シリコンSOS-4
「おいっす、マダム! 元気してた!?」
丸目のサングラスを掛けた女がビール瓶片手に暖簾を潜ってきた。
飲み始めたばかりのニワサメが驚き咽せる中、女は瓶ビールをラッパ飲みしながら、どかっと粗末な木椅子に尻を置く。
ニワサメは咳き込みながらも女を見た。
だいぶ歳上のようだが、オリーブ色の肌は歳不相応に瑞々しく、肩まで伸ばした褐色の髪にも艶がある。クリーム色のシャツと黒いロングスカートは飾り気のない落ち着いたデザインだが、知る者が見れば目を引くであろう上等品だった。
「リサ!? いつ日本に戻ってきたの?」
マダムが上機嫌に尋ねる。
「ついさっき帰ってきたばかり。ああ、そうそう。向こうで喧嘩してた野郎二人、ぶちのめしといたから。後で拾っといて」
喧しい女は、袖を捲った白シャツの胸ポケットに、外したサングラスを引っ掛ける。その横顔を見たニワサメは密かに驚いた。
ほっそりした小顔から彫りの深い目鼻立ち。そして何より、口元に浮かべる大胆不敵な微笑……。
(似ているどころのハナシじゃあ無いぞ!?)
知り合いの傍若無人な男装女、サエグス・マキナにそっくりなのである。
「おう兄ちゃん。若いのに良いモノを飲んでるじゃあないのさ。マダム、アタシにも同じのをくれ」
謎の女はスラリと細く長い脚を組んで注文する。
「相変わらず太っ腹なのは良いけども、先に水でも飲んだら?」
「チェイサーならとっくに入れてらぁ」などと持ち込んだ酒瓶……空になりかけているビール瓶を揺らしてみせる。
そして呆気に取られるニワサメに対して、知り合いによく似た不敵な笑みを向けてきた。
「ここで会ったのも何かの縁だ。宜しくな」
……
同時刻。皇都都内某所。
「逃げられただと?」
薄暗闇の中から低く重い声が響いて来た。
「申し訳ございません、中佐殿。空港内で拘束するつもり手筈だったのですが、取り逃してしまいました」
男は声を震わせながら報告する。剣の絵が描かれた緑色の覆面で顔を包み隠し、黒緑色の戦闘用野戦服を着ていた。そんな彼の周りには同じく覆面と野戦服姿で、身を包んだ者たちが、彫像のようにじっと立っていた。
「追跡は?」
「はっ。目下継続中であります!」
「それで収穫は?」
「あ、ありません……」
「つまりは失敗か、伍長」
闇の中で落胆のため息が漏れるや、報告をしていた伍長がビクリと肩を震わせた。
「も、申し訳ございません! 次こそは必ずや挽回を……」
「そのような発言は求めていない」
闇の中で影が動く。椅子から立ち上がったのだ。そして闇の中から姿を現して伍長へと近づく。
中佐と呼ばれたこの男もまた、覆面を被っていた。しかし他の者たちとは違い、覆面の絵は赤い大盾で、戦闘服ではなく黒い将校服を着ていた。
「忘れたか。戦場では一度の失敗が命取りとなるとな……今までご苦労であった」
ポン。伍長の震える肩に、中佐の白手袋を嵌めた手が置かれる。
「この者を解任せよ」
中佐が鋭く言うや、周囲を囲んでいた覆面兵士たちが一斉に動き出して伍長を両脇から押さえ込んだ。
「嫌だ……嫌だ、嫌だあぁっ!」
泣き叫ぶ伍長が部屋から連れ出されていく様を見届けた中佐は、頭上で指を鳴らす。
すると天井の照明が一気に灯り、広々とした大広間の全容が露わになった。
彼の目の前には、100人はくだらないであろう、野戦服の覆面兵士達が整列していた。
「諸君らもいま一度気を引き締めろ。この作戦には、我がリーメス騎士団の未来が掛かっているのだ。騎士団に栄光あれ」
「騎士団に栄光あれ!」
「騎士の誇りよ、永遠なれ!」
中佐のひと声で兵士たちが一斉に拳を掲げて鬨の声をあげ始める。その様子を上階の小部屋から、白けた顔で見下ろす男がいた。
三揃いの背広に包まれた体は痩せぎすの長身で、手脚も枝のように細かった。
銀色の髪はオールバックにしており、口周りと顎下には同じく銀の髭を生やしている。
身なりは上品に整えているようだが、青い瞳は野生味溢れるギラついた光を宿し、面長の顔も凶悪な雰囲気をまとっていた。
「ご不満ですか、ドクター・バイス?」
隣に控えていた覆面兵士が尋ねると、背広の男……ドクター・バイスは、ふんと鼻を鳴らした。
「これ以上の屈辱があるかってんだ。アメリクス人のオレ様が、糞ゲルマ人どもと手を組むだなんて……」
「それに関してはどうかご容赦を。戦争は終わったのですから。『一応』戦勝国の人間として、寛容な心を持って頂きたいですね」
敵意を向けられてもサラリと受け流す覆面兵士。
「未だに軍隊ごっこしている連中がそれを言うかい」
「これでも少しは風通しの良い組織になったのです。古くから在籍していた重鎮たちが大勢引退せざるを得ない状況になりましてね。時代の流れというヤツです」
「けっ」
ドクター・バイスは唾棄するような顔で覆面兵士をチラリと見やった。
リーメス騎士団は中世の頃からエウロパ諸国で活動してきた秘密結社だ。特に本部のあるゲルマでは、政治経済の奥深くにまで入り込んでおり、先の大戦ではゲルマが周辺国への軍事侵攻に踏み込むキッカケを作った……などという噂まで囁かれている。
海を隔てたアメリクス大陸出身のバイスも、これまでに何度も騎士団の『活躍』は何度も耳にしてきた。
(そんな連中が、わざわざ極東のアキヅくんだりまで出張って来るとはな)
バイスは覆面兵士が淹れたコーヒーを不機嫌に啜った。
「コーヒー、お気に召しませんでしたか?」
小首を傾げて尋ねる。艶があって瑞々しい、若者特有の声色であった。
「文句の付け用が見つからなくて心底ムカついているぜ。なあ、もう良いだろう、オレ様の仕事は終わったんだ。そろそろ残りの報酬を払ってくれ」
バイスは階下で盛り上がる覆面兵士たちに侮蔑の視線を送る。
「もちろんです。ご指定の口座に振り込む手筈を進めています。ですがその前にあと一つだけ、貴方にはもっと大事なお仕事を頼みたいのです。勿論、追加の報酬をお約束します」
などと覆面兵士は言う。
「内容を聞けばきっと気に入って下さる」
「勝手に決めつけるんじゃあねえ。まさか……そのサエグス・リサだっけ。その女を攫うのに協力しろ、だなんて言うんじゃねえよな?」
「まさか。彼女は大物、身柄拘束は我々騎士団が責任をもって執り行います」
「そうかい、そうかい。んで、何者なんだその女?」
覆面兵士はしばし間を置いた後、口を開く。
「フラウ・サエグスはヤタノ財団の理事長です。名前くらいはご存知でしょう、世界中の名だたる工業系企業によって運営される国際協議機関……要は世界規模の大袈裟な寄合、といった所でしょうか」
「名前くらいはな。まさか、その財団の頭がアキヅ人の女ってか。笑えねぇ冗談だぜ」
バイスは胡乱な目つきで覆面兵士を見返す。
「その大物を連れ去って、テメエらは何を企んでやがる。身代金誘拐なら、もっと手頃なのがゴマンといるのに」
バイスは質問した後で内心舌打ちをした。決して深入りしてはならないのが、犯罪でメシを食っていく上での鉄則だ。
それが、かつては敵国だったゲルマ人の秘密結社であれば、尚更……。
覆面兵士が「気になりますか?」とまた小首を傾げてきた。バイスは首を左右に振って否定した後、癪に障るくらい美味いコーヒーをすすった。
……
翌日。
「お嬢さん。ホントにここで降りるのか?」
タクシーの運転手が躊躇いがちに言う。乗客は知らないだろうが、彼はいわゆる軍隊帰りの荒くれ者、危険運転で評判の「台風タクシー」であった。
「悪い事は言わねえ。ここで降りるのは止せって。事情があるんだろうけども、たった一つの命、たった一つのカラダなんだから」
そんな彼が、まるで最後の一片だけ残っていた親切心から乗客に忠告する。
「でも……ここ鷹の街の、雨雀ってお店があった所ですよね?」
乗客の少女は、丸く大きな目をよりまん丸にさせて言葉を返してきた。
十代も半ばだというのに背丈が大きく、肌艶も良い。身につけている空色の着物に葡萄茶袴も、手入れが行き届いている風に見えた。
そんな何処ぞの良家の令嬢らしき少女がたどり着いたのが、
……赤線地帯と呼ばれる風俗街であった。
「そ、そうだけどさ。ここが雨雀のあったトコだよぉ。あったんだけども」運転手は坊主頭をかきながら、窓の外を見た。
今でこそ大きな屋台街だが、ここが昔から続く、いかがわしき風俗街である事に変わりはない。そんな場所にうら若き乙女を一人降ろして良いものか……運転手が困惑していると、亀の子のような小型タクシーに、白タキシードの屈強な男が二人、近づいてきた。
運転手はぎょっとした。彼らは雨雀のボーイ兼用心棒。しかも片割れの眼帯をした大男は相撲の元小結で、かつて格上の大関を路上喧嘩で再起不能に追いやったとも噂される危険人物。
運転手が顔を青ざめているのをよそに、もう一人のボーイが後部座席のドアを開けて、丁寧にお辞儀をした。
「お待ちしておりやした、シマ様。マダムがお待ちにございます」
「お出迎え、ありがとうございます」
少女はまるで銀幕映画に出てくる姫君のように、ボーイの差し出した手を取って上品に降車する。
「運転手さんもありがとうございました。では……ご機嫌よう」
「は、はへ?」
間抜けな声をあげる運転手。その直後、運転席側に眼帯の力士くずれが寄って来たのに気づき、より顔色を悪くさせた。
「運ちゃん、ご苦労だったなぁ。手持ちが少なくて申し訳ねぇんだが、こいつでなんか美味いモン食ってくれや」
窮屈そうに身を屈めた力士くずれは、窓から手を突っ込んで、運転手の手に紙幣を握らせた。その金額に運転手は素っ頓狂な悲鳴をあげた。数日どころか半月は遊んで暮らせるほどの大金だったのだ。
……一方、ボーイの案内でシキはマダム・ヒバリが事務所代わりに使っているバラックを訪った。
扉を開けるなり漂ってきたのは、思わず鼻の柱に皺が浮かぶほどの酒の臭い。その原因は窓辺の高級ソファに寝転がり、男顔負けの大きなイビキをかく浴衣の女性にあった。
「お、奥様ぁ……?」
シキが入口の前で戸惑っていると、後ろから声が掛かった。
「急に呼び出して悪かったわね、シキちゃん」
振り向くと雨雀の女支配人、マダム・ヒバリが立っていた。
「ご機嫌よう、マダム。この度は色々と……その、ご迷惑をお掛けしました」
電話口で事情を伝えられていたシキは、申し訳なさそうに顔を曇らせる。
「気にしないで。あの子の世話ならもう慣れっこだから」
などと言っていると、もう一人、真っ青な顔をした女給もやって来た。かつての恩師で、今はヒバリの下で女給をしているオトギである。
「あの、オトギ先生はどうしたんですか?」
シキは青い顔でげんなり佇むオトギに問うた。教師時代から「図書室の幽霊先生」などとあだ名されるくらい悲哀に満ちた顔をしていたのだが、今日は特に悪化していた。
「この間の探偵もどきと一緒に、リサちゃんのからみ酒に巻き込まれてね。ご覧の通り二日酔い」
困ったように肩を竦めるヒバリに、シキは軽い頭痛を覚えた。
(どうしてサエグスの人たちは揃いも揃ってお酒にだらしないのかしら……)
「立ち話もなんだから中に入って頂戴。ヨモツ、酒臭いのはご免だ。窓を開けとくれ」
「うっぷ……はぁい……」
生き返った死者の如きおぼつかない足取りで窓に向かうオトギ。その時ちょうど、シキが『奥様』と呼んだ女が瞼を開けた。
「あらぁ。まだ続きがしたいのん?」
女は窓を開けようとしていたオトギの細い腰なら手を伸ばし、ソファに引っ張り込んだ。
「わ……わあ……っ!?」
「奥様ったら、まだ寝ぼけてる」
シキは赤らめた顔をそっと逸らす中、マダムは黙って腕を組み、寝起きの女の暴走を眺めていた。
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