第16話 Chapter16 「豚カツ」
Chapter16 「豚カツ」
私と七海は新宿駅へと向かうプロムナードを歩いていた。沢山の人が行き交っていた。時刻は14:00。都庁の展望台に行った帰りだ。七海は高いところが大好きだった。七海とのデート? には金が掛からない。水族館、展望台、海など、リーズナブルな場所ばかりだ。この前はボーリングに行った。その前は日本橋にある、入場無料の日銀の貨幣博物館だった。次は七海の行きたがっている『貝塚』にしようと思っている。食事もラーメン、定食屋、町中華、牛丼店などの男飯でも喜んでくれる。この前のデートの食事は牛丼店だった。七海は特盛を2つ並べて、ニコニコしながら食べていた。私の生卵をかけた並牛丼を興味深げに一口食べると七海は感動していた。
「タケル、卵をかけると凄く美味しいの、ズルいの! もっと早く教えて欲しかったの」
七海はもう一杯の特盛と生卵を注文した。牛丼を、「美味しい、美味しい」と言って嬉しそうに笑顔で食べる七海の姿を見て私は物凄く幸せだった。失いたく無い日常だった。
私は女性に対して少し苦手意識があった。若い頃モテなかったせいだ。デートコースはオシャレなところを設定し、美味しいくて高級な店で食事をし、爽やかでファッションセンスがあるイケメンでなければ相手にされないと思っていた。まったく自信がなかった。自分はダサい男だと思い込んでいた(まあ、実際ダサいのだが)。女性が怖いとさえ思うようになっていた。趣味も女性受けの良くないミリタリーだ。七海ほどの美女がそんな冴えない私とのチープなデートを喜んでくれている。牛丼で笑顔になってくれる。女神としかいいようがない。まして一緒に住んでいるのだ。冷静に考えて幸せ過ぎて怖くなる時がある。何よりもこの幸せに慣れてしまうことが怖かった。これは奇跡なのだ。
「タケル、この近くに豚カツ屋さんある?」
雑踏のなか、七海は唐突に尋ねてきた。
「豚カツ? 食べたいのか?」
昼食がまだだったので七海はお腹が空いたのかもしれない。
「豚カツのお弁当を買いたいの」
「弁当がいいのか? 店もあるぞ」
「お弁当がいいの。私が食べるんじゃないの」
私はスマートフォンで豚カツ屋を調べた。400m程離れた場所に『すぼてん』があった。豚カツ弁当を売っているようだ。私と七海は『すぼてん』でロースかつ弁当を一つとペットボトルの緑茶を買った。
「七海、どうするんだ?」
七海は無言で歩き始めた。右手にはロースカツ弁当と緑茶の入ったレジ袋を提げている。さっきのプロムナードに戻った。七海はゆっくりとホームレスの男に近づいた。初老のホームレスの男は胡坐をかいて壁にもたれかかり、うなだれていた。七海はしゃがんでホームレスの男の前にレジ袋を置いた。七海は紺色のスーツ姿だ。若いOLに見えるがその美貌はモデルのようだ。私は七海の横に立ってことの成り行きを見守った。
「ナベさん、久しぶりだね、豚カツだよ」
七海の声は優しかった。
ホームレスの男は顔を上げて七海を見つめた。その顔は土気色で目には薄く黄疸が出ていた。
「あんた、誰だ?」
ホームレスの男はしゃがれた声で言った・
「マゼラン。マゼランの知り合いなの。マゼランに頼まれたの。ナベさん、いろいろありがとうね、体に気をつけてね」そう言うと七海は立ち上がった。ホームレスは七海のことを見つめている。
「マゼ・・・・・・ラン」ホームレスの目がかすかに光った。
映画のワンシーンのようだった。通行人が何人か足を止めて見ていた。七海は振り返ることなく歩き出した。凛とした姿だった。
「タケル、私も豚カツが食べてみたいの」
私は七海と『とんかつ美幸』に入った。『とんかつ美幸』はチェーン店だがリーズナブルに揚げたての豚カツが食べられる店だ。私と七海はロースカツ御前を頼んだ。
「美味しい、豚カツは初めてなの、本当に美味しいの。やっぱり地球人はずるいの、美味しいものがいっぱいあるの。外はサクサクでお肉はジューシーなの。この料理、誰が考えたの? 凄いの。ご飯も凄く美味しいしいの。ご飯は何にでも合うの。きっとMM星人も気に入るの、エナーシュよりも美味しいの」
七海はロースカツを噛みながら白米を口に運び続けた。
「七海、さっきのホームレスは誰なんだ? 知り合いか?」
「ナベさんなの」
「ホームレス時代の知り合いか?」
「私が地球に来たばっかりのころ、いろいろ親切にしてくれたの。ナベさんに誘われてホームレスのグループに入ったの。私はなかなかなじめなくて、みんなにいじめられたんだけど、いつもナベさんが必死に私を助けてくれたの、そのせいで喧嘩になったこともあったの」
「ホームレスも大変なんだな」
「うん、ナベさんと一緒に空き缶や粗大ゴミを拾ったの。炊き出しにも並んでコンビニやファーストフードのごみ箱も漁ったの。たまに、まだ食べられる物もあったの。よく店員さんに見つかって怒られたの。ナベさんと走って逃げたの。懐かしいの」
私は七海のホームレス時代のことはあまり知らなかった。大マゼラン星雲から来た七海はこの星では国籍も戸籍も無く、ホームレスになるしかなかったのかもしれない。かなり心細かったはずだ。
「もしかしてロッテリオの『絶賛チーズバーガー』はその頃食べたのか?」
「そうなの、ナベさんと半分こして食べたの。凄く美味しかったの。でもナベさんはいつも『豚カツ』が食べたいって言ってたの。大好物みたいなの。青森から出てきた人で、よく故郷の話もしてくれたの。もしナベさんがいなかったら、私は食べる為に地球人を殺していたかもしれないの。いじめられた時も。だからナベさんは大恩人なの」
私は何も言えなかった。ホームレスなど汚くて、迷惑な存在で人生の負け組だと思っていた。深く考えたこともなかった。ホームレスにも優しい心を持った人もいる。決してなりたくてなったわけではないのだ。大事なことを一つ七海に教わった気がした。
「ナベさんは東京に出てきて一生懸命働いたの。とび職だったの。若い頃に都庁を造たって言ってた。スカイツリーも造ったんだって、でも大怪我をして働けなくなってホームレスになったの。凄くいい人なのに」
七海の話がなぜか心に染みた。
「最初に私が大マゼラン星雲から来たって言ったら、みんなは私のことを馬鹿にしたり頭がおかしいって言って無視してたけど、ナベさんはそれから私をマゼランって呼ぶようになったの。いつも笑顔で私の事をマゼランって呼んでくれたの。嬉しかったの。地球に来て初めて優しくしてくれた人なの。私のいたグループは他のグループの襲撃を受けて解散になったの。暴力団が絡んでるらしかったの。よく分からないけど生活保護詐欺が関係してたみたい。私たちは平和に暮らしてたのに。私はたまたま一人で段ボールを拾いに行っててその場にいなかったけど、もしいたら絶対に負けなかったの!」
七海は悔しそうな顔をしていた。
「七海、料理が冷めちゃうぞ」
私にはそれしか言えなかった。
「今日はナベさんに会えて本当によかったの。襲撃された後会ってなかったの。あの頃ナベさんは体調が凄く悪かったからずっと気になってたの。ナベさん生きてたの。生きてたの・・・・・・
だから大好きな豚カツも食べられるの」
七海の目から一粒の涙が白米の上に落ちた。七海が涙を流すのを初めて見た。その顔は美しいかった。神々しいほどだった。七海は私が思ってる以上の辛い経験をしてきたようだ。そして七海の優しさが私の心に深く刺さった。私は何があっても七海を守りいと思った。七海はもう人間だ、優しく美しい心を持っている。
「タケル、せっかくだからヒレカツとカツ丼も食べてみたいの、凄く興味深いの」
七海は千切りキャベツを飲むように食べている。
何が『せっかくだから』なのか分からないが私はヒレカツ御前とかつ丼を追加注文した。
私と七海は歌舞伎町を当てもなくブラブラ歩いた。
「豚カツとカツ丼美味しかったの! カツを卵でとじるなんて凄いアイデアなの」
「七海はラーメンとかカツ丼とか男飯が好きだな」
「男も女もMM星人もないの。美味しいものは美味しいの。何でMM星人が味を追求しないのか不思議なの」
七海の舌はすっかり地球人だ。
「ここはなんか騒がしい街なの。小石川五丁目の方が落ち着くの。あそこが好きなの。緑があって平和な町なの」
七海は今住んでる町を気に入ってるようだった。
「まあここは盛り場だからな、夜中までこんな感じだよ」
「前にパパ活で来たことがあるの」
私たちは腹ごなしもかねて新宿から小石川まで歩くことにした。1時間半はかからないだろう。運動不足の私にはいい運動だった。夕焼けが新宿の街を影絵のように映し出していた。曙橋を過ぎ、外苑東通りを文京区に向かって歩いた。大きな通りだが歩道には人影がない。長い登り坂の右側は警視庁第5機動隊の施設だ。警杖を持った門衛の機動隊員がこちらを見ている。その目は七海を見ていた。スーツ姿の超ド級美女の七海とミリ服(フランス軍のフィールドシャツ)にチノパンの冴えない中年男。機動隊員も気になるようだ。七海は突然、機動隊員に敬礼してウィンクをした。機動隊員が一瞬、ビクンとした。体に電流が走ったような動きだった。私は笑ってしまった。
「キャハ、面白いの。でもお巡りさんも大変なの」
「あれは機動隊員だよ。まあ、お巡りさんでも間違えではないけどな」
「東京は本当に不思議な街だね、うるさかったり、静かだったり。人がいっぱいいて、車も沢山で、それなのに川があったり、緑もいっぱいあるの。ラーメン屋さんもいっぱいなの」
「ああ、不思議な街だな、住んでてもそう思うよ。それにどんどん大きくなっていく、家康が赴任したころは何もなかったんだ」
「私の生まれた頃だね、ふふっ」
私は最近、七海が大マゼラン星雲から来た宇宙人であることを忘れそうになる。あたりまえのように隣にいる存在。とてつもなく美人でカワイイのに緊張することなく一緒にいられる。
小石川に着いて、龍王軒に寄って餃子でビールを飲んだ。
「もう一人の従妹ってこの娘? こんなのありなの! 綺麗すぎるよ、カワイ過ぎるよ! お兄さんズルすぎ! なんか腹立ってきちゃうよ。でも、これからも来てよ、毎日来てよ、来るのーー絶対に来るのーーーー」店長が駄々っ子のようだ。この前見た龍の入れ墨を背負った阿修羅のような姿からは想像できない。
「クルッテルヨ、キレイスギル、カワイスギル、ゲイノウ人ニモイナイヨ、オカシイヨ! 中国ニカエリタクナッテキタヨ」
王さんは驚きすぎたのか目の焦点が合っていない。
「天野七海と申します、これからも時々来ますのでよろしくお願いします」
最近七海は苦手だった挨拶がスムーズにできるようなった。名前を付けたのがよかったのだ。七海自身も名乗りたがっているように見える。以前は名前が無くて困っていたのかもしれない。本名はあるのだが『ムスファ・イーキニヒル・ジョージフランクホマレ』と名乗るのはまずい事だと感じていたのだろう。
「おおー、いい名前だね、もう一人の従妹は美島七海にそっくりだったよね、この娘も美島七海に少し似てるね。しかも名前が七海って偶然だね。でも美島七海より綺麗だよ。キリッとした美人で、子供っぽさが無いのに凄くカワイイ。もう反則だよ! 天野七海か、本当にいい名前だね、もう『七海ちゃん』って呼んじゃうからね、時々じゃなくて毎日来てよ、サービスしちゃうからさ、七海ちゃん、アオウッ」
店長がニヤニヤしながら変な声を出した。
「私もこの名前凄く気に入ってるんです。タケルがつけてくれたんです、ねえタケル」
七海はニコニコしながら私を見た。
「ああーータケルって言うのは七海の父親で、私の叔父になりますが、実は私も岳(タケル)っていう名前で、叔父と一緒なんですよ、偶然なんですよ、いやー世の中、色んな偶然があるんですよね」
なんとかごまかせた。
「アノ、ワタシモ、『ナナミチャン』ッテ、ヨンデモイイデスカ?」
王さんがモジモジしている。
「王、お客さんに何言ってるんだ、仕事しろ、時給下げるぞ!」店長が一喝した。
「あの、お水が飲みたいんですけど」
七海が笑顔で王さんにウィンクをした。今日の七海はサービス満点だ、2回目のウィンクだった。ナベさんと会えたのが余程嬉しかったのだろう。
「オホッ、ウホッ、ヤメテヨ、シンジャウ、ハンソクヨ!」
王さんが頭をブンブン振っている。
「この娘も水が大好きなんです」
私はフォローした。
「アサハノオイスイミズネ! ナナミサン、横川イッテクルヨ」
そう叫ぶと王さんはダッシュでスーパー横川に水を買いに行った。
「あの、この前はすみませんでした」
突然木村が割り込んできた。
私は身構えた。レスラーのような体格の木村、ひげを生やして黒いサングラスをかけている。喧嘩では勝てそうもない。でも、いざとなったら七海が守ってくれる。
「いえ、気にしてませんから」
私は視線を合わせないようにした。
「お連れの方に失礼なことをしてしまって、許して下さい、本当に許して下さい、すみませんでした!」
木村は深々と頭を下げた。何かに怯えてるようだ。
「もう済んだことですから」
「木村さんね、あれから大人しく飲むようになったんだよ。若い衆も連れてこないし。まあ、今度暴れたら俺が許さないけどね」
店長が木村をフォローした。
「今日のお連れの方も凄くお綺麗な方ですね、芸能関係のお仕事ですか?」
木村は七海と私を交互に見た。
「いえ、私はただのサラリーマンです。この娘は従妹です、この前の娘も従妹です」
「従妹さんでしたか、失礼しました、プロのモデルの方かと思いまして、この前の方といい本当にお綺麗で、羨ましいかぎりです。本当に綺麗だ」
今回も店長と王さんはスマートフォンで七海とツーショットの写真を撮った。そのせいか会計は今日もタダだった。ジャンボ肉シュウマイとタッパーに入ったザーサイもお土産にもらった。七海はニコニコだ。「ザーサイ好き好き♪ザーサイ好き好き♪」変な歌を歌ってる。
帰り道はすっかり暗くなっていた。
「木村のやつ、変だったなあ、敬語が気持ち悪かったよ、なんか震えてたし」
「この前、ポングを使った時に私たちに対する恐怖のイメージを木村さんの脳に埋め込んだの。それと『次は殺す』っていうメッセージもね」
「へー効果てきめんだな、ポングはMM星人ならみんな使えるのか?」
「皆じゃないの、普通のテレパシーと違って、攻撃型脳波を使えるのは限られた個体なの」
「七海は特別なんだな、今度MM378に居た時の話を聞かせてくれよ」
私は何気なく言ったつもりだった。
「MM378での事はあまり思い出したくないの」
七海の顔が曇った。
「悪かった、ちょっと気になってさ、イヤならいいよ、七海はもう地球人みたいなもんだしさ、早く帰って冷めないうちにジャンボ肉シュウマイ食べよう」
「うんっ」
七海が微笑んだ。
帰り道は暗かったが、秋の気配が私と七海を優しくエスコートしてくれた。
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