禁じられたいのち-5


 それは一週間前のことだった。

 例によって魑魅川の上流で、一艘の小型船が沈没事故を起こした。この事故で乗員乗客の五人が亡くなったという。


「その船はもっと上流にある、赤線地帯との間を行き来していた送迎用の船だ。乗っていたのは売春婦とかその客とか。その犠牲者の一人に、ワイズマンのブローカーと契約している金持ちが混じっていたんだ」

 ニワサメは頬杖をつき、窓の外から見える魑魅川の濁った水面をボンヤリ眺める。


「死んだのはマクガーフィンって外国人。駐留軍の通訳をやりながら、中古重機の有料貸出、いわゆるレンタル業で小遣い稼ぎをしていた。近ごろは羽振りが良いのか上流の赤線地帯で女遊び三昧。特に雨雀って名前のカフェーの、外語を話せる女給にお熱で……」

「ふむん。先が読めてしまった」

 マキナが相づちを打つ。


「察しのとおり。保険金の受け取り先が、ヨモツって名前のカフェーの女給に切り替えられていた。そのヨモツの身辺を洗ってみたら……女学園の女教師、オトギ先生が偽名使って働いていたのが分かった」

 ニワサメはシキを見て顔をしかめる。


「すまない。こんな話を聞かせることになってしまって」

「いいえ。いずれは知る事になったでしょうから。それが早まったのだと思えば……」

 俯いたまま消え入りそうな声で答えるシキ。彼女からしてみれば、見知った顔の教師が夜の街で接客の副業をしていた上に、より重い悪事を企てた疑いまで掛けられている。


 平常心を保って聴けるような話ではない。


 そんな中、マキナが平然とした調子で尋ねてきた。

「オトギ先生の行方は?」

「友人知人関係を洗ってみたが、そもそも交友関係が皆無に等しいみたいで収穫なし。例の雨雀ってカフェーも、赤線を仕切るゴロツキ共の絡みがあるせいで調査は難航……んで、ダメ元で自宅を見張っていた」

「匿っていそうな家族とか親類は?」

「それも無い。幼い頃に死んだ母親はともかく、皇都帝國大の教授だった親父さんと妹さんは、十五年前に行方不明。他の親戚も同じ頃にみんな死んだ。そこまで言えば……分かるだろう?」

 歯切れの悪い言い方であったが、マキナ達には充分伝わった。


 戦争、そして大災害と立て続けに起きた悲劇により、大切な人間たちを喪った者は数知れない。オトギ先生も珍しくない「天涯孤独」の一人なのだ。


「彼女も一人か。誰も、居ないのか」

 マキナは小さな声で呟いた後、話題を変えるように別の質問をした。

「……ところで、警察は船の事故について何と言っている。まさかそれもオトギ先生の仕業だと疑ってるんじゃあないよね」

 マキナの問いにニワサメが首を振る。

「そっちは偶発的なものだと、担当刑事はハッキリ断言した。関連性なし。たまたま船の事故が起きて被害者が死んでしまったが為に、こっそり進めていた保険金詐欺が明るみになったと考えている。ま、そうじゃないと……」


「じゃないと?」小首を傾げるシキ。

「連日魑魅川で頻発している水難事故、その全部にオトギ先生が絡んでいる事になっちまう。そんなことあり得ないだろう」


 ……


「……話せることは全て話した」

「うん、うん。どうも有難う」

 悠然と答えるマキナに、ニワサメは不機嫌に言葉を重ねる。


「だが、事件現場に近付いて良いとはひと言も話していない」

「近付いたつもりはない。道中たまたま通りがかっただけだ」

「適当な詭弁で誤魔化すな!」

 ジャギュアの深緑色の車体を挟んで二人は言い合う……というより、この場合はニワサメの抗議をマキナがのらりくらり躱している、という表現が正しいのかもしれない。


 三人は魑魅川に掛かる橋の途上にいた。近ごろの都市開発で魑魅川の水上には何本もの橋が掛けられて、人はおろか車や汽車までもが、絶え間なく行き来するようになっていた。


「まだ警察が川底さらったり、付近の聞き込みをしているんだぞ。下手に近付いて目を付けられでもしたら……」

「その時は笑って誤魔化せばいい」

 などと笑いながら、マキナは橋の欄干に寄って眼下の岸辺を覗き込んだ。


 流石に遺体は回収されていたが、事故に遭った船の一部は岸に遺されたままになっていた。

「アレだけかい?」

 マキナがニワサメへ顔を向ける。

「あれだけだ」

 ニワサメは下を見たまま仏頂面で答えた。


 陸揚げされていたのは大穴の開いた船首と、バラバラになった船橋付近だけだった。

「川底から発見できたのも破片ばかりだったそうだ」

「見つかった遺体も……」

「人間の残り滓って感じだな。かき集めた破片から、辛うじて三人の身元は特定できたとか」

 マキナは腕を組んで残骸を見つめる。


「魑魅川の近辺では他にも水難事故が多発しているんだってね。みんなあんな感じ?」

「俺が知る限りではな。どいつもコイツも酷い有様さ。地下水路で作業員が次々と行方不明になってるとか、砂浜で作業していた人形重機が何かに引っ張られて沈められたとか」


「人形重機が?」

「駐留軍払下げの中古品とはいえ、重量級の機体が易々と水中へ引きずり込まれちまった。昨晩もランチが一隻、上流でやられている。あとは川辺で何人分かも見当つかない、大量の肉片が見つかったり……マクガーフィンの事故もその一つって所かな」


「だから君は言ったんだな、マクガーフィン氏の死に直接関与していたら、他との関連も疑わなければならなくなる、と」

「まあな」

 ニワサメはチラリとジャギュアの車内を見やる。後部座席のシキが俯いた顔を真っ青にして固まっていた。


(いまの話し、聞こえてなきゃ良いが)

 若い彼女が居る手前、この話は早く切り上げたかった。それなのにマキナが質問を重ねてくる。

「しっかし、あんな壊れ方をするなんてボイラーが爆発したのかな?」

(空気を読んでくれ。アンタの所の子だろうが)

 ニワサメは一間置いてから不機嫌に答える。

「その可能性はない。目撃者達が口を揃えて『船が音を立てて壊れながら、あっという間に沈んでいくのを見た』と言っている」


「ふむん」

 皇都の郊外へ通じる川の上流部分とはいえ、両岸には背の低い平屋に戦後建てられたのだろう古ぼけたバラック住宅などが、ズラリと並んでいる。それに橋の周辺にも街灯が、何本も連なっていた。


 マキナは顎に指をあてて思案に耽る。

 大勢の耳と目がある中で、唯一認識できたのは船が沈んでいく瞬間のみ。誰一人とて、沈没の原因やその前触れさえも認識した者がいない。


「目に見えない何かが船を襲った?」

「馬鹿馬鹿しい」

 吐き捨てるニワサメ。

「アンタまで『妖怪の仕業』と騒ぐのか?」

「おいおい。思いつきを軽く口にしただけだよ。何たってさっきから機嫌が悪いんだい、保険屋くん」

 不思議がるサエグスに、ニワサメは語気を強めて言う。

「アンタの無神経っぷりに腹が立っている!」


「僕ぅ?」

「どんな形であれ、この事件にはオトギ先生が関わっている。アンタが無闇に首を突っ込むほど、一緒にいるシキちゃんがどんな思いをさせられるか……想像できねぇんだろうな、アンタは」

 ソフト帽を被り直して目元を覆うニワサメ。対するマキナはケロリとした様子で言い返す。

「何を言いだすかと思えば。勝手に想像して、余計な遠慮をしているだけじゃあないか。シキ君はキミが思っている以上に強い子だ。気がかりなら本人に直接……」

 マキナとニワサメは揃って車に目を向けて、同時にポカンと間抜けな顔をした。

 シキの姿が消えていたのである。


 ……


 こんな偶然があるなんて。

 シキは橋を渡って向川岸むこうかしの町に降りていた。

 マキナたちが話し込んでいる間、少女は反対車線を早足で歩く女性の姿を見かけたのだ。

 陽気な昼下がりだというのに、上下黒ずくめの喪服のような洋服に身を包み、つばの広い帽子を被っている。シキはその女の横顔を目に留めると、思わず驚きの声をあげた。


 オトギ先生。


 見間違える筈がない。青白く痩せた顔は学園で何度も見てきた『図書室の幽霊先生』だった。

 シキは話し込んでいるマキナと、離れていくオトギ先生とを、交互に見まわす。


(お嬢様に伝えて……ああでも、先生が遠くに)

 一瞬視線を外している間に、オトギ先生との距離がずいぶん離れてしまっていた。

 声を掛けて止めるか? もしかしたら逃げられてしまうかも?


 オロオロ狼狽える間にも、オトギ先生の後ろ姿はより小さくなっていく。

(ごめんなさい、お嬢様!)

 シキは意を決して飛び出した。自信のある脚力で駆けていき、橋を降りた所でオトギ先生の細い背中へと追いついた。


「先生!」

 声を掛けると、オトギは足を止めて振り返ってきた。

「……シマさん?」

 帽子の下で陰鬱に濡れた目が驚愕で見開かれる。シキは表情をぱあっと明るくさせて、彼女に近づく。


「やっと見つけた。ずっとお会いしたかったんですよ、先生!」

 などと言い、周りの視線なども気にせず、オトギの両手をとった。

「ど、どうして……こんな所に?」

 混乱するオトギ。シキは手提げ鞄から、持ってきた本を取り出した。


「これを。まだ借りたままでしたから、先生にお返ししたくて」

 オトギは目の前に差し出された本をしばしの間、無言で見つめる。どうして何も答えてくれないのか。戸惑うシキに、女教師は消え入りそうな声で返した。


「その本は……シマさんに差し上げます。だからもう二度と、私には関わらないで」

 踵を返そうとするオトギの腕を、シキは咄嗟に掴んだ。

「何があったんですか、先生!」

「学園を辞めたいま、私は先生ではありません。どうか、どうか私の前からいなくなって下さい!」

 突き放すように言うオトギ。対するシキも、事情を知っているだけに掛けるべき言葉が見つからず、駄々っ子のように「いやです」としか返せないでいる。


 そんな時であった。

「見ぃつけたあ」

 後ろから声が掛かる。振り向くと、明らかに堅気には見えない、強面の男たちがゾロゾロ近付いてきていた。

「シキさん。逃げて……早く」

 オトギが青ざめた顔で言うが時は既に遅く、男たちが周囲を取り囲んでしまった。


「ヨモツぅ。テメェにはまだ仕事あるだろうが。放りだして何処行こうってんだあ?」

 まとめ役らしい、藁網帽子にサングラスの男が凄んできた。シキは臆することなくオトギの前に立って壁になる。


 大人の男と遜色ない恵体のシキに、男たちは一瞬たじろいだものの、舐められてはならないと目つきをより鋭くする。物々しい雰囲気に、遠巻きに見物していた住人達は怖気付いて見て見ぬフリを決め込む。

 そんな中、シキはオトギの前から退こうとはせず、厳しい表情で男達を睨み返した。


「お嬢ちゃん。部外者がしゃしゃり出てきちゃダメでしょうが。ん?」

「おじさん達はね、こう見えても心が広い。その鞄を置いてどっか行ってくれたら、許してやらあ」

 などと前歯の抜けた男が下卑た笑顔で言う。しかし既に爪の伸びた手は、シキの鞄を掴んで引っ張ろうとしていた。


「触らないで下さい」

 毅然と歯抜け男を振り払う。すると男は「気ぃが強いねぇ」と、ますます下品な笑みを深めて、再びシキに手を伸ばしてきた。

 あまりの気味悪さに、流石のシキも悲鳴をあげて本能的に腕を振るった。彼女の掌が歯抜け男の下顎に直撃。勢いの余り、歯抜け男の顎が「ガコン」と外れた。


 そればかりか、頭部を駆け巡った衝撃が脳みそを振り子のように揺らし、脳しんとうまで引き起こす。

「がへ?」その場に崩れ落ちる歯抜け男。


「小娘があ!」

 瞬時に反応したのは藁網帽子の男。シキを油断ならぬ相手とみなし、拳闘選手の如き右ストレートを放つ。

 直線的な軌跡を捉えたシキは、腰を落として額を前に出す。0コンマ数秒後、硬い拳がシキの額に直撃。めりっ……という音が辺りに響く。


 直後、傷顔が生娘のような甲高い悲鳴をあげて後退る。見れば、四本の指がぐにゃりと折れ曲がってしまっているではないか!


「アニキ!」

「指があ! 指の骨が折れたあぁ!?」

「このガキ。やろうってのかい!?」

 臨戦態勢に入る男たち。一方のシキもヒリつく額をさすりながら声高に返した。

「失礼ですが、只今お取り込み中です。ご用事があるのでしたら順番を守って下さい!」

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