シリコンSOS-3


 サエグス家の屋敷は皇都郊外、それもまだ再開発の手が入っていない、都内にしては珍しい自然豊かな地域にあった。

 昔からの高級住宅街でもなければ、新興地域でも無い場所に土地を持つ理由。それは勿論、地下に設けたもう一つの領地にあった。


 によると、サエグス家は現当主のサエグス・セイタロウから遡り、時の幕府が開かれる遥か昔から、皇都郊外のこの地を領地としてきたとされる。

 その裏でサエグスの血を継ぐ者達は、世間が激動に次ぐ激動の波に呑まれているというのに、まるで自分たちには関係ないと「地下への開発」に精を出してきたのである。


 その勢いは留まる事を知らず、時の為政者が幾度となく変わる中でもめげずに領域を増やし、とってつけたような法律など便所紙同然と違法行為にまで手を染め、遂にはとてつもない規模の地下基地を皇都の足元に築き上げてきた。


 その情熱の源は何なのか。単に土の地面が好きなのか。それとも皇都の真下に地下帝國でも築き上げ、今さら下剋上でも起こそうというのか……。


(どうしてウチの一族はみんな変人ばかりなんだろう?)

 自らの世間評を脇に置いて心の中でボヤくマキナ。彼女が運転するジャギュア1型は己が先祖達が築き上げた地下帝國の遥か真上にある幹線道路を、滑らかな車体で風を切り、軽快に都内へ向かっていた。

 目指すのは文国ぶんこく町のD坂。古くより続く文教地区の一画に、マキナは輸入雑貨商の事務所兼住居を構えている。


 ……さて、夕陽は地平線の彼方に消えて夜となり、大通りに連なる街灯や、コンクリート造りのビルにも灯りがつき始めていた。

 大通りを走る路面電車の中は仕事終わりの会社員や労働者達ですし詰め状態、その横を黒い煙を吐いてノロノロと通り過ぎるのは、手頃な値段で買えるようになった小さなオート三輪。

 そんな彼らを置き去りにするように猛スピードで走り去るのが、近ごろ治安警察が取り締まりを強化している暴走タクシー。通称「台風タクシー」だ。

 彼らを軽やかに抜き去り、マキナはD坂の麓に佇む三階建の老雑居ビルにたどり着いた。


 色褪せた赤煉瓦の外壁には緑豊かな蔦や葉っぱがカーテンのように垂れ下がり、建物の名前を刻んでいたであろうプレートも、文字がはげ落ちてしまっている。

 かつては有名娯楽小説雑誌『真淑女』を発行していた出版社のビルであったが、社長の公職追放をキッカケに売却され、紆余曲折の末に独立したてのマキナが買い取ったのだ。


 車を車庫に納めたマキナは疲労で重くなった体に最後の喝を入れて、エレベータに転がり込む。

 二階まで上がると廊下にはカレーの匂いが漂っており、マキナの空腹に強烈な一打を見舞った。


「こいつは良い。疲れた体にはカレーが一番だもんな」

 るんるんと食堂の扉を開けたマキナ。しかし、目に飛び込んだ光景に、思わずポカンと口を開けた。


「やあ」「おかえり」


 鏡を合わせたような全く同じ顔に全く同じ服装の若い女二人が、テーブルに座ってカレーを食べていた。そんな二人にマキナは気の抜けた声で尋ねた。

「……姉さんたち。どうしてここに?」


 ……


 呆気に取られたマキナは戸口前で立ち尽くしたまま、同じ顔の女達を見回す。

「何故とは愚問」「見ての通り」「夕食を」

「「食べている」」


 磁器人形のように白く整った揃いの顔に表情はなく、同じ声、同じ顔で淡々と順番に話す。

 流行りの婦人服に包まれた、スラリと細い体躯から腰まで伸ばした褐色の長い髪、細かい所作に至るまで、全て一緒の双子姉妹……サエグス・エニアとユニア。つまりマキナの双子の姉達であった。


「座りたまへ」「たまには姉妹揃って」「食事するのも」「悪くないだろう」

 双子は平皿に盛られた黄色いライスカレーを口に運びながら、平坦な調子で交互に話してくる。


「お嬢様。お帰りなさいませ」

 台所の方から使用人のシキが可愛らしい丸みのある顔に、苦笑いを作りながらやって来た。

 まだ15歳の少女であるが、背丈は大人の男顔負けで肉付きの良い恵まれた体格をしている。そして今日は珍しく、いつもの着物に袴ではなく、サエグス家のメイド達が着用している黒いエプロンドレス姿であった。


「シキ君。これはどういうことなんだい、どうして姉さんたちが居る?」

 困惑しながらマキナも食卓につく。

「ええと、奥様が帰国されたようなんです」

「だろうね。秘書の姉さん達がこうして目の前に居るんだ。当然ママも帰ってきている」


 マキナの母と二人の姉達はとある組織に所属しており、仕事の為に世界各地を飛び回っている。その為、一年を通しても家族全員が顔を合わせる機会は数えるほどしか無かった。


「仕事に区切りがついて」「戻って来た」「その反応を見ると」「ママは屋敷に帰っていない」

 エニアとユニアの問いに、屋敷から帰ってきたばかりのマキナは小さく頷いた。


「やはりですか」

 シキは苦笑いを作ったまま、左右に分けて結った黒髪の毛先を弄った。

「どうやらお姉様方にも行先を告げず、お一人で何処かへ行かれたようなんです」

「相変わらずだな。財団のトップなんだろう? 何かあったらどうするんだい」


「案ずるな、マキナ」「ママは強い」「喧嘩も」「酒も」

「姉さんたちの喋り方も相変わらずだね」

 などと言っている間に、シキがマキナの分のライスカレーを運んできた。


「喜べマキナ」「土産だ」

「このカレーが?」

 マキナは目の前に置かれたライスカレーに視線を落とした。

 色も香りも具材も、いっさい普通だ。珍しい要素は一つもない。だがひと口頬張ってみて気付いた。

 カレーの強い香味で隠しているようだが、ほんの微かに見え隠れする、蒸れたような変わったニオイ。


「これは」

 驚くマキナを見守っていた双子たちが得意げに口もとを綻ばせる。

「気づいたな」「これぞ未来の食べ物」

「「ドン・カレー」」

「ドン・カレー?」

「レトルトカレーというものだそうで。湯煎するだけで簡単に出来ちゃう。実際に作ってみましたけれど、便利すぎてもうびっくり」

 よほど気に入ったのかシキが嬉しそうに言う。


「レトルト食品かあ。缶詰に代わる携帯食糧の研究が行われていると、父さんが前に言っていたっけな」

「これはその試作品」「とあるメーカーが殺菌技術を応用して開発した」「三分待つだけで食べられる」「ハヤシもあるでよ」

「世の中の食べ物がみんなこんな風になったら、誰も料理を作らなくなりますね。今日は洗い物が少なくて気楽です」と、シキ。

「こんな試作品まで融通してもらえるとは。財団も偶には役に立つじゃあないか」

 マキナはレトルトカレーの味に舌鼓を打つ。


「偶には?」「訂正を求める」「私たちは常時役立つ」

 エニアとユニアは眉ひとつ動かさずに言い返した。

「悪かったよ。姉さん達にはいつも助けられてるって。ゴウライオーの補給周りは財団の力が無ければ……」

「時にマキナ」

「なに?」

「税金の申告」「やっていないな」

 姉達の発言でマキナは硬まり、シキの顔からもさっと血の気が引く。

「書斎で申告用紙を見つけた」「ちっとも手がついていない」「領収書の保管も適当」「度し難い」

「おお、お嬢様。まだ書類を出してなかったんですか……え、締切は来週ですよ!?」

 印のついたカレンダーへ目を向けるなり、シキは絶叫する。


 店も無ければ従業員もいない、完全個人の輸入雑貨商。それはつまり営業から仕入、果ては細かい総務に至るまで、全てを一人で賄わなければならない、という事である。

 言うなればマキナは、今までの自由に掛かったツケの返済に迫られているのだ。


「あ、明日いっぺんにまとめてやろうと思ってだね。この数日は出動も重なっていたし、色々忙しかったし……」

 じとー。エニアとユニアがじっとり湿った視線で刺してくる。マキナはスプーンを置くと、姉達に向かって頭を下げた。

「ごめんなさい。たすけて下さい……エニアお姉さま、ユニアお姉さま」


 すると双子たちは、

「その言葉が聞きたかった」「妹の助けを断る姉がいるものか」「頼ってくれて嬉しいぞ」

「ここは」

「「お姉ちゃんたちに任せなさい」」

 と、相変わらずの無表情で承諾した。


 ……


 一方そのころ。

「……この時間、つまんない番組しかやってないのよねぇ」

 割烹着姿の艶やかな女がラジヲの電源を切りながら不満を漏らした。化粧で仕上げた上品な顔から、頭の後ろで結えた黒髪の色艶、そして優雅な雰囲気と何一つ隙がない。

 しかしながら彼女の妖艶さは、手狭な屋台にはつり合わっていない。そんな風に思いながら、保険調査員のニワサメは小さな七輪の網上にイカの切り身を置いた。この屋台では、客がカウンタテーブルに置かれた七輪に、自分で注文した品を焼いて食う仕組みなのだ。


 屋台の名は雨雀。赤線地帯「鷹の街」に店を構える老舗カフェー……だったのだが、三ヶ月前に下町一帯を破壊し尽くした怪獣騒ぎで、店舗全壊の憂き目に遭ったのだ。


「こういう時間にうってつけのヤツをやって欲しいものね」

 などとボヤく女将。彼女は雨雀のオーナーで夜の女王とも謳われるマダム・ヒバリだ。

「それならこういのはどうです。放送時間中はずっと、流行の歌手たちが順繰りに歌うとか。人気順で10曲くらい」

 と、ニワサメは薄口の顔に困ったような微笑みを作って言った。

「それなら毎週齧り付いて聴いちゃうわ」

 マダムも笑みを返して答える。

 ニワサメは「名案でしょ」と返しながら、屋台の外をぐるりと見渡した。


 夜の女王は強かだった。彼女は雨雀の跡地に小さな屋台を何軒も集めるや、一帯を賑やかな屋台街へと作り変えてしまったのである。

 屋台の店主や従業員たちは鷹の街で銘酒屋にカフェーなどを経営していたのが殆どで、怪獣によって生活を滅茶苦茶にされても尚、めげずに商売を再開したのである。


「そういえば。オトギ先生は元気ですか?」

 焼き上がったイカの切り身を小鉢へ移しながら、ニワサメが尋ねる。すると急にマダムの表情が氷のように冷たくなった。

「あ、いや。変な意味は有りませんから、純粋な心配というか。大変な目に遭いましたし」

「それなら本人に直接訊きな」

 素気ない返答をしていると、黒いワンピースの女性が暖簾を潜ってきた。

「マダム。男の人を寄越して欲しいんです。お客さん同士が喧嘩を……」

 痩せ細った姿に青白い肌、陰うつだが造りの整った美しい顔は、柳の下ですすり泣く女幽霊といった具合だった。


 チシキノ・オトギ。怪獣騒ぎの最中に起きた、保険金詐欺事件の関係者だ。

 肝心の事件はというと、例の怪獣騒ぎで捜査どころでは無くなり、黒幕だったギャング達も怪獣に襲われて事実上壊滅。

 このまま有耶無耶になった挙句「真相は闇の中」というのが、話の落とし所となるのだろうか。そのようにニワサメは考えていた。


「今晩は。何やらお忙しいようで」

 ニワサメは店に顔を出してきたオトギへ、にこやかに挨拶する。

「ど、どうも」

 おずおず挨拶を返すオトギに、マダムが声を掛ける。

「すぐに向かわせるからさ、ヨモツ。済まないけど先に戻っといておくれ」

 源氏名で呼ばれたオトギはペコリと頭を下げて戻って行った。


「……妹さんのことは諦めていないようで」

 ニワサメの神妙な物言いに、マダムは残念そうに首を左右に振った。


 そもそもオトギは夜の街の住人ではなかった。生き別れてしまった家族……特に妹の手掛かりを掴むため、亡くなった父親が最期に発見された赤線地帯へとやって来たのだ。しかし以前として手掛かりは皆無だという。


(ここまで調べ尽くして何も無しということは)

 ニワサメはもじゃもじゃの蓬髪をかき、顔を曇らせた。


 不意にマダムはニワサメの前に氷入りのロックグラスを置くと、無言でウヰスキーを注いだ。

 銘柄を見たニワサメの目が大きく見開かれる。そこらの高級店でも滅多にお目に掛かれない、所謂ヴィンテージものであった。


「考えるのは自由だけどさ。あの子の前では下手なこと口にしないでよ」

「これは口止め料ですか?」

「どうとでも思いな。それくらいは自由なんだから」

 マダムの回答に口元を綻ばせるニワサメ。

 人生最初で最後となるであろう高級酒を恭しく口へ運んだ……ちょうどその時だった。

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