第9話 アップルパイ
荷受けのためについた隣町ドーパのトランス・ユニオンでトラブルが発生した。
帰る便で乗せていくはずの荷物がドーパに着く前に盗賊団に襲われて根こそぎ攫われてしまったというのだ。
「じゃあ、帰りの護衛はキャンセルね」
「わるい、メイちゃん、帰りは空荷になるから護衛はなしだ」
山ちゃんが手を合わせて謝る。
「でもギャラは約束どおり払うよ」
「えっ、ホントに」
「ああ、盗賊団を殺ったのも、ほとんどメイの矢だし、スバルと泉の件でも世話になりっぱなしだ」
セシルが頭を下げた。
ユニオンに並列するテーブルは様々な街から来るポーターで賑わっている。
そんな中で年上のサラリー組がフリーの小娘に頭を下げたのだ、目の早い人間は注目する。
「そんな、やめてよ、セシル、いえセシル隊長」
メイは慌てて背を屈めて頭を下げるセシルを制した、目立ちたくない。
「我々は礼儀を通したい、でないと宗一郎隊長にどやされる」
セシルたちは宗一郎の直属の部下だった、いや弟子と言ってもいい。
「私は自分の責任を果たしただけです、ギャラの内だわ」
「そういってもらえると助かるが、やはり過分な働きだ、せめてここは奢らせてくれ」
「じゃあ、アップルパイセットにクリームのせのオプション付きで頼めます?」
「お安い御用だ」
山ちゃんがカウンターに走っていった。
この町はリンゴが特産だ、中でも小さくて酸っぱいリンゴを使ったパイは絶品だった。
生で食べると酸っぱいリンゴが過熱した途端に大変身する。
熱い紅茶と一緒に頂けば、至福の時間の到来だ。
気が付けば昨日の夜から食べていなかった、エンパスレーダーも使いまくり、10人以上を屠ったうえ、蟻獅子の出現にスバル、泉の治療、と盛りだくさんな夜だった。
パドマは代謝を加速させる。
当然腹が減る。
このところのハードワークで随分と脂肪が落ちてしまっている、これ以上痩せるとシックスパック、腹筋が割れてしまう。
それは避けたい。
待ち遠しくも待っていると山ちゃんが戻ってきた。
きっと私の顔はおやつを前にした子犬のように愛くるしい……に違いない。
お待ちかねのアップルパイ……持っていない。
「???」
まさか、売り切れなの!?
「ドーパユニオンの所長がメイちゃんを呼んでいる、至急だって」
「なんで?」
「直接話したいそうだ」
セシルが不憫そうな顔で言う。
「アップルパイはまた今度奢ろう、ユニオンの所長を待たせるわけにはいかない」
「ええー、そんなぁ」
なんてことだ、指をくわえるしかないのか。
「ご愁傷様、また、よろしく頼むよ」
「私たちは今日荷馬車の屋根をばらしてから、明日発つわ、いつもの宿屋にいるから、なんかあったら連絡して」
「了解、今度アップルパイ絶対ですよ」
諦めてセシルたちに背を向け、ユニオンのカウンターに行くと所長室に通された。
埃っぽく安い扉の奥の乱雑に書類が積まれた一角、目隠しの衝立が置かれ小さく固そうなソファが置かれていた。
ソファには所長だろう大柄な人間の男と、美しいエルフ族の女が腰掛けていた。
どういう状況なのか想像できないが一応挨拶はしておこう。
「どうも、メイ・スプリングフィールドです」
「やあ、疲れているところすまない、掛けてくれ」
2人の正面に座る。
「私はこのドーパユニオンの所長でヒューゴという、こちらはエルフ族のアドニスさん」
「はい、初めまして」
「メイさん、あなたの噂は私も聞いている、一流の索敵者で弓も凄腕だと」
「とんでもない、買い被りです、私なんてまだまだです」
「謙遜することはない、誇ってよいことだ」
「いえ、実力以上の評価は死を招きます」
少し真剣な目で伝える。
「セシルといいサカエ・ユニオンのポーターは慎重だな、内の連中も見習ってほしいものだ」
出されていたお茶を一口啜るとニヤリと笑った。
なかなかのイケオジだ、羽振りも良いのか身なりもそれなりにいい。
「本題だ、メイ、君に護衛の任務をお願いしたい、エルフ族(春の街)までこのお嬢さん、いやご婦人を連れて行ってほしいのだ」
「春の街ですか、私に土地勘はありません、護衛には不向きと思いますが」
アドニスと呼ばれたエルフ族の女が伏せていた顔を上げて懇願してくる。
「道案内は私がいたします、護衛の方は女性でお願いしたいのです」
「ということは、護衛は女性だけというか、私ひとりですか」
「そのとおりだ」
「旅程は?」
「急ぎません、帰るだけですので」
「移動は昼間、婦人も鹿に乗れる、野宿はなしだ」
なるほど、ここからなら3泊というところか、条件は悪くないように思える。
「なぜ私なのでしょうか、ここのユニオンにも優秀な女性ポーターはいるのではないですか」
「いるにはいるのだが、ご婦人のほうが……」
「ごめんなさい、失礼とは思うのですが、皆さん気持ちが強すぎるというか男っぽいというか、粗野や感じがだめなのです」
「どういうことでしょう、こちらのポーターもプロばかり、護衛対象を威圧するような人間はいないはずです」
「わかっています、でも近くにいると感じてしまうのです、その波動を受けていると酷く疲れてしまってだめなのです」
「あなたはエンパスなのですか」
「はい、そんなに強くはありませんが感じます、あなたの心はエルフに近い感じがします」
「!」
「そういう訳なんだ、支払いは片道だから前払いで全額だ、悪くないだろう」
なぜだろう、行かなければならないと感じる。
「エルフ族はデリケートな民族だからな、感受性が高すぎて大変だ」
「ご面倒おかけして申し訳ありません」
「いいってことさ、と本当にそう思っているけどエンパスでそれは分かるのかい?」
「いいえ、とてもそこまでは、悪意とか敵意、嘘をついているぐらいまでならぼんやりと伝わりますが単語のようには分かりません」
「ですが私の姉は、そこまで感応することができました」
「それは大変だったろう、あまりに分かりすぎると生きるのが辛い、鈍感なほうが楽なことの方が多いだろう」
「そのとおりです、かわいそうな方でした」
「わかったわ、引き受けます」
「本当ですか、助かります」
「ひとつだけ、なぜこの街に」
「探し物でございます」
「見つかりましたか」
「残念ながら無駄足でございました」
そういうエルフ族のアドニスと名乗った女性は本当に気落ちしていた。
探し物は何だったのだろう、覗いてみようかとも思ったがやめておく。
エルフなら覗かれているのを気づくだろう、そもそも悪趣味だ。
自分がだんだんメイに飲み込まれて人間化しているように感じる、人間として生きて
行くために順応していくのは当然のことだ。
しかし、心の奥で本来の自分、イシス・ペルセルが消えていく恐ろしさをぬぐい切れなかった。
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