第25話 Chapter25 「はじめまして【地球人】天野七海です」

Chapter25 「はじめまして【地球人】天野七海です」


 いよいよ七海の写真集の話が大詰めになった。私と七海と橋爪さんと溝口先輩は青山にあるカフェのオープンテラス席で打ち合わせをしていた。

「水元さん、写真集の撮影が決まりましたよ。初版は5000部です、価格は3000円です」

橋爪さんが出版社との打ち合わせ結果を報告した。

「5000部ですか、新人としてはまあまあですかね」

溝口先輩が感心している。私には5000部の妥当性がよく分からない。

「それだけ出版社の期待も大きいということだ、全部売れたとしたら我々には150万円が印税として入る。半分は私、半分は七海ちゃんの収入だ」

「全部売れても、75万円ですか。意外と儲からなないんですね」

私は本音を口にした。

「もし売れ行きがよければ重版もある。なんとも読めないのがこの世界だ、もちろん私も伝手を利用して宣伝するつもりだ」

七海の写真集は、『秀優堂』からの出版で、費用は出版社持ちで印税は10%の設定だ。それも橋爪さんが撮影するからであり、新人モデルとしたら破格の部類になるらしい。

七海の写真集の撮影は順調にすすみ、契約も橋爪さんが骨を折ってくれた。いよいよ発売日となったが、発行部数が5000部なので一般書店には殆ど並ばない。アイドルやグラビアモデルを中心に扱う書店に並ぶ予定だ。『秀優堂』もネットで宣伝をうつようだが、規模はかなり小さく、他の写真集の宣伝ページに小さく載る程度だ。

我々は発売前の七海の写真集を橋爪さんから5冊ほど貰った。そのうち2冊は龍王軒の店長と王さんに頼まれていたものだ。写真集の表紙はワンピースを着た七海で思ったより落ち着いているが、七海の物憂げな表情がその魅力を訴えかけており、いい仕上がりとなっている。最初のページは思いっきり笑顔の七海だ。写真集の後半は水着の写真もあり、少し艶めかしい写真もある。最後のページと裏表紙は七海の寝顔だ。写真集の中の七海の寝顔も本物と同じように美しかった。本物の七海の寝顔を毎日タダで見ている私は間違いなく超果報者だ。写真集のタイトルは『はじめまして【地球人】天野七海です』だった。これは七海が宇宙人キャラであることを武器にするために出版社と橋爪さんが決めたものだった。


 3ヵ月ほどして発売日になった。私は有給休暇を取得していた。季節は冬になり、年が明けていた。

「七海、いよいよ発売だな」

「うん、不思議なの。実感がないの」

何故か最近の七海は元気がない。時々虚ろな表情をしている時もある。

スマートフォンが振動した。着信表示は溝口先輩だった。

「ガクちゃん、何やってるんだよ、宣伝活動するぞ、秋葉原に来い! タクシーで来い!」

私はタクシーで秋葉原に向かった。


 秋葉原の中央改札で溝口先輩が待っていた。青いジーンズに薔薇の刺繍の入ったダンガリーシャツ、派手な模様の入ったウェスタンブーツにカウボーイハット。首に巻いた赤いバンダナが目立っている。全然似合っていない。

「見ろよこの格好、気合を入れて来たんだ! ガクちゃんもミリタリーマニアなら軍服とかで来いよ、気合見せろよ」

溝口先輩の気合は良く分からなかった。お腹の出たカウボーイ姿はコントのようだ。一緒に行動するのが恥ずかしかった。これで私が軍服姿だったらチンドン屋だ。職務質問必至だ。

私と溝口先輩はアイドル書籍のコーナーが充実している書店『書腺』に入った。グラビアアイドルのイベントも頻繁に行っている書店だ。

「ガクちゃん、あったよ、5冊しか置いてないけど確かに売ってたよ、これだ、5冊買うんだ」

私は意味が分からなかった。すでに七海の写真集は持っているが言われるままに5冊購入した。

溝口先輩は購入した写真集をレジの横で開いた。

「ガクちゃんこれだよ、天野七海ちゃん、やっぱスゲーなあ! こりゃめちゃくちゃ売れるぜ、初版本は価値が出るんだ、この店には5冊しかなかった、他の店にも行って買い占めようぜ、こりゃ絶対プレイミアムつくぞ!」

溝口先輩は小躍りしながら叫んでいた。カウボーイハットを指でクルクル回している。あまりの声の大きさに店員は迷惑そうにしている。何人かの客がこっちを見ている。

私と溝口先輩はその後ファーストフード店やファミレスを回った。テーブルの上に写真集を4冊積んで、一冊を開いて大きな声で話した。

「ガクちゃん、天野七海ちゃんだよ、やっぱスゲーなあ! こりゃめちゃくちゃ売れるぜ、初版本は価値が出るんだ、もっと買い占めようぜ、こりゃ絶対プレイミアムつくぞ!」

「天野七海いいですね、こんなかわいい娘、一緒に住んでみたいですよ」

実際は一緒に住んでいた。

「ああっ、やっぱこれからは天野七海ちゃんだよ。めちゃくちゃカワイイ。売り切れる前に初版本買うんだよ」

私と溝口先輩はこのパターンを7回以上繰り返した。もうドリンクを飲み過ぎで胃が気持ち悪い。

「あの、天野七海の写真集ありませんか、今日発売のはずなんですよ! えっ、無いの? 天野七海の写真集だよ、置いてないなら取り寄せてよ! 大きい店なんだから置いといてよ、天野七海の写真集、初版本なんだから価値が上がるんだよ、置いてないなんて機会損失だよ!」

大手書店では置いて無いのを知ったうえで、溝口先輩がレジで大きな声でごねた。このパターンも5回繰り返した。溝口先輩は移動の電車の中でも『天野七海の写真集』を連呼した。カウボーイ姿が乗客の目を引いた。溝口先輩のバイタリティは恐ろしいが涙が出るほど嬉しかった。私にはこんなバイタリティは無い。


 その夜、私と七海は龍王軒に行った。

「いらっしゃい」

店長が珍しくレジにいた。レジの横には七海の写真集が置いてあった。『小石川5丁目のアイドル天野七海写真集予約受付中、龍王軒のイメージガール』と書かれ大きな模造紙がレジの後ろの壁に貼ってあった。

「あの、これは?」

「決まってるじゃん、七海ちゃんの写真集の予約受付だよ、もう6冊予約取ったぞ」

「平田さん、まいどあり、ねえ、天野七海の写真集予約しない? 勘定半額にしちゃうからさ、次は餃子タダにしちゃうよ、お願いだよ、ほら、後ろに本人がいるよ」

平田さんと呼ばれる中年の客は振りかって七海を見た。

「この写真集、この娘なの?」

「そうです、この娘が天野七海です、よかったら握手でもどうですか」

私も店長に協力した。

「う、うん、でもねえ」

平田さんは煮え切らない。

「平田さん、カッコイイの、素敵なオジサマなの」

七海は平田さんの頬に軽くキスをした。七海は普段からは考えられないくらい大胆だった。最近の七海はどこかおかしい。

「うわーーまじかよ、買う、買う、店長予約してよ。なんなんだよ、これじゃ押し売りだよ、でも嬉しい!」

「ちょっと、俺も予約するよ」

「えっ、チューしてくれるの? 俺も買うよ」

他の客も騒ぎ出した。

私と七海は落ち着いて食べる暇がない。

「七海ちゃん、この写真集本当に凄いよ。七海ちゃんの笑顔、寂しそうな顔、水着姿のボディライン、もうずっと見ていられるよ。寝顔が最高なんだよ、もう裏表紙を表にして枕の横に置いて寝てるよ。朝起きるでしょ、横向くでしょ、七海ちゃんの寝顔があるんだよ! 幸せな気分なんだよ。あううっ」

店長は何故か涙を流している。

「アノ、ナナミサン、ワタシモヨヤクスルカラ、ホッペニチュウシテクダサイ」

「王、お客さんに何言ってるんだ、仕事しろ、時給下げるぞ!」店長が一喝した。

「あのさ、5冊予約しちゃうからさ、七海ちゃん、少し強めにほっぺにチューしてくれないかな、ねえ、どう?」

店長が七海に頬を突き出している。

写真集は何冊売れるかわからなが、物凄い祭り感がある。こんなに盛り上がった気分になったのはいつ以来だろうか。中学生の時の文化祭の『無線部』の出し物より100倍くらい気分が高揚している。みんなが七海を応援している。


 スマートフォンに着信があった。溝口先輩だ。さっき新宿の本屋で別れたばかりだ。

「ガクちゃん、今からメールでURLをいくつか送る、アイドルの掲示板だ、写真集のことを書き込むんだ、俺も一晩頑張る、ガクちゃんも書き込むんだ、明日も会社休め! 業務命令だ! それと佐山さやかにも書き込みを頼んでおいた。女性の肯定的な書き込みは価値があるんだ。女性はアイドルや若い女優には否定的な意見が多いからな。あと、会社の応接室や休憩室にも写真集を置いてもらうことにした。ガクちゃんの従妹だって言ったらしぶしぶ協力してくれた。俺は『佐山さやかの重要な秘密』を知っている。断ったら秘密を暴露することを仄めかしたんだ。使えるものは何でも使う、それが溝口イズムだ! 恐れ入ったか、グエッフェッフェ、アッハッハッ」

佐山さやかは人事部の女性社員だ。溝口先輩は頼りになるけど、正直怖い。敵に回したくない。


 私と七海は橋爪さんと溝口先輩と恵比寿のカフェにいた。写真集の発売から2か月、七海の写真集は思った以上に好評のようだ。橋爪さんの業界への働きかけもあって重版の話が本格的になってきた。週刊誌などからの取材依頼も来ているようだが、今は応じない方針だ。しばらくは写真集一本で行くつもりだ。

「水元さん、売り上げが急激に上がってるんだ、1万部の重版の知らせきている」

「ガクちゃん、やったな、やっぱり七海ちゃんは凄い、これから七海ちゃんをどうするか考えないと、もうさ、一気に女優とかでいいんじゃないの? 今度こそ俺がマネージャーやってもいいよ」

溝口先輩の野望は健在だ。

「それと、七海ちゃんの写真集、ある団体が3000部購入したらしいだ、出版社から聞いたんだけどな」

橋爪さんが妙な話をした。

「団体ですか?」

「何でも宗教法人らしいんだよ」

橋爪さんもどこか解せないような話しぶりだ。

「宗教法人が写真集ですか、あまり聞かない話だな」

溝口先輩も意外そうだ。

嫌な予感がした。MZ会かもしれない。もしそうだとしたら何のつもりだろうか。

「それよりさあ、七海ちゃん、前に約束してくれたよね、七海ちゃんの家に行く話、隣で寝ていいって言ってたよね。寝顔見ていいんだよね? スタジオの撮影じゃなくて本当の寝顔だよ。ねえ、いいんだよね?」

橋爪さんが七海に寝顔の件を確認している。

「うん、タケルがいいならいいの、見放題なの」

「みずもっちゃん、お願い、お願いなにょー、これでも僕、今回の写真集の件、随分頑張ってるんだよ、だからお願いなにょー」

「そうですね、私もここの所ちょっと忙しいんで、少し先になるかもしれません」

「あっ、ああーーズルいにょー、誤魔化すつもりでしょ、そりゃーみずもっちゃんはいいよ、毎日七海ちゃんの寝顔とナマ足見てるんでしょ、でもそれは不公平なにょー、独り占めはズルいにょー、見たいにょー、七海ちゃんの寝顔見たいにょー」

「お客様、申し訳ありません、他のお客様よりクレームが来ております」

男性の店員が頭を下げながら他の客のクレームを告げた。

「うるさいですよね、すみません、静かにします」

私は店員に謝罪した。

「うるさいというか、お客様の話し方が気持ち悪いとのクレームです」

「僕が悪いにょ? 僕のせいなのにょ? だったら申し訳ないにょ」

橋爪さんが珍しく神妙な態度だ。

「たぶんそうなにょー、キャハハ、橋爪さんが悪いの、だからもう『にょー』は禁止なの」

「うん、七海ちゃんが止めろって言うならやめるよ、もう言わないよ、男に二言は無い」

橋爪さんは苦み走った渋い顔をした。なかなかダンディーだ。

「でも橋爪さんは面白いの、大好きなの、寝顔はいつでも見ていいの、ナマ足つきなの」

七海は橋爪さんにウィンクをして投げキッスをした。

「嬉しいにょー! 七海ちゃんは最高なにょー、うぉーー! にょーー!」

「もう思いっきり言ってるじゃないですか、あははっ」

溝口先輩も楽しそうだ。

「七海ちゃんの前だとこの言葉になっちゃうにょー、口癖はそう簡単に治らないにょー、七海ちゃんのせいなにょー」

私は七海のおかげで愉快で楽しい仲間を手に入れたのかもしれない。

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