禁じられたいのち-8


 ……立ちはだかるのは変哲もない錆びた鉄の壁。その表面には、月日の経過を形容するように苔藻がみっしり生えていた。

 目を凝らしたマキナは壁の表面に刻まれた蓮の花の紋章を見つけた。国家機関の間で用いられる蓮花紋章だ。


「懐中電灯の灯りを一定の角度で当てると浮かぶように細工している。ようやく見つけた、ここが入口だ」

 セイタロウは肩に提げていたロールバッグをマキナに渡すと、扉の中央を力任せに押した。


 鉄の扉が軋みながら開き、入口が露わとなる。そのまま暗闇に支配された室内に侵入するセイタロウとマキナ。二人はすぐにロールバッグから取り出した複数の懐中電灯を点け、各所に置いて回った。


「むぅ」

 部屋が明るくなって全容が明らかになると、マキナは感嘆の唸り声をあげた。


 二十畳もの部屋に所狭しと並ぶ、埃を被った実験器材たち。天井の端には蜘蛛の巣が張り巡らされ、木の床板もあます所なく腐り切っていた。

 マキナが用心のために入口の扉を閉めている間、セイタロウは汚れた机の上に積まれたノートや研究資料に目を通し始めていた。


「チシキノ博士はどんな研究を?」

「端的に言えば細胞移植による再生医療、というヤツだったらしい。チシキノ博士はこの研究室で、短期間の内にその手法を確立してみせた……悪魔に魂を売ってね」

 セイタロウは深刻な表情のまま言った。


「チシキノ博士は人体実験をしていたんだ」

「人体実験!?」


「Z機関の皆と南方に移ってしばらく経ったある日、事情聴取に来た憲兵士官から聞かされた。どうやら博士は、貧民くつの住人たちを何人もさらっては実験に使っていたようだと。調べた限りでは十人……いや、おそらくもっと居るだろうと、その士官は言っていたな」


 マキナは机に並べられた研究資料に目を落とした。変色したノートに書き殴られた公式、よくわからないスケッチに、判読不能なメモの数々。


「どうしてそんな事を?」

「動機は博士の次女、ヨモツさんにあったと云われている。当時ヨモツさんは病魔に冒され、殆ど寝たきり状態だった。チシキノ博士の研究者人生は、ヨモツさんの治療のためにあったようなものだな」

「だ、だからと言って……」

 マキナは言葉に詰まった。


「道理の上では『許されないこと』だろう。だがそれは、部外者である我々が安易に答えを出せるものではない。もしかすると私も同じ状況に追い込まれたら、マキナや上の姉さん達が、もしヨモツさんのようになったら……悪魔の誘いを断る自信はない」

 父は遠くを見る様な目つきで言葉を紡ぐ。マキナはモヤモヤ燻る不快感を抱いたまま、父の言葉に耳を傾けた。


「話は戻るが、人体実験の証拠をつかんだ憲兵隊は、博士を拘束しようと動き出した。でもその矢先に、あの大界震が起きてしまったそうだ」

「それから博士はどうなったの?」

「大界震の後は行方不明、この研究室も出入口が崩落して近づくこともできず、その内に軍も解体。何もかもが有耶無耶のまま、闇の中へと消えた」

 セイタロウは尚も資料に目を通しながら話を続けた。


「フルミから聞いたが、博士は二年前に突然、鷹の街で発見されたのだろう。つまり終戦からざっと十三年分の空白がある。その間、彼はどこで何をしていたのか。マキナ……この部屋を見て何か感じるものは?」


 質問されたマキナはぐるりと研究室を見回した。蜘蛛の巣を被った装置、放置された実験器具に汚れ放題の家具、床に転がる燭台。


「長いこと使われていないのは確かだ。でも、十年以上の荒れ様とは思えない。戦後しばらく放置されていたのなら、もっと荒れているはずだ、こうしてうろつく事さえできないくらいには」

 冷静さを取り戻したマキナが答える。


「その通り。だからこそ、こんな仮説が出てくる……チシキノ博士は亡くなる直前まで、この研究室を使って研究を続けていた」

 セイタロウは部屋の隅に置かれた本棚を見やった。頻繁に横へずらしていたのだろう、床板にはいくつもの擦り傷がついていた。

 二人は共に頷きあい、協力して本棚を横へ押した。

 壁の中から現れたのは下へと続く階段だった。

 音を立てて吹き込んでくる腐敗臭に、マキナは反射的に鼻を摘んだ。

「下水に繋がっている?」

「いや、これは……」

 セイタロウは机のバッグから大ぶりの拳銃を取り出してきた。箒のようなグリップに細長い銃身を持つ、マ式大型拳銃だ。


「ここから先は何が起こるか分からない。マキナ、君はここで待っていなさい」

 大真面目に言うセイタロウ。しかしマキナは不敵な笑みを作って即座に返す。

「父さんは案内役だろう。独走は関心しないな」

 セイタロウは肩を竦めた後、マ式銃のレバーを引いて薬室へ給弾した。

「私から絶対に離れないでくれ」


 ……


 階段は思ったより短く、角度も緩やかだった。

 難なく降り立った先にあったのは、壊れた機械や装置に囲まれた巨大な生簀であった。

 加えて壁にはポッカリ大穴が空いており、濁った水が絶え間なく生簀の中へと流れ込んでいる。それでも水かさが変動してない事から、穴が空いているのか、或いは排水機能がまだ生きているらしい。


 だが空調はダメだった。ここまでの道のりで漂っていた地下水路の汚臭より更に酷い臭いが、空間全体にどんより漂っている。


「博士は再生医療の研究をしていたんだよね。ここはどう見ても不衛生極まりないが」

 異様な空間に圧倒され、思わず息を呑みながらも精一杯の虚勢をはるマキナ。対するセイタロウは一言も発することなく、部屋の隅に置かれた作業台へと歩み寄る。


 水気でふやけた資料があちこちに散らばり、殆どが判読不能となっていた。セイタロウは比較的無事な薄汚れたノートを手に取り、目を通し始めた。


「やはりここで博士は研究を続けていた。危惧した通り、人体実験の続きをね」

「それも娘さん、ヨモツさんの病を治す為かい?」尋ねながらも、マキナは生簀の近くに洋式の箱が置かれているのを目に留めた。


 長方形で金属製、斜めに傾いた台の上に置かれたその箱は、外観こそ保たれているが、長らく放置されたせいで、赤錆びにまみれていた。

 マキナは頬をひくつかせる。


「びっくり箱は得意じゃあ無いんだけど」

 不敵な笑みを崩さないよう努めて箱に近づき、上の蓋をそっとずらした。

 嗚呼……。声にもならない嘆きが彼女の口から溢れた。


 ノートから顔を上げたセイタロウに、マキナは声を絞り出して言った。

「ここに居たんだ。ヨモツさんはずっとここに、父親と二人で……」


 彼女はまた箱の中へ視線を落とす。ライトの灯りに照らされた茶色い頭骨。その下には鎖骨や腕、それに砕けた足の骨などが破片に近い状態となって箱の中に敷き詰められていた。


 状態は悪く、大きな骨片も僅かな衝撃でさえ崩れてしまうであろう。彼女は火葬された後、箱の中に納められたようだ。

「ノートの中にヨモツさんの記述があった。彼女は大界震の日に重体に陥り、数日後に息を引き取っている……いや、この表現は……」

 振り返ったマキナは、汚れたノートを手にしたセイタロウが、濃ゆい顔を青白くさせているのに気づいた。


「何が書かれているんだい、それには?」

「研究ノート、というよりは雑記帳かな。私は科学者ではないから、博士の行為を完全に理解はできないが……」

 ノートをマキナに手渡す。黄ばんだ紙面に刻まれた専門用語の羅列に娘は眉をひそめた。


「開発した融合細胞〈ヘグイ〉に、ヨモツの体から採取した卵子を注入、培養開始」

「XXX (判読不可)投与から七十二時間経過、ヘグイの活性化を確認」

「XXXの処置を実行した後、XXXの凍結精液解凍、XXXによる体外受精を開始」

「XXX時間経過、順調に細胞分裂を繰り返す」

「想像以上の生育速度」


「遺伝子は受け継がれる。永遠に」


 そして破れたページの端には、走り書きで刻まれた『ヘグイ』という文字。


「僕にはサッパリだよ。代わりに結論を言ってくれ、父さん」

 ノートを突き返されたセイタロウはしばし黙した後、ようやく口を動かした。

「……博士は死んだヨモツさんの体から採取した細胞に、実験によって開発した融合細胞……ヘグイという名前らしいな。これらを組み合わせて、全く新しい生物を造った、という見方ができる」

「は?」


 目を見開くマキナ。父が何を言っているのか、全く理解が出来なかったのである。

「良い加減にしてよ、父さん。馬と鹿を掛け合わせた所で新種が生まれるわけ無いだろう!」

「ああ、自ら口に出したのに、何とも馬鹿げた話に聞こえるよ。これが出鱈目な空想話であって欲しい所だが」

 セイタロウは真剣な眼差しで生簀を睨んだ。


「だが考えてもみたまえ、人類は遥か昔から交雑という品種改良を行い、都合の良い動植物が生まれるよう手を加えてきた。その延長線ともいえる新たな手段が、現代科学によって確立できてしまったとしたら?」

 彼の言葉は止まらない。実の娘が呆気に取られているにも関わらず、相変わらず怖い顔で続ける。


「その術を見つけたのが娘の為とはいえ、既に一線を越えてしまっていた父親だとしたら? その手法によって、たとえ生まれるのが『禁じられたいのち』であったとしても、亡くなった娘の遺伝子が、何代にも渡って永遠に生き続けるのだとしたら……」


「父さん!」マキナが声を荒げた。

 ようやく黙った父親にマキナは低い声で言う。


「仮説ばかりで呆れる他ないが、一先ず父さんのが正しいとしよう。だとしたら……その、禁じられたいのちとやらは、生簀の中に居る事になる」

 娘は後退りをして生簀から離れた。底の見えない濁った水を睨みながら、彼女は言う。


「ソイツは……ヘグイはここで生育されていた。つまりここは奴の住処で僕らは侵入者。勝手に入ってこうも騒いでいるのに、肝心の家主はずっと無反応だなんて、あり得る?」


 そして、壁の大穴へと視線を移す。

「つまり……」

「そういうことだ、マキナ」

 セイタロウも娘の言わんとしている事を理解して、頷き返した。


 チシキノ博士が生み出した禁じられたいのち……ヘグイは巣の外に出ている!


 二人は大急ぎで研究室まで戻った。

 そして出入口の扉を開けようとしたセイタロウが「むぅ?」と唸り、動きを止めた。

 怪訝な顔をしたマキナも、直ぐに異変に気付いた。


 複数人の足音が扉の直ぐ目の前を通り過ぎていったのだ。用心のために閉められた地下研究室の扉に気づかず、素通りしたらしい。

 息を潜めていると、また足音が聞こえて来た。


「オヤジ達とはまだ連絡がつかねえのか?」

「へぇ。あちこち探しているんですが、さっぱりで。それなのに戦争おっ始めるつもりなんですか?」

「当たりめぇだろう。とっくにオヤジは号令掛けてんだ、兵隊のオレらは言われた通り、雨雀にカチコミして、ヨモツを消す!」

「そうだ。サツに垂れ込まれたら面倒だ。それに鼻持ちならねえ雨雀の連中もついでに片付けられると思えば、やるっきゃねぇぜ」


 マキナは扉を一枚挟んで交わされる会話に絶句した。会話の主たちはおそらくトンビ一家、彼らは唯一の証人であるオトギ先生を排除しようと、より強硬な手段に出るつもりらしい。


 マキナは拳を握りしめ、焦る気持ちを必死に抑え込んだ。

(待っていろよ、シキくん!)

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