第六話 二人きりの生活 一日目⑥

 健一の家は二階建ての一軒家だった。

 健一が生まれた頃に、建てられたものだ。

 当時は、三人暮らしだったわけだが、さらに家族が増えることを想定し部屋数には余裕を持たせていた。

 その後、色々あって父親との二人暮らしになり、使われない部屋がむしろ増えてしまった。

 それからは、リビングやそれぞれの自室、風呂にトイレなど普段使われる部屋については、最低限の掃除はしていたが、使われていない部屋についてはほぼ放置。半分物置のような使い方をしていた。

 年末の大掃除の時にはある程度掃除をやってはいたが、正直雑だったことは間違いない。

 だから、綺麗好きであろう玲香が我慢できなくなるのも無理もなかった。

 とにかく、玲香に納得してもらえるように頑張ろう。


「まあ、いいでしょう」

 必死に掃除をした健一の自室の様子を見て、玲香はOKを出した。

 健一は、いつもと違う玲香を見て不思議な感覚に陥っていた。

 玲香はジャージ姿だった。

 中学時代のジャージとのことで、部屋着として使っているとのことだった。

 長い黒髪は動きやすいように、ゴムで縛り、ポニーテールにしていた。

 いつもの『黒姫様』とも呼ばれる、凜とした佇まいとは違う雰囲気だった。

「……ありがとう……」

 健一はいつもと違う玲香の姿に戸惑いを覚えつつ、了承してくれたことに対して感謝の言葉を述べた。

 玲香チェックを受けること三回。

 ようやく納得してもらえた。

 チェックと言っても重箱の隅をつつくというような厳しいものではなく、言われたら『なるほど』と普通に気づく程度のものだった。

 そのレベルのチェックですら二回NGをもらってしまった。

 自分がやっていた『掃除』が、いかに雑であったかを思い知らされた。

「乱雑になってから掃除をしようとするから、余計に大変になってしまうのよ。常日頃から掃除をしていれば、むしろ楽になると言えるわ」

「返す言葉もない……」

「でも、今回はしっかりできたのだから、今後はそれを継続して欲しいわ」

「了解です」

「私は残りの掃除に行くから」

「ま、待って」

 早速、移動しようとする玲香を呼び止める。

「……僕も手伝うよ。まだ掃除しなくちゃ行けない部屋結構残っているでしょ?」

「確かにそうだけど…………でも……」

 玲香がジト目でこちらを見る。

 健一が掃除の役に立つかどうかを値踏みしているようだ。

 その気持ちはわかる。

 わかるが、さすがにこのまま部屋に引きこもって掃除が終わるのを待つ――なんて事が出来るわけもない。

「本当に迷惑はかけないようにするんでお願い。掃除については、神楽坂さんの言われるままにするから。口出しと絶対にしないし」

 玲香を絶対邪魔をしないように行動をすることをとにかくアピールする。

 玲香は根負けしたのか、大きく息をつくと、

「……わかったわ。じゃあ、よろしく頼むわね」

「はい、喜んで!」

「……本当に迷惑かけないのよね?」

 また、ジト目でにらまれてしまった。

「も、もちろんです」

 ちょっと調子に乗りすぎたか?

 気を引き締めて掃除頑張ろう。


 掃除がすべて終わったのは、それから二時間後だった。

 ――疲れた……

 玲香の指示の元、馬車馬のように働いた健一は疲れ切っていた。

 健一のメインは力仕事だった。

 玲香の明確な指示により、主に物を運んだりしていた。

 そこでわかったことだが、とにかく、玲香は迷わなかった。

 これまでの家事の経験の蓄積から、効率の良い掃除の方法が身についてるので、指示も本当に的確だった。

 正直、最低限の家事は出来ていると思っていたのだが、玲香と比べたら素人同然だった。


 終わった頃には、時刻は二〇時を過ぎていた。

「じゃあ、これから夕食の支度をするわね。――ごめんなさい。予定では一九時に夕食を予定だったのに」

 予定より時間が過ぎたことで玲香から謝られてしまった。

「き、気にしないでよ。むしろ、大変だったのは、僕が日頃の掃除をサボっていたせいだし」

「それはあるわね。今後はしっかりして欲しいわ」

「そ、それはもちろん」

「冗談よ。――今日はとても助かったわ。ありがとう」

「え……う、うん……」

 玲香からお礼の言葉をもらう。

 褒められ慣れていないのでくすぐったい気分になる。

 ただそれだけで浮かれている自分が恥ずかしくなり、気を取り直して玲香に提案した。

「もう、時間も遅いし、神楽坂さんもとても疲れているだろうから、今日の夜はピザでも頼まない?」

「ピザ?」

「そう。結構近くに宅配ピザ屋があるんだよね」

 と、宅配ピザ屋のチラシを玲香に手渡す。

「なんでも好きなのを頼んでよ」

「…………よくわからないわ。宅配ピザとか頼んだことないもの」

「え、そうなの?」

「基本、食事は私がすべて作っていたから。宅配とかは考えたこともなかったわ」

「そうなんだ……でも、ピザが嫌いってわけじゃないんでしょ」

「別に嫌いではないわ。――好きというわけでもないけど。そもそもほとんど食べた記憶が無いかも」

「じゃあ、せっかくだから体験してみようよ」

「でも……無駄遣いではないかしら」

「そんなことないって。父さんたちだって、結構多めにお金くれたじゃん」

 それは本当のことだった。正直、毎日外食でも十分余裕があるレベルだった。

 再婚直後に、二人を置いて旅行に行ってしまうことに多少の罪悪感はあるのだろうな、と思っている。

 だが、玲香は納得してないようで、

「……だからと言って、初日から贅沢するなんて……」

「いやいや、むしろ初日だからこそ豪勢に行ってもいいんじゃないかな」

「……そうね……わかったわ」

 ようやく、玲香が折れてくれた。

 その事に健一はほっとした。

「了解。じゃあ、何頼むか決めてくれる? ネット注文するから」

 スマートフォンを取り出し、玲香に問うと、眉をひそめ

「…………難しいわね。なにを頼めばいいのかわからないわ」

「じゃあ、こっちで適当に決めていい? なにか苦手な物があったら言って」

「特にないわ」

「じゃあ、僕の好きなように頼むね」

「ええ……………………………………と、ちょっと待って」

 チラシを見ていた玲香が声を上げた。

「ん? どうしたの?」

 健一の問いに、玲香はチラシのある部分を指さす。

「チラシに『お持ち帰り半額』とあるのだけれど?」

「ああ、それは直接取りに行ったら半額になるってことだね」

「たったそれだけで半額になるの?」

 玲香は、その事にとても驚いているようだった。

「宅配ピザは、宅配時の人件費が高いみたいだから。直接取りに来てくれるのなら半額でも損はしないみたいだよ」

 健一の説明、玲香は即断した。

「お持ち帰り注文にしましょう」

「え、マジですか?」

結構近く・・・・にあるのよね? そのピザ屋」

 しまった。ピザ屋までの距離を言うんじゃなかった。

 今更嘘はつけない。

「確かに、歩いて一〇分ぐらいだけど……本当に取りに行くの?」

「そうすれば同じ値段でもう一枚食べられるじゃない」

「…………」

 さも当然のように言う玲香に、健一は言葉を失う。

 健一がリアクションをとれずにいると、玲香が続けた。

「心配しないで。私が自分で取りに行ってくるわ。健一さんは注文だけしてくれたらいいから」

「いやいや。こんな時間に神楽坂さん一人行かせるわけにはいかないよ。だったら僕が行くよ」

 健一の提案に玲香は首を振る。

「それはダメよ。これは私のワガママだから。私が行かないと意味が無いわ」

 玲香の固い決意に健一は、諦めたように大きく息をつき、

「……わかった。じゃあ、二人で行くことにしようよ。それならいいでしょ?」

「それじゃ、意味が無いじゃない」

「意味はあるよ。――もし、神楽坂さんに一人で取りに行かせていたら……絶対落ち着かないよ。もしなにかあったりしたらと心配になっちゃうから。だったら一緒に行った方が僕としては気が楽なんだよね」

「たかが一〇分程度の距離なのでしょう? 気にしすぎではなくて?」

「かも知れない。今後絶対に夜一人で出歩くなとか言っているつもりもないし。でも、今は、一人で夜出かけようとしているのを知っているわけで。なら放っておけないよ。だって……僕たちは義理とは言え兄妹なのだから」

 柄にもなく恥ずかしいことを言ってしまった気がした。

 玲香がどんな表情をしているのか見るのが怖くて顔を上げられない。

「…………」

 玲香は何も言わない。

 不安が増幅する。

 とにかく、なんでもいいからまくし立てるしかない。

「それに、ピザ屋までの道は、距離はそれほどでもないけど、結構人気の少ない道を通るんだよね。だから、頼りないとは思うけど、男の僕がいたほうがいいと思うんだ」

 言いながら、意を決して顔を上げ玲香の方を見た。

 玲香と目が合う。

 彼女は、いつもの無表情ではなく、切れ長の目をパチクリとさせていた。

 そして、右手を口に当て、クスリと笑う。

「頼りないなんて思わないわ。では、一緒に行きましょうか、義兄さん」

「だから、『義兄さん』はちょっと……」

 健一は顔を赤らめた。

 玲香はそんな健一を小さく笑みを浮かべながら見ていた。

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