喜び

男は喜びを知った。妻との行為にも、出産のその時にも、幼い頃、人からの感謝にも心が動かなかった。男は娘の成長、性兆にむらむらと炎のように湧く喜びを知った。

娘が女の血を流したその日の朝、男は、男と成った。娘は女になり、妻は出て行った。


愛はとどまることを知らずに決まって朝方の躍動と欲望にのせて行われた。

ひた隠すように、音をころして。小さな女は母が出て行ったことに喜び、父のもうしわけの立たなそうな顔にそれと同じものを知った。知っていたのだ、いつでもすべて終わりにできることを。

だがしなかった。大人になるまで我妻(わがつま)は若妻(わかづま)で、死がふたりを分かつまで離れることはなかった。


なにより女、娘、「未来(みく)」は、父の作るご飯も声も好きだった。朝の秘密のあとに出される食べ物がいつもその酩酊のためになんだか毎日、最後の晩餐な気がしていた。

パンがあってもごはんを食べる。そんな家だった。母は毎日それを嫌がり、文句を言った。自分は家事をしないくせして。

父はそれを笑って見過ごしていた。愛していたのだあんな母を。


だが今は娘を毎日、毎朝、毎ばん。ばんという字も書けないような娘を女として性的に、動物的に愛していた。その獣臭さは母にとってのバルサンだったのだろう、逃げ出すように、奪われたように一目散に退散し。どこかに消えた。

それからご飯はうんとおいしくなり、毎日のサラダには、クルトンが入るようになった。それから味噌汁にはネギも!!


男はなにも持たない男だった。持っているのは愛する娘だけ、そのほかにはなにもない趣味もない、友もいない、おいしいご飯を作ることはできる。そんなふうに未来の目にはうつった。娘がいなければ今頃日の元を歩くことなんてできない、道行く子どもを襲い、自分の埋まらない穴に入れていく、そんな男。

穴を掘っているはずなのにその土で心を埋めることをできないでいる土竜。


それから男はよく泣いた、謝った。自傷行為すらした。娘と男でエンジン駆動のようにリストカットは行われた。未来はそれを、流れる血を、泣きだす事すらしないでうっとりと水族館の魚たちを見るように見ていた。心を透明なガラスに閉じ込めて。


おちない血液は、二人の行為を覆い隠すどころかさらに悲劇的なものにした。その血が父のものであれ、フロントのバイト少年、きらびやかな性の包み込むような匂いの前では、小さな女と大人な、少し汚らしい父の前では罪の色は赤と白とのコントラストでシーツを這いまわり、羽が生え飛び立っていくアリジゴクのような事件性を孕んでいた。木を隠すなら森の中、そのように二人はラブホテルには行かないでそのようにつかわれることを知らないきれいで清潔なホテルに泊まり、するようになった。


家を空けることが増え、あまり泣かない女の子は突然の記憶のぶりかえしに襲われるようになった。楽しいことをすればするほど死にたくなり、自分を雑に扱うほど生きてみる気になれた。もっとも、父のとの愛撫はこれに該当した。


僕は気になっている女の子の家の周りをぐるぐるすることの代わりに妻がばらまく、醜聞を剝がして回った。

娘の目に入ってもあまりわけなかった。ただ愛情表現の一種だったから。

―ある日私は自分の写真が電柱に貼られているのを見た。電話番号は母の物でなんだか腹が立った。だけど次の日には剥がされていた。きれいさっぱり。

法的には何の意味もない張り紙、あんな女に子どもを育てることが出来るわけないことは裁判で証明されているのに。


剥がすたび僕は妻の顔が歪むのに綺麗な絵画がヘタクソな素人によってめちゃめちゃにされる様子を想像して咲くような笑顔をするのだった。僕らはお互い似た者同士だったのかもしれない。外から見ている分には綺麗で。よく知ってみると毒花みたいな二人。そのおかげで産まれた子どもはこんなにもかわいらしいのだけど。

僕譲りのいい笑顔行為のたびに美しくゆがむ母譲りの性質。いいところだけ譲り受け、弟子によって作り上げられた伊能忠敬の日本地図のような完璧さをもっている。それじゃあ旅を続けようか。


僕は娘を愛していた。僕の娘の母、僕の妻だった人には申し訳なくなるくらいにはどっぷりと、どこか中、小学校時代、となりの席に新しい女の子がくるたびに恋しくなるような、穢しがたいからこそ、いや好意を向けられるからこそ、いやそれとも違うな、一分一秒、一目惚れするように愛していた。そんな瞳には何がうつっていたのだろう。僕の前ではあの子はいつも笑っていた。それこそこの曇り空に浮かぶ飛行機雲のようなはかなさで。


突発的に行われる。映画ならば気まずくなるような、リビングで見ることが小っ恥ずかしいそのシーンはいつも突然だった。僕らは見知らぬ二人になることはないが愛を確かめるときだけはどうしても他人な気がして、濡れていないお風呂だとか乾いたシーツなんかをみると二人で暮らす自分の家でも、旅館、ホテルでも知らない、寂しい場所のような気がして、涙が止まらなくなった。どれもに、娘の成長していく思い出を映していたからだろうか?


僕は、父としては静かで寡黙な部類に入るが、それだけで頭も良くないという人の親としては誰にも手をたたいてもらえない、それどころか平手打ちされてしまうような人間だ。人間失格、その上人間外脱だったのだ。


なにかから逃げ出すように、旅をする。小説、ロリータの真似事か?と言われればそれまでだが、僕は娘を愛していたし何より血も繋がっていた。心すらも。

喧嘩は不思議としなかった。娘は泣かない一度も、三才をこえてから一度も。僕は怖かったのかもしれない、つなぎとめておかないと、そう思った。娘がまだ子供を産むことができなくてもできることを知っていれば拘束する力は十分にある。事実、我が腰の炎、テディベアを握りしめたまま抱かれる僕の恋人はいつも目のとどくところでおかしくなったようにうすら笑いを浮かべていた。


プールに入ればあの子は、もっと魅力的で、象牙のような肌を太陽に見せびらかし、影をおとすアバラ骨を僕の目に塗りたくるように浴びせ、官能を刺激した。夏の思い出は上書きされこれしかもう残っていないのだが、話は少し寄り道をする。

ああ、僕はがっかりしたのだ。中学校に上がり、娘が広義に女として、天使のような何かを根こそぎ崩されるジャックポットの如く奪い去られる。そんな入学式、僕はあの夏の思い出が、とても大切にしていた宝石が、たしかに崩れ去り、かけらすらただの石になっていく様子を天井についた電気でも見るようにして見ていた。娘への愛はそのあとも続きはしたものの前より美味しいご飯は作れなくなった。


おもいでにまた揺蕩うとしよう。想像してほしい、アバラ骨、プールを埋めつくす、沢山の大人、そして子どもたち。僕は一途だったが、この人間の波にはまた恋に似たような心の動きを示した。そうして何倍も強く恋をした。


夏の日差し、せなかにあたるアバラ骨、ほっぺにあたる、やわらかい唇。ぼくの行き場のない性的な興奮、目、沢山の目、どうすることもなく膨張する、酩酊を始めるパチパチする脳。息があたり、足を踏み出すたびに膨らみのない胸が僕のせなかをノックする。おぶられている間はずっと素敵な子供に見える。

オブラートに包まず言うが服を着ていない所をいつも見ているはずなのに、ヨゴレを知らないような夏そのものな肢体を見ると、僕はどうしようもなくめちゃくちゃにしてやりたくなった。

プールで笑う君はきれいだったよ。思い出の中ではいつも輝いてみえた。

そして、このなくなってしまった、悲しみにピッタリはまる詩を僕はもっているので引用するとしよう。


羽の生えそろってしまった天使、無邪気さの皮をすこしずつ露出する頭蓋骨に変えていくばかりの天使たち、私はそれを見たくない。歩みをどうか牛歩の様に。わらって、私に。もう一度名前を読んでおくれ。


娘を、娘が僕の子供を宿したときの事、うれしかった。

でも後に続く喜びはなかった。小さくて短いロウソクしかその子には与えられていなかった。娘のロウソクすら短くしてしまったほどの弱りっぷりで、マタニティブルーだけ残して去った。赤黒い塊になって。

僕がこれまで掘り進めていた魅惑の愛すべき穴の中からゴミみたいに捨てられ、泣いている者はなかった。ただ一人我が娘、未来を残して。


お風呂には変わらず、入った。流れ出す子供の名残が湯を赤く染めやしないかいささか不安ではあったが、それもまた、僕らの罪に浸ることができると思い、ぬけがらになった娘を浮かべた。何日もためたヨゴレが体をつたうたび成長の苦みに頭を抱えた。さいなまれた。

僕はそんな娘相手にも自分の欲のために動いた。風呂場に入れば情欲が産まれ、湯が一見膝の上に小さい小さい娘をのせる真の父親であるように演出して見せた。その実、僕らはつながっていたのに。


いりびたる時間が長くなった風呂場は壁にも天井にもぬめりが出、声の響きもいくらか事務的な響きが出てきた。そんな生活のせいか、小さな、かわいらしい僕の娘は、僕の目の前から消え、あのロリータと同じように結婚してしまった。


娘のいなくなった日々は長かったが長かっただけで文字にすると何も書くことが無い。何度も自殺しようとしたくらいか。そのたび日々の思い出に邪魔をされて、僕は娘の披露宴にこうして、今出席している。今食べているアヒージョ、ワイン、少しのチーズが最後の晩餐のような。

しあわせそうな顔、隣に座る僕じゃない男、ポケットに眠るナイフ。何度も手首を切った、僕の血がたっぷりとしみこんで錆びついてしまったナイフ、立ち上がり。僕は笑いかける。

笑い返してくれたので、他人行儀に。

胸には赤いシミ、馬乗りになってあのアバラ骨に邪魔をされ、僕の子供じゃない人が入っているところを刺した。

僕は何か言葉にならない言葉を叫び、愛の言葉だったらいいな。まわりのエキストラじみた、見たことのない人々に取り押さえられながらも手首を切り、今度のリストカットは自傷ではなく、血液を、娘のものと僕のもので混ぜるために行った。ぷつりと糸がきれるように眠りこけた。殺すべきは娘ではなくそばにいた娘の母だったのに。


僕らの記憶はいつもスピードをとばして通り過ぎ、それから思い出すのはいつも朝から正午だった。小児性愛者が歩く浜辺を僕も歩いていた。ただ他の人々と違うのは、その浜には白く輝く貝殻一つしか落ちていなかった。僕は女ならば何人も愛したかもしれないが、子ども、少女を愛したのはこれからも未来ずっと娘一人だ。


白ぼんやりとした朝の日差しの中に僕の愛した人はいた、一目でまぼろしだと分かった。でもこいつは他人のフリをしないで心から笑いかけてくれていた。右手にはまだあのナイフが握られていた。また、吸い込まれるように、そうするのが自然なように胸を刺した。

キューピットの矢のような暗示じみたそれは僕の心を掴んだまま心中させようとするのだった。僕は誰もいない砂原を歩く夢をよく見るようになった。音もなく気が付けば横たわっている娘に僕は謝ることはしなかった。

目が覚めても、娘はいる。僕の目の前でいつもわらってくれる。これからもずっと。


幕を引くには今が一番だろうが、僕はもうすこし歩いてみようと思う。この塩のひいてしまった浜を。

水に帰る、そのように僕も今度こそ、フリではなく空っぽの日々、未来を放りだして、もう喜びのない生活をブレーキをかけずに耳の下、娘を刺したナイフと同じもので刺した。刺そうとしたが、娘が笑いかけていて、手をはなしてしまいまたフリで終わった。

まぼろしの少女はいわば僕の生存本能でどこまでいっても自分自身、だけどそんなことわかっていてもそのまぼろしを愛さずにはいられなかった。

結婚しよう、と言えば「うん」とこたえ、なんで結婚したの?と訊くと「それはパパをこまらせたかったから」としおらしく言った。

僕はこのまぼろしになってしまった子どもをはじめて自分の娘として家族愛で愛した。


波の音が聞こえる、体はもう動かずに。心ばっかりが浮袋の役割を果たして、二人寄り添いあって眠っている。星はとてもきれいでイカ漁船が僕らを見つけるのも時間の問題、チロチロ光る灯台の光はかすんでいく僕の目にも僕の作り出したまぼろしも照らしてより幻想的に海を鳴らした。


これは僕の妄想で僕は今も震える指でベッドに横たわり、娘を刺した感覚を右手に残したまま、ペンを走らせている。もう何年も海は見ていない。波の音が聞こえたとしても僕は眠りこけることができるだろう。たといそれが娘の、断末魔だったとしても、隣にはこうして赤い頬をした寝息があるのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る