第29話 最終Chapter29 最終話「誓い」2/2

 最終Chapter29 最終話「誓い」2/2


 七海と今後のモデル活動のことを話し合っているとあっという間に時間が過ぎた。腕時計を見ると19時3分だった。

「七海、東京の日没の時間だ」

「タケル、お願いがあるの」

「なんだ?」

「その時計が欲しいの」

1年前に七海と買い物に行った時のことを思い出した。あの時も七海は同じことを言った。たしか池袋のベックカメラで七海の腕時計を買った時だ。

「これは男物のミリタリーウォッチだ」

「うん、知ってるの。でも、どうしても欲しいの」

七海の欲しがる時計は『Hamilton』のカーキフィールドシリーズ:ブロンズで手巻き式の時計である。ベゼルがブロンズ色をしており、使い込むことによって経年劣化で色が変わるのを楽しめるモデルだ。買った頃はピカピカの真新しい10円玉のような色だったが、今は古い10円玉のような落ち着いた色をしている。黒い文字版にベゼルのブロンズ色が相まってなんとも渋い雰囲気を醸し出し、白い文字が映えている。値段は14万円と高過ぎず、安過ぎず、私にはちょうど良い。ゼンマイを1回巻き上げれば80時間は動き続けるが、私は毎朝、池袋の駅のホームで山手線を待つ間に巻くのが一日が始まる儀式のようなルーティンとなっている。

「わかった、前もこの時計を欲しがってたな、今度買いに行こう銀座に直営店があるはずだ」

「違うの! タケルがしてるのが欲しいの!」

七海の声は強かった。私は自分の左腕から腕時計を外すと、七海の左腕に着けた。

「ありがとう、嬉しいの! ずっと大切にするの。大切な思い出の証なの」

「思い出? 七海、思い出って、どういうことだ?」

えっ・・・・・・それは一瞬だった。七海は素早く、そして軽く私の唇にキスをした。柔らかく暖かい唇だった。

「お礼なの・・・・・・もっとしたくなるの・・・・・・不思議なの」

七海は恥ずかしそうに下を向いた。私は驚くと同時にドキドキした。『思い出』という言葉は気になったが、それ以上聞かなかった。いや、聞けなかった。

七海と暮らして1年になるが、私たちはプラトニックだった。七海は女性の姿をしているがMM星人に性別は無い。しかし私は七海に確実に惚れていた。月並みな言葉で言えば、愛していた。


七海は操縦席のパネルを操作している。

「こちらはMZ会関東地区管制室です。呼び出し信号をキャッチしました、識別コードは有効です。コールサインを送って下さい オーバー」

船内に男性の声が響いた。

「こちらはコールサインABO378、アフファ、ブラボー、オスカー、スリー、セブン、エイトなの オーバー」

「メリットファイブ 感度良好 管制室了解 これより着陸地点の座標を送る 1時間以内に着陸されたし 尚航路上空に民間航空機あり 高高度への上昇を求む 米軍機及び自衛隊機の飛行無し 目的地上空雨雲あり オーバー」

「ABO378了解なの 座標確認 30分以内に到着するの オーバー」

「管制室了解 埼玉県秩父上空に雷雲あり 注意されたし オーバー」

「ABO378了解なの 高度2万メートルで通過予定なの オーバー」

「管制室了解 アウト」

七海はMZ会の管制室と交信していた。

「タケル、航空機を避ける為に一気に高度2万メートルまで上昇するの。着陸地点は東京湾の埋め立て地なの。30分かからないの」

この場所に来るまで12時間もかかった。慣れない登山で体は悲鳴を上げている。帰りは座ったまま30分だという。なんとも不思議な感覚だ。七海は操縦レバーを手前に引いた。急激なプラスGが体にかかった。頭の血液が一気に脚の方に下がるのを感じる。

「七海、もっとゆっくり上昇してくれ、ブラックアウトしそうだ」

「うん、わかった」

宇宙船は上昇を止めたようだ。前面のパネルには関東甲信越地方の上空からの映像が映っていた。

「凄いな、七海、この宇宙船の動力はなんだ?」

「反重力装置と重力制御装置なの、大気圏内ならマッハ20まで出せるの、今は亜音速で飛んでるの。高度は2万メートル、速度は時速960kmくらいだからタケルの好きな紫電改や疾風より速いの」

「米軍や自衛隊のレーダーは大丈夫なのか?」

「大丈夫なの、完全ステルスなの。それに最大速度なら対空ミサイルより速いの」

「MM星人の科学力は凄いなあ」

「時空超越転移装置に比べたら、こんなの、おもちゃなの」

私は改めてMM星人の科学力に感心した。マッハ20は東京からハワイまで15分。ニューヨークまで30分で移動できる。時空超越移転装置はこの宇宙船を大マゼランまで、光で16万年かかる距離を3ヵ月で移動させることができる。30分後、宇宙船は埋め立て地のMZ会の施設に着陸した。


 宇宙船を出ると地面はコンクリートで覆われた短い滑走路だった。直ぐ近くに格納庫のような大きな建物が立っていた。オレンジ色のライトが辺りを照らしている。細かい霧雨が降っていた。格納庫の前に峰岸が立っていた。私は峰岸がいるのを不思議に思った。

「七海さん、ご要望の物は用意しました。5トンほどの重量になります。夜明けまでには積み込みます、宇宙船の整備も完了させます、日の出と同時に出発できます。我々もすぐに兵員と物資を積んで出発します、大型宇宙船8隻です。到着は8カ月後ですが、兵員3000、物資は5000トンです」

「分かったの、日の出まで待機するの。レベル5に設定するから、MM378まで2ヵ月かからないと思うの」

夜明けまで? ご要望のもの? 出発、2ヵ月、何の話だ。私は知らない。

「七海、要望の物って何だ? 出発って?」

「音楽と料理なの。CDとプレーヤーなの。あと料理本と歴史書や塩と醤油とお米と水なの。砂糖や味噌、味醂やカツオ出汁もあるの」

「そんな物どうするんだ?」

「MM378に音楽と料理を広めるの。新しいMM378には地球の文化が必要なの。心を豊かにして楽しく生きるのことが大事なの。お米もMM星人に食べてもらうの、種籾もあるの」

「七海、どういう事だ、何をするもりだ!?」

「タケル、私の目を見て」

私は言われるままに七海の目を見た。脳がブルブル動いて眩暈がする。意識が遠のきそうだ。

・・・・・・・池袋、峰岸、カラオケ・・・・・・ジーク少尉、第1政府、レジスタンス・・・・・・・ギャンゴ、地球侵攻!


 「タケルが思い出したのは3ヵ月前に封印した記憶なの」

「七海、どういう事だ! 俺に何をした!」

思い出した、3ヵ月前、池袋で峰岸とカラオケに行き、次の日に観音崎の施設を訪れた。第1政府が地球に侵攻してくる為、峰岸達は第1政府と戦うことになった。七海はMM378に帰ると言っていた。

「タケル、ごめんなさい、あの時の記憶を一時的に思い出せないようにしたの。そうしないとタケルは私を止めたと思うの。今日まで、あの時の事を忘れて欲しかったの」

「七海、何でだ!」

「この3ヵ月間辛かったの。タケルとの楽しい思い出がいっぱい増えて辛かったの」

七海は真っ直ぐ私の目を見た。七海の美しい目には涙が溜まっていた。

「水元さん、私とカラオケに行ったことも思い出しましたか? 七海さんは、『ムスファ・イーキニヒル・ジョージフランクホマレ』は戦うことを選択したのです。MM378のためでもあり、地球のためなのです。第1政府は4か月後に地球への侵攻を開始します、時間がありません。我々も多くの仲間を失いました。潜入員が破壊活動でほぼ全員戦死しました。殆どがバグルンによる自爆攻撃での戦死です。地球を守るためです。今、第1政府の勢いは止まっています。今しかないのです! 仲間の犠牲を無駄にしたくないのです!」

峰岸が涙を流している。

「七海、どうするつもりなんだ、説明するんだ!」

「タケル、私はMM378に戻って戦うの。新しいMM378を作るの、それが『ムスファ』としての新しい使命なの」

「何言ってるんだ!」

「もう決めたことなの、タケルとはお別れなの・・・・・・」

「七海、やめろ、危険だ、危険すぎる! 七海一人で何が出来るんだ? 頼む! 行かないでくれ!」

七海は下を向いて黙っていた。

「七海、行かないでくれ! お願いだ!」

私は泣き出していた。七海を失いたくなかった。七海が危険な目に合うことを想像するだけで胸が張り裂けそうだった。攻撃用脳波、飛び交う銃弾。戦争なんかで七海を失うことは絶対に納得がいかない、耐えられない!

「タケル、こんなに悲しい気持ちなったのは初めてなの。どうしたらいいの? ねえ、どうしたらこの気持ちが消えるの? 辛くて、どうしたらいいか分からないの! 分からないの!!」

七海も大粒の涙を流していた。

「七海、この星で一緒に生きよう! ずっと一緒いよう! いやだ、別れたくない! 七海!」

「地球に来て良かったの。本当に良かったの! タケルに会えたの! ナベさんや店長にも、王さんにも、溝口さんや橋爪さん、さやかお姉ちゃんにも会えたの! みんな大好きなの!!」

「みんなも七海のことが大好きなんだ、だから七海、行かないでくれ!」

「私もタケルのことが好きなの。どうしていいか分からないくらい好きなの! こんな気持ちになったの初めてなの!」

「七海、俺も同じ気持ちだ、七海のことが何よりも大切なんだ、失いたくない」

「タケル、私を困らせないで、お願い、困らせないで! 凄く悲しいの、悲しいっていう気持ちが分かったの、寂しいっていう気持ちが分かったの! 分かりたくなかったけど分かったの! でも楽しかったの! 凄く楽しかったの・・・・・だから悲しいの! 本当はタケルと離れるのはイヤなのーーーー!!」

七海はそう叫ぶと泣き崩れて膝まづいた。肩が大きく上下している。七海の嗚咽が滑走路に響いた。霧雨が七海の髪の毛を濡らしていた。

「でも、タケルがこの星で生きてると思うと嬉しいの。タケルがこの素晴らしい星で生きていると思うと凄く嬉しいの! だから戦うの!!」

「七海!」

「私は帰って来るの。戦いに勝って、絶対に帰ってくるの! 地球には指一本触れさせないの。タケルと一緒いたいの、ずっと一緒にいたいの! だから私は戦って帰ってくるの!!」

私は意識を失った。『ポング』だった。



 朝の光で私は目を覚ました。布団から身を起こして部屋の中を見回したが七海はいなかった。

ハンガーに七海のお気に入りの服がかかっていた。七海と出会ったばかりの頃、池袋のデパートで買ったブラウスとジャケットとスカートだ。ガラステーブルには飲みかけの『アサハおいすい水:天然水』のペットボトルと七海のスマートフォンとメモ用紙が置いてあった。七海は私を部屋に運んでくれたようだ。

『タケル、ありがとう』メモ用紙の字は七海の字だった。私は七海のスマートフォンのスイッチを押した。壁紙が表示された。七海と私と店長と王さんが笑顔で写っていた。七海はまだ美島七海の姿だった。スマートフォンからメロディーが流れた。スティービーワンダーの『I Just Called To Say I Love You』、七海の目覚ましのアラーム音だった。

「アイジャスコー♪」、「アイジャスコー♪」、「アイジャスコー♪」、「アイジャスコー♪」

七海の歌声が私の耳に蘇った。



長い間ご愛読ありがとうございました。





 3年後、春、サンシャイン60の展望フロアは大勢の家族連れや観光客で賑わっていた。

「おい、凄い美人だ、まるで芸能人みたいだな、一人で来てるのかな? 写真撮らせてくれないかな?」

「頼んでみろよ、せっかく一眼レフ買ったんだ、でも無理だな、綺麗すぎる、それにカワイイ、まるで天野七海みたいだ。俺、ファンだったんだよ、写真集も持ってるんだ」

「ああ、あの幻のモデルか、確かに似てるな、俺も好きだった」

アイボリーのブラウスに薄いブルーのジャケット、タイトな薄いピンクのスカート。美女は東京の景色を見下ろしていた。

「懐かしいの。やっぱり東京の街は興味深いの。ジャンボ肉シュウマイが食べたいの」

美女は呟くと微かに微笑んだ。

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