第8話 アンドレア 回想への扉5

ナショナルジャズディの2週間前に私はアンドレアと本番用の衣装を探しに出かけた。

ドイツ語訛りの英語にも多少慣れてきた頃だった。低賃金に加えレッスン料で懐が寒いという事を相談するとチャリティーショップでドレスを買うと良いとアドバイスをくれた。

チャリティーショップとは日本でいうセカンドハンドショップのようなものではあるが慈善事業団体が運営している為、収益は団体が支える助けるべき人々や企業への募金となる。 

買い物当日は4月の春めいたそよ風が街の草木を揺らしていた。イギリスに住む者は皆春を待ち望む。暗く長い冬を何とかクリスマスやイベントで乗り切り、イースターの頃には誰もが晴れやかな笑顔を見せる。アンドレアは地下鉄ピカデリーサーカスを出た地上の像の前でカメラを手にした観光客に埋もれるように立っていた。アンドレアは美しい。凛とした顔立ちと同じ人間とは思えない程の手足の長さに私はいつも憧れを抱いていた。モデルの仕事をしていただけあり、立ち姿一つにしても群を抜いていた。白いスキニージーンズに紺のポロシャツを着て、白いスニーカとさりげない装いがロンドンの街とブレンドされ、まるで高級雑誌を見ているようであった。

一方私は体つきも服の趣味も地味だ。ロンドンに来て改めて自分の身体のアンバランスさを感じていた。低身長のうえ足も短く、身体つきは女性らしい肉付きがあるとはお世辞にも言えないだろう。その全てを解決してくれるお呪いのように日本にいる時でも少しヒールの高い靴を履いていた。しかしロンドンの街の石畳とヒールの相性は最悪だ。お洒落な街中で幾度となくヒールがはまり転びそうになったことか。

「待ち合わせの5分前ね。だから日本人は好きよ。ドイツ人も日本人も時間厳守でしょ」

アンドレアは待ち合わせ場所に到着した私の肩をポンと叩いてそう言った。。

「そうみたいね。日本人とドイツ人は仕事の仕方も似てるって言われてるよね?」

その頃自分の発音が良くなってきていることに自負しだしていた私は英語でのお喋りが楽しくなってきていた。

「そうそう、ドイツ人も日本人もきっちり仕事をこなすのよね。ということで、今日の仕事はお姫様にドレスをきっちり探す事!」

アンドレはあなたこそお姫様というように両手を私の前に広げ執事のような会釈をした。

ヨーロッパの人間はいちいち動きがお洒落である。

すると突然「宝の山」と言い放ったアンドレアはおもむろに私の手を取り、チャリティーショップへと駆け込んだ。ピカデリーサーカス駅から少し南に下った路地裏だった。

店内には所狭しと衣類や生活雑家が陳列されていた。ノストラジックな香りと洗濯洗剤の香りが混ざり独特な匂いが鼻をくすぐる。

いとこのお姉ちゃんからおさがりの洋服をもらった時に開けた時の袋の匂いが蘇った。

手際よくハンガーに掛かった洋服をバサバサと手前に引き、これでも無い、あれでも無いという感じで次々と店内を移動していくアンドレアをただただ追いかけた。

「だいたいあなた何でいつも暗い色の服ばかり着ているの?」アンドレアは肩を竦めた。

確かにその日も黒いチュニックとブルージーンズという地味な色合いだ。毎日こんな感じで、黒かグレーか紺を好んで着ていたが、理由を聞かれると説明に困る。強いて言えば、目立ちたくない。昔から私は目立つ事をひどく恐れていた。学校でも挙手して自発的に物事に取り組んだことは記憶にない。褒められる事も、批判される事も苦手だった。それはまるで誰かが、お前さえ大人しくしていれば、世界は平和であると洗脳したかのように。

私の好みの色は深く掘り下げると思いの他面倒な話であることに気付いた。

故に私は適当に答えることにした。

「だって、暗い色が私の肌の色に似合うでしょ?」

アンドレアは納得したように幾度か頷いた後、

「全然似合わないから。放っといたら今日も黒いドレスとか選ぶでしょ?」

と大声で笑い出した。

確実に選ぶ。アンドレアには私の考えが全てお見通しだ。先からショーウインドーの黒いレースのワンピースが気になっていたし、ジャズシンガーを連想させる色は何となく黒だ。

「あなたの肌は黄色人種にしては白いほうじゃやない?だから明るい色も似合うはずよ。初めての記念の舞台なんだし明るくいくべきよ。」

そういうとずらりと並んだドレスのコーナーからひょいと明るい色のドレスを数枚取り出し一枚ずつ私の身体にあてていった。

着せ替え人形の如くただ身を任せた。

蝶々が舞うピンクのロングドレスと胸が大きく開いた白黒の水玉模様のドレス、袖が膨らんだ深紅のビンテージドレス、どれも自分では選ばない色やスタイルのドレスを私は簡易的な試着室で着てみた。アンドレアが一枚ごとに出てきてターンをしろとカーテン越しで声を上げていたので地味なターンを披露した。

首を傾げたり、うなずいたり、私には何が基準なのかも分からない。恥ずかしくて鏡を見る事すらできない。最後の深紅のドレスを試着してカーテンを開けると、アンドレアが大きな笑みを浮かべて言った。

「これに決まり!後は高めのヒールにドレスと同じ色のリップスティクで完成」

「ああ、良いはね、このドレス。数日前に少し顔が知れたセレブリティが、断捨離とかで数枚寄付してくれたのよ。彼女は小柄だからあなたにぴったりね」

服の仕分けをしていた初老のチャリティーワーカーがフレンドリーに話しかけてきた。

「ほらね、宝の山。言ったでしょ、ロンドンのチャリティーショップは宝が埋まっているのよ。」アンドレアは小声で囁きウィンクをした。

正直なところチャリティーショップに自分のサイズにピタリと合うドレスなんてあるとは思っていなかった。量販店でさえ丈が長すぎたり、胸元が広すぎたりどこか合わないパートを妥協しながら服を購入してきたのだから。

これも何かの縁なのかもしれない。

試着を終えようと試着室に戻り深紅のドレスを着たもう一人の自分をじっくりと見た。

派手だしサイズがピッタリというだけで似合うとは思えなかった。やはりアンドレアを説得して地味なドレスに変えよかと試着したドレスをハンガーに戻そうとしていた時に、ドレスのタグの裏側に何かが描かれていることに気が付いた。目を凝らしてよく見るとそれは明らかに手書きで描かれた天使の羽のようなイラストだった。そして羽の中央にはLoveと小さくて可愛らしい文字が書かれていた。

私から純粋な笑みが溢れたと同時に、突如としてそのドレスに愛着が沸いたのだ。

そこに私は目には見えない不思議な繋がりのようなものを感じざるを得なかった。

そのイラストがまるでお守りのように感じた私は黒いドレスの事などすっかりと忘れて、真紅のドレスを購入することにしたのだ。







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