第一〇話 二人きりの生活 二日目①

 二日目の朝――

 健一は昨日よりも早起きをし、朝の準備を整え、リビングに向かった。

「おはよう」

「おはよう。健一さん。早いわね」

 玲香は当然ながら既に起きていてキッチンで料理をしていた。

 長い黒髪は料理しやすいようにポニーテールにしていて、制服の上にピンク色のエプロンを着けていた。

 エプロンはフリルなどはついていないシンプルなものだが、それでも玲香のイメージになかったので、健一はやや戸惑った。

「健一さん?」

 玲香は訝しげな眼差しを向ける。

 健一はごまかすようにまくし立てた。

「な、なにか手伝うことある? 言ってくれればなんでもやるよ。やっぱり、かぐ――いや、玲香さんにやらせてばかりじゃ良くないし」

 そもそも早起きしたのは、玲香の手伝いをしようと思ったからだった。

 いくら玲香自身が家事全般をやると宣言しているとは言え、それに甘んじてのうのうと寝てはいられない。

 だが――

「ありがとう。でも大丈夫よ。これは私がやりたくてやっているのだから。――もうすぐ朝食ができるから、待っていてくれるかしら」

 そんな提案は玲香に一蹴されてしまう。

 そう言われてしまうと、なにも言えなくなってしまう。

「……う、うん」

 諦めて、席についた。

 すぐに引き下がってしまい、情けないとは思う。

 だが、玲香に大丈夫と言われてしまっては、どうしようもない。

 いつまでもこんな感じではいられないが、この場では、これ以上言うのは止めておこう。


 準備が出来たので、健一と玲香はダイニングテーブルに向かい合わせに座った。

 玲香は、まだポニーテールにエプロン姿のままだった。

 食事をしたら、すぐに洗い物をするので、髪を下ろすのも面倒だから、とのこと。

「昨日の朝食の時は髪は下ろしていなかったっけ? エプロンもしていなかったような」

 健一は素朴な疑問を言うと、玲香は少し視線をそらしながら言った。

「……あれは同居一日目だったから、健一さんの前ではきちんとした格好をしておこうと思ったのよ」

 意外だった。

 昨日の朝、結構余裕そうに見えた玲香も、新しい家族との同居生活に少なからず緊張していたということか。

 よくよく考えれば当然のことなのだが、どうしても、文武両道かつ容姿端麗の完璧超人のような存在の『黒姫様』のイメージが先行して、緊張など無縁だとつい思ってしまうところがある。

 だが、そんなことはない。

 健一はそれを知っている。

 玲香は決して、『特別』なだけの存在ではない。

 普通の高校生のような一面を持っているのだから。

 突然リアクションに困る冗談を言ったり、どちらが風呂に先に入るかどうかで気を遣いすぎの健一に怒ったりもするし、宅配ピザを持ち帰りに変えれば半額になると知ると目の色を変えたり、健啖家でその食べっぷりに驚かされたりもした。

 そんなことを考えていると――

「……なに笑ってるの?」

 玲香が言った。

「え? いや笑ってないって」

 健一は否定する。

 知らず知らずのうちに笑みを浮かべていたのか。

「本当?」

 玲香は疑っている。

「本当だよ」

「……………………」

 玲香はジト目でこちらをしばらく見ていた。

 そして、ふぅと小さく息をつき。

「まあいいわ。食べましょう」

「そうだね」

 健一はほっとした。


 今日の朝食のメインはハムエッグだった。

 それに加えて納豆に味噌汁もある。

 当然、炊きたてのご飯もあり、食欲をそそった。

 そしてテーブルの傍らには蓋が開いた状態の弁当が二人分。昨日と同じ黒い二段式の弁当箱だった。

 蓋が開いたままなのは、食中毒防止に粗熱をとっているのだという。

 朝食を食べながら、玲香に訊いてみた。

「いつもこんなにちゃんとした朝食とお弁当を作るのは大変じゃない?」

 昨日今日と朝食にお弁当と用意してもらうと、ありがたさよりも申し訳なさが勝ってしまう。

 そんな健一の問いに、玲香は首を振る。

「そんなことないわ。朝食とお弁当づくりは何年もやってることだから、慣れてるし。――それに、そこまで凝った朝食にしているつもりはないのだけれど」

「そうなの?」

 玲香は小さく頷く。

「ご飯は前日の寝る前に研いでおいてタイマー予約をしてあるし、納豆は買ってきた物を出しただけよ。味噌汁はだしの素を使ってるし、具も今日は豆腐しか入れていないからほとんど手間はかかっていないわね。ハムエッグは――確かにこれは作ったけれどそんなに時間も手間も掛かる料理ではないわ」

 玲香曰く、料理は得意だがそれはあくまで家庭料理の範疇であり、こだわりがあるわけではないという。毎日行うことだから手を抜くところはしっかり手を抜いているとのことだ。

 だが、健一からするとどこが手を抜いているのかよくわからない。

「……正直、まったく料理が出来ない僕からすると、それでも十分手間をかけているように見えるけど……」

「それは健一さんが、やったことがないからそう思うのよ。こういうのは慣れだから」

「そういうものなのかなぁ」

「そういうものよ」

 玲香は、弁当箱を指さした。

「今日のお弁当なんかは、ほとんど手間をかけていないわよ。見て。おかずは全部冷凍食品だもの」

「え? そうなの」

 玲香の言葉を聞き、弁当箱に注目する。

 今日も二段式の弁当箱で、ひとつはご飯がしっかり詰め込まれていた。

 もう一つの方には、唐揚げが二個に春巻きがひとつにほうれん草のごま和えがあった。

「これ全部冷凍食品なんだ」

 健一は感心したように呟く。

 玲香は頷く。

「唐揚げはレンジでチンしただけだし、春巻きとほうれん草のごま和えなんかは冷凍のまま置いてあるだけよ」

 言われて弁当のおかずを見ると唐揚げは熱を持っているが、残りは凍ったままだった。

「冷凍のままでも大丈夫なんだ」

「そうよ」

 冷凍食品の中には、凍ったまま弁当箱に詰めるだけで昼頃には食べ頃になる、自然解凍タイプのものがあるという。電子レンジを使う必要すら無いのでかなりの時短になるとのことだ。

 冷凍食品について語る玲香はどこか得意げだった。

「もしかして、玲香さん、冷凍食品好きなの?」

「嫌いではないわね。最近の冷凍食品は美味しいもの。お弁当用の冷凍食品は大きさ的にもお弁当にちょうど良いサイズにしてあるし。それに――」

 普段より一段トーンを上げて語り続ける玲香。

 表情はいつもの無表情のままだが、その語り口は楽しそうだった。

 家事全般については以前から家のことは母親に変わってやっていたとのことだが、それを単なる義務感でやるのではなく、その中で自分なりの楽しみを見つけているのだろう。

「少し話しすぎたみたいね。ごめんなさい」

 玲香は我に返ったのか、ほんのわずかだが顔を赤らめた。

「いいよ。僕としてはなかなか興味深かったから。それに、兄妹なんだからそんなこと気にする必要ないんじゃないかな」

 そんな健一を見て、玲香はしばらくこちらを見つめた。

「…………そうね。その通りよね」

 小さく笑みを浮かべる、玲香。

「……………………」

 健一はそんな玲香に思わず見惚れてしまった。

 そして、ポニーテールにピンクのエプロン姿と、一緒に朝食を食べているというシチュエーションから『若奥様』という言葉が頭によぎる。

 だとしたら、そんな彼女と一緒に朝食を食べている自分は何者になるだろうか?

 さすがにそれは胸中でも言葉に出来ず、かぶりを降る。

 ――なにを考えているんだ、僕は。

 自分がそんなことを考えるなんておこがましい。

 健一は気持ちを一新して、玲香に話しかけた。

「僕は外食やコンビニ飯中心だったんで、冷凍食品はあまり買ったことないんだよね」

「そうなの? それはもったいないわ。良いことを教えてあげる――」

「へぇ、そうなんだ」

 と、そんな感じで凄い盛り上がったわけではないが、気まずさをあまり感じることなく、朝食の時間を過ごしたのだった。

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