぎ取ったのだ。

 突然の出来事に言葉もなく驚く私。


 彼はカツラを被っていたのだ。


 生え際から頭頂部に向かって頭髪は薄っすらとしか生えていない。その部分を隠すようにカツラを被っていた。

 彼は声を震わせながら続けた。


「僕は……僕はハゲを隠していた『詐欺師』です。穂香さんのことが好きで……好きで……どうしようもなくて……でも、どうしても本当のことが言えなくて……」


 私はただ驚いていた。


「そんな大好きな穂香さんを傷付けたくなくて……だから、キスはできません……ごめんなさい……穂香さん、ごめんなさい……」


 そのまま私に背を向ける真一さん。


「さようなら。本当に大好きでした」

「ちょ、ちょっと待っ――」


 私の言葉を待たず、真一さんは走り去っていった。

 涙を月の光で煌めかせながら。


 今まで感じたことのない気持ちが湧き上がる。

 この気持ちは何だろう。

 騙されたから?

 ハゲを隠していたから?

 この気持ちは一体何なのだろう。分からない。

 そんな気持ちを抱えたまま、私は夜の公園でひとり立ち尽くしていた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 平日昼、オフィスビル街――


 私は有給休暇をもらって、真一さんの勤め先の近くに来ていた。とにかくもう一度きちんと話をしたい。その上でこれからのことを決めたい。ストーカーまがいの行動だが、まぁそこは許してもらおう。


 ちょうどお昼の時間だ。あちらこちらのオフィスビルからたくさんのひとが外に出てくる。真一さんはいないかと、あたりをキョロキョロする明らかに挙動不審な私。通報されませんように……。


 あっ! いた!


「しんい――」


 声をかけようとした私の言葉は止まった。


「おい、若ハゲ! どこ行くんだよ!」

「……僕の名前は若杉です」

「あぁ、そうだったな若ハゲ! ゴメン、ゴメン!」


「ねぇ、ねぇ、若ハゲくんもコンパ来るぅ〜?」

「……行きません」

「えぇ〜、来てよぉ〜。イロモノ枠として! あははは!」

「良かったじゃねぇか、若ハゲ! そのハゲ光らせて『ハゲビーム』とかやれよ!」

「キャハハハ! 『ハゲビーム』って!」


 同僚であろう数人の男女に囲まれて、自分の容姿を嘲笑われている真一さん。悔しそうな表情を浮かべている。その時――


 ――私と眼が合った。


 一瞬驚きの表情になり、そのまま走ってどこかへ行ってしまった。


「あ〜ぁ、逃げちゃった。キョウコちゃん、言い過ぎだよ〜」

「えぇ〜、事実を言っただけじゃ〜ん」

「うわっ、キョウコちゃん辛辣!」

「あははは! 笑いで心を満たしたら、食事で空腹を満たさないとな」

「どこ食べに行こうか?」

「昨日は中華だったからぁ〜……」


 談笑しながら去っていく同僚たち。


 ……許せない。

 絶対に許せない!

 多くの男性にとって薄毛やハゲはとてもデリケートで、心が病んでしまうひとだっているとても大きな問題だ。それをあんな風に、公衆の面前で嘲笑うなんて……絶対に、絶対に許せない!


(僕はハゲを隠していた詐欺師です)


 あの夜の彼の言葉、そして彼の本当に悲しそうな表情が脳裏に蘇る。

 あなたが詐欺師だったら、私だって乳無しを隠していた詐欺師だ。

 そんな私の詐欺師の力、見せてやろうじゃないの。

 強烈なコンプレックスを隠すために身に着けた詐欺の技、てめぇらに見せてやる。


 私はその場を離れた。



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