第17話 Chapter17 「一眼レフ」

Chapter17 「一眼レフ」


 長かった夏が終わろうとしている。私は七海とテレビを観ながらフルーツゼリーを食べていた。テレビのニュースは台風の被害を報じていた。最近、ウクライナ情勢はあまり報じられない。報道する側も受け取る側も飽きてしまったかのようだ。

「あのね、私、働きたいの。私もタケルみたいに働いてお金を稼ぎたいの。この部屋の家賃も半分払いたいの。居候は良くないの」

七海は唐突に切り出した。

「働くって・・・・・・」

私は虚を突かれた。

「これは転ばぬ先の杖なの、働かざる者食うべからずなの」

七海は最近インターネットで格言や諺を調べている。私は七海の履歴書を想像した。名前は天野七海、生年月日は適当に決めればいい。美島七海が23歳だから1999年の7月7日とかでいいだろう。問題なのは学歴や職歴だ。七海は日本の、というより地球の学校を卒業していない。地球での職歴も無い。仮に採用となった場合でも戸籍はおろか国籍もない。健康保険にも加入していないので雇用契約は結べないであろう。

「何かなりたい職業でもあるのか?」

「特にないの。何でもいいの、一生懸命働くの」

戸籍や住民票がなくても働ける仕事となるとかなり限られる。正社員のような雇用形態は難しい。日雇い労働や、かなりダークな水商売しか思い浮かばない。

「わかった、七海に合う仕事があるか考えてみるよ」

無責任だが私は時間を稼ぐことにした。なんとか七海が働くことを諦めるような方法を考えなければならない。七海のOL姿が想像できない。絶対に何かやらかす。

「ありがとう。タケルにはお世話になってばかりなの。だから少しでも力になりたいの。一生懸命働いていていっぱい稼ぐの。そしてもっと広い部屋にタケルと住むの。虎穴に入らずんば牛に引かれて善光寺参りなの」

諺の使い方は間違っているが、七海なりに生活設計があるようだ。

「そうだな、広い所に住めば七海の部屋も作れるぞ」

「私の部屋? 凄くいいの。でも寝る時以外はタケルと一緒にいたいの」

七海は寂しがり屋だった。今は8畳の部屋に4畳半程度のキッチンがあるだけだ。寝る時は8畳の部屋に布団を二組敷いて寝ている。七海の寝顔が見られなくなるのは残念だが、私も一人になれる部屋が欲しかった。

「そうなると2LDKだな。家賃がかなり高くなるからこの町に住むのは無理だな。もっと郊外に行かないと」

「この町がいいの。タケルと出会った町なの、私が初めてちゃんと暮らした町なの。店長や王さんもいるの、横川さんも、丸川さんもいい人なの」


 私は一眼レフのデジタルカメラを買った。レンズも店員に勧められるままにズームレンズと単焦点レンズを買った。ケースや三脚、クリーニングキットなどを含めると30万円以上の出費になった。やっと1千万円を超えた貯金も3桁万円に戻ってしまった。写真撮影のテクニックの本も買って勉強している。露出、絞り、ボケみ等、学ぶべき事が多かった。被写体はもちろん七海だ。プライベート写真集を作りたい。カメラに詳しい先輩社員の溝口さんに部屋で撮影した写真を何枚か見せてアドバイスを求めた。

「うーん、人物写真か。ってこのモデル誰? プロのモデル? ねえ、凄いよ! まさか素人?」

「はい、従妹です、あの、露出はこれくらいでいいですかね? 背景のぼかしも難しくて」

「露出なんて適当でいいんだよ。今のカメラは凄いからオートでいいんだよ、それより大切なのはモデルの表情なんだよ、この娘、ありえないよ。こんな被写体ズルいよ、美人系とカワイイ系の両方の要素がある。それと横に飾ってある花とかいらないから、キャンバスとかアンティークな絵もいらない。この娘だけで十分なの!」

私は結構な出費をして花や背景の小道具を買ったのだ。

「そうですか、今度は外で撮ってみようと思ってます。レフ版とか必要ですよね?」

「外で! うんうんいい考えだよ、いつ撮るの? ねえいつ? いつなの? 俺がレフ板持つよ、まかせろ!」


 お台場の砂浜で七海を撮影した。自分だけの写真集を作るつもりだった。七海は薄紫色で、小さな花柄模様のワンピースを着て色々なポーズをとった。天気は快晴でレフ板を持つ溝口先輩も汗をかいている。

「七海ちゃん、もうちょっと右に首まげて、いいよ、いい、いい、そこで笑って、そうそう、あとちょっと口を尖らせてみて。うおーー最高、ああ、いいね、綺麗だ、いいよ、凄くいい、本当にカワイイね」

溝口先輩はモデルをのせるのが上手い。七海もすっかりモデル気分で表情が豊かだ。

「ガクちゃん、シャッターのタイミング遅いよ、被写体の動きや表情を先読みするんだよ」

休憩も兼ねて飲み物を飲んだ。ペットボトルのコーラが美味い。溝口さんはビールを飲んでいる。七海は自動販売機で買った外国産のミネラルウォーターを飲んでいる。

「いつものと味が違うの、『アサハおいすい水:天然水』がいいの」

「水元、俺は色んな撮影会に参加したことがある。金を払ってまだ売れてないモデルやアイドルの卵を撮影したんだ。だけど七海ちゃん凄いよ、もう完成された美しさだよ。もしモデル事務所と契約したらブレイク間違いないよ」

溝口先輩は普段は私の事を『ガクちゃん』と呼んでいるが、真剣な話をする時には『水元』になる。

「ええ、でもモデル事務所とかはちょっと、七海は世間知らずなんで」

私は歯切れが悪い

「とにかく、凄い逸材だ、スタイルも抜群だ、水着なんかになったら10万部軽くいくぞ!」

「いや、水着なんて、あの娘、うぶなんで」

「そこがいーんだよ。こんなに美人なのに、擦れてない感じが最高なんだよ。今の女の子には無い魅力なんだよ!」

確かに七海は擦れていない。ホームレスだった過去が信じられないくらい無邪気で天真爛漫だ。それに今の女の子もなにも七海は人間ですらない。

「あと、七海はちょっと不思議ちゃんっぽいところがあって、自分を宇宙人に例えたりするんですよ」

防衛策を事前に打ったつもりだった。

「いいんじゃない、キャラクター性があって。そんなアイドルいたよね、プリン星から来たとか言ってさ、結構ウケてたじゃん」


 芝公園に移動して東京タワーをバックに撮影した。いつの間にか撮影する周りには小さな人だかりが輪のようにできていた。

「あの、撮影ですよね? あの娘誰ですか? モデルさん?」

「写真集いつ出るんですか? 俺、買いますよ、凄い綺麗だし、カワイイ。楽しみです」

「めちゃくちゃカワイイ! 名前教えて下さい、ファンになっちゃいましたよ」

カメラを構える私は男達からの質問攻めにあった。

「この娘は天野七海ちゃん! これからでデビューするの、名前憶えてね、天野七海、応援してね」

溝口さんが男達に七海のことを勝手に宣伝している。

「溝口さん、デビューって、私のプライベート写真集撮ってるだけですよ」

私は抗議した。 

「水元、七海ちゃんはやっぱり凄いよ、俺と一緒に売り出さないか! なあっ!」

溝口先輩は興奮している。

「でも、ちょっとカワイイ位ですから」

私はあまり乗り気ではない。

「ちょっとじゃねーよ、俺の眼力舐めてんのか! 見てみろよ、もうファンがいるぞ、みんな七海ちゃんの虜だ」

七海はスマートフォンを向ける男たちに笑顔でポーズをとっている。男達から歓声があがっている。

「俺も20年若ければ七海ちゃんにアタックしてるよ。特攻機みたいによ。水元、七海ちゃんと一緒に住んでるだってな? 七海ちゃんに変なことしたら俺が許さねーぞ!」

溝口先輩は私にローキックを入れた。かない強い。私は顔をしかめた。

「溝口さん、七海の一番カワイイ顔知ってます? 寝顔なんですよ、凄くカワイイんです」

「水元、許せん!」

溝口先輩は肩でタックルしてきた。私はバランスを崩して地面に転んだ。

七海が駆け寄って来て溝口先輩を睨みつけた。

「七海、やめるんだ! 溝口さん逃げて、逃げてーー!」

私は叫んでいた。


 私は思い出した。1か月前、私と七海は夜の渋谷の道玄坂を歩いていた。私は七海との会話に夢中になり人とぶつかった。

「すみません」

私は反射的に謝った。

「なんだよ、おっさん、痛いっつーの! バリムカつく」

金髪の若者が叫んだ。10代後半か20代前半のようだ、若者は3人組だった。

「すみません」

「ふざけんなよ、おっ、カワイイおねーちゃん連れてんじゃん、エンコーか? パパ活か? おねえさん、そのおっさんに幾ら貰ったんだよ、俺たちは金はねえけど、クスリはあるぜ、俺らと遊ぼうぜ」

令和の時代にまるで昭和のような光景だった。金髪の若者は私の肩に手をかけた。その横で緑色の髪をした若者はカーゴパンツのポケットに手を入れて私を睨みつけている。細身の体だが目が鋭い。腕にはタトゥーを入れている。もう一人は身長180cm以上で体重は100kgを優に超えていそうだ。腕を組んで立つ姿はソップ型の力士のようだ。坊主頭で顎に髭を生やして三白眼の顔はラスボス感が漂う。

私たちは路地に入って向かい合っていた。

「あの、すみませんでした」

恐怖感で心臓がバクバクしていた。

「あのさあ、おじさん、若い娘と何やってんの? 恥ずかしくないの? 加齢臭臭いから、どっか行ってくんねえ、その前に財布置いてけよな」

私は怖かったが七海の前で情けない姿を見せたくなかった。カッコイイ所を見せたかった。しかしそれは危険な考えだった。女性の前でいい恰好をするのは危険なのだ。だが男はしばしばその過ちおかしてしまう。



///『中学2年生の時、クラスメイトの山崎に誘われてグループデートに参加した。山崎は同じグループで明るく、スポーツが得意だったのでクラスの女子に結構モテた。私はそのおこぼれに預かった感じだ。女子3人、男子3人のグループデートだった。デートなどしたことの無い私は舞い上がっていた。前の晩は眠れなかった。3人の女子の中に好きな子がいたのだ。当日は友達に差を付けようと父親のコロンをこっそりをつけた。6人で地元の商業施設『ららぽーと』でデートした。いろいろな店を女子と一緒にの覗いては、ふざけて女子の笑いをとった。皆でソフトクリームを食べた。楽しかった。好きな子が気になって仕方なかった。ドキドキしてた。そんなデートの最中、地元の不良が絡んできた。不良は3人で太いズボンと尖ったエナメルの靴を履いていた。頭はパンチパーマとリーゼントでソリを入れていた。我々はどちらかというと真面目な中学生だった。相手は明らかな不良、当時の言葉で言えばツッパリだった。山崎は女子の前でカッコイイ所を見せたかったのだろう、不良につっかかったが不良のパンチを鼻に喰らってしゃがみ込んだ。鼻を押さえた両手の間から鼻血がダラダラと地面に落ちた。目からは涙がこぼれ、「ウッ、ウッ」と声を出して泣いていた。悔しかったのだろう。女子はそんな山崎を遠巻きに見ていた。私は山崎にかける言葉がなかった。山崎は翌日から不登校になった。』///




「おい若造、大人を舐めるなよ。俺は空手の有段者だ! 怪我したくなかったら帰れ」

私は過ちをおかした。有段者なんて嘘だった。高校生の頃、強くなろうと思って通信教育の空手教本を読んだだけだった。体が硬くて回し蹴りもできなかった。正拳突きの練習で脇の筋を痛めた。私は金髪のパンチを頬にまともに喰らって後ろに倒れ尻もちをついた。

「だせーなおっさん、よえーじゃねえか。おねえさん、幾ら貰ってるか知らねえけどそんな汚いおっさんやめとけよ、おねえさんならIT社長とかでもいけるんじゃね」

「タケル大丈夫?」

七海は私を抱き起した。七海の腕は柔らかい。胸が頬に当たった。いっぱいに水を詰めた水風船のような弾力だった。七海、もっとギュウとして、ギュウと。頬は痛いが何故か私は夢見心地だった。

「なんだ、知り合いだったのかよ。カシラ、どうします?」

金髪がラスボス男に指示を仰ぐ。

「ムカつくからボコれ」

カシラと呼ばれたラスボス男の低い声が聞こえた。

金髪の蹴りが座っている私の太ももに炸裂した。足の甲が太ももに食い込み猛烈に痛かった。

「イテッ! まじか」

私は情けない声を上げた。

「おねえさん、綺麗な顔して趣味悪いなぁ。こんなおっさんのどこがいいんだよ、まじありえねえんだけど、おねえさん、頭、病気じゃね?」

「許せないの! タケルは大事なの!」

七海の動きは速かった。5秒後には3人の男は倒れていた。悲鳴をあげる間もなく気絶したようだ。金髪を右ラリアットで、緑髪を右エルボーで、ラスボス男には喉輪を喰らわせた。飛ぶような移動と右腕一本の一連動作で、カンフー映画を早回ししたようだった。

「七海、やりすぎじゃないのか?」

「大丈夫なの、もの凄く手加減したの。本気なら顔と胴体がくっついてないの。それより早くラーメンを食べたいの、その為にわざわざ渋谷まで来たの。それと『怒るっていう気持ち』がわかった気がするの」

圧倒的な強さだった、パワーだけじゃなく確かな技術があった。どこで覚えたのだろう? 七海が味方で良かった、仲良くしてて良かった、七海、カッコイイ!


「タケル、東京タワーに登ってみたいの」

七海は高い所が大好きだ。東京タワーを見て我慢できないのであろう。我々は撮影も終わったので東京タワーに登ることにした。

LEDでブルーとピンクに輝くと東京タワーは綺麗だが、昔の豆電球みたいなのに縁どられた東京タワーの方が私は好きだった。歳をとったのかもしれない。

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