第31話 腹の虫
夢の途中にいるようだ、それとも死んでしまったのだろうか。
ヘリオスに抱かれている夢。
痛くて苦しくて泣きたくなる、逃げ出したくなる記憶。
逃げる、何処へ?あの人の胸には安息がある。
汚れて醜くなった私を受け入れてくれる人。
私が自分を殺さない理由。
会いたい、会いたい、会いたい。
置いて行かないで、どうか、どうか。
愛している。
イシスはメイから離れて哀しい夢を一人で見た、メイは俯いている。
一緒に行こうと手を握った、でもメイはヘリオスの夢は見ない。
イシス1人の夢だ。
哀しくて痛い茨の海、愛しい人の姿は見えない。
メイは見ない方がいい、きっと壊れてしまう。
抜け落ちた記憶は夢の中でも帰らない。
ヘリオスの名前だけ、顔も、姿も、声も戻らない。
蟻獅子に抱えられながら、メイの瞳を借りてイシスの涙が舞い散り消えた。
「ミロク、無事か?怪我はないか?」
「あうう」
大丈夫、ごめんなさいと言葉にはならないが頷いて返した。
「良かった!本当に……」
蟻獅子はミロクを強く抱きしめて安堵を嚙み締めた。
恨んでいた神に感謝しそうになる。
「2人を頼む」
ミヤビに2人を預けると用心してアエリアの様子を窺い、首を切って止めをさす。
「どういうことなんだい、この娘が”から”の矢を射かけたらアエリアがぶっ倒れたように見えたけど、魔法かなんかなのかい」
「さあ、僕にはわかりません、痛たた」
折れたあばら骨を抑えながらタスマン少尉が近づいてくる。
「なんと、このように若き娘であったのか、さぞや豪傑であろうと想像していたが」
リンジンが意識なく横たわるメイを見下ろして感嘆したように呟いた。
「誰かにやられたのか」
リンジンがミロクに向かって声をかける。
「あうう」
「すまん、このエルフの娘は口がきけぬ」
蟻獅子が代わりに応えた。
「ありゃ、その娘はアールヴ種じゃないか、よくここまで無事にこれたもんだ」
「いい」
ミロクがメイを指して何か必死に訴えている。
「助けてもらったのか、この娘に」
「あー」
強く頷く。
「あっはっは、じゃあ、ここにいる全員がこの娘に助けてもらったってことだね」
「そうなるな」
リンジンが頷いた。
「じゃあ、恩人をこのまま放っては置けないよ」
「そうだな、トウコに相談しよう」
「はい、それが言いでしょう、ここは早く引き揚げたほうがいい」
タスマン少尉も顔色が悪い、複雑骨折いているのだから当然だ。
「あんたはどうするかね、蟻獅子さん」
「俺は横槍だ、このまま退散する」
「トウコが残念がるよ、賞金も貰えるだろうに」
「金などいらん、ハルバートを折られた……急がねばならない」
「そうか、仕方あるまい」
「その娘が目覚めたら、俺からの礼も伝えてくれ、恩は返すと」
⦅やはりメイさんに出会えたのは幸運だった、メイさんがいなかったら今頃全員死んでいる、ありがとうメイさん⦆
ミロクはメイの手を取って伝えたが、返答はなかった。
「ミロク、この娘の名前は分かるか?」
ミロクは砂地に指で文字を記した。
メイ・スプリングフィールド
折れたハルバートとミロクを肩に乗せて蟻獅子ミルレオは消えた。
再び生の螺旋の上に交わった2人、一度切れたと思えた命は、姿を変え、声を変えて新たな物語へと色を変えていく。
過去に囚われながら、新しい出会いが道を創っていく。
誰もが自分の道がどこへ向かっているのか、知ることはない。
メイには休息が必要だった、僅かな邂逅、夢の中で短い安息に抱かれながら。
メイは意識を戻さないまま、エチダ藩にある軍の医療施設に担ぎ込まれていた。
野戦病院とは違い設備も整い、木造の大きな施設だ。
オールド・オランドの侵略宣言を受けて人々の流失が続いた市内は閑散としていたが、軍関係者のほとんどは残っているため病院の中だけは平常運転の喧騒が続いていた。
メイは幹部が使用することを前提の個室を与えられ24時間体制の看護が取られていた。
栄養剤の点滴が提げてある。
医師とトウコが病室で意識を戻さないメイを心配そうに見ていた。
「どうなのだ、なにか重篤な病気なのか」
眼鏡をかけた白衣の若い医師は首を振った。
「藩主トウコ、彼女に病相は一切ありません、身体的には健康そのものです」
「では、なぜ意識を戻さない?」
「疲労……としかいえません」
「それだけで3日も寝続けるものか」
「一般人ならあり得ませんが、彼女は遠く離れた場所にいる他人の頭の中に声を届けることが出来ると伺いました」
「それは本当だ、私も聞いた、タスマン少尉はローレライの唄と言っていたな」
「その異能が関係しているのでしょう、それには気になることがあります」
医師はメイの額の傷をトウコに見せる。
「開頭手術の跡だと思われます」
「事故が病気の跡か」
「今の医学で脳外科手術を施術出来る医師を私は知りません」
「海外の先進医術か」
「分かりません、この方が意識を戻したときには、ぜひ教えてもらいたいものです」
その日の夜、夕刻に昇った月は満月を迎えていた。
良く晴れた夜空に静かに美しい月光が、眩いばかりに世界を照らしていた。
浅く弱い呼吸を繰り返すメイの顔に、月光が伸びて治癒の女神の手が振れた。
パドマが動き出し、呼吸が深くなっていく。
ゆっくりと肺の下まで空気を届ける、鼻から吸い口から細く出していく。
酸素が身体を巡っていく。
目覚めると白くて綺麗な部屋だった。
今まで一番上等なベッド、柔らかな布団、羽毛なんて初めてだ。
メイはぼんやりと心地いい温かさの中にいた、もう少し寝ていたい。
うちのベッドこんなに気持ち良かったかな、また宗一郎が買ってくれたのかも。
「……」
部屋の隅に置かれたコンパウンドボウが死闘の記憶を蘇らせた。
「!!」
そうだ、アエリアだ!
登頂のパドマの機動、不可視の矢、思い出した。
私は!メイとイシスは2人でアエリアに勝った!
復讐をまたひとつやり遂げた。
充実感や達成感、嬉しさはない。
失くしたものは還らない、でも正しい事をしたと思える。
不意に涙が伝う、大事なものに触れていた気がした、そしてまた失くしたような喪失感が
病室を狭く現実に戻した。
上体を起こして1人病室の窓から月明かりが照らす街を見下ろすと、ところどころに人々が暮らす灯が見える。
暫く眺めていると、メイのお腹の虫が盛大な音を立てて鳴きだした。
クルルルッキュゥゥ
「ぷっ……はは、あはははは」
思わず1人で笑い転げた。
自然に顔が上を向いていた。
「家に帰ろう」
足は少しふら付いたが大丈夫、身体は軽い。
翌日の朝、軍病院はちょっとした騒ぎになった。
個室には”お世話になりました”の書置きだけが残されメイの姿はどこにもなかった。
部屋に置かれていた着替えとコンパウンドボウも一緒に。
昨夜の分に用意されていた食事はきれいになくなっていた。
トウコはキチンと畳まれた布団と整頓された病室を見回して1人苦笑いしていた。
「不思議な娘だ、またどこかで会うのだろうな」
病室の窓から見た景色は、不思議と昨日までより色を取り戻したと感じる。
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