第八話 二人きりの生活 一日目⑧

 テーブルには空のピザの箱が二個並んでいた。

「ごちそうさま。とても美味しかったわ」

 玲香は満足そうにしていた。

 それはそうだろう。健一は肩をすくめて、口を開いた。

「……本当によく食べたね。……結局僕より食べてたよね。苦しくなっていたりしないの?」

 Lサイズ二枚ということでかなり量があり食べきれるか不安になったが、何の問題も無かった。

 二種類のピザを思い思いに食べていたので正確な数はわからないが、間違いなく玲香の方が食べていた。

「大丈夫よ。ちょうどいいぐらいだわ。――今日は昼食後からなにも食べていないし、とてもお腹が空いていたから。でも、私の方が食べ過ぎてしまったのは悪かったわ。ごめんなさい」

「いやいや、僕は十分満足しているから」

「そうなの?」

「そうだよ」

「わかったわ」

 玲香は納得したのか、そういうと湯飲み茶碗を持ち、緑茶を飲んでいた。

 その湯飲み茶碗はどこで手に入れたのか、寿司屋でよく見かける全面に魚の名前が書いてあった。

「その湯飲み、お気に入りだったりするの?」

「……これ? たぶん、母さんがどこかでもらってきた物だと思うけど。結構量も入れられるし、使い勝手はいいわね」

「実用性重視なんだ……」

「そうよ。毎日使う物なのだから」

「それはそうだね」

「そう思うなら何故訊いてきたの?」

「いや、女子なら可愛いデザインの食器とかが好きかなぁと思って」

「なるほど。偏見ね。――そういう決めつけは良くないわ」

 普段よりも一段低い声音で、玲香。

「ご、ごめん」

「冗談よ」

「……冗談に聞こえないんだけど……」

 玲香から今日だけで何度か冗談を言われているが、毎回真顔で言うからか、冗談に聞こえないのだ。


 食後のお茶を飲み終えた頃。

 ――さて、どうしたものか。

 健一どのように話を切り出すべきか考えていた。

 だが、どう考えてもさりげなく言うことは出来なかった。

「あ、あの……話があるんだけど……」

「なにかしら?」

「これを訊くべきかどうか迷ったんだけど、一応訊いておいたほうがいいかな、と」

「どういうこと?」

「あのー、お風呂のことなんだけど……神楽坂さん的には、気にしたりすることある?」

「……どういう意味かしら?」

「いや、その、僕より先に入りたいとか、入りたくないとか……」

「何が言いたいのかよくわからないわね。そんな事を決める必要あるかしら? 日によって変わることでしょ」

「そうなんだけど……」

 核心に触れずに遠回しに言っているからか、玲香は困惑しているようだ。

 仕方ない、こんなこと口にするのも恥ずかしいが言うしかない。

「……例えばだけど…………僕が先にお風呂に入ったとして、その後、僕が入った湯船には入りたくないとかそういうのないかなーと……」

 正直、こんなこと訊きたくはなかった。だが、訊かずに玲香を嫌な思いをさせてたらと思うと、訊かざるを得なかった。

「…………」

 玲香はなにも言わない。

 言わないが、無言の圧力は感じた。

 相変わらず真顔で、感情は読みづらいが、それだけはわかった。

 とりあえず気にしていることをまくし立てるしかない。

「逆に、神楽坂さんが先にお風呂に入った場合、その湯船に僕が入ることを気にしたりしないかな、というのもあったり……」

「…………」

 心なしかさらに圧力がさらに増したような……

「やっぱり、これまで他人だった男女が同居するわけだから、予め訊いておかないと、トラブルの元かなぁと思ったんで……」

「…………」

 まだなにも言ってくれない。

「もしそうなら、今後は湯船には入らずシャワーで済ませてもいいと思ってるんだ――」

「そんなこと言わないでもらえる、健一さん」

 玲香は健一の言葉をぴしゃりと遮った。

「え?」

 思わず声が漏れる。

 表情はほとんど変わらないが、玲香が怒っていることは感じられた。

「気を遣ってくれるのはありがたいと思うけど、それは気にしすぎ。そんなこと私が気にすると思われていたことが心外だわ」

「でも……」

「それとも健一さん、あなた湯船に入る前に身体を洗ったりしないの?」

「……もちろん、するけど……」

「なら、問題ないじゃない。――これから『家族』になろうとしているのにそんなことを気にして暮らしたくないわ」

「ごめん……神楽坂さんを怒らせるつもりはなかったんだけど……」

 これは全面的にこちらが悪いとしか言うほかない。

「ダメよ。許さないわ」

 まさかの謝罪拒否。

「そんな」

 健一が戸惑っていると、玲香はこちらを見て、

「許して欲しければ――私の事を、名前で呼ぶこと」

 まさか、ここでその話が来るとは。

 予想外のカウンター攻撃に健一は戸惑いを隠せない。

「いや、それは…………朝は、この一週間で呼んでくれればいいって……」

「それはその時の話ね。もう有効ではないわ。――もちろん、呼び捨てで呼んでくれても構わないわ」

「…………わかった……」

 健一は観念した。

 そして、絞り出すような声で言った。

「…………その、れ、玲香……さん」

 さすがに呼び捨てをする度胸はなかった。

 それでも、玲香の表情は満足しているように見えた。

「なにかしら、健一さん」

 当然ながら、呼んだだけでなにか話題があるわけではない。

 無言で見つめ合う二人。

 なにかを話さなくては、と思ったその時、

『お風呂が沸きました』

 風呂が沸いたことを示す音声が流れた。

 食事をした直後に、お風呂のお湯を張るスイッチを押しておいたからだ。

 助かった。

「じゃ、じゃあ、お風呂どうぞ」

「……そうね。お先に入らせてもらうわ」

「じゃあ、僕は部屋に戻っているから」

「ええ、出たら教えるわ」

 玲香はテーブルの上を片付けると、浴室に向かった。

 健一は額に手を当て、大きくため息をした。

 ――やらかした……。でも、確認しないで嫌がられたりしたらそれはそれで凹むし。どうすれば良かったんだろう。

 ほとんど赤の他人同然であり、さりとてクラスメイトなのでまったく知らないわけでもない。

 父が再婚して、義理の兄妹ができると決まった時、健一は、適度な距離感でやっていければ、と思っていた。

 義理の兄妹と言っても、既にお互い高校生な訳で、無理に兄妹らしいことはしなくても良いと思っていた。

 だが、玲香の方はそうではなかった。

 家族になろうとしてくれていた。

 決して、人と関わるのが得意そうに見えないのに、関わろうと努力をしていた。

 今日の玲香の言動を思い返せば、それがよくわかった。

 だからこそ、健一の発言に怒ったのだろう。

 反省しなくては。

 陰キャで女性に慣れていない自分ではあるが、玲香と家族になれるように頑張ろう、と思った。


 ちなみに、玲香の後にお風呂に入ったわけだが――結局湯船には入れず、シャワーを浴びるのみだった。

 ――いや、だって。無理だよ。今日の所は勘弁。

 結局の所、健一自身が玲香のことを過剰に意識し過ぎていただけなのかも知れない。

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