第7話 Chapter7 「訪問者」

クリーニング屋から戻ると、七海はペットボトルの水を飲みながら本を読んでいた。私の蔵書『紫電改』の写真集だ。

「どうした、そんな本読んで、面白いのか?」

「燃料を燃やしてその動力でプロペラを回して空を飛ぶなんておもちゃみたいなの、これで戦ったんでしょ?」

「その飛行機は日本海軍局地戦闘機『紫電改』だよ。当時の飛行機はみんなプロペラで飛んでたんだ。プロペラで飛んで空中戦をした、その紫電改も当時の先端技術で作られたんだ」

「こっちの飛行機もプロペラだね」七海は別の本を手に取った。

「それは陸軍の戦闘機『疾風』だ、アメリカ軍からは日本軍の中で一番優秀な戦闘機との評価を受けたんだ」

「色も形も似てるの」

「エンジンは同じ2000馬力級の『誉(ホマレ)エンジン』だけど機体が違う。空冷エンジンのプロペラ機は形が似ているんだ。濃緑色は当時の日本機の標準色だ。でも陸軍機と海軍機という決定的な違いがある。どっちも日本を代表する戦闘機だ。最高時速は600Km前後だ」

「詳しいんだね、どっちが強いの?」

七海は子供のような質問をする。

「『紫電改』と『疾風』なら空中戦の開始位置とパイロットの腕次第だな。性能は互角だよ」

「タケルはどっちに乗りたいの?」

「うーん、悩むなあ。疾風の速度か、紫電改の自動空戦フラップか。防弾なら疾風だしなあ、武装なら紫電改か、20mm機銃4丁は強力だ」

「ふーん、じゃあこっちの飛行機は? 形が全然違うの、尖がってるの」

七海はまた別の本を手に取った。

「それはF15イーグルだ。時代が全然違う。ジェットエンジンだ。マッハ2.5で飛ぶ、時速3000Kmだ。プロペラ機とは猫とライオンくらいの違いがある。飛行機は40年で物凄く性能が上がったんだ」

「地球人の技術は戦争によって進化してるよね」

「時空を飛び越える科学力を持つMM星人からみれば、人類の歴史や科学なんか幼稚で遅れてるように見えるだろう」

「そうでもないよ。地球人の歴史って興味深いの。MM星人の歴史は退屈なの。生きるべくして黙々と生きてきた歴史なの。地球人の歴史はドラマチックなの。人々の葛藤と偶然や必然が絡み合っているの。興味深いの、凄く興味深いの」


 最近七海はインターネットで世界史や日本史について調べている。世界史の本を買って来て読み耽っている。人類の歴史に興味を持ったようだ。

「タケルが話してくれた日本の歴史も興味深かったよ。私はたまたま日本に来たけど、この国も凄く興味深いの、独特の文化を持ってるの、国って不思議。MM378にはない制度なの」

七海はサンシャイン60の展望室から見た東京の街に興味を持った。その歴史について江戸の町の成り立ちから今日に至る東京の歴史を私が講義したのだ。七海は体育座りをして熱心に聞いてくれた。その後も講義をねだられ、もう5回以上日本史の講義をした。私は社会の教職免許を持っており、日本史は得意だった。意外だったのは七海が縄文時代に興味を持ったことだ。戦国時代や幕末維新、太平洋戦争ではなく縄文時代だ。生徒達が授業で一番退屈に感じる時代だ。七海が買った縄文時代の書籍が何冊か部屋に積まれている。

「人類の歴史は面白いか?」

「面白いって感覚はMM星人には無いの。でも興味深いの、縄文時代が興味深いの、原始的な狩猟採集社会なのに平和で平等なの。貧富の差もなかったの。みんな役割があって助け合ってるの。子供は皆で育てるの。MM星人が目指す理想に近いの。弥生時代の稲作文化になってから貧富の差や身分の差が出来て戦争も起きるようなったの。もったいないの、せっかく一万年も平和な社会が続いていたのに。ねえタケル、縄文時代の遺跡が見てみたいの、土器や土偶も興味深いの」

「そうか、今度行ってみるか、竪穴式住居とかもあるぞ」

「興味深いの、絶対に行きたいの。あと宗教も興味深いの。MM星人は信仰を持っていないから凄く興味深いの。宗教が時代を動かしたの。仏教もキリスト教も興味深いの。神とか仏っていう考え方が不思議なの。天国とか極楽とか本当にあるのかな? 地獄は怖いの」

「宗教を理解するのは難しいぞ」

「MM星人は、真理は物理現象と法則にあると考えるの。生も死もその一つ。すべて受け入れているの」

「随分と難しい話だな」

「地球人の持つ感情が歴史や宗教を作っていると思うの。MM星人は感情というものが希薄なの」

「面白いとか、楽しいとか、嬉しいとか、悲しいとか感じないのか?」

「感じないよ。どうすることが最適なのか、何がMM星人として正しいことなのかを考えているの。間違った選択をしたことに気が付いた時は思考が停止して頭に痛みを感じる。でも地球人の感じる悲しみとは違うと思うの」

「心が傷つくことが無いのは羨ましいな。嬉しい気持ちが無いのはイヤだけど」

「地球に来てから少し変わった気がするの。タケルが喜んでる時あるでしょ、あの時は頭の中がポカポカあったかくて、その後スーッとするの。嬉しいのとは違うかも知れないけど、あの感覚は好きなの。だからタケルには喜んでほしいの」

MM星人にも我々とは違うが感情のようなものがあるのかもしれない。


 玄関のチャイムが鳴った。ここ数年来客は殆どない。宅配便の配達か宗教の勧誘くらいだ。しつこく何度もチャイムが鳴る。勢いよくドアを開けた。両親が立っていた。

「久しぶりだな、雅子おばさんの所に行ったついでに寄ってみたんだよ、元気にしてたか? お盆はどうする、帰ってくるのか?風呂場をリフォームしたから見に来いよ、休みは取れるんだろ、洋二も来るみたいだし」

父は一方的に話し出す。両親は千葉県に住んでいる。年金暮らしだ。雅子おばさんは目白に住んでいる父の姉だ。

「なんか少し瘦せたんじゃないの、ちゃんと食べてるの?」

母はいつもこのセリフだ。まずい、七海が部屋に居る。父と母がずかずかと部屋に上がり込んできた。もうごまかせない。両親は七海に気が付いた。七海は正座をしてこっちを見ている。

「岳、この方は?」父が怪訝そうに聞く。

「ああ、友達だよ。サークルで一緒なんだ」

咄嗟に嘘をついた。

「そうかそうか、いやー初めまして、私は岳の父の水元繁蔵と申します」

「母の水元美津子です、岳がお世話になっています」

七海は家族という概念を持っていない。なんとかこの場を乗り切ってくれ。私は祈るような気持ちだ。イヤな汗が額を流れる。

「はじめまして、私は大マゼラン星雲の惑星MM378から来たムスファ・イーキニヒル・ジョー」

「ちょっちょっ、ああっーー、俺が紹介するよ、サークルで一緒の天野さんだよ、宇宙に凄く詳しいんだ、宇宙から来たみいに。それに冗談も好きなんだよ、宇宙ジョークが流行ってるんだよ」

私は咄嗟に割って入った。冷や汗が出まくりだ。七海は正直すぎる。天野は天の川をヒントにした。比喩ではなく、七海は本当に宇宙から来た。

「天野です、水元さんにはいろいろとお世話になっています。よろしくお願いします」

七海も状況を理解したようだ。やれば出来るじゃん。

「しかし綺麗だね、女優さんみたいだなぁ、いやー岳にこんな綺麗な友達がいるなんて驚いたよ。フン、フン」

「ほんと綺麗な方ね、岳とはお友達なのね、何のサークルなの?」

母は七海を疑っているようだ。齢をとったとはいえ女の感は鋭い。

「あっ、天文サークルだよ。最近入ったんだ、区のサークルだ」

こうなったらもう嘘をつき通すしかない。

「あら、天文なんて興味あったの? あんたが興味あるのはミリタリーでしょ」

母はやっぱり鋭い、見ないふりをして私のことを見ていたのだ。

「最近宇宙に目覚めたんだよ、宇宙って凄いだろ! 大マゼラン星雲とかさ、凄くいいんだよ、興味深いんだよ」

嘘ではない。宇宙人と暮らしているのだ、宇宙に目覚めて当然だ。大マゼラン星雲は最近覚えた。その後はどうでもいい世間話が続いた。会話は私が仕切った。七海はあまりしゃべらず、その代わりに沢山の笑顔を振りまいた。父はそんな七海に興奮していた。目がギラギラして、鼻の下が伸びて変な息をしている。

「いやー天野さん、岳をよろしくお願いしますよ、こいつはいい歳して一人者で、あんまり友達もいないから。フン、フン。でも天野さんみたいな人が友達だなんて、いやー父親としても嬉しいですよ。フン、フン、フンッ」

父は手を伸ばして七海と握手をした。父の顔がとろけそうだ。スマートフォンを取り出して七海の写真を撮ろうとしているが母がそれをたしなめた。七海は笑顔だ。

両親が帰ることになった。私と七海に気を使ったのかもしれない。私は両親を地下鉄の駅まで送ることにした。両親は改札の前で足を止めた。

「お前あんなカワイイ娘、いつから付き合ってるんだ? カワイイにも程があるだろ! 血圧上がったぞ」

「ただのサークル仲間だよ、血圧は握手なんかするからだろ」

「ただのサークル仲間の女性が部屋にあがるの? しかもあんな若い娘」

母は冷静だ。

「ああ、サークルの発表会の打ち合わせをしてたんだよ」

一度嘘をつくと嘘を重ねなければならない、イヤな気分だ。

「綺麗な娘だったわよね、芸能人みたい。まあ、あんたの恋人には無理よね、あんな綺麗な娘。誰だっけ、朝ドラに出てる娘、そう、美島七海、そっくりだったわね、びっくりしたわよ」

美島七海は朝の連続ドラマに主役で出演している。視聴率が高く、ちょっとしたブームになっているドラマだ。芸能人ではなく宇宙人だと言ったら母はどんな顔をするだろう。

「そうか、そういえば美島七海に似てたな。どっかで見たことあると思ったんだよ。いやーカワイかったよな。まあ、とにかくお盆には帰ってこいよ。洋二も羽優ちゃんと理優ちゃん連れてくるんだから」

羽優ちゃんと理優ちゃんは姪っ子だ。羽優は12歳、理優は8歳。私にそこそこなついている。私は二人が可愛くてしょうがない。


 部屋に戻ると七海はペットボトルの水を飲みながら、縄文時代の本を読んでいた。クリーニング屋のマスターの話。そして両親。七海の存在を隠せなくなってきた。

「タケル、貝を食べてみたいの。縄文人は貝が大好きなの」

「今度貝塚でも行くか。縄文人が食べた貝のかけらがいっぱいあるんだよ。アサリの味噌汁やアサリご飯も美味いぞ、食べてみるか?」

「うん、行きたいの、凄く興味深いの。MM378には貝はいないの。お味噌汁は凄いの、いろんな種類があるの。アサリのお味噌汁、美味しそうなの」

七海の舌は日々進化している。

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