禁じられたいのち-3


 学園の図書室は校舎の西端にある。シキは革の学生鞄を一度開き、中身をあらためて返すべき本が入っている事を確認した。

 その本はいわゆる怪奇小説で、由緒ただしき女学園の教師たちからしてみれば「俗な読み物」と顔をしかめられる類いの作品だった。


 物語は怪物を創り出してしまった科学者と、彼に生み出された怪物との愛憎や複雑な感情の機微が丁寧に描かれていた。シキは夜な夜な頁をめくる度に、窓の外に件の怪物が居るのではないかと、背筋を震わせながら楽しんで読んだものであった。そして、その時の体験を、感情を、伝えたい人がいた。


(オトギ先生はいらっしゃるかしら?)

 オトギ先生は口数が少なく、常に影のある雰囲気を纏っていた。今にも倒れてしまいそうな痩せ細った姿に青白い肌、陰うつだが造りの整った美しい顔は、柳の下ですすり泣く女幽霊という風体で、生徒たちからも『図書室の幽霊先生』などと影であだ名されていた。


 とはいえ、決して嫌な人物ではなく、図書室へ頻繁に通う生徒には心を開いた。シキはその中でも特に『お気に入り』だったらしい。


「宜しければ、これを」

 オトギ先生はシキに図書室の蔵書ではなく、私物の本まで貸してくれていた。シキはその度に寝る間も惜しんで読み進めては、返却の際には熱のこもった感想をオトギ先生に伝える、という交流を続けていた。


 さて……。

 はやる気持ちを抑えて扉を開けるシキ。

「あれ?」

 その大きな目がより丸くなった。

 いつもなら、自習や読書をしている生徒たちがいる筈なのだが、室内には誰もおらず、しいんと静まり返っていた。

 シキは学生鞄を胸に抱えて、おそるおそる無人の受付に近づいてみる。


 そんな時に、後ろから声が掛かった。

「四年生のシマさんですか。なんのご用です?」

 淡々とした無機質な声。おそるおそる振り返ってみると、初老の女性が立っていた。


 女学園の教頭だ。シワの浮いた青白い顔は化粧っ気も表情もない。そして口から出てくる言葉も無機質で淡々としていた。

「今日は閉館です。お帰り下さい」


「はあ……あのぅ教頭先生?」

 シキは大柄な体を縮こませて、おずおず尋ねる。

「はい」

 教頭は眉ひとつ動かすことなく返答した。喜怒哀楽もない、仮面のような顔が真っ直ぐシキを見返してくる。


「実はオトギ先生から本をお借りしていたんです。それをお返ししたくて。あの、先生は職員室におりますでしょうか?」

「オトギ先生は……」

 初めて教頭の鉄仮面が揺れ動いた。眉間にシワを寄せて明らかに困惑している。


「学園をお辞めになりました」

「え?」

「詳しくご説明はできませんが、そういう事です。いま聞いたお話は絶対に他言無用でお願い致します」

 教頭はまた鉄仮面を被り直して、機械的に答えるのであった。


 ……


「本当に訳が分かりません」

 助手席に腰を下ろしたシキが困り顔で始終を説明していた。


「先生に本をお返ししたいので、連絡先だけでも教えて欲しいと頼んでも『できません』。その理由を聞いても『お答えできません』ですよ」

 普段のシキは徒歩で下校している。だが今日は珍しく、主人のサエグス・マキナが車で迎えにきてくれていた。


 マキナの愛車はジャギュア1型という、滑らかな曲線を描いた深緑色の車体に、大排気量エンジンを積んだ高級輸入車である。

 あまりに洗練された見た目のせいで、マキナの車は下校中の生徒はおろか、教師陣からも注目を浴びてしまっていた。

 しかし車の所有者と付き人の少女は、奇異の視線にすっかり慣れている事もあり、さほど気にしてもいなかった。


「委員会の子にも聞いたんですけどね。そうしたらオトギ先生、ここ一週間は学園にも来ていないんだそうです。教頭先生の物言いも引っかかるし……不安です」


「ふむん。それは心配にもなるな」

 運転席に腰を滑らせてきた女が鷹揚に相槌を打つ。

「学園は何としても生徒に会わせたくないようだし」

 褐色の髪を短く切り揃えたその女性の服装は、赤い開襟シャツに黒のベストにズボンというもので、見ようによっては線の細い美男子のようであった。


「しかし、やり方が下手すぎる。あんまり強く拒んでしまうと、まるで『こっそり接触して下さい』と言っているようなものだ」

「そう解釈するのはマキナお嬢様くらいです」

 ピシャリと言い放つシキ。不満はあれど道理を越えて良い理由にはならない、という自制心は見失っていないつもりだった。


「強く禁止されるほど、タブーを破ってみたいという欲求が高まる。それが人間のなのだよ、シキ君」

 美しい彫像のような細面に不敵な笑みが浮かぶ。シキは長い付き合いの中で、この女主人が常日頃浮かべる「不敵な笑顔」の識別ができるようになっていた。


 今の場合は、如何にしてタブーを破ってやろうかという悪巧み。こうなるとロクな事にはならない。

(あ、目尻が下がって笑顔が怖くなった。この角度は……)

 どうやら予想が当たったらしい。マキナは意気揚々と愛車ジャギュア1型のエンジンを掛けると、シキはこう言った。


「寄る所ができた。もちろん付き合ってくれるよね、シキくん」

 返事を待つことなく、ジャギュアはごうごうと野獣のような唸り声をあげて、勢い良く発進した。



 ……サエグス・マキナは二十代前半の身でありながら、たった一人で輸入雑貨の貿易商を営んでいる。


 女でありながら、男ものの衣服に袖を通し、まるで女性歌劇団の男役のような立ち振る舞いをする奇矯かつキザな女……それがマキナに対する世間の評判であった。こうした寸評が耳に入る度にマキナは、

「言わせておけ。彼らの戯言は、小春日和にちょいとばかり吹くそよ風そのもの。気にしなければどうってこと無い!」

 などと笑い飛ばすのである。


 豪放磊落が傍若無人という衣を纏い、天衣無縫に振る舞う彼女にしてみれば、世間の寸評など正に「そよ風」なのだろうか。

 それとも、生まれ持って備えてしまった家格とやらが、雑音なる概念すら無かったことにしてしまうのだろうか……などと、シキは想像を膨らませる事がしばしばあった。


 ……さて。マキナは皇都郊外に向けて車を走らせていた。再建された建物ばかり並ぶ高級住宅街を通り過ぎ、整備された並木道も通り抜けると、やがて大きな洋館が見えてきた。


 派手さはなく、質素だが奥ゆかしい赤煉瓦造りの本館をはじめ、四方を囲む背の高い柵から門まで綺麗に整えられている。

 正門を潜って敷石の通路を渡り、やがて正面玄関前で車を停めた。


 すると彼女の到着を待っていたかのように、黒いロングドレスにエプロン姿のメイドたちが数人、外に出てきた。

「お帰りなさいませ、お嬢様」

 横一列に並んでお辞儀をするメイドたち。車から降りたマキナは、一番端に立つ年配メイドに車の鍵を渡した。


「出迎えご苦労。早速で済まないが、足回りを調べてくれないかな。ブレーキの効きが心なしか甘く感じられてね」

「かしこまりました、このあと確認をいたします」


「お嬢様。今晩はお泊まりになられるのですか?」

 シキよりもずっと若い、まだ子どものメイドが尋ねてきた。

「そうしたい所だが、今日はフルミに用があって寄らせて貰ったんだ。彼はいるかい?」

「地下で作業中です。もしお会いになるのでしたら『兎語の教科書』という本をついでに渡してあげて下さいまし」

「ふむん。分かったよ」


 会話もそこそこにマキナとシキは洋館の中へと入る。エントランスの広い板床からベージュ色の壁に至るまで、傷はおろか汚れさえ見当たらない。


 メイドたちもエントランスに入るなり、それぞれ掃除用具を持って調度品の清掃を始めた。作業を中断してマキナを出迎えてくれていたのだ。そんな彼女たちに別れを告げて、マキナは本館一階の奥へ歩いていく。


「お嬢様。そろそろ教えて下さいよ、これからどうされるおつもりなんです?」

 歩きながらシキが尋ねる。

「決まっているだろう。オトギ先生とやらの住所を調べて直接会いに行く」

「嗚呼、やっぱり」

「あれだけ見事にタブーを課せられたら、そりゃあ踏み越えてしまいたくもなる」


 二人は本館最奥の小さな書庫へと入った。

 壁一面を覆う大きな本棚の前に立つシキ。棚の中に納まっている書物の中から『兎語の教科書』と題された本を手に取った。

 すると本棚が物音を立てて左右に分かれ出して、壁の中から出入り口が現れた。


「確か、深夜0時1分プラス・ワンで暗号が切り替わるようになっていますから、今日の本を持っていないということは」

「一晩じゅう地下にこもってるんだな、フルミは」

 尚も会話を交わしながら、二人は出入り口を潜って壁の中へ……そして、その先にあるモノレール乗り場へ足を踏み入れた。

「フルミさん、お手隙だと良いんですけれど」

 などと言いながら、シキ達は停まっていた二両編成のモノレールへと乗り込んだ。

 車両は無人であったが、彼女らが乗り込むなり扉が閉まり、静かに発進。岩天井に作られたレールに沿って細い洞窟をゆっくり滑り降りていった。


「気を揉む必要はないよ、シキくん。君は使用人などと自称しているが、実質はこの家の養子のようなものだ。屋敷の人間を顎で使っても罰は当たらんぞ」

「そ、そんな。恩人でもある皆さんにそんなこと……」

「ふふん。冗談だよ」

 などと話していると、モノレールはより広い空間へとたどり着いた。


 むき出しになった白い岩盤や天然の柱には、ワイヤーや鉄筋を張り巡らして補強し、床はコンクリートや金属製のタイルを満遍なく敷き詰めている。

 もはや洞穴などとは呼べない、巨大な格納庫である。


 更に中央部には、足場やクレーンに囲まれて、無数の配線とパイプを繋げられた赤黒い巨人が立っていた。


 無骨かつ分厚い巨体に巨木のような太い四肢。そして二本角と鬼の口を模した赤い面頬を備えた、ドクロの顔。

 その姿は近年急速に進化を遂げる歩行型作業機械「人形重機」にしては、桁違いに大きく、あまりにも物々しい姿だ。


 世に蔓延る悪党を成敗して回る巨大人形重機。世間はこの巨人をくろがね鬼と呼び、持主であるマキナはこう呼んでいる。

「ゴウライオー。ううん、いつ見ても立派だねぇ、キミは」

 モノレールから降りたマキナは誇らしげに巨人を見上げた。


 足場をはじめ、ゴウライオーの周囲には十人近い男女が張り付き、整備に勤しんでいる。油汚れのついた作業着姿の者もいれば、工具箱を抱えて歩くメイドの姿も見受けられた。

 彼らもまたサエグス家に仕える使用人たちであり、マキナの共犯者たちなのである。


 ……さて。マキナとシキがゴウライオーへ近寄ろうとすると、横から彼女を呼ぶ声が飛んできた。

「お嬢様、お帰りなさいませ」

 振り向くと、黒髪を七三分けにした男が近づいて来る所であった。


 白いシャツの上にサエグス家の家紋の入った赤い印半纏を着て、綿のズボンはサスペンダーで吊るしてある。

 瓜のような面長の顔にメガネをかけ、愛想の良い笑みを作るその姿は、商店の番頭か旅館の客引きのような風体であった。


「やあやあ、フルミ。お勤めご苦労さま。昨晩はずっと格納庫に籠っていたのかい」

 などと鷹揚に応えたマキナは、本棚から抜いてきた本をフルミに手渡した。

「排熱機構の調整に少々手間取ってしまいましてね。いやはや」

 サエグス家の執事、フルミは七三分けをかいて苦笑い。

「しかしご安心下さい。時間を掛けた分だいぶ良くなりましたぞ。詳しく解説しますと……」

「うーん。君の丁寧な仕事ぶりにはいつも感心しているんだがね、具体的な説明はまたの機会にしてほしいな。何しろ君にやって貰いたい仕事があってねえ」


 フルミの話を遮ってマキナは用件を伝えた。

「……ほう。学園の先生、ですか」

 フルミの視線がサエグスの後ろに佇むシキへと向けられる。

「そういう訳だ。君の友人たちなら、皇都の何処に誰が住んでいるか、調べるのは容易いだろう?」


「そりゃあまあ。あの者たちは皇都の隅々を知り尽くしております故、1日もあれば住所と電話番号くらいは特定できるでしょう」

「お忙しいのは承知しております、フルミさん。でも、どうしてもあたし、先生にお会いしたくて。どうかお願いします!」

 頭を下げるシキ。


「お顔を上げてください、シキ様。お二人の手足となるのが、わたくしめの役目に御座います。このフルミに万事お任せ下さいませ」

「ありがとうございます!」

 フルミの快い返答に、シキは表情を輝かせた。

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