禁じられたいのち-10
〈臨時ニュースをお伝えします、臨時ニュースをお伝えします。本日未明、
縦横に激しく揺れる下町の民家の中で、ちゃぶ台に置かれたラジヲが臨時ニュースを響かせる。住人達が逃げた後にも関わらず、一台だけ残されたラジヲは、空っぽの家じゅうにアナウンサーの切迫した声を響かせるのであった。
〈付近の住民の皆さまは直ちに避難して下さい! 繰り返します、たいへん危険な巨大生物が……〉
バリバリ、メキメキ。家の外で不気味な破砕音が聞こえ出した次の瞬間、ラジヲのあった平屋は粉々に弾け飛んでしまった。
チシキノ博士の遺伝子改造で生み出された巨大生物、ヘグイ。
彼女は左右の前肢で地面を引っ掻き、更には魚のように全身を振り回しながら移動していた。
踏破してきた下町の家々は瓦礫と化し、道路という道路は逃げ惑う住人達で溢れた。
大勢の悲鳴、絶叫がひっきりなしに轟くが、それらの音をかき消さんばかりの咆哮をあげて進撃するヘグイ。
全身を覆っていた数枚の皮は、今ではまるで花びらか貴婦人のドレスかのように下半身から垂れ下がっており、彼女が体を振るたびに建物や車、逃げ遅れた人々さえも巻き込んで、吹き飛ばしてしまう。
一帯の火事を食い止めんと出動した消防車は、彼女にぶつかって飛んできた路面電車を避けようと急ハンドルを切るが勢い余って横転。そこへ避難中だった一般車が続々と衝突していく。
「ここも駄目か!?」
目の前で起きた玉突き事故によって進路を塞がれたオート三輪。そのハンドルを叩きながら、ニワサメは感情任せに毒づいた。
だが直ぐに冷静さを取り戻してUターン、別の道を探しに行く。
「二人とも、舌を噛むなよ!?」
荷台のシキとオトギ先生に伝えるや、速度を上げて再発進した。
暴れ狂うヘグイと、火災の炎によって赤く染められた夜明けの空を、荷台に座るオトギ先生は、泣きながら見上げていた。
「やめて……おねがい……」
消え入りそうな声で呟くオトギ先生。
「戦争は終わったのに……どうしてまた、こんな事になってしまうの?」
彼女を落ち着かせるように、シキは丸くなった背中を優しくさする。その一方でこの状況を打破出来るかもしれない人物を、心の中に思い浮かべた。
(マキナお嬢様!)
……
「ふむん。ダメだねえ」
懐中電灯の灯りが瓦礫によって塞がれた水路をむなしく照らす。
「あっちも行き止まり、こっちも行き止まり。これじゃあ地上に出られないよ、父さん」
マキナは後ろを振り返り、真剣に考え込むセイタロウを見やった。
ヘグイの存在を確信した親娘は、彼女を止めるために地上を目指した。しかしひと足早く覚醒してしまった挙句、浮上の余波で地下水路の出入り口は軒並み崩壊、閉じ込められてしまったのだ。
「ゴウライオーは呼び出した。あとは地上に出て、あの子と合流するだけだってのに……」
マキナは点滅する腕時計を軽く掲げてみせた。彼女の時計は、ゴウライオーの呼出機能を備えた特殊機構を備えているのだ。
「マキナ。チシキノ博士の研究室に戻ろう」
不意にセイタロウが口走る。
「彼女が外に出られたんだ。それなら我々も、同じ道を使ってみようじゃあないか」
父の狙いに気付いたマキナが血相を変えて慌てだす。
「あの壁の穴から外に出ようっての!? 漏れた下水が混ざった、あの汚い生簀を越えるには……嫌よ、絶対嫌、勘弁して!」
男口調さえ崩れるほど取り乱すマキナ。しかし父は説得する時間さえ惜しいのか、何も言わずに歩いていってしまう。
「ああもう。分かったわよ。海水浴ならぬ下水浴すれば良いんでしょう、親子水入らずで!」
……マキナが嫌々覚悟を決めたその頃、皇都の安全を守る治安警察の現場指揮官は、パトカーのボンネットに広げた下町の地図を悔しげに叩いていた。
「装甲車でも荷車でも良い。奴の進路を塞ぎ、市民が避難するまでの時間を稼げ!」
「あんな大きなバケモノがバリケードぐらいで止まる筈ないでしょう!?」
部下の警官が半べそかきながら反論する。
巨大生物出現を受けて、総動員態勢で出撃した治安警察。だが常識外といってもいい怪物に、彼らは大苦戦を強いられていた。
そんな時、彼らの後方から重々しい走行音が複数、聞こえてきた。
灰色が煙立ち込めた道路を突き進む、暗い緑色の武装ハーフトラック、兵員輸送車に機関銃を載せた小型四輪駆動車……。
「防衛隊。どうして連中が!?」
狼狽える警官たちの前で車列が止まり、最先頭の四輪駆動車から、鉄帽に赤いスカーフ、そして迷彩模様の戦斗服を着た士官が颯爽と降り立った。
「降車!」
サングラスを掛けた副官の号令で、後続の武装ハーフトラックや輸送車両からも、次々と武装した隊員たちが降りてくる。
治安警察の面々が大いに動揺していると、赤いスカーフの士官が近づいて敬礼した。
「第一連隊第一中隊のセンバ大尉だ。ここから先は我々が作戦指揮をとる」
「なんだと。そんな話は……出動要請は出ているのか!?」
「通信が混乱しているため、充分な説明が行き届いていないのだろう。だが事態は一刻を争う、邪魔するなら容赦はしないぞ!?」
センバ大尉は髭の生えた怖い顔で指揮官に詰め寄って黙らせる。そして彼が反論して来ないと認めるや、踵を返して戦いに向かった。
……
センバの部隊はすぐに一斉攻撃を開始した。廃墟や積み上がった瓦礫の隙間を縫って動き回りつつ、隊員たちが機関銃やロケット砲を撃ち込んでいく。
蔦に覆われた青い表皮を銃砲弾が削っては抉り、爆ぜては焼き焦がす。ヘグイは吠え狂って痛ぶる素ぶりを見せてはいるが、致命傷を負っているようには見えない。
「あれだけ攻撃を浴びせているのに」
四輪駆動車の運転手が驚嘆の混じった声をあげる。対するセンバは取り乱すことなく、双眼鏡を目に当てて状況を観察する。
「それなら倒れるまで撃ち続けるだけだ」
ようやくヘグイの進行が止まり、彼女は攻撃の集中する後方へ体を向ける。それと同時にセンバは携帯無線機へ怒鳴った。
「今だ、やれ!」
合図を皮切りに廃墟の影から二台の武装ハーフトラックが飛び出した。どちらも四連装対空機関銃を荷台に搭載しており、走りながらヘグイに弾幕射撃を行う。
「巨大生物がトラックを追いかけ始めました!」
ヘグイは攻撃してくる二台のハーフトラックに狙いを定め直して動き出した。怒りに身を任せるように体を振り回して、廃墟にしてきた道のりを滑るように突き進む。
「避難する民間人から引き離せ。他の班は陣地転換、急げ!」
指示を出し終えたセンバは周波数を変えて、別の部隊への通信を試みる。
「こちらは第一中隊のセンバ。戦車隊、応答せよ」
〈特車だ、大尉。今は戦車と呼んだら面倒なの、色々。それよりコレはどういう事だ。あんなのと戦うだなんて聞いてないぞ!?〉
受信早々に抗議してきたのは別の駐屯地から派遣された機甲部隊だ。
「文句垂れるな。お前らと違って、こっちは裸一貫で張り合っているんだ! それでお前たちは何処にいる?」
〈戦車中隊は対岸の魑魅公園に……あ、標的を確認した。ここから砲撃する!〉
センバは対岸にある魑魅公園へ双眼鏡を向けた。園内には濃緑の葉が生い茂る木々が並んでおり、その陰で十両編成の戦車隊が陣形を組み直していた。
自然のカーテンを巧みに利用した隠蔽は、眼鏡を使って注意深く目を凝らさなければ見落とす程の巧妙さであった。
〈目標は十時の方向。距離七〇〇。対岸を移動中の巨大生物に対して、全車砲撃用意〉
〈徹甲弾装填完了。砲塔左六〇度旋回、仰角三度……照準良し〉
小ぶりな二四式軽戦車、またの名を『コーギー戦車』が続々と砲塔を回して照準を合わせる。
〈撃てぇ!〉
総勢十門に及ぶ
明るい火花と共に徹甲弾がヘグイの肉を貫き、濃青の肉片や血飛沫を散らす。苦悶の悲鳴をあげて苦しむ怪物の姿に、センバ大尉はガッツポーズをする。
「よおし! 全班、戦車隊に遅れを取るな。火力を目標の頭部へ集中し、畳み掛けろ」
「砲撃を止めるな。弾薬庫を空にするつもりで撃ちまくれ!」
コーギー戦車の一団は魑魅公園の木々に覆われた森林地帯を盾に砲撃を続ける。
「よおし、やれるぞ。もっと撃て、撃て」
彼らは昂っていた。未知なる脅威をそれぞれが培ってきた力をもって制する瞬間が来たのだと。そんな彼らの自信に応えたのは、待ち望んだ結果ではなく、想定外の事態であった。
「大尉! 怪物が……立ちます!」
逃げ惑うように移動していたヘグイが急停止。尚も飛んでくる銃砲弾の雨に苦しみながらも、突然体を起こし始めた。
皮の内側にみっしり生えていた無数の根がメキメキ音を立てて集まり、二本の脚のような形状へ変化していく。それだけでは自重を支えきれないと判断したのか、残っていた根も全て密集させて、巨大な尾へと作り替えてしまった。
ヘグイは、二本足と巨大な尾で重心を安定させるや、ぐぐっと体を折り曲げだした。
センバはヘグイの動きに、人間が跳躍する際の前動作を重ね合わせた。
「いかん! 総員、奴から離れ……」
センバの目の前で、ヘグイの巨体が飛び上がった。作ったばかりの足で地面を踏み、体内に溜まった空気をスカートの裏からロケットのように噴く。
たちまち彼女の周囲には凄まじい突風が吹き荒れ、一帯の全てを吹き飛ばした。
横転するハーフトラック、風に巻き上げられて天高く舞う四輪駆動車、吹き飛ばされるセンバたち。
飛翔したヘグイは魑魅川を飛び越え、対岸へ降り立とうとする。着地点には戦車隊がいた。
「全速後退。上から来るぞお!」
落ちてくる巨体から逃れんと全速力で散開するコーギー戦車たち。だが遅い、彼らの目の前にヘグイは着地。反動を殺す為にスカート裏から噴射した突風が、十八トンもある戦車たちを、まるで木の葉のように吹き飛ばしてしまった。
風に舞って飛ばされ、転がっていく戦車たち。運良く突風から逃げきれた一両の真上にも、千切れて飛ばされた木々が直撃して損傷を負ってしまう。
〈こちら戦車中隊……大破三、中破六、小破一。戦闘続行不能……〉
「バカな。10両の戦車を一瞬で……」
瓦礫から這い出てきたセンバは対岸の光景に絶望し、ガクリと項垂れるのであった。
……
〈し、信じられない出来事が我々の目の前で起きています! 謎の巨大生物は、川幅150メートルはある魑魅川を飛び越えて来ました。テレビをご覧の皆さま、これは映画でも虚構でもございません! いまこの瞬間、現実に起きている世紀の大事件であります!〉
河岸から数キロ程度離れた位置にある電波塔の展望台では、各放送局の中継班が詰めかけて、実況中継を行なっていた。その眼下にあ自然公園では、命かながら魑魅川を越えて避難した人々が身を寄せ合い、燃え盛る対岸の街を悲痛な面持ちで見守っている。
「とうとう空まで飛びやがった」
その集団の中には難を逃れたニワサメとシキ、そして支えられてようやく立っているオトギ先生の姿があった。
「ここも危ないのでは?」
シキが冷静に耳打ちをしてくる。ニワサメも彼女の意見には同感だった。無言で頷き、後方へ逃げる用意を始める。
ちょうどその時であった。
〈ああ、巨大生物がまた動き出しました! こちらへ向かってきています!〉
ヘグイも動き出した。二本の脚を交互に動かして、ドシン、ドシンと前傾姿勢で進む。その足が向かう先にあるのは、周囲に建ち並ぶビルヂングよりも一きわ背の高い電波塔。
自然公園の避難民たちも悲鳴をあげて逃げ出した。人間の大波が縦横へうごめき、押し合いへし合いの大混乱。ニワサメもまた波に呑まれながら必死に前へ進もうとする。
「シキちゃん! オトギ先生!?」
無事を確認しようと振り返った彼の顔から、たちまち血の気が引いた。
押された拍子に転んでしまったのか、二人は遥か後方に取り残されていたのだ。
慌てて人間の波間を縫って逆走、二人のもとへ駆け寄る。シキはオトギ先生の上に覆い被さり、踏まれないように彼女を守っていた。その顔は苦痛に歪み、汗をかいている。
「ごめんなさい。足を捻って……」
などと弱々しい声で伝えるシキ。
「立てるか? いや立ってくれ、早く逃げないと……」
ヒュロロロロオオォ。
ニワサメが二人を必死に起こしている間に、ヘグイは自然公園へ到達。人を蟻のように潰せるであろう大きな足が、三人の眼前へ迫ろうとしていた。
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