第20話 Chapter20 「粋」

Chapter20 「粋」


店はこぢんまりとした佇まいだったが、老舗の名店のオーラを放ってた。表札みたいな小さな看板には『粋』としか書いてない。

「へいいらっしゃい」

若い板前さんの声が店内に響いた。

「大将、今日はよろしくね、大事なお客さんなんだ」

大将と呼ばれた職人はカウターの中からこちらを見て頭を下げた。白髪の角刈りで歳は60代であろうか。背は高くないが背筋が伸び、顔は任侠映画に出てくる俳優のようだった。私達はカウンターの角を囲むようカウンター席に座った。時計回りに溝口さん、私、七海、橋爪さんの順番だ。

「大将、お造り人数分とビール2本ね」

大将は無言で軽く頭を下げた。

「うわー、楽しみなの、ワクワクするの」

七海の目がいつもにも増して輝いている。

大将がまな板の上で柵を包丁で捌く。見事な腕前だ。

「大将、この娘、今度モデルデビューさせようと思ってるんだよ、綺麗でしょ、私の写真人生の中でも最高の逸材なんだよ、凄い写真集になるよ」

大将がチラッと七海を見た。

「すごい、お刺身を包丁でシュッシュって。大将かっこいいの、素敵なの」

七海が大将の腕前に歓声を上げる。大将の頬が赤くなった。少し口角も上がっている。


 「お刺身、美味しいの! 新鮮なの」

橋爪さんは刺身のネタを一つ一つ七海に説明した。七海は何度も頷きながら橋爪さんの説明を聞いている。

「ガクちゃん、こんな高級な店初めてだよ、七海ちゃんに感謝しないとな、本当に七海ちゃんは凄いな」

溝口先輩も刺身を笑顔で味わっている。

「私もこんな高級店初めてです。本当に美味しいですね」

「このお店、お水も美味しいの、最高なの~!」

七海は特別に出してもらったお冷をグラスで飲んで喜んでいる。

「へい、この店の水は安曇野の湧き水を取り寄せてるんです、大将の拘りです」

若い板前さんがちょっと得意そうに言う。

「凄いの、私、お水の味は良く分かるの、本当に美味しいの、大将ありがとう」

大将の頬がさらに赤くなった。

「マサ、そちらのお嬢さんにもう一杯水を差し上げろ」

大将が初めてしゃべった。渋い声だった。

「嬉しいの~このお店が好きになったの」

「七海、悪いけど俺の給料じゃこの店に連れてこれないよ」

今後せがまれないように先手を打った。

「うん、わかった。私が稼ぐの、そしていっぱいこの店にくるの。タケルも連れてきてあげるの」

「いやー七海ちゃんは本当にいい娘だね。水元さんはいい従妹を持ったね、羨ましいいにょー、やっぱりズルいにょー、どこまでいってもズルいにょー、七海ちゃんはルックスも性格も抜群なにょー。あり得ないにょー、みずもっちゃん、今日も七海ちゃんのナマ足見たにょ? ねえ、見たにょ?」

「はい、見慣れちゃったんで電信柱みたいなもんです、眼中に入りません」

「そんなセリフ言ってみたいにょー、でも僕は見慣れたりしないにょーー」

「橋爪さん、この前ガクちゃんの部屋に泊まったんですよ。七海ちゃんの隣で寝たんです。七海ちゃんの寝顔、凄く可愛くて最高でしたよ」

私にとっては最低の夜だった。

「なんか恥ずかしいの」

七海がはにかんだ。

「溝口さんまで、ぐぬぬ、えっ寝顔? そは凄い、そうだ寝顔だ、今度は寝顔も撮ろう、凄い写真集になるぞ! でも溝口さん、ズルいにょー、今度は僕のことも誘うにょー、そうしないとサークル退会なにょーー」

「橋爪さんにならいつでも寝顔みせてあげるの、すき焼きも、お寿司も、ありがとう。今度部屋に来るといいの、隣で寝れば見れるの」

「ぎゃーお! 行くにょ、行くにょ、いつならいいにょ? ねえいつならいいにょ?」

七海の魅力は出会った男たちを虜にし、そして子供のようにしてしまう。龍王軒の店長、王さん、溝口先輩、橋爪さん。恐ろしいばかりの魅力だ。無防備で悪気がないのが手に負えない。男達が引き込まれる底なし沼だ。3ヵ月前までホームレスをやっていた小汚いおっさんだったと言ってもだれも信じないだろう。

「七海ちゃん、そろそろお寿司食べてみようか? 最初は白身がお勧めだよ」

「うん、わかった。トロがいいの! 大トロが食べてみたいの」

七海は底抜けに無邪気だ。大将が小さく頷いた。


 「あーあー無粋だねえ、いきなり大トロなんて、最初は白身なんだよ。だから最近の若い娘はダメなんだよ。寿司は文化なんだよ。ピザやハンバーガーなんかと違うの。ねえ大将、困っちゃうよね」

近くのカウンター席の客がこっちを見て嫌味を言ってくる。食通の常連客のようだ。

七海は出されたトロの握りに醤油を付けると口に放り込んだ。

「うーーん、美味しいの! 脂がとろけて、口の中が喜んで、美味しさが広がっていくの。マグロがどこまでも泳いでいく感じなの。頭の中がスーって気持ちもよくなるの、ご飯とトロの食感が凄くいいの! 感動したの、涙が出そうなの」

七海の目が潤んでいる。

「七海ちゃん、良かったね、連れて来た甲斐があったよ」

「私、お寿司は初めて食べるの、こんなに美味しいなんて知らなかったの」

「初めて食べるのにこの店に来たの? ちょっとカワイイからって寿司文化を舐めてるよね、大将言ってやってよ」

「あっ、この娘、国外の生活が長かったんで、日本に来たのは最近なんです」

私はフォローした。言ってることは間違っていない。大マゼラン星雲だって国外だ。

「ふーん、じゃあ干瓢巻きからでも食べるんだね。いきなり大トロって、分かってねえなあ。野暮なんだよ」

「あの、ちょっと失礼じゃないですか? 赤の他人のあんたにそんなこと言われる筋合いはないよ」

橋爪さんが怒っている。

「あのさ、私、これでも雑誌にグルメ記事書いてるの。日本の食文化が壊れていくの見てられないんだよね、モデルかなんか知らないけどさ」

「ごめんなさい、私、お寿司のルールとか知らなかったの。トロが美味しいって聞いてたから食べてみたかったの。ずっと楽しみにしてたの・・・・・・」

七海が申し訳なさそうに言う。

「謝ればいいってもんじゃないんだよ。勉強不足なんだよ。ちょっとカワイイからって何でも許されると思ってるんじゃないの? この店には日本の食文化をもっと勉強してから来てほしいね、大事なのは『粋』なんだよ」

「お客さん、帰ってくれませんか、他のお客さんの気分を悪くするような人にはうちの寿司は食べてほしくないんだよ! それに寿司っていうのはもともと庶民の食べ物だ。江戸っ子が屋台で、手早く簡単に安く食べるために作られた料理なんだ。そういう文化なんだよ。今のファーストフードみたいなもんだったんだよ。あんたもグルメライターなら知ってんだろ? ピザやハンバーガーだって立派な食文化だ。この店で偉そうに講釈たれるのはやめてくんな」

大将は滑舌が良かった。


 「お嬢さん、次は何を握りましょうか? 寿司にルールなんてないですよ」

大将が優しい声で七海に話しかけた。

「ウニがいいの、ウニも初めてなの」

グルメライターはブツブツ言いながら会計をして店を出て行った。

「へい、ウニお待ち、少しネタを多めにしておきました」

七海はウニの軍艦巻き手に取ってじっくり眺めた

「これがウニなの? 綺麗な色なの、でも図鑑で見たのはトゲトゲだったの、ちょっと怖いの、でも興味深いの、凄く興味深いの」

七海は軍艦巻きを醤油に付けると口に入れた。

「美味しいの、食べたことがない食感と味なの、クリーミーなの、海苔も香ばしいの、ズルいくらいに美味しいの! トゲトゲは無いけど刺さるの、心と脳に美味しさが刺さるの! ウニマシマシなのー! ウニの絵のTシャツを着たいの! 橋爪さん、大将、ありがとう!」

七海はすっかり寿司の虜だ。

「そんなに気にいってくれたの? 七海ちゃんの食べてる姿最高なにょー、僕もウニになりたいにょー、七海ちゃんの唇でハムッってされたいにょー、ウニが羨ましいにょー」

橋爪さんはすっかり七海の虜だ。七海はその後、ハマチ、エビ、イカ、シマアジ、アナゴなど大将がお勧めするネタを次々と堪能した。大将も笑顔になっている。私と溝口先輩も握り寿司を心から堪能した。本当に美味しかった。ネタもシャリも今まで食べた寿司とは比べ物にならなかった。

「大将、かっこいいの、大将のお寿司を握る姿が素敵なの、魔法みたいなの」

大将は顔が真っ赤だ。鼻や耳から勢いよく蒸気を吹き出しそうだ。


 会計が気になったが橋爪さんがカードで払ってくれるようだ。ラメックスのブラックカードだった。戦車も買えるとう噂のカードだ。初めて見た。橋爪さんは私が思うよりずっと大物の写真家だった。『にょーにょー』言ってるだけのおじさんではなかったのだ。

「マサ、お代はもらえない、せっかく来て頂いたのに不愉快な思いをさせちまった。客の教育ができてねえのは俺の責任だ。店の雰囲気も含めて寿司の味なんだ」

大将の声が店に響いた。

「えっ、でも、さすがにそれはまずいですよ。凄く美味しかったですし」

私は申し訳ないと思った。

「大将がああ言ってるんで、頑固なんで、言い出したらきかないんです」

マサさんが少し困っている。

「それとマサ、水だ、水をお渡ししろ」

マサさんは一旦店の裏側に走っていくと大徳利に入った水を持ってきた。徳利にはコルクで栓がしてあった。

「これ、安曇野の湧き水です、5合あります」

「わあー、嬉しいの、もう飲めないと思ってたの、大事に飲むの」

七海はマサさんウィンクした。

マサさん目がハートになった。

「うほっ、わお、わお、わお、大将、この娘にもっと水あげてもいいっすか! 私の給料から引いといて下さい」

マサさんが追加で徳利を3本持ってきた。収納用のエコバックも二つ貰った。

私たちは有難く大将のご馳走になることにした。


 「あの、お嬢さん・・・・・・お名前を教えていただけませんか? あの、その、写真集が出たら買いますんで・・・・・・あの、ドストライクなんです・・・・・・」

大将は顔を赤くしてうつむいて言った。中学生男子が好きな女子に告白してるようだった。

七海は大将のど真ん中だった。

「天野七海! 天の川の天、野原の野、七つの海なの」

七海は大な声で答えた。

「マサ、天野七海ちゃんだ、覚えとけ! 写真集が出たら買っとけ、5冊だ!」

「へい、大将」

マサさんが威勢よく返事をする。

大将はカウンターの奥に消えていった。その後ろ姿がなんとも『粋』だった。


 気持のいい店だった。味もさることながら、大将の気風が素晴らしかった。今時あんな大将がいる店がこの日本に何店残っているのだろうか。まさに食は日本人の文化だ。

「タケル、この近くに美味しいラーメン屋さんがあるみたいなの。あっさり系みたいなの」

七海はスマートフォンを操作していた。この後は七海と銀座の街をブラブラしよう。二人で銀座に来るのは初めてだった。

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