禁じられたいのち-2


 くろがね鬼。それは近ごろ皇都はおろか、このアキヅの国じゅうを騒がしている、正体不明の巨大人形重機である。


 いつ、誰が、どのような目的でくろがね鬼を作ったのか。

 謎が解明されないのを尻目に、今日もくろがね鬼は突如として現れるや、文字通りの鉄拳を振るい、世に蔓延る悪党どもを退治するのである……。


 潮目しおめ新聞の記者カワラは、このくろがね鬼の謎を追い求めて、とある施設に乗り込んでいた。そしていま、目当ての人物への取材に挑んでいる。


「それでは閣下。防衛隊は世間を騒がすあのくろがね鬼とは全くの無関係であると?」

 カワラは丸く肥えた体を折り曲げて、ずいっと身を乗り出した。


「当然です。その件については、先日防衛庁で行われた、定例会見のとおり」

 相対する男が落ち着き払った声で答えた。応接椅子に深く腰を下ろして、長い脚を前で組んでいる。

「潮目新聞のカワラさんでしたね。どのようなで当技研に入り込めたかは知りませんが、こうして非公式な場を設けた所で、私にお答えできることはありません」


 中将の階級章が縫いつけられたカーキ色の制服をパリッと着こなし、口髭を整えた濃ゆい顔に紳士然とした余裕ある微笑みを作る。

 兎にも角にも軍人らしくない。まるで旧華族の跡取りか、西洋かぶれの実業家のような雰囲気だ。


 カワラはこの摩訶不思議な将校に何を言うべきか、肉のついた丸顔をしかめて考えた。

「少し話題を変えましょう。くろがね鬼を『旧軍の遺産』とか『防衛隊が秘密兵器の実地試験を行っている』とか、好き放題デマゴギーを吹聴する輩が、少なからずいるそうで。これについてはどう思われます、サエグス中将殿?」


「何とものあるホラ話だ」

 防衛隊装備研究所所長、サエグス・セイタロウ中将は不敵な笑みを作ってみせた。

「それについても、先日の会見どおり『甚だ遺憾である』とお答えしましょう。我が防衛隊に、あのような過剰戦力は存在しない。それにいまは、北と南に分かれて、静かな戦争を繰り広げている時代です。身を護る力は確かに必要だが、アレはやり過ぎだな」


「静かな戦争。静戦せいせんですね。確かアメリクスの支援を受けているアキヅは南側陣営なんだとか」

「流石は新聞記者さん、よくご存知だ。せっかくあの大界震から懸命に建て直したというのに。いいや、身の周りが満たされたからこそ、思い出してしまったのやもしれません。人類は元から争い合う定めと。おっと……今のは個人的なボヤきと思って下さい」


 大戦争を終わらせるキッカケとなった、惑星規模の超巨大地震『大界震』。


 この未曾有の災害により、極東の島国アキヅは甚大な被害を負った。発生から十五年。奇跡の復興を遂げる中、国の仕組みも大きく変わった。例えば軍事面では、各国からの支援を引き出す条件として、陸海軍を一時解体。やがて世界情勢がまたきな臭くなってくると、国土防衛に特化させた『防衛隊』へと再編された。


 その防衛隊の装備開発を一手に引き受けるのが、旧陸軍出身のサエグス中将率いる、防衛装備研究所であった。


 さて、なかなか切り口を見出せないカワラは鉛筆の端でこめかみを掻いていた。脂でてかった眉間には薄らと皺ができている。

「弱りましたなあ。旧陸軍省兵器局の大幹部であった、サエグス閣下への面会がようやく叶って、くろがね鬼の手掛かりが掴めると思ったのに、このまま収穫なしとは」


 カワラの視線が棚の中で小さな隊列を組む航空機模型たちへと注がれた。サエグス中将はかつて陸軍の航空機開発に携わった経歴があった。階級が上がるにつれて開発現場から遠ざかったようだが、当時を知る者たちは口を揃えて技術者としての技量を讃えていた。


「肩書きや名誉より開発予算の方がずっと欲しかったんだがね。そうすれば、あの子達をもっと美しく仕上げられたのに」

 サエグスは肩をすくめて苦笑いする。

「カワラさん、逆に聞かせてほしい。どうして君はくろがね鬼に拘る。アレは人形重機を使った、自警団気取りの犯罪者だろう?」


 尋ねられたカワラはそっと手にした湯呑みを口へと運ぶ。冷めてしまった緑茶を苦そうに啜った後、まっすぐサエグスを見返した。

「アレとは因縁といいますか、腐れ縁といいますか、とにかく縁がありましてね。少しだけ昔話をしても?」


 サエグスは「どうぞ」と穏やか答えた。

「これでもアタクシ、十五年前は従軍記者という立場で南方の戦線を回っとりました。その時、ラブル島の要塞基地で妙な噂を聞いたんです。『Z機関』なる特務機関が、島の何処かで秘密兵器を開発していると。閣下もご存じでしょう、Z機関の噂」

「Z機関に食いつくのは低俗なカストリ雑誌くらいだと思ったが、天下の潮目新聞の記者ともあろう方が、その名を口にするとは」

 やれやれと、サエグスは心底呆れたように言う。


 ……かつて旧陸海軍には内外あわせて、計25の機関室が置かれていた。

 だがそれは表向きの話であり、実際には厳重に秘匿された、26番目の『特務機関』が存在していたのである。

 与えられた任務は秘密兵器の研究開発。

 混迷極まる戦局を覆すため、鉄をも溶かす怪力線から、最新レーダーを麻痺させる特殊電波、そのほか常識はずれの新兵器を極秘裏に生み出しては最前線へと送りこんだ。

 その名も第26號特務機関室。

 彼らは26の部隊番号と二十六番目の文字を掛けて、こう呼ばれた。

 Z機関。


 ……などという噂が、戦後まもなくゴシップ系のカストリ雑誌を中心に取り上げられ、少しだけ話題になったのだ。

「ご生憎さま、陸にも海にもそのような特務機関は存在しませんでした。戦後行われた駐留軍の調査でもハッキリ否定されている」


「閣下としてはそう答えるしかない」

 対するカワラの表情は心底真剣であった。

「噂を聞きつけた当時のアタクシはね、方々を調べ尽くした末、軍の装甲列車が定期的に密林奥深くに物資を運んでいる事を突き止めたんです。こうなったら居ても立ってもいられんと、列車を見つけ出し、コンテナに忍び込んだ……そして、見たんです」


 カワラは湯呑みの茶をひと息に飲み干した。そして、丸い頬を赤くさせて興奮気味に話を再開した。


「コンテナの中に……大きな角があったんです。くろがね鬼が生やしているのと同じ、でっかい二本の角が」

 カワラの真剣な眼差しを浴びながら、サエグスは口元に不敵な笑みを作って尋ねる。

「それで、その後はどうなったのかね?」


 沈黙。二人の男は無言のまま互いを見合った。


 やがてカワラ記者の方から沈黙を破った。

「それが結局は衛兵に見つかって拘束された挙句、営倉にぶち込まれちゃったんです。その後は大界震やら終戦やらのゴタゴタもあって、最後まで分からず終い」

 気恥ずかしそうに俯いてボリボリ頭をかく。


「それは……お気の毒に」

「とまあ、アタクシがくろがね鬼にこだわるのはね、そん時に偶然見ちまった角と何か関係あるんじゃあないかと、根拠もなく考えているからなのですよ」

「その熱意は見上げたものだ。申し訳ないね、少しくらい力になれたら良かったが」

「いやいや。こちらも貴重なお時間を有難う存じます」


 当たり障りない締めの言葉。カワラはひとまずこの場は撤収しようと決めた。

(サエグス・セイタロウが、あのZ機関の親玉だったのは間違いないんだ。絶対に逃してなるものかよ)

 カワラは愛想笑いという名の仮面の裏で、鋭く目を光らせていた。


 ……取材を終えたカワラを帰した後、サエグスは自らの書斎に戻った。

 革の椅子に腰を下ろすなり、深いため息が漏れ出る。

「Z機関。懐かしい響きだな」

 などと呟きながら、机上に寝かせていた写真立てを手に取った。


 額に納められていたのは一枚の写真。果てしなく続く平野を背景に、オートバイを囲んで立つ四人の男女が写っていた。

 一人は若かりし頃のサエグス本人。軍服ではなく、機械油で汚れた作業着姿だった。

 サエグスは隣に立つ革ツナギの美しい女性を見るや、口元を綻ばせた。

「こうして見ると、マキナの顔は母さん似なんだなあ……」

 当時は悪友……現在では彼の妻で、三人娘の母となった女性、サエグス・リサ。


 そしてもう一組、サエグスに肩を組まれた作業着の大柄な青年と、その隣に立つワンピースドレスを着た小柄な女性。

 彼らを見るや、サエグスは真剣な表情を作る。そしてまるで話しかけるように呟いた。

「あの記者の事なら心配するな。俺たちの夢にも、娘たちにも、絶対に近づけさせやしない。だから安心してくれ……二人とも」



 ……

 一方その頃。

「あ」

 学生食堂でスウプをひと匙吸っていた女生徒が、微かに声をあげた。


「髪の毛?」

 隣席の友人が尋ねる。スウプに何か嫌なものでも入っていたのかしらと思い、彼女の皿を覗く。


「いいえ、用事を思い出しただけ。驚かせてしまってごめんなさい」

 女生徒は小さく首を傾けると、左右に分けて結えた赤い髪がはらりと揺れる。笑みを浮かべるあどけない丸い顔にはふっくら肉が付き、歳相応の可愛らしさがあった。

「用事って、メイドのお仕事のことかしら、シキさん?」

 友人がまた尋ねると、シキと呼ばれた女生徒は「それとは別に」と答えた。


「オトギ先生から借りていた本を返していなかったの、すっかり忘れていたの」

 シキは困ったように笑い、それからまたひと匙、スウプを口へと運んだ。


 昼食のメニューは、コッペパンに魚のすり身フライ、キャベツの酢漬け。それにほうれん草と裏漉ししたジャガイモのスープ……。


(美味しいのだけれど。なあ)

 舌鼓を打つ一方、スウプを飲む為だけの細やかな作法に、シキはちょっぴり不満を覚えていた。とはいえ、彼女が籍を置く学校では挨拶から言葉遣い、ベージュ色の質素な制服の着用法から、果てはスウプの飲み方にまで、嫌になるほど「作法」が存在した。


 シキはチラリと周囲を見回した。皇都でも格式とやらが高い高等女学園。ここに通う生徒たちは、所謂お嬢様ばかりで、ありとあらゆる作法をまるで澄まし顔でこなしてしまうのだ。

 だからこそ、無作法とやらで悪目立ちはしたくなかった。何しろ今でさえ……。


(あの子でしょうシマさんって。噂どおり、とても大きな人なのね。まるで大木だわね)

 小さな囁き声にシキは眉をひそめる。

 身長の話をされる度に、男顔負けの長身を誇るシマ・シキは、つい背中を丸めたくなってしまうのだった。


(ねえ、聞きました? シキさんって、ここの卒業生だったサエグス様のお屋敷で、使用人をされているそうよ)

(今どき書生の真似事だなんて。そうまでして……あらあら……)

(身の丈というものがあるでしょうに)

 当人たちは声をひそめて話しているつもりらしいが、シキの耳にはしっかり届いていた。


「賑やかな隙間風ですわね、窓の建て付けが悪いのかしら」

 不意に隣席の友人が優しく声をかける。どう返せば良いか戸惑っていると、その友人はお淑やかに言ってきた。

「それよりコッペパン、お食べにならないのですか。がっつくようですが、私の大好物なのです……ひと切れでも下さらない?」


 ……


 シマ・シキは両親を喪っている。

 十五年前、つまり彼女が産まれた日であり、世界規模の超巨大地震、いわゆる「大界震」が起きた日に先ず父親が死んだ。

 それから五年後。大界震の爪痕が未だ癒えず、誰もが皆余裕を失っている中、今後は母親が父の後を追いかけるようにあの世へと旅立った。


 親戚と呼ばれる血縁者たちは、さも当たり前のように僅かばかりの財産を奪い尽くし、5歳になったシキを焼け野原に捨て去った。

 数日後。全てを失い、飢えと渇きに苦しみながら死を待っていると、両親の旧友であったサエグス夫妻が見つけ出して、救助してくれた。


 あの日からずいぶん月日が経った。

 奇人だらけのサエグス家、変人だらけの使用人たちに囲まれて成長したシキは、使用人兼女学生として、慌ただしく過ごしている。


 使用人をしているのは、少しでも恩返しがしたいという気持ちからだった。

 これまでに返しきれない恩を沢山受けている。返しきれないのは心得ているし、使用人として働いても、いわゆる自己満足留まりにしかならないことも、悔しいが理解している。だからといって、何もしないのはもっと嫌だ。


 陰であれこれ言われるのは確かに辛い。でも、恩人たちの好意で、当たり前が手に入ったのだ。文句も泣き言も絶対に言いたくなかった。

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