シリコンSOS-5
……しばらく後。すっかり目が覚めた『奥様』は朝食にありついていた。
「やっぱり朝は米と味噌汁だわねえ!」
女は長椅子の上で胡座をかき、銀シャリの握り飯をかじって貝の味噌汁を美味そうにすする。
そんな彼女にシキは呆れた面持ちで言葉を掛けた。
「いつも仰っていますが、リサ奥様。お一人で外出される時は誰かにひと声掛けて下さいな。心配していたんですよ、皆んな」
「ごめんなさいねえ、エニアとユニアには伝えておくつもりだったんだけども。時間がなくてさ、この通り面目ない!」
サエグス家夫人、サエグス・リサは拝むように両手を合わせて詫びた。
「この間、シキちゃんがサエグスって名前の家に電話を掛けた時、まさかとは思ったけど。世の中ってホント狭いのね。リサん所で奉公してるとは」
部屋の隅の安楽椅子に腰掛けていたマダムが苦笑を交えて言う。
「こちらも同じ気持ちです。まさか奥様とマダムがお知り合いだったなんて」
「腐れ縁も良い所ね。腰をやった産婆の代わりに成り行きでこの子を取り上げる羽目になったし。その縁でポリどもが匙を投げる悪ガキに育つのを近くで見て来たし。そうそう、
「ちょいとお。頼まれもしないのに昔話をするなんて、マダムも歳取ったんじゃあない?」
リサが味噌汁を下品に啜りながら形の良い目を細めて言う。
「良いじゃあないの。殴られた方が岡惚れしたお陰で、嫁ぎ先が見つかったばかりか、いまや大金持ちなんだから」
目を細めたニヤニヤ笑うマダム・ヒバリ。
(……殴った陸軍士官って、まさか旦那様?)
シキは気まずそうに握り飯をかじるリサに驚愕の視線を向ける。
そんな中、マダム・ヒバリはこれまでの雰囲気とは打って変わり、真剣な面持ちで切り出した。
「ところでリサ。お前さん、いつの間に酒弱くなったの? 周りを巻き込んで騒いだ割に大して飲んでいなかったじゃあないか」
マダムは紙巻タバコを口に咥えてマッチの火を近づけた。いつの間にかリサも食事の手を止めて、マダムに冷ややかな視線を向けている。
その横顔にシキはよく似た顔の娘、マキナを重ね合わせた。
マダムは汚れた天井に向かってタバコの紫炎を吐いた。
「酔っ払いのフリして何を警戒している? それにさっきも寝ぼけたフリしといて、実際にはとっくに起きていたみたいだし」
マダムの発言にシキはあぜんとし、その後で鼻をひくつかせて部屋の臭いをかぐ。
「シキちゃんも酔っ払いがイビキかいて酒臭いニオイ振り撒いてたと思ったでしょう。残念、リサったら部屋中にアルコールをぶち撒けて、それっぽく見せかけたのさね。この部屋のアルコール臭さはケミカルなヤツだわ」
「……前から思ったけどさ、マダム。アンタ店の経営より探偵の方が天職だよ」
リサは強気な崩さずに軽口を叩いたが、直ぐに肩をすくめて小さくため息をついた。
「はあ。いつまで経っても敵わねえ。ご察しの通りだ、マダム。アタシとした事がドジ踏んでさ。面倒な事になってんのよ、マジで」
食べかけの器を目の前の卓に置くと、心底面倒くさそうに後ろ首をかく。そしてシキに向き直って困ったような苦笑いを作った。
……
「……最近まで南ゲルマにいたの、アタシ。ヤタノ財団の仕事で上の子達とね」
「ゲルマって名前を聞いて思い出したよ。ようやく戦争が終わったというのに、世界中がまた真っ二つに分かれて互いに睨みを利かせ合っているんだって?」
マダムが二本目のタバコを手に取りながら口を挟む。
「そう。北と南、相反する主義主張を持つ二つの陣営にね。巷じゃあ『
「とても大きな工業地帯なんですよね。授業で習ったような気がします」
と、今度はシキが言葉を発する。
「さすがシキちゃん、正解。そのブルールは戦争で滅茶苦茶になった挙句、戦後も賠償のゴタゴタで復興さえままならなかった。近ごろ一帯の産業を管理する国際機関が出来て、アタシらヤタノ財団はその手伝いを請け負う事になったんだけど……」
どうやらここからが本題らしい。シキは居住いを正した。
「財団の会計士がね、偶然見つけちゃったの。これまで投入された復興支援費の殆どが存在しない幽霊会社に流れている形跡を。それで金を流れを追ってみたらリーメス騎士団なんてケッタイな連中の財布に納まっているのが分かった」
「リーメス騎士団?」
「騎士サマの子孫を名乗る極端な思想を持った秘密結社。エウロパ大陸は元より、本家のあるゲルマ国内でも、彼らの名前する口にするのは憚られる人気者たち」
皮肉のこもった物言いにシキは眉を八の字に歪めた。
「さすが世界を股に掛けて飛び回るご夫人だこと。重い話になってきた」
マダム・ヒバリも冷ややかな皮肉で応じた後、タバコの紫炎を静かに吐いた。
リサも「お陰で年じゅう肩凝りに困ってる」と軽口で打ち返す。
「と、まあ……そんなワケで連中の小遣い稼ぎを、キッカケが偶然とはいえ暴いてしまったの。立場上無視もできないから、一応は国際機関に報告した」
「それでどうなったんです?」
「びっくりするくらいの早さで幽霊会社には警察の手が入って、騎士団の大幹部や資金洗浄に協力した南ゲルマの政府高官たちまで、容赦なく逮捕されていったわ。ここまで来れば、騎士団がどうしてアタシをつけ狙っているか見当つくでしょう」
「逆恨み」マダムが冷ややかな笑みを作る。
「いい迷惑です。真面目に働いて真面目にお金を稼いでいれば良かったのに」
シキが曇り顔で感想を口にすると、大人達は互いに曖昧な苦笑を見合わせた。
「とんでもない厄介ごとに巻き込まれたのは分かったよ。それで、これからどうするんだい、リサ。警察には相談した?」
マダムの問いにリサはまた顔を曇らせた。
「したんだけどさ。いやあ……実は空港から逃げ出したのも、警護に来たっていう刑事達の様子が変というか、違和感があったというか、怪しかったというかで」
「怪しいってどんな?」
シキの問いにリサは心底困ったように首を捻る。
「それが言葉にし辛くて」
「疑心暗鬼になり過ぎて、周り全部怪しく見えたってオチじゃあないの?」
呆れ半分に言うマダム。シキも内心、ここは大人しく治安警察に保護を求めた方が良いのでは、と考えた。
そんな時、オトギ先生がおそるおそるバラックを覗き込んできた。
「あのぅ、マダム。少し相談ごとが……」
……
……ところ変わってD坂の事務所。書斎で雑務におわれていたサエグス三姉妹は、束の間の休息をとっていた。そこで双子の姉達は今回帰国する羽目になった、リーメス騎士団とのいざこざについて妹に打ち明けた。
「じゃあママが一人で居なくなったのは」
「何かを察知して逃げた」「あの人のカンは高精度」「野生の獣よりずっと良い」
「そんな……」マキナの彫り深い顔から血の気が引く。
「とんでもない一大事に巻き込まれているんだったら、どうしてもっと早くに言ってくれなかったんだ、姉さん達!」
「言ってどうする」「マキナがママの盾になるというのか」
姉達は顔を見合わせる。
「「運動音痴のマキナが?」」
「それはいま関係ないだろう!?」
などとマキナが怒鳴ると、エニアとユニアは余裕というより意地の悪い笑みを浮かべだして、マキナに飛びかかった。
「は、離れ……」
もがくマキナであったが、エニアとユニアは見た目に反して力強く、マキナは易々と絨毯の押し倒されてしまう。
「わかったか」「参ったか」
「暑苦しいからやめ……というか二人とも、髪の毛を嗅ぐな! 耳の後ろを吸うな!」
「マキナを吸うと」「体に良い」
「ンな訳あるかあ!」
などと騒いでいると、書斎の扉を叩く音が聞こえてきた。
「お邪魔致しますよ、お嬢様」
来訪者は執事のフルミだった。サエグス邸の外に居ても、相変わらず外出先でも洋服に半纏という番頭じみた出立ちである。
「呼び鈴を鳴らしても反応がなかったので、失礼ながら勝手に入らせて頂き……」
フルミは床の上でぴったりと体を重ね合わせている三姉妹を見るや、即時回れ右。
「お楽しみのところ失礼しました」
「助けろおぉぉっ!」
マキナの必死の呼びかけに、フルミはやれやれと億劫そうに双子たちを引き剥がした。
「朝早くからお盛んなのは結構でございますがね。何事にも時と場所、それにムードというものがですね……」
「いまは何も言わんでくれ」
解放されたマキナは、真っ赤な顔に浮いた汗をハンケチで拭い、それからホクホク顔の姉達を睨んだ。
今の姉達に何か言おうものなら、第二戦が始まるのは明白。堪えてフルミに水を向ける。
「で、何の用?」
フルミは瓜顔に困ったような表情を浮かべる。そして訝しむマキナに己の閉ざした口を指を差した。主人の言葉を正直に聞き入れて沈黙を貫いているのだ。
「子どもか、君は!?」
「申し訳ございません……ご報告がございまして」
執事は持参した肩掛けカバンを開き、中から厚い冊子を取り出した。フルミは応接テーブルの上で冊子を開いて説明を始める。
「護摩の工場地帯を襲った人形重機ですが、その構成素材がわかったのです」
「昨日の今日でか?」驚きのあまり目を丸くするマキナに、フルミは「昨日の今日で」と、自慢げに答えた。
「ゴウライオーの体に付着していた塗料を解析したところ、シリコンによく似た別物である事が分かりました」
「別物? そんなものが?」
顎に手を当てて唸るマキナ。
「もしやと思って陸軍の資料をあさってみたらドンピシャで御座いましたよ、ええ。ゲルマの化学メーカーが戦時中にシリコンとよく似た性質を持つ素材を試作していました」
フルミは結晶構造の図柄や化学式などが載った頁を指差す。三姉妹も身を乗り出して覗き込んだ。
『ミルヒーX』
それが素材の名前であるらしい。
「どうして軍隊がコイツの資料を?」
顔を上げて尋ねるマキナ。
「当時、ゲルマ軍がこの素材をもとに人形重機の試作開発を進めていると情報提供がありましてな。色々と応用できるかもとゲルマから潜水艦を使い、マニュアルやら見本やらを入手していたようでして、はい」
フルミは三姉妹を順に見回しながら説明を続ける。
「しかし蓋を開けてみると、国内での量産は実質不可能と判明して計画はお蔵入り。肝心のゲルマでも、ミルヒーXの量産が始まりましたが空襲で焼失。制作していた試作機も同様に喪失しています」
「幻の素材に幻の試作機。ふむん、何だか他人事には思えないね」
冗談めかしてマキナが呟く。ゴウライオーも言ってしまえば、戦争の影に消えた幻の存在だった。
「ミルヒーXが災難に見舞われている間、世間ではより良質なシリコンの量産体制が整い、戦争が終わった今では日の目を見る事なく……」
「やはり歴史の影に消えた、と」
「左様に御座います」
「「ミルヒーX」」
ここで、ずっと黙っていたエニアとユニアが互いの顔を見合わせだした。
「どうしたんだい、姉さんたち?」
訝しむマキナに姉達は言う。
「その素材」「知ってる」
「な、何ですと!?」瞠目するフルミ。
姉達はずいっとマキナに顔を近づけた。
「マキナ」「その人形重機のこと」「教えて」
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