第16話 甘えたがりには要注意



「................恭也。お前、自分が何したかわかってるか?」

「大変申し訳ございません、後日天都ご夫妻をお食事に招待したいと思います」

「カニな。あとお前のおごり」

「もちろんです」



もはやこの軽口さえも気を保つ為であることを自覚しながらも抗う俺は、悪い人なのだろうか。

ヒック、と小さくしゃっくりをした奏は、顔を真っ赤にしたまま机の上に突っ伏した。



「みづき。ごはん」

「犬かな俺は」



奏に餌付けされているような夢の内容に不信感が募りながらも、俺は突然眠り始めた奏に何もできずにいる。

それはこちらに奏を連れてきた元凶である日和も、そして酒が苦手らしい奏を酔わせたウォッカを飲ませた元凶である恭也も同じだった。…………やはりこの夫婦、余計な事をしない。


しかし、奏が酔ったら寝るタイプなら好都合だ。

寝ている人に触るのは抵抗があるが、まだみんなが見ているうちに彼女をベッドに運んでしまおう。


そう思いついて、俺が立ち上がろうとした時だった。



「みづきぃ................」

「!?」



彼女が、俺の右肩にもたれかかってきたのである。

思わず痴漢対策で右腕ごと挙げると、彼女はそれを知らずにごろごろと喉を鳴らした。



「えっ................これ俺捕まったりしない?」

「これが片思いを12年拗らせた者の末路か................」

「やかましい」



おそらくここ最近はめっきり冷えてきたので暖を求めているのだろうか。

どこか体温を探す仕草の奏にバクバクとうるさい心拍数をたたき出す心臓に手を当てながら、俺はそっと奏を持ち上げようとして................部屋に誰もいないことに気づいた。


――――そして、手元のスマホには、グループの新着のメールが2件。



恭也『あとは二人でごゆっくりー! 飯は今度おごる!』

日和『奏に手を出さない程度に楽しんでね!』

瑞稀『手を出されたくないなら置いてくな!!』

恭也・日和『『だってそっちのほうがおもしろそうだったから』』

瑞稀『なんだただのクソ野郎か』






◇◇◇◇◇







さて、俺はどうするべきなのだろうか。

すやすやと穏やかな寝顔にデコピンをかましたくなる気持ちを抑え、俺はふうっと息を吐く。


先程まで恭弥たちがいたから奏を運ぼうとお前だが、俺しかいない今、変な誤解を生ずる種は撒きたくない。


だがしかし、風邪を引かせると言うのも嫌なもので。

まあ、端的に言えば今の状況は。



「詰んでるな」



黄金比かと思うほどに整っている顔面は、目を閉じていても変わらないらしい。

むしろ寝ている分穏やかさが相まって少し幼く見える奏の寝顔を俺はじっと見つめた。



「…………少しだけ」



ぐに、と頬を押してみる。

うりうりと更に深く押すが、彼女はすぴぃと間抜けな息を漏らしただけだった。


少し楽しくなって、調子に乗って伸ばしたりしてみる。

そしてそれが自分が思っていたものよりもはるかに伸びたのを見て感動していると、不意に奏が唸り声を上げた。



「…………っ」

「みづきー」



息を詰めて「気づかないでくれ」と願っていたけれど、どうやら神様は俺が嫌いらしい。

どこか気だるげに目をゆっくりと開けた奏は、俺の顔を見てへにゃりと笑った。



「かっっっっわ」

「みづき」

「はい何でしょう」



言いかけた言葉を急いで塞ぎ、けれど押さえきれずに悶絶する。

胸を押さえてごろごろと寝転がった俺を見ながら、奏は「ねえ」と言って口を開いた。



「なでて」

「…………なんて?」

「なーでーてー」

「アッハイ」



悲しいかな、夫というものはいつだって妻には逆らえないものである。

やや命令の意図が理解できずにとりあえず返事だけすると、奏は不意に俺の手を取った。



「えっ」

「みづき、なんか手冷たい。あとなんか湿ってる」



緊張の産物である。

逆に好きな人と二人きりで部屋にいて緊張しない野郎がいるだろうか、とひっそりと言い訳をしていると、奏は繋いだそれを不意に上に持ち上げた。


ぽす、と何かの上に置かれた感触がする。



「なでて」

「仰せのままに」



ようやく命令が『撫でる』ことだと気づいた俺は、ややぎこちない動きで奏の頭を撫でていく。

それに目を細めた奏を見ながら、俺はぎゅっと拳を握りしめた。



(…………俺は、一体何を試されているのだろう)



理性だろうか。この好きな人と二人きりというシチュエーションで甘い雰囲気を出しといて手を出したら殺されるとかいう究極のハニートラップであろうか。幸せですありがとうございます。

とはいえ、この状況なら手を出しても仕方がないと思うのだが…………思うのだが…………



「…………うん、無理だ」



天都瑞稀、30歳。

30歳になってなおヘタレと称される彼には、好きな人に手を出す勇気などないのである。



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