第17話 出勤とともに二つ目の発表をしたかった


そして翌朝、六時半。

微かな呻き声を上げながら体を起こした奏に、俺は小さく声をかけた。



「おはよう、奏」

「…………えっ」



絶句して自身の全身を確認する奏は、女子としての判断は正しい。

だがしかし何故それが昨日に発揮されなかったのか、と思いながら、俺は4時間前に思いを馳せた。



『…………奏。おーきーろ!』

『みづきあったかぁい…………』

『そりゃどーも!』



全身ごとこちらに擦り寄せてくる奏と、俺の理性との戦いに、俺は早々に決着をつけた。

なぜならこの妻————声をかければかけるほど、逆に甘えてくるからである。


ふっと遠い目をした俺を見て何を思ったのか、奏は「ご、ごめんね?」と上目遣いで謝ってくる。

それに睡眠時間30分の俺は、乾いた笑いで返した。



「奏さん。何も憶えていないところ悪いですが、俺は一つ言いたいことがあるんですよ」

「…………な、なんでしょう」



ぐっと眉間を抑えて言う俺に、ごくりと唾を飲んで奏が返事を待つ。

それに俺は口を開こうとして————その後、何を言えばいいのか分からなくて結局閉じた。


(『男と二人きりの状況は危ないんだぞ』は…………避けられてもやだし…………でもちょっと直接言うのは…………)



「お…………!」

「うん」

「俺とお前は! 男と女なんだぞ!」

「? うん」



これがヘタレの精一杯である。

知ってるけど、と頷いた奏に何故かこちらがとても恥ずかしくなって顔を覆う。

それを不審そうな目で見てから、奏はサッと顔を青ざめさせた。



「あっ…………会社!! どうしよう、7時に出てもこの時間からじゃ間に合わない…………」

「あー…………それなら間に合うと思うぞ」



しばらく自分の自爆ダメージを喰らいながらも、何とか立ち上がった俺は奏の方へ顔を向ける。

それにクエスチョンマークを更に浮かべた彼女に、俺は「ここ、俺の家じゃん」と声を上げた。



「うん」

「んで、俺は朝ゆっくりしたいから、なるたけ会社から近いとこにしてんの?」

「いや、そりゃ瑞稀の会社は近いかもしれないけど…………!」

「いやー、重要なのはこの続きで」



スマホを取り出し、マップのアプリを開く。

そこからスライドしてある部分を拡大し、俺はそこを指差した。



「で、ここがお前にプロポーズしたとこね。んで、お前はここで働いてると」

「そうだけど」



それがどうしたと言わんばかりの顔をする奏に苦笑いする。

それをまあまあと宥めてから、俺はもう一度軽くスライドした。



「俺ずっとプロポーズの日はぐるぐるしてたからわかんなかったんだけどさ」

「瑞稀昔から方向音痴だもんね」

「やかましい。…………で、ここ。————俺の会社、お前の会社の隣にあるんだよね」






◇◇◇◇◇






「やー、瑞稀の家最高!!」

「そこは俺が最高じゃないんですね」



にこにこと隣を歩く奏にツッコミを入れる。

まさかここまでゆっくり歩けるとは思わなかった、ともう一度機嫌がよさそうにそう言った奏を、俺は横目でちらりと見た。


まあ、この笑顔が見られるなら何でもしたいと思ってしまうのが男のサガというもので。

結婚してちゃんとした同居にするときはきちんと俺が稼いだお金でもっといい思いをしてあげたい、という自分がなかなか単純だとは思いながらも、そんな自分が何となく嫌いになれなかった。



「てか瑞稀、商社とは聞いてたけどここまで大きいとは思わなかった.............」

「別にそこまで変わんないだろ」

「いえいえ、大手商社マンとは天と地ほどの差ですよ」

「バカ言え」



軽く頭を小突くと、いたずらっぽい笑みとともに同じく軽い仕返しが返ってくる。

背中に当たったカバンの感触に、少しオーバーに悲鳴を上げると、「嘘つけ、そんなに痛くないでしょ」という笑い声が隣から聞こえてきた。



(...............ああ、幸せだ)



夜遅くまで友達と遊んで、朝には好きな人とゆっくり歩きながら、こうやって笑いあって出勤できる。

まあこの記憶は多少いい風に脚色されているのだが、当の本人は気づいていない。



「ところで、二つ目の発表をしたいんだけど」

「? なんの?」

「結婚『前』にすべきことですよ。ええ、結婚『前』にね」

「すみません」



ははっと俺が声をあげて笑うと、奏は「笑えないからね」と微かに頬を膨らませてもう一度カバンを俺の背中にあてた。


この幸せがずっと続いたらいいな、と思う。

ただ好きな人が隣にいて、特にトラブルや事件が起こることなく、平和に静かに過ごしていく。

そこにドラマなんてなくていい。平凡な日常でいいのだ。


そう思いながらぼんやりと金木犀の香りがする道を歩いていくと、不意に自分たちの会社の付近が騒がしいことに気づく。


――――そして幸せに浮かれている中で、彼にはすっかり忘れていたことがあった。

天都瑞稀という人間が「幸せだ」と感じるときほど、彼は絶望のどん底に突き落とされるのだと。


例えば、運動会で一位をとった時。

ゴールを通り抜けて喜んだ瞬間、盛大にこけて泥や傷だらけになった。

例えば、第一志望の高校に受かった時。

合格発表の帰り道、車によって跳ねられた水しぶきにより、今年買ったばかりのコートもろともびしょ濡れになった。



「―—――待て...............待て待て待て待て」



会社の前にいる人だかりが自分の顔見知り...............というか同じ会社で働く同僚たちだと気づき、俺は一気に青ざめる。

そして隣の奏も「あれ、知り合いばっか...............?」と首を傾げているのを見て、俺は更に血の気が引いた。


俺と奏のビルは、隣同士だ。

そしてそのビルの間を繋ぐようにあるのは一枚の布―—――横断幕である。



「「「天都、」」」

「「「日野、」」」

「「「「「「結婚おめでとうー!!」」」」」」



達筆に書かれた文字と同じことを言った同僚たちは、朝八時半という朝早くから勢いよくクラッカーを鳴らす。

ははは、と本日二度目の乾いた笑いを零した俺に、おそらくクラッカーの中身であっただろう金色の紙片が頭についた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



いつもお読みいただきありがとうございます。


あの、すごい今更なんですけど。

あらすじ、これでいいんですか?


二行どころかあらすじに関しては一行なんですけど、本当に大丈夫ですか??




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