第3話 ユウゴ
「ハイ、CM に入りました。どうぞこちらへ。」
立膝を立てた若いその男は素早く立ちあがり俺を控室へと誘導した。
慌ただしい朝の情報番組も終盤にさしかかろうとしている。
新人賞を獲って以来メディアへの露出が増えてきたとはいえ、
フォトグラファーの俺が第三者からカメラを向けられる事にはいっこうに慣れない。
控室に戻り時計を確認した。
なるべく早くここから出たい。
大振りのトレーナをざっくりと着たアシスタントの坂巻君はそんな俺の仕草をすぐ察すると手帳を開いて軽く頷いた。
「はい、今日はもう大丈夫です。いつものカフェに行くんすか?」
その通りだ。
「まあね、まだ探し物が見つからない。
でもね、もうすぐそこまで来ている気がするんだ。
僕の六感は当たる確率が高 いんで。」
坂巻君は俺の飲み干したぺットボトルをさっとゴミ箱に入れると
「スペインまで1週間ありますからね。」
とまるで全てを悟るかのような笑みを浮かべて言った。
そうなのだ、俺は一週間後にスペインに発つ。
ヨーロッパ出身の有能な写真家達とコラボでの長期的な企画を進めることになったからだ。それは数年前の俺になど到底誘いがくるような仕事ではなかった。
その後今の所帰国は未定だ。
手際よく荷物をまとめた坂巻君は軽く頭を下げ別室へと移った。
彼の家庭に子供が誕生したからなのか、最近やけに慌ただしい動作が目立つ。
自分の人生に結婚、家庭、家族は縁のない世界だ。
俺はむしろその幸せを傍観してフレームに収める方が向いているのだ。
着古したネイビーのダッフルコートをはおり槐色のマフラーを首に巻いた俺は肌身離さずに持ち歩く機材の入った鞄を肩から下げその場から退出した。
俺の行きつけのカフェはそのスタジオからタクシーでワンメーター程の距離の駅前にある。
駅前の雑居ビルの二階にひっそりと佇むそのカフェからは改札口が良く見えて、待ち合わせにうってつけの場所だ。
俺の特等席は窓際の中央に位置するカウンター席だ。
その席は眺めは良いものの、冷暖房の風が直接体にかかる聊か不快な席で通年客が寄り付かなかった。
毎日通っていた俺にはいつでも空いているその席が好都合だった。
ここは都内大手の金融会社で働いていた頃、通勤前後に心を静める為によく来た。
日々の激務で心身共に困憊を極めていた俺はここで一杯のコーヒーとメープルシロップがたっぷりとかかった温かいアップルパイを食べて、ただ放心を楽しんだ。
そして駅前を忙しそうに歩く人々を見て僅かな優越感に浸っていた。
この場所が俺のフォトグラファー転身への一歩になるなど誰が想像しただろうか。
あれから3年の月日が経つ。
あの人が姿を消してから。
嫌いなメディアで自分の顔を露出するのもあの人と再会してある約束を果たす為なのだ。
このカフェで出会ったあの人に
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