第10話 アドニス
衛の出発は明日早朝、ユニオン前で待ち合わせる。
今日は、装備の整備と準備に時間を使うことになる、矢の補充も必要だが宗一郎製の精度は期待できない。
昼食用の道具はどうしよう、新たに道具を買っていたのでは赤字だ、宿泊する宿屋で頼むのがいいだろう、最低限の湯茶の準備だけしよう。
非常用に乾燥餅か豆菓子がいいだろう。
とりあえず今は食べそこなったアップルパイだ。
売り切れていた……
仕方なく、少し酸っぱいライ麦パンでお腹を満たして行動に移った。
武器屋に向かい、コンパウンドボウに使えそうな矢を物色する、昨夜使用した矢は回収してあるが半分は使えない、鏃も全部取り換える必要がある。
軍などで使用する弓は長弓と呼ばれ、太くて長い重戦矢を集団で上空に向けて発射し、300m以上も離れた敵に矢の雨を降らせるといった戦術で使用される。
ゆえに単発の命中精度はさほど重要視されない。
これに比較してメイたちポーターが使用する弓は狙撃用といっていい、50mから150mの距離で正確に射抜く精度が重要であり、いわば狩猟用の弓である。
街の武器屋で流通しているのも後者の狩猟用の矢がほとんどだが、金属製の矢などは珍しく、あっても高価だ。
しかし、ここをケチって、命を落とす羽目になっては本末転倒だ、最良のものを選択する。
木製だがよく乾いたホワイトアッシュの軸を使った手頃な長さの矢があった。
1ロット12本を購入する。
武器屋のオヤジは宗一郎とは違い、制作はせずに卸売専門のようだ、その分品揃えが豊富で買い出しには便利だ。
買手も様々な仕様を求めて来店し、情報交換も盛んだ。
メイが弓用の小物をみている裏で男たちが噂話をしているのに聞き耳を立ててみる。
「知っているか、昨日も出たらしいぞ」
「ああ、聞いたよ、オーガ狩りのミルレオ(蟻獅子)だろ」
「凄まじいらしいな」
「甲冑と盾を装備したオーガ兵崩れをぺちゃんこだそうだ」
「ハルバートを使うらしいが、どんな力で打ちつければあんなことになるのか想像つかねえ」
「人間には無理な芸当だ、オーガ族だろうな」
「しかし、オーガにしては細身らしいぞ」
「分からねえが、なにせオーガだけ狩ってくれるのはありがたい」
「確かに人間やエルフを狩った話は聞かないな」
「うちのユニオンにスカウト出来ないもんかな」
「話かけた奴がいるらしいが、どうもまともな雰囲気じゃないようだぞ、言葉も通じているのか分からないようだ」
「異国の者か」
「どうだろうな、幽霊じゃないんだ、メシも食えばクソもするだろ、ねぐらはどっかにあるはずだ」
そこまで話すと、男たちの話題は娼館の新人に話が移ったので耳を閉じて店を後にした。
翌日、出立するポーターたちで込み合うユニオン前からエルフ族(春の街)に向かって2人は鹿に乗り走り出した。
2人が騎乗する鹿は赤鹿と呼ばれる種類で、馬並みの大きさがあり、体重300kg,体高1.6mほどある雌だ。
雄はさらに大きく巨大な角を持つ、種自体の戦闘力も高く熊を倒すほどだが、気性が荒く騎乗には向かない。
その点雌鹿は大人しく、帰属意識も高いため家畜には向いている、走路での絶対速度は馬とは比較にならないが、石や岩が多い地域では移動が速い場合もある。
メイが騎乗するエルーはイシスであったころからの相棒だ、今は7才になるだろう、寿命が鹿類の中では比較的長く20年以上になる。
静かな草原を風が渡っていく、秋を迎えたススキの穂が揺れて、とても綺麗だ。
空には晩秋を知らせる薄く長いうろこ雲が流れていく。
春の街まではこの草原を過ぎて広葉樹の森から大きな湖を回り込まなければならない。
アドニスはエルフ族の中では大柄な方だろう、メイより縦横ひとまわり大きい。
長く伸ばした銀髪を三つ編みにしている、抜けるような白い肌と碧眼がまさに妖精のようだ。
鞍や調度品、服装は上品で凝った彫刻や刺しゅうが施されていて格式の高さを感じさせる、貴族かもしれない。
ひょっとしたらイシス・ペルセルを知っていたりするだろうか、自分の出生について、まだ調べたことはなかった。
聞けば関連を疑われる、ほころびから危機を招く心配がある。
それに知ったところで今が変わるわけではないし、優先順位は低い。
イシス・ペルセルはもういない、その体はサカエの森、メイの父アスクレイの墓所の脇、小さな墓石の下に眠っている。
今の私は自分の命だけではなく、メイの命にも責任がある。
不注意から命を危うくすることは出来ない。
1日目の昼、お湯を沸かして、黒い後発酵茶と宿屋で用意してもらったサンドイッチで昼食にした。
塩気の効いたハムとピクルス、胡椒が振られた具は噛み応えのあるパンと相性が良いだろう。
黒茶と呼ばれる発酵茶は、茶葉を蒸した後に伝統的な菌を数百種類も用いて発酵熟成させたもので薬効が高い、また数回煎じることもできるので余った分は水筒にいれる。
切り株に白布を引きテーブルにして食事を並べる、食後に食べようと買っておいたチョコレート菓子も置いておく。
近くにコスモスが咲いていたので少々わけて頂き食卓を飾ってみる。
良い感じ、食事は目でも楽しまなければいけない。
「旅先の野外でこんなステキな食事は初めてです」
「出来合いですけど、この方が美味しそうですよね」
「それに心が休まります、やはりあなたにお願いして良かったわ」
そういってサンドイッチを口にしてくれたアドニスも少しは打ち解けてくれそうだ。
「こちらに来るときはどうやって?」
「はい、こちらに向かう商隊に混ぜて頂きました、春の街から外へ向かう商いは結構あるのですが、エルフはあまり物を必要とする暮らしをしないので逆方向の隊はあまりなくて、困っていたところでした」
「そうですか、エルフの皆さんは肉や魚を普段は食べないそうですね」
「ええ、私たちは地の物だけで生活することが出来ますから」
「まるっきりのベジタリアンではありませんが、食べなくても不満はありません」
かつては自分もそうだったのだろうか、今は食事が楽しい、人間でいる方が楽しみが多いと思う。
「お若いのに技術と教養も御有りになる、小さいうちから訓練を?」
「いえ、弓などの訓練を始めたのは5年前、いえ4年前からです」
「まあ、僅か4年でポーターの実戦に出られているなんてすごいですね」
「ほんとはもっと小さいころから訓練するものなのですが、私の場合、ちょっと特殊で」
「特殊というと、差し支えなければ」
「隠すようなことではありません、みんな知っていますから……私は12歳までベッドで寝た切りだったのです、いわゆる脳死状態でした」
彼女の目が見開かれたのが分かる。
「それが12才の春に突然目覚めることができたのです」
「そんなことが……」
「脳死といっても厳密にはそうではなかったのだと思います、目覚めた時、ある程度ですが言葉が理解できていました、ベッドにいた時に父が常に話しかけてくれたおかげだと思っています」
嘘は言っていない。
「お父様が……喜ばれたでしょう」
「はい、でも直ぐに亡くなりました、癌でした」
「それはお気の毒に、でもあなたが目覚めたのを見たあとであればお父様のお気持ちも軽くなられていたでしょう」
「だと良いのですが、大変な親不孝をしてしまいました」
「今は父の友人だった人のお世話になりながら、ひとり立ちできるよう頑張っているところですね」
「そのせいでしょうか、あなたは普通の人間よりも……そう桃色と言ったらよいのか、エルフに近い色を感じるのです」
「エンパスの力ですね、でも母は私を産んですぐに亡くなっていますが、人間だったと聞いていますし、父もばりばりの人間でした」
「ひょっとすると隔世遺伝というのでしようか、遠い祖先に混血していたのかもしれません」
「ありえますね、どうせなら外見が似てほしかったですね」
「あら、とってもチャーミングで素敵ですよ」
チャーミングって今時と思ったが、そうかこの人50才は過ぎているのだった。
「今、おばさん臭いって思いましたね!?」
「そんなこと……ずるいですよ、敵いませんね」
「うふふ、私に嘘はつけませんよ」
嘘はついているのだが、この人とは息が合う、仲良くなれる気がする。
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