Ep.1 The name of the petals is NIRZ.
001-01. 始まりは春の錦
始まりは、四月中旬――桜の花が見頃を終え、初夏に向けて若々しい葉をつける頃。
少し癖のある柔らかな黒髪を春風に靡かせて、鈴鹿柘榴はそこに赴いていた。
「ここが、テイルプロダクション……」
天高く聳えるビルを見上げていると、半開きの口から無意識に独り言が零れてしまう。
「会社……っていうか、大学……いや、お城……?」
目を白黒させながら、その場所を表現するのに適切な言葉を探す。
考えれば考えるほどに壮大な比喩が浮かんでくるわけだが――それほどまでに、目の前に広がる光景は信じがたいものだった。
舞台、音楽、報道にバラエティ……この国に数多存在する「芸能」の分野における、現時点での総本山。
そして数多ある尾崎グループ子会社のうち、男性アイドルタレント事業を担当しているのが、テイルプロダクション株式会社だ。
そんな大御所企業グループのオフィスは、目の前の高層ビル――だけではなく。
その脇にくっついた砦のような低層ビルも。
その奥にあるマンションのような建物も。
なんなら、今立っている公園のようなエントランスさえも。
「うん……これ全部がグループ会社のものって言われたら、そうなるよなあ……」
「ひょわっ!?」
唐突に背後から響いた声に驚いて、肩が跳ね上がる。
そこには、柘榴よりも少し背の低い、黒髪の男性が立っていた。
「あっ、驚かせてごめんな」
「い、いえ……変な声上げてすみません……!」
「あっはは、確かにすげえ声だった!」
男は少しキツい雰囲気の釣り目を細め、軽快に笑う。
素朴ながら愛嬌のあるその笑顔は、数日前に見たものと変わらない。
「あっ、俺のこと覚えてる? 先日お会いした
「あ、はい……この間はお世話になりました」
「いえいえ、こちらこそ! っていうか、これからは君のマネージャーってことになるから、引き続きよろしくな~!」
緩い雰囲気で差し出された手に、恐る恐る手のひらを重ねる。
すると、間髪開けずにぎゅっと握りこまれ、勢いよくぶんぶんシェイクされた。
「よ、よろしくお願いしますっ……!」
力が強くてちょっと痛いが、朗らかな表情を見るに純粋に歓迎してくれているようなので、何も言わないでおく。
「っとと、いけね……着いて早々で悪いけど、ちょっと急ぎで来てもらっていいか?」
「えっ」
「ウチのボスがお待ちなんだよな~……五分以内に連れてこいって言われてんの」
「……ちなみに、今は何分経過してるんでしょうか」
柴田がカーディガンの袖を捲り、腕時計を見る。
……なんだろう、嫌な予感がする。
「えーっと……四分」
「……走りましょう」
「うん、そうだな!」
――こうして、記念すべき初出勤日は全力ダッシュから幕を開けた。
「鈴鹿柘榴、十七歳……現在は読者モデルとして活動中、か」
「は、はいっ!」
本社ビル十一階、社長室。
「ふん……活動期間は半年、きっかけは妹が代理で応募したオーディション……」
ぺら、ぺら、と紙を捲る音に合わせて、低い囁き声が聞こえる。
声の主はもちろん、重厚な書斎机に座っている男――テイルプロダクション社長、
ごくり、思わず唾を飲む。
なんせ目の前にいるのは、ほんの少し前まで世界を魅了していた元アイドルであり……この業界の若き首領なのだ。
「俺が西へ東へ走り回って探してきた逸材だぜ~? ぜってぇ売れるって!」
「その根拠のない自信はどこから来るんだかな……まあいい」
柴田の能天気な言葉に、社長は眼鏡のブリッジを押さえて溜息を吐いた。
「ときに、君」
そして、手にしていた履歴書を机に置き、こちらに視線を向ける。
僅かな厳しさが垣間見える切れ長の瞳に射止められ、柘榴は思わず背筋がピンと伸びた。
「歌とダンスの経験はあるか」
「え、と……ありません……」
「なるほど」
声音から感情が読めない……。
ただ、いくら素人の柘榴でも「歌もダンスもできないアイドル」が成立しないことくらいは分かる。
これは厳しい言葉を投げられるかも……と肩を強張らせた直後。
「……未経験者で構わんと言ったのは俺だ」
「え……」
「そんなものはこちらで何とでもしてやる。無論、生易しくはないがな」
告げられたのは、意外な言葉だった。
「やるか、やらないか。それだけ答えろ」
「や、やります!」
考えるよりも先に、反射的に声が出る。
ここに来ている時点で、既に腹は決まっていた。
「結構。取り消しの言葉は聞かんぞ」
ふっ、と、社長の口元が緩む。
あまりにも絵になりすぎる挑戦的な笑みに、胸の奥がざわりと波立つような感じがする。
「柴田、連れていけ。プロジェクトの説明も忘れるな」
社長は柴田に視線を向けてそれだけ告げると、右手側に積み上げられているクリアファイルの山のうち、一番上に重ねられたものを手に取った。
どうやら、次の仕事に移るらしい。
「おうよ! んじゃあ、柘榴はこっち来てな~」
「あっ、はい……あ、ありがとうございました! 失礼します!」
いつの間にかドアを開けて手招きしている柴田を追いかける前に、ぺこりと礼をして背を向ける。
社長はこちらに視線を向けないまま、片手をひらりと上げて返して見せた。
会議室で会社に関する説明を受けたのち、柘榴は事務所の綺麗な廊下を歩いていた。
「んで、柘榴にやってもらうことなんだけど」
「あ、はい」
時折行き交う相手に頭を下げつつ、柴田から離れないように早足で進む。
「さっき話した進行中のプロジェクトな、ToPってやつ。それに欠員が出てて、柘榴にはそこに入ってもらうんだわ」
「ぷ、ぷろじぇくと」
「あ、心配すんなよ! いきなり正式加入じゃなくて、まずは顔合わせとお試しからやってもらうから!」
先刻、柴田から告げられた内容を思い出す。
ToP――Tale of Petalsプロジェクト。
現在、テイルプロダクションがリリースに向けて尽力しているという、アイドル事業部初の一大企画。
テイルプロダクション所属のアイドル数名をプロジェクトメンバーに据え、複数のユニットを連動して活躍させることにより、ユニット間や個人間の相乗効果の発露、およびテイルプロが有するプロデュース分野の多彩さを世に売り出すことを目的としている……らしい。
「っつーわけで、早速メンバーと顔合わせしてもらうから!」
「えっ」
今からですか? と問う間もなく、柴田がとある部屋のドアをガチャリと開けた。
ドアの横のプレートには、細くておしゃれな文字で【ダンススタジオA】と書かれている。
「よっす、やってっか~?」
「……あれ、柴ちゃんだ! おつかれ~!」
「お疲れ様です」
部屋の中に踏み込んだ柴田の向こうから聞こえるのは、軽快なダンスミュージックと、ふたつの声。
「ほら、柘榴。入った入った!」
「っ、わわ……!」
ぐいぐいと腕を引かれ、ダンススタジオの中に入る。
緊張でガチガチのまま前を見れば、そこには二人の青年が並んで立っていた。
「……もしかして、昨日言ってた新しい子?」
青年のうち、さらさらとしたピンク色の髪――ストロベリーブロンドというやつだろうか――を持つ青年が、甘い響きを孕んだ声で問いかける。
「ああ! 新メンバー候補、ってうわっ!?」
「わあああああああああ~~~~っ!!」
「ひっ!?」
柴田が得意げに胸を張って告げる――その途中で、ピンク髪の青年は柴田を押しのけ、歓声を上げながら柘榴の目の前に躍り出た。
「君が噂の新人くん!? あの鬼社長のお眼鏡に適ったシンデレラボーイ!?」
「っひぇ、ひゃぃ、」
ぐいぐいと前のめりに迫られ、柘榴は本能から後ずさる。
好奇心でキラキラと輝く顔は中性的な雰囲気で、日本人離れした淡いブルーの瞳と合わさって本物の人形のようだ。
その存在感故、身長としては柘榴より小さいにも関わらず、その迫力は恐怖だった。
「っていうか背ぇおっきいね~! ねえねえ、歳いくつ? 制服ってことはまだ高校生?」
そんな柘榴の怯えなどどこ吹く風と言わんばかりに、青年は早口で矢継ぎ早に質問を続ける。
「読モやってるんだっけ? ってかどこ住み? どうやって柴ちゃんに口説かれ――」
「……ローザ、落ち着け。怖がってるから」
ついに壁際まで追い詰められ、もう逃げ場がない……と思われた瞬間。
ピンク髪の青年の声を遮るようにして、もう一人の青年が待ったをかけた。
「興味があるのは分かる……けど、まだ挨拶もしてないだろ」
落ち着いた声でそう続けながら、件の彼は柘榴たちの隣に歩み寄ってくる。
すらっとしたスタイルにツーブロックの黒髪、そして何より切れ長の眼が目を引く、クールな印象の青年だ。
「おっと、そうだった……ごめんね?」
ごもっともな制止を受け、ローザと呼ばれた青年はいたずらっ子のように微笑みながら柘榴から離れた。
「えーっと……もういい? 話進めるな?」
事態が収束したことにより、成り行きを見守っていた柴田が一歩前に出る。
「改めまして、新メンバー候補だ。名前は鈴鹿柘榴くん、十七歳の高校三年生だな」
「すっ、鈴鹿です。よろしくお願いします……!」
柴田の紹介に続けて、柘榴はぺこりと頭を下げた。
わー、という小さい歓声と共に、小さく拍手の音が聞こえる……。
「んで、次はこっちな。……んじゃあ、ローザから」
「はあい!」
指名を受け、満を持してと言わんばかりの表情でピンク髪の彼が前に出た。
「俺はローザ! 歳は二十二歳です。気軽にろざちゃんって呼んでね、ざくくん!」
「よ、よろしくお願いします……ろざ、さん」
「あはっ、遠慮された~」
柘榴の返答を受け、ローザがころころ笑う。
「一応俺から補足するけど、ローザはもともとウチのモデル事業部に居たんだぜ」
「うんうん、この度アイドルにジョブチェンジする感じになって。だから、ざくくんと境遇的には似てるかなあ」
仲良くしてね、とウィンクしながら言うその姿からは、人懐っこさと愛らしさがこれでもかと溢れ出ている。
こうしてグイグイ距離を詰められても不躾さを感じないのは、持って生まれた愛され体質、というやつだろうか。
「んじゃあ、次!」
柴田の元気な声に合わせて、ローザが一歩下がり、入れ替わりでもう一人の青年が前に出た。
「……
「よ、よろしくお願いします」
サッと差し出された手を握る。
その手のひらは柘榴のものよりも骨ばっていて、手の甲に触れた指先は少し硬い。
「……」
握手したはいいものの。
互いに言葉を発さないまま、何とも言えない沈黙が流れる。
どうやら、双方とも饒舌な方ではないらしい。
ど、どうしよう……。
「……あれ、もしかしてお見合いしちゃってる?」
表情を強張らせて戸惑っていると、ニゲラの後ろからひょっこりとピンクの頭が覗き込んできた。
「んもー、二人ともシャイなんだから! ほら、スマイルスマイル!」
「んみ」
ローザは両手の人差し指を立てると、その指をニゲラの口角に持っていき、むにっと持ち上げて見せる。
「ざくくん、怖がらなくて大丈夫だよ~。この子、本当はざくくんに会うのが楽しみで、ずっとそわそわしてたんだから」
「……ローザ」
「ん、なあに? ナイショにしたかった?」
ローザに好き放題揉まれているニゲラの頬は、先程よりもほんのり赤い。
照れているらしい……ということは、今の言葉は図星のようだ。
「ってなわけで! この三人が現状のメンバーだな!」
ぱしん、と小気味よい手拍子を鳴らして、柴田が場を締める。
すると、相変わらずローザに絡まれているニゲラが僅かに首を傾げた。
「……
「あっ……」
衣織。
その名前に、柴田とローザの表情が曇る。
「……おりくん、やっぱり戻ってこないの?」
「……ああ。本人がそう言ってる」
「そっか……」
先程まで天真爛漫だったローザが、目に見えてしょげ返っている。
ニゲラのほうも僅かに目を伏せており、気落ちしているようだ。
「あの……」
「あっ、ざくくんからしたら何のことやらだよね……柴ちゃん、話してもいい?」
ローザの問いかけに、柴田がうーん……と唸って考える仕草を見せる。
「……まあ、口止めもされてないしなあ」
「おっけー、んじゃあ話しちゃお」
そう言うと、ローザはニゲラを解放して柘榴に向き直った。
「えっとね、このプロジェクトの第一弾……俺たちが組む予定のユニットなんだけど、本当は四人でやるはずだったんだ」
「四人……」
「うん。ちょっと事故があってね、一人は辞めちゃったんだけど……その子のほうの補充が、ざくくん」
だからね、本当はもう一人居るんだよ。
そう続けるローザの口元は微笑みの形になっているが、視線はそっと地面に伏せられる。
その一連の様子だけでも、この出来事が彼らにとってどれだけ重いことだったのかが察せられた。
「おりくん、辞めちゃうのかな。デビュー決まって一番喜んでたのに……」
「そうだな……本人が言うなら、事務所としては無理に留めておくこともできねえし」
ローザの大きな瞳が、じわ、と潤む。
そんなローザの様子を見兼ねたのか、今度はニゲラが口を開いた。
「留めておけないってことは、もう退所日も決まってるのか?」
「いや、それは交渉中。蓮が……社長がまだ渋ってるから」
「……その言い方だと、事務所側としても辞めさせたいわけではないんだな」
「そうだな。今だってあくまで本人の……って危ねぇ!?」
話の最中で、柴田が勢いよく横に飛び退く。
先程まで涙目で床を見つめていたローザが、急に顔を上げてドアに向かって駆け出したせいだ。
「俺、おりくんと話してくる!」
「なっ、話すったってどこに……ってもう居ねえし! お前、この後ボイトレ……って、ニゲラもかよ!?」
呼び留めようとする柴田をよそに、今度はローザを追いかけてニゲラが駆け出す。
あっという間の出来事に呆然とする柘榴と顔を見合わせて、柴田が溜息を吐いた。
「……まあ。とりあえず顔合わせはできたから、目標達成だな」
「あ、あの……追いかけなくていいんですか……?」
「んー? まあ大丈夫だろ。ローザだけだとアレだけど、ニゲラはレッスンすっぽかすような奴じゃないし」
マネージャーの反応を見るに、どうやらこれが彼らの通常営業らしい。
ひょっとして、とんでもないユニットに加入させられるのでは……と、柘榴は薄っすら戦慄した。
「んで、えーっと……ああ、しばらくは通いで研修受けるんだな」
そんな柘榴の懸念をよそに、柴田は手元のバインダーに挟まった資料をぺらぺら捲っている。
そこには、事前に柘榴が送っていた履歴書と、柘榴との面談の中で記した数枚のメモが挟まれているようだった。
「は、はい……急な話だったので、入寮は二週間後に……」
「うんうん、まあそうだよなあ」
テイルプロからデビューする新人アイドルは、その多くが社員寮での生活を送っている。
オフィスの立地から考えて、都内近郊の住宅から通うことも難しくはないのだが……それでも多くが寮生活を選ぶのは、やはり自分自身や親族に係るプライバシー保護が理由だろう。
柘榴もその例に倣い、半月後から入寮しての活動を予定しているというわけである。
「んじゃあとりあえず、今日は通いのメンバーがよく使う場所の紹介しておくか!」
「あっ、よろしくお願いします……!」
「おう! んじゃあ、まずはこっちな~!」
未来を心配するのであれば、まずは直近の未来から。
明日から始まる新たな挑戦に向けて、柘榴は一歩を踏み出した。
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