第一四話 二人きりの生活 二日目⑤

「健一さん?」

 スーパーマーケット『マーズ』を出てすぐの道に健一が立っているのを見て、玲香は不思議そうな声音で言ってきた。

「や、やあ……」

 健一はいかにも偶然を装ったような調子で答える。

 もちろん、偶然ではない。

 健一は、自分の買い物はすぐに済ませて――冷凍食品を数点買うだけだったので――玲香が出てくるのを待っていた。さすがに、店の前で待っているとなると目立つので、少し離れた人通りが少なくなる道していた。

 陽も落ちてきて、空は赤みを帯び始めていた。

 黄昏時である。

 目の前にいる玲香は、夕日に照らされて、黒のセーラー服姿も相まって神秘的な雰囲気を漂わせていた。

 思わず見惚れてしまう。

 ――やっぱり綺麗だよな……

 肩に掛けられたパンパンに食材が入っているエコバッグが、生活感を感じさせてややノイズとはなっているが、学校で『黒姫様』と崇められるのも頷けた。

 と、それを見てそもそもの用件を思い出した。

「結構買い込んでるみたいだし、荷物持つよ」

 健一は玲香に提案した。

「ありがたい申し出だけれど、大丈夫よ。少し多めには買い込んではいるけれど、そこまで重くはないから」

 玲香にはやんわりと断られた。

「…………」

 健一は玲香のその反応を半ば予想はしていた。

 まだ一緒に暮らし始めて二日目だが、少しはわかってきた。

 玲香は基本的に人を頼らない。

 頼ることに慣れていない――と言うべきか。

 それは、本人の資質として、大抵のことはこなしてしまう器用さがあるのも大きいだろうが、それよりもこれまでの人生で人に頼るという機会が乏しかった、というのもあると思えた。

 健一も似たものがあるからだ。

 健一は、人から助けられた際、ありがたいと思いつつも、相手に負担をかけてしまったことを気にしてしまうのだ。

 相手としても素直に感謝をしてくれた方がいいと思っているのはわかるのだが、これは性分と言うほかない。

 境遇が似ている玲香もそういった思いがあるのではないか、と考えている。

 玲香は、義兄となった健一に対して、積極的に関わってくれてはいる。

 だがそれは、あれこれと世話をする側であり、される側ではなかった。

 昨日、掃除を手伝いたいと言った件についても、最初は断られたくらいだ。もっとも、それは健一が頼りないという部分も多分にあっただろうが……

 閑話休題。

 健一は、そんな状況をなんとかしたいと思っていた。

 頼ることに慣れていないのは同じなのだから。

 ここはなんとしてでも荷物持ちをさせてもらうと思っていた。

 一応、秘策・・はある。

「お願いします! この僕にその荷物を持たせて下さい! その荷物を持ちたくてしょうがないんです」

 健一は、両手を合わせて玲香に懇願した。

 とにかく、自分がその荷物を持ちたくて仕方ないことを力説した。

 朝の弁当作りをやらせてもらう件もそうだが、やりたいと言うこちらのやる気を削ぐようなこともしないのが玲香だった。

 これは玲香を気遣ってのものではなく、純粋に自分が持ちたくて仕方ないのだ――と、思ってもらえるようにお願いしてみた。

 わざとらしいことは自覚している。

「…………」

 そんな健一に、玲香は言葉もないのか、珍しく困惑した表情をしていた。

 玲香はなにか言いたげな表情でこちらを見ていた。

 無言の時が過ぎる。

 不思議と、気まずさは感じなかった。

 しばらくの後、玲香はなにかを観念したかのように小声で呟く。

「……まったく、このお義兄ちゃんは……」

 本当に小声で健一にはよく聞こえなかった。

「え、なにか言った?」

「……いえ、なんでもないわ」

 玲香は、観念したように軽く嘆息し、続けた。

「わかりました。そこまで言うならお願いするわ」

 健一は玲香からエコバッグを受け取り、左の肩にかける。

 重いと言うほどでもないが、軽いわけでもない。これから自宅まで歩くことを考えれば、自分が持っていた方が良いだろう。

「その代わり、健一さんが買った冷凍食品の袋を持たせてもらえるかしら」

 このままだと手持ち無沙汰と思ったのか、玲香が言った。

「大丈夫だよ。こいつは全然重くないから」

 これは嘘ではない。玲香から受け取ったエコバッグを左肩にかけ、自分が買った冷凍食品のレジ袋は右手に持っているが、負担に感じてはいなかった。

 そもそもせっかく荷物持ちをしようとしているのに、逆に荷物を持たせてしまったら元も子もない。

 だが、玲香も譲らない。

「いいから。私もその袋を持ちたいのよ。健一さんが何を買ったか興味あるし。――それではダメかしら?」

 その言い方はさっきの健一と似ていた。

 気遣いではなく、健一が購入した内容に興味があるのだ、と言ってきたのだ。

 玲香を見ると、小さく口元で笑みを浮かべていた。

 ――参ったな……

 そう言われたら、こちらとしても受け入れざるを得ない。

「そう。じゃあ……」

 健一は冷凍食品が入ったレジ袋を玲香に手渡した。

 玲香はレジ袋を受け取り、袋を開いて中の商品を見る。

「へえ、こういうの買ったんだ」

「……なにか問題あった?」

「別に。じゃあ、行きましょう」

 玲香は歩き出す。

 健一は、一瞬、着いていくか逡巡した。

 このまま二人並んで帰っていいものかと思ってしまったのだ。

 この辺なら、同級生に会うことも少ないとは言え、皆無というわけではない。

 リスクを考えれば、少し離れて歩いた方が良いはずだ。

 だが、なんだかそれはしたくないと思った。

「ちょっと待って」

 健一は早足で玲香に追いついた。

 そして、二人並んで帰途につくのだった。


       *


 自宅へ向かって歩きながら、玲香は言った。

「それにしても健一さん。有料のレジ袋を使っているみたいけど、エコバッグは持っていないの?」

「有料と言っても数円だしね。エコバッグは使ったことないなぁ」

 そんな健一の発言に、玲香は渋い顔をした。

「ダメよ。その数円が大事なのだから。塵も積もれば山となる。――今後はエコバッグを持参して。元の家で使っていたエコバッグが結構あるから」

「……えー、なんか面倒くさくない? 鞄に常にエコバッグ入れておくんでしょ? 邪魔でしょ」

「エコバッグはたためば、それほどかさばらないから大丈夫よ。ほら、この予備のエコバッグを見て」

 と、玲香は鞄から四角く小さくたたまれた布製の物を見せてきた。

「これがエコバッグなんだ。――確かにこれなら邪魔にはならないかも……」

 健一は納得してしまった。

「うーん、じゃあ、持つようにしてみるよ」

「それがいいわ」

 玲香の声音はなんだか満足げだった。

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