不幸のおすそわけ

私は髪を引かれ目を覚ます。血走った目にみつめられ蛇に睨まれたように萎縮する。足が震える。私の大事なものなんて知らないでめちゃめちゃにする。私はそれをみていることしかできない。父、後から来た父。私の本当の父は古くなって枯れてしまった。だからこの不良品の偽物しかうちにはいない。母も昔は本物だったのにいつのまにか上から絵の具を塗られたみたいに偽物になった。

お互いに汚し合う、目の前でペンキをかけ合って楽しそうに。たまに苦しそうに。


私に弟ができた。ゴミ箱から出てきたような弟、母はうっとりとして搾乳をする。牛みたい。そう思った。畳にひかれた布団の上で幸せそうに笑う母。父は帰ってきたらすぐにまた、母に疲れを注ぐ。父は空っぽの頭でテレビを見て笑う、ご飯を食べる。今日は生姜焼きだった。私は天井の電気ばっかり見てぐちゃぐちゃになった脳みそで味の濃い生姜焼きを食べていた。父は私には暴力を振るうのに弟には振るわない。赤ちゃんになりたいな、と思った。それどころかお姉ちゃんになったんだから、と赤い顔をして頭を撫でながら、しっかりしろよと言う。一番しっかりしなきゃいけないのはお前だろ、とこぼしそうになる。父はがはは、とおじさんらしく笑う。

私はこの人を知らない気がして、結局は他人なことを思い知る。水玉の柄の椅子から立ち上がる。暗い、猫がいてくれたらいいなといつも思う廊下を歩きながら、螺旋階段に憧れている階段を上がり、3つある扉の一番端の扉に入る。あとの二つは物置とその他家族の寝室だ。

ベッドの毛布だけが私を包んで、温もりをくれる。夜はあまりにも長いのに揺れが始まった。


私は耳を塞ぐためにDSにイヤホンを差して音を最大にして眠る。ミオシティとコトブキシティの間の音を聞きながら眠ると、夢の中にBボタンを何度も押してすっかり成長してしまったポッチャマとミミロルが現れる。私はこの子たちが一番好きだった。一番だけど2人、同じだけ好きだった。私は手を繋いで花畑を歩いて、たまに背の高い草が茂る森に入ったりした。私は花畑で2人と見つめあって白い鉄の椅子とまんまるな同じ色のテーブルの上でお菓子を食べる。夢の中にずっと居たいなと何度も思った。


痛みに目を覚ましたら現実が広がって弟ばかり好きな両親に虐められる。母は何もしてこない、見ないふりをして細い目をしている。皿の割れる音に弟が泣き出すと2人は私に興味をなくして、聞いたこともない甘い声でベビーベッドを囲む。私の時も、こうだったのかなと思うと弟のことも気の毒になった。


不幸なんて口に出したら本当に不幸になってしまう気がして口には絶対出さなかった。私は大丈夫、私は幸せと飲み込んで、飲み込んでは弟におすそわけをした。私も両親と同じように。気持ちの毒を注ぐ。


両親はそんな私を殴る。畳も汚れてしまった。フローリングには抜けてパラパラとした髪の毛が線に沿って泳いでいる。母親は攻撃はしないで口撃をする。いつの間にか私のこともそっちのけで2人喧嘩をしていた。皿の割れる枚数も増えていく。母の叫び声と私の泣きだしそうに途切れ途切れの息が混じり合って、泣いてしまいそう。はあはあと過呼吸になり、ぼんやりと吊り下げられた光が目にはすりガラスのように映る。夢の中ならいいのに、と夢の中のようになった視界で思った。私は泣いて、殴られる母を見ていた。なんだか自分が殴られるより悲しくてそれで涙が出た。私はどうすることも出来ずただただ見ていた。自分で殴ったのに動かなくなった母に謝りながら救急車を呼ぶ父が馬鹿みたいだった。


病室はしんとして、私には居心地が良かった。その空気のせいで昔の母が帰ってきてくれた気がした。でも母の口からこぼれるのは毒ばっかりで私の体も心も蝕んで私はまたうまく息ができなくなった。白い部屋に不揃いな、不恰好な黒い言葉。母は私にひどく他人行儀にお前のせいだ、と恨みたっぷりに言った。私はベッドで横になった母が私よりも子供みたいに見えて頭を撫でた。すぐに手は振り払われ、私は床に置いたランドセルを背負う。肩紐を通す様子を母はじっと見ていた。結局座らなかった丸い椅子を洗面台のところに置いて、鏡に映る母にも父にもあまり似ていない顔に少し驚いて声もあげないで病室を後にする。なんで驚いたのかもわからない。きっと薄暗い灰色の洗面台が私を居た堪れなくしたせいだろう。エスカレーターは動かず、廊下はどこまでも続くように冷たい西陽を射していた。


何も悩みなんてないのになんだか悲しい。引っ掛かりは中学に上がることくらい、エスカレーター式に上がっていくだけ友達も持ち上がりだからなんともない。悲しさはそんなところから湧いてはいなかった。いいようのない悲しさ、言葉にできないモヤモヤ、鬱屈とした何か。言葉を借りれば黒い塊が胸の中につっかえている。黄色を見たら余計悲しくなりそうだ、蛍光色よりも色の薄いものを見ていたい。もう使われなくなった空き地だとか、ビルが取り壊されてようやく見えたつたの茂った綺麗な壁だとか、色のついていないテレビ、今の時代ローマの休日くらいでしか見る方法がない映像。それらなら寄り添ってくれる。いや寄らずとも私を癒してくれる。癒されたいわけではないけれどただ逃げ出したいのかもしれない。


親は子のために尽くす。子は親のために生きる。どこかから持ってきた、マニュアル通りの両親になったのは私が中学校に上がってからだった。弟は2歳になり言葉をたどたどしくも話すようになった。つかまり立ちをして、弟が家の中の役職名を呼んだ時2人はカメラを構えていた。笑顔だった。私を撮った写真は無いのに、私は弟に呼ばれたことも無い。私だけ異物みたいだ。学校でも私は異物だったずっとふわふわ、ふわふわ。プールに浮いて腐った枯葉みたいに。廊下がずっと長く見えた、チャイムの音も教室すら歩けない。みんな私を責めて、馬鹿にして。眠っていても耳鳴りが聞こえる。思い出の底に黒い泥が溜まっていてふとした時に飲み込まれて息ができなくなる。隣の家の玄関が開く音、猫の喘ぎ声、雪の落ちる音。そのどれもが私には敵であまりにも私は弱い、今、放し飼いにされたらすぐに死んでしまう。胸にマチ針が突き刺さって痛い。歩いていても下を向いて、美味しいものを食べても友達といても好きな歌を歌っていてもどこか温まれないでどこか困り顔で、変な顔をやめなさいと母が言うのはきっとこの顔をしている時。温めてくれるのは毛布だけで耳にして気持ちがいいのは相変わらずポケモンの曲ばっかりだった。


学校に行かなくなって私は音を立てないように過ごすようになった。いつも喉が渇いて痛む、その痛みで私はいつも目を覚ます。母は専業主婦として人が変わったように私に心配の言葉を投げつける。そのどれもが嘘に見えた。弟の前だけだったそれもいつのまにかどこでもするようになって、それに引っ張られて父も本物に近づきつつあった。この優しさは私への諦め、ただ疲れたのかもしれないと思う事にした。


学校に行かなくなって、日々はすごい速さで過ぎていく。もう追いつけないくらい後ろにいてクラスメイトの背中も見えない。結局自分の首を絞めるのは自分で、でも怒っているを定義づけるのは他人だ。私はどこかやり場のない怒りをたぎらせていた。


アルバムはもう半分も埋まって両親はすっかりオシドリ夫婦にまでなった。私は自分が重石、重しは重しでも習字の重石なんておかしな考えを巡らせて、習字なんて長いことしていないのに。


夏でも私の氷きった心は溶かしてくれない。

かき氷の美味しい季節が来るのがいつもより早い。どこか焦りがあるのに何もできない。私はこのまま去勢された蝉みたいに何もできずに死ぬんだろうな。


布団の中の暗闇に包まれて私は眠る。眠っても眠っても、眠気が消えない。


山の色が変わって、布団の温かさがありがたくなった頃には両親は私に何も言わなくなった。毎日来てくれていた友達も来なくなった。私にはもう何もない、どこか逆に晴れやかで今ならどこだって行けそう。


駅の風はドブの匂いがして自転車に乗って浴びる風の爽やかさを見習って欲しいくらい臭かった。多分駅前でタバコを吸うティーンエイジャーのせいもあった、一般アジア人に似合うはずがない濃い金髪、喧嘩でもしたのか口元が切れている。私はそいつをチラリ見ただけでどこか怒りが湧いた。同族嫌悪だったのかもしれない、どこか外れた事をしているところに自分自身の奔放さを見て怒りが湧いた。私はただ通り過ぎて切符を買い電車をホームで待つ。ドブ金髪はすこし遅れて私の隣に立った。私は気に入らなくて次に来る止まらない新快速に轢かれてしまえとまで思った。何もされてないのに自意識過剰でおかしいな私、そんなんだからクラスで浮いて轢かれるべきは私なのに。フラフラとしてカンカン鳴る踏切とポーと間抜けな音を立てる汽笛を聴いて、近づいてくるライトを見ていた。手に湿っぽい感触、痴漢か何かかと思った。第一痴漢されるほどの魅力も何も無い。顔を上げると泣き出しそうな、幼く見える金髪が私の手を掴んでいた。私は撫でた、キシキシと痛んだ金髪、染めたばかりなのか皮膚は赤くフケも浮いている。私の第一声は皮膚科行ったほうがいいよ、だった。手を振り払わないで頭を撫でられ続けている。この子は変態、いや私も腕を掴まれっぱなしで何してんだろ。金髪は口を開いた、ドブ臭さはここから来ていたのだなと納得し、声を聞く。あ、危ないですよ。としゃがれて弱々しい声。金魚のフン、虎の威を毎週レンタルしてそうだなと思った。恩着せがましく私にいやらしい目を向ける。気持ち悪い、そんな対象になったのは初めてだったかもしれない、いや直接面と向かって性欲を向けられたのが初めてで。それは私もだった、知らない人に撫でられ余計なお節介をかけられて助けたのに嫌な顔をされる。はたから見たら私の方が気持ち悪い。私はその場に座り込んでありがとうとごめんなさいを繰り返した。金髪の男の子はだ、大丈夫ですか?と心配そうに覗き込んでくる。気持ち悪かった。今度は止まる電車が来て私は乗った。男も私の脇に手を回してまるで恋人ですよとアピールするように電車に乗り込んだ。隣に座り、ハァハハァと息を荒くして頬を赤く染める。窓から見える紅葉すら綺麗に思えなくなって私は動けないで爽やかな朝に臭い息を浴び続けた。男は私が無視しても、ど、どこに住んでるんですか?良かったらあの連絡先こ、交換しませんか?どこまで行くんですか?どこ中ですか?俺、山本あきひろです。良かったら友達になりませんか?と臭い言葉を吐き出す。私は全く興味ないしなんならおまえのこと嫌いなのに。うみ、とそんなつもりなかったのに私は呟いてしまった。私は吐き気に襲われて、でも透明な胃液ばっかりが床を濡らした。海ですかいいですね、と男は言った。ハンカチで男は私の吐瀉物を拭きあげると匂いを嗅いで、臭いですねー。俺も海行くつもりしてたんですよ、と言った。私は眩暈がして泣き喚きたくなって、立ち上がり逃げるように電車を降りた。黄色く汚れた男の歯、ついてくる黒い学ラン。私は声を荒げてついてくんな、と言う。下手にでてりゃ調子乗りやがってと男の罵声の方が大きく響く、私は蛇に睨まれたように動けなくなって男に足蹴にされ、震える。男は楽しそうに私を殴るとバランスを崩してホームから落ちた。またあざが増えちゃったな、痛いなぁ。お腹痛い、と鼻血を拭って逃げ出すように駅を出た。背中に何か喚く声と間抜けなプーとした音を聞いて、真っ白になった頭でバス停まで歩き、私はバスを待った。アクセスの悪い無人駅、新快速も止まらない。


バスの窓に映る景色は車よりも高い、だから普段見れない景色で新鮮だった。電車は早すぎて景色どころじゃないしちょうど良かったのかもしれない。


弟は着せ替え人形の様に私のお古の可愛らしい服ばかり着させられていた。男の子が生まれて喜んでいたのに女の子の格好をさせるなんてよくわからない人たち、ヘアピンまでつけさせて。名前も中性的な名前でますますわからなくなる。私にはあの喧嘩以来触らせるどころか近づかせてもくれなくなった。動物園の檻に入っている猿みたいに見えてどこか別の生き物のように弟が見えた。ベビーベッドの柵のせいもきっと有った。


毎週届く宗教のサブスク、そこに書かれた私の名前、家族の名前、弟のゆうの名前。私は困り顔と泣きそうな顔を混ぜ合わせてポストから包みと封筒を取り出す。前インターネットフリマで中身の変なコインと水を売ったら600円になった事を思い出しながら定期的に来る生協の青いお盆みたいなやつの上に雑に置いた。月5000円なんてバカみたい。ネトフリに入った方が絶対幸せになれるのに。幸せを他人に求めて神頼み、待ってすらいないんじゃないか?幸せには自分から何か、朝早く起きて映画をいっぱい見るとか幸せのハードルを下げてみるとか、たまにパフェ食べるとか。たまたま起こったいい事を神様のおかげにして有り難がって、まあ多分そこが依存ポイントなんだけど。深みにハマったら終わり多分なんでも。


夢すらも私を人と一緒にいたら迷惑な存在として描く、アボガドとピスタチオを間違えて本当はピスタチオを食べなきゃいけないのにアボガドを食べて、そのアボガドは他人のもので、私はアボガドなんて紛らわしいもの食べて迷惑と言って叱られる。そのあと白い部屋で棒人間になって赤ちゃんを産んで、殺してを繰り返して、そして死ぬ。目を覚ましたら泣いて悲しくもないのに。


父と母がほぼ毎晩喧嘩をするのは私のせい、私はできちゃった婚で生まれた子ども。足枷だから、弟は愛のある子ども。私はたまたまできた捨て猫みたいなみすぼらしい子ども。あざだらけで何もしないし、何もできない。

おばあちゃんの家に行っても、今度はおばあちゃんと喧嘩する。私のせいでみんなみんな不幸になる。いなきゃ良かった。カーテンの前で撮った私の写真が家の窓辺に飾られていて黄ばんでしまっている。それが遺影になってしまえば良かったのに私はセーラー服に袖を通して、女にまでなってしまっている。私も両親みたいになるのかな。キッチンのフローリングもぼろぼろになって、かわいそう。私もかわいそう。みんなかわいそう。


こんなの最近の子なら誰だって書けるでしょ。バカみたい。私たちがどれだけあなたのためを思ってたか知らないくせに、がっかりした。遊んでるだけじゃない。って母に言われた。もうどうでもいいや。

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