くろがね鬼-5


「先ずは俺の用事を済ませる。機関室だ、物音は絶対に立てるな」

 三人は水平線の彼方へ沈みかける夕陽を横目に、船内の奥深くを目指していった。


 ニワサメは予め船内の構造を把握していたようだ。一度も迷うこともなければ、見取り図を探す素振りさえ見せず、機関室に着いてしまった。錆のついた鉄の扉を開けると、無数のパイプや人の背丈以上もある巨大な機械がひしめく空間が奥まで続いていた。

 主電源も落ちてしまったのか、機関室の電灯は全て消え、補助用の赤色電球が幾つか灯っているだけであった。


「足元に気をつけてくれ、シキくん。こうも暗いと転んでしまいそうだ」

「はぁい」

「制御室はこの奥だ。一列になって進むぞ」

 懐中電灯を手に前進する三人。船の心臓部はヒンヤリ冷めきっていた。作動を止めてから時間が経っているのだ。


 マキナはふと横の機械に目を向けると、

「保険屋くん。ハーキュリーズ号の船籍はどこなんだい?」足を止めて尋ねた。


「船籍はアルビオン。ダートプル港が母港という事になっている」

 振り返る事なくニワサメが答える。マキナは体を曲げて、機械を覗き見た。


「そうか。外国の船か……だとしたら、どうして部品にアキヅの文字が刻まれているのだろうねえ」

「え?」シキも丸くした目で機械を見てみると、確かに彼女らの母語であるアキツ語で『安全弁・イ-8』の文字が彫り込まれていた。

「ホントだ。お嬢様、こっちの大きな水槽みたいなのには『ウミハ発動機』と書いてます!」

「海を越えて我が国の機械が使われていると単純に喜んで良い事柄なのかな。それとも、保険屋くんが危険を冒すだけのワケがあるのかね」

 湧き立つ好奇心に目の色を変えるマキナ。そんな彼女とは対照的に、振り向いたニワサメの表情は苦虫を噛み潰したように渋かった。

「だから一人でやりたかったんだ」


 ……


「軍艦の横流しぃ!?」

 しばらく後、機関制御室にシキの素っ頓狂な声が響いた。

 机の引き出しを引っ掻き回していたニワサメが、慌てて己の口に指をあてる。

「あう……」

 シキはあたふたと両手で口を覆い隠す。


「輸送艦414号。南方への物資輸送に使われていた艦だ。戦後、老朽化を理由に処分されていた筈だった」

「処分ねえ」

 壁に背中を預けて、話に耳を傾けていたマキナが呟く。

「大界震から終戦、そして戦後の復興作業。あの頃はどこもかしこも滅茶苦茶だった。書類から消えた物資やら、在庫数の合わない腐った缶詰、ある事になっていた金が一銭もないとか、結構あったもんだ」

「まるで当事者ような口ぶりだね」

 などとマキナ達と言葉を交わしながら、ニワサメは引き出しから手を抜いた。


 握られていたのは、海軍の水兵が被る略帽だった。元は真っ白だったようだが、生地は機械油で黒く汚れ、埃まで被っていた。彼はしばらく略帽を真顔で見下ろした後、そっと机の上に置いた。


「414号も請け負った解体業者が食い扶持を稼ぐ為に、こっそり横流しされた。それをアルビオンの船会社が密かに購入、ハーキュリーズ号に改装し直したって流れだ」


「元から曰くつきの船だったんですね」

 シキが声の調子を落として相槌を打つ。今度は機関長の席を漁り始めたニワサメは、小さく頷いて続きを話した。

「んで、ここからが本題だ。つい一昨日、ハーキュリーズ号を所有している船会社に警察の手が入った……会社ぐるみで密輸業をしていたのがバレてな。急ぎ所有している全ての船舶を止めたが、肝心の本命はとっくの昔に海へ出てしまっていた。積む筈だった荷物を港に置いて、逃げるように」


「まさかその本命がハーキュリーズ号?」

 シキが目を瞬かせる。

「なんだい、なんだい保険屋くん。知っていたんなら早く言っておくれよ。僕らの目当ての品は、ハナから無かったってさぁ!」

 マキナが抗議を無視して、ニワサメは機関長の席から青い冊子を取り出した。


 冊子には船の図面が記された青写真が納められていた。マキナは横から中身を覗き込むなり、「なるほど」と呟いた。

「ここ、船底に広い空間があるね。輸送艦時代の貨物室を二層式に改造したんだ。密輸品は床下に隠し、何食わぬ顔で上層に荷物を積めば見つかる事はない……つまり、最初から密輸目的でこの船を弄った訳だね」

 彼女の発言にニワサメは驚きを隠せなかった。


 奇妙な振る舞いこそしているが、マキナはあくまで一般人。何故、図面を一目見て船の秘密を理解できたのか……。


 ニワサメは静かに咳払いをする。もう一方の方向から、シキが物静かに、しかし早く続きを聞きたそうな目で見つめて来たからだ。

 追求は後回し。ニワサメが口を動かす。


「ハーキュリーズ号は証拠品そのものだ。俺が悪党なら一刻も早く沈めて処分したいね。海底なら捜査の手も及ばない。ついでに保険金もたんまり掛けておいてな。ワイズマン保険はそんな最悪の事態を危惧して俺を派遣した」

「保険屋くぅん。まさかハーキュリーズ号の事故は最初から仕組まれていたってのかい?」

 顔を上げてニワサメを見つめるマキナ。その切長の眼は、まるで子どものように輝いていた。しまったと、ほぞを噛むニワサメ。この女、刺激的な言葉を聞けば聞くほど、喜んで首を突っ込みたがる性質だ。


「……本当は沖合で沈める予定だったんだろう。だが予期せぬ事故で計画は失敗、流されて来てしまった。こんな所じゃあないかと踏んでいる」

「あ、あの。という事は……」

 シキは不安げに制御室の外を見やる。彼女の心中を察したマキナが不敵に笑いながら言った。

「船内にいる乗組員全員が悪党ってことだ」


 ……


「早く設置を終わらせろォ!」

 真っ青な三揃いの背広を着た男ががなり立てる。痩せぎすの長身で手脚も枝のように細いのだが、声量はとてつもなく大きかった。

 銀色の髪はオールバックにしており、口周りと顎下には同じく銀の髭を生やしている。

「また爆破にしくじったら容赦はしねえぞ!」

 着ている背広は見るからに高級品、身なりも上品に整えている。だが青い瞳は野生味溢れるギラついた光を宿し、口から溢れる言葉は粗野極まりない。

 そんな男の怒声を背中に受けながら、手下と思しき男達が、広い貨物室のあちこちに爆弾を仕掛けて回っていた。


 さて、男は明後日の方角を見やると、口角を下品につり上げて露悪的な笑みを作った。

「爆薬の量はざっと十トン。爆心地のテメエらは……骨すら残らねぇぜ」

 侮蔑のこもった視線の先には、縄で縛られた警官達や役人達が座らされていた。ハーキュリーズ号に臨検で乗り込んだ彼らは、この船の正体を知ってしまったが為に、捕縛されてしまったのだ。ある者は避けられぬ運命に顔を真っ青にさせて、またある者は傷だらけアザだらけの顔を、怒りで真っ赤に染めている。


「傑作だぜ。この世の何よりも大嫌ぇなサツどもが、揃いも揃って間抜けなツラぁしていやがる。そんな顔するんじゃあねぇよ、テメエらの墓ができたら、真っ先にこのドクター・バイス様が花を添えてやっからよぉ。ダーッハッハッハ!」

 頭が床面にくっ付かんばかりに背中を反らして大笑いする背広男、ドクター・バイス。


 やがて彼は人質にも興味が失せたのか、踵を返して船倉中央部に寝かせられた巨人を見上げた。

 半分以上を幌で覆われているせいで全体像ははっきりしないが、その体躯は二十メートル以上はあり、隙間から垣間見える肉体は灰色の鋼鉄で出来ていた。


「はあぁ……悔しいぜ、全く。コイツも一緒に吹き飛ばさなきゃならねえなんてよぉ」

 先ほどまで豪快に笑い飛ばしていたバイスの顔が、急に曇りだす。


「ボス。爆弾の設置がもうじき終わ……」

 そこへ、ハンチング帽にスカーフで顔半分を隠した大男が駆け寄ってきた。するとバイスは急に目を吊り上げてその手下に怒鳴り返した。

「ドクター! ドクターと呼べって、何度言えば分かるんだ、このバカ!」

「すんませんっス、ドクター」

 手下の謝罪でひとまず怒りが治ったのか、ドクター・バイスはフンと鼻を鳴らした。


「次は無いと思え。何しろ今のオレ様は、すこぶる機嫌が悪ぃんだからよぉ」

「あー。コイツのことっスか。客からポンコツ呼ばわりされて返品くらった……」

「ポンコツではない! このオレ様が手塩に掛けた作品たちに、ポンコツなど存在しない!」

「でも、何処にも売れなかったじゃあねぇっスか。取り柄といえば水の中を泳げるってだけ。だからこうして処分するんでしょう?」

「テメエ。本当に死にてえらしいなぁ!?」

 ぎゃあぎゃあと喚き散らすバイスの姿を、天井裏から見下ろす三つの影。マキナ、シキ、そしてニワサメの三人だ。


「愉快な男だねぇ」マキナがほくそ笑む。

「なるほど。積荷を置き去りにしたのは、人形重機を載せる為だったか。そして船もろとも不良在庫の処分……いや、そのために爆薬を10トンも使うって……大袈裟すぎるぞ」

 額に手を当てて嘆息するニワサメ。


「あの、どうするんですか? このままでは捕まった人たちが爆発に巻き込まれちゃう」

 オロオロ狼狽するシキ。

「どうにかして助ける方法はありませんか?」

「気持ちは分かるけどさ、お嬢ちゃん。相手の人数はこっちの倍以上で武装もしている。それに俺たちも爆発に巻き込まれかねない」

 冷静かつ、ゆっくりハッキリ言う。

「俺たちにできるのは、一刻も早くここを脱出して大急ぎで助けを呼びに行くこと。下手な考えは起こさない方が身の為だ」


「フムン。つまり、上手い考えだったら起こしても良いんだな、保険屋くん?」

 唐突にマキナが口走る。主人の発言に、ぱあっと顔を明るくするシキ。一方のニワサメはソフト帽を目深に被り直して嘆息した。

「やっぱり連れて来るんじゃあなかった」

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