第8話 Chapter8 「プライベートアイドル」

私はシャワー浴びて浴室を出た。下着とスウェットを素早く身に着け、バスタオルで髪の毛を拭きながら部屋に入った。七海はノートパソコンを使っていた。

「タケル、海が見たいんだけど」

七海は唐突に言うとペットボトルの水を一口飲んだ。

「海か」

「どうしても見たいの。湘南がいいの、今インターネットで調べてたの」

「湘南か、遠いからな」

私は少し面倒臭かった。もともとインドア派だ。

「じゃあ私一人で行くよ。走って行くから」

「走るって?」

「時速40キロなら10時間以上、60キロなら6時間、80キロなら4時間、全速の120キロなら1時間走れるの、湘南までは100Kmないから、道路が空いてれば1時間で行けると思う」

七海は平然と言う。道路が空いてればってお前は車か! 国道1号線を時速120キロで爆走する七海を想像した。だめだ怖すぎる。きっと事故が起きる。車の横を爆走して追い越して行く七海。遭遇したらハンドルとブレーキ操作を誤りそうだ。七海はスピード違反で白バイやパトカーに追いかけられるかもしれない。

「わかった、行こう、今週の土曜日だ、でも天気が悪かったら中止だぞ」

私は天気が荒れることを祈った。

「タケル、ありがとう、タケルは優しいね」

七海は満面の笑みを浮かべた。カワイイ。この笑顔に抗える男はこの世にいないだろう。

「なあ七海、本当に時速120キロで走れるのか?」

いくらMM星人の身体能力が高いとはいえ、にわかには信じられない。

「うん、80キロ以上の時は四足走行になるけどね、馬みたいな感じ、馬よりも速いよ、今度見せてあげる。体中の筋肉がモリモリのスジスジになるんだよ」

さらりと言う七海。見たくない。想像もしないことにした。時速120キロで四足走行する美女、おまけに筋肉がモリモリのスジスジ、ただの化け物だ。

 

 テレビでは男性アイドルグループが踊りながら歌っていた。七海はペットボトルの水を飲みながら画面を見つめている。

「七海は好きな男性アイドルとか俳優とかいないのか?」

ふと疑問を感じたので聞いてみた。MM星人に性別はないが今の七海は女性の姿だ。異性をどう思っているのか気になった。

「なんか皆同じに見えるの」

「カッコいいとかイケメンだとか思わないのか?」

「思わないの。冷静に見ればキモタクとか福島雅昭とか顔は整ってると思うの。人気があるのもわかる気がするけど、それだけだよ」

私はなんか安心した。七海はあまり外見には拘らないようだ。

「そうか、まあ地球人と本来のMM星人の姿は見た目が違うもんな。MM星人は目が一つなんだろ、鼻や口の形もだいぶ違うみたいだし」

「うん、皮膚の色も違うの。MM星人の肌はブルーなの」

「それだけ違えばMM星人が見る人間の容姿なんて俺たちが猿やゴリラを見るみたいな感じだろうな」

「タケルは顔が整ってないからイケメンじゃないの。ブサメンじゃないけど、背も高くないからカッコよくはないの。でもそんなの関係ないの。地球人のつまらない基準なの。タケルはタケルなの。私にとっては大事なの、大切な存在なの」

ショックだった。いくら宇宙人でもはっきり言われると凹む。そりゃ顔はカッコよくないのはわかっている。どちらかといえばソース顔で時代のニーズにもあっていない。身長だって低い。禿げてないのと太ってないのが救いだが、最近は腹も出てきた。そもそもイケメンだったら結婚もしているだろうし、もっと楽しい人生のはずだ。

「大事? それは俺が住む所を提供してるからだろ? 単に利害の問題だ」

「うん、最初はそうだったけど、最近は違うの。タケルは優しいの。それに真面目なの。タケルと一緒にいると安心なの。タケルは私を守ってくれてるの。だからタケルが好きなの。MM星人にも好き嫌いはあるの。一緒にいると、もっとタケルの事を好きになるかもしれないの。そんな予感がするの」

複雑な気分だが、好きと言われたのは素直に嬉しい。少なくとも七海は私に嫌悪感を抱いていないようだ。


 土曜日の天気は快晴だった。七海はどこで覚えたのかテルテル坊主を作ってカーテンレールに吊るしていた。20個も。MM星人は宗教や縁起は信じないはずなのだが。鎌倉まで横須賀線に乗り、鎌倉から七里ヶ浜までは江ノ電で移動した。横須賀線の中でも江ノ電の中でも七海は周りの目を引いた。野球道具を持って移動中の高校生の集団があからさまに七海を見ていた。小声だが美島七海という言葉が何度も高校生の口から洩れた。七海の隣に立ち、七海と会話をする私のこともジロジロ見ていた。「ママ―、ななみちゃん、ななみちゃんがあそこにいるよ」幼稚園児くらいの女の子が母親の袖を引っ張っていた。七里ヶ浜駅で江ノ電を降り、国道134号線を渡り、階段を下って七里ヶ浜に出た。


 海風と波の音が二人を包み込む。海は青く、波は明るい緑と白い泡のコントラストが美しい。空には夏の始まりを告げる入道雲が浮かんでいる。七海は目を輝かせて海を見ている。

「凄い、綺麗! 大きい! 大きい! 感動するってこんな感じなのかな、水族館で見た生物達もこの中で生活してるんだよね、やっぱり凄いの!」

七海は本当に感動しているように見えた。七海は波打ち際まで走って靴を脱いで裸足になった。寄せる波から逃げ、返す波を追いかけはしゃいでいる。まるでアイドルのPVのようだった。私は昨日ヤマド電機で買ったビデオカメラで七海を撮影した。七海と出会わなければビデオカメラなど買わなかっただろう。

こっちを向いて微笑む七海。波と戯れる七海。走る七海。飛び跳ねる七海、そして転んだ。それでも笑顔全開だ。

「ねえ、120キロで走ってもいい? キャハハッ」

七海は凄く嬉しそうだ。七海は美島七海の写真集に載っているポーズをいくつか披露した。頬に指先をあて、顔を斜めに傾けて上目遣いにこっちを見るポーズ、口に手をあてて驚くような表情のポーズ、口を尖らせて拗ねたような顔で見つめるポーズ、体操の伸びのようなポーズ、頭に手を置いて弾けるような笑顔を見せるポーズ、まさに天下無双のアイドルだ。そして今起きていることを映像として残せるのだ。ビデオカメラを買って良かった。ネイビーブルーのシャツに白いスカート。手には麦わら帽子を持っている。麦わら帽子を買ったのは私だ。アイドルっぽいアイテムだ。来て良かった、もっと早く来るべきだった。湘南の海と七海は相性抜群だ。凄くイイ。やっぱり七海は可愛い! 誰がなんと言っても可愛い! だめだ嬉しすぎて涙が出てくる。私は美島七海を独占している。プライベートアイドルだ。七海が海水を手にすくって舐めている。

「しょっぱいよー! 海ってしょっぱいんだね」

顔をしかめる。その仕草がまた猛烈に可愛い。コンチクショー。


 私と七海は江の島を目指して砂浜を歩いた。途中腰越の岩場を避けるために国道134号線を歩いた。最高のアウトドアデートだ。江の島が見えてきた。江の島は三姉妹の女神を弁天様として祀っている。 弁天様は嫉妬深いことで有名である。そのため江の島を訪れるカップルを別れさせると言われている。しかし七海は宇宙人、弁天様も嫉妬はしないだろう。

私と七海は江の島の坂を登り反対側の岩場に降りた。岩場に座って海を眺めた。思ったより波が荒い。波の音が絶え間なく響く。トンビが気持ちよさそうに青空を旋回している。太陽が眩しい。

「海って不思議だね。地球の生物は海から誕生したんでしょ?」

「うん、通説ではそうなってる」

「MM378には海はないの。だから私たちは海から生まれたわけじゃないの。どこから来たんだろう」

「解明されてないのか?」

「うん、MM378は一番近い恒星群の378番目に出来た惑星なの、わかってるのはそれだけ」

「惑星が378個? 太陽系の惑星は8個だ、凄いな」

「惑星は全部で523個あるの、MM378の周りには恒星が多いの。でも生命の起源がわからない。地球人が羨ましい。こうやって自分達の起源に会いに来れるんだよ」

七海の目が潤んでいる。

「七海、なんか本当に感情があるみたいに見えるぞ」

「海を見たとき、ウルーンが反応したの。ウルーンの反応は地球人でいえば感情みたいなものだのと思う。普段はあまり反応しないんだけど、さっきはウルーンがジリジリって反応したの、凄く強く。好きな感じの反応だった。地球人の感動ってこんな感じなのかな、まだウルーンが少しジリジリしてる」

「俺も海を見ると落ち着くよ」

「タケル、連れてきてくれてありがとう。なんかタケルがイケメンに見えるの。私にとってはイケメンなの。海を見て良い気分になったの」

「MM星人も感情があるんだよ。人間より薄いだけだ、人間の感情が強すぎるのかもな」

「どっちがいいのかなぁ」

七海が呟いた。七海が被った麦わら帽子が海風に揺れた。

『雨宮あゆ』の声は素晴らしい。アニメ作品の中にいるようだ。七海の横顔は、海面に反射する太陽の光を受けてゆらゆらと輝いた。私はその横顔をいつまでも見つめていたかった。


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