くろがね鬼-2
『深夜の皇都にくろがね鬼現る』
『強盗団逮捕、くろがね鬼またもや大手柄か!?』
〈昨晩、皇都の
〈警察の発表によると、逮捕された容疑者たちは、国際指名手配中の『黄巾族』の可能性が高く……〉
〈一部関係者によると、この事件には全国各地で自警活動を続ける、通称『くろがね鬼』が関係していると……〉
朝陽が昇ると皇都のあちこちで、くろがね鬼の大活躍が知れ渡った。
新聞が、ラジヲが、街頭に置かれた新型のテレビヂヲンが、真夜中の皇都で起きた大事件をセンセーショナルに報じる。
それらを目にした皇都の人々は、家族から近隣住人、友人へと、まるでさも自分が見聞きしたように熱っぽく語り継ぐ。それらはやがて学校やら職場やら取引先やら、次から次へと、噂となって広まっていくのだった。
「……警察はそろそろ、くろがね鬼を本庁で雇い入れるべきだ。お偉い役職と高い報酬を用意してだな」
コーヒーの香りがふわりと漂う朝の純喫茶に、会社員風の中年男の明るい声がよく響いた。
客の数は少なく、壁側で雑音混じりに今日の天気を伝えるラジヲの音もさほど大きくなかったせいだろう。中年男の声は店内じゅうによく響いた。
「そいつは面白い話だが、そもそもアレの正体は何なのだろうかね、カワラさん。噂だとくろがね鬼は皇都から追い出された鬼の末裔だとか、百年も昔にあった
カウンタを挟んだ老齢の店主が応えた。雑談を交わしながらも、洗ったカップを丁寧に拭き、店の隅々に注意を向けている。
「鬼とか幽霊とか、馬鹿馬鹿しい。科学が世界を拓く時代だっていうのに。アタクシが思うにね、マスター。くろがね鬼の正体は人形重機だよ」
「人形重機? ああ、近頃は建設現場でもよく見るようになった……確かにアレは大きな乗り物だが、せいぜい……」
「どんなに大きくても五メートルそこらだもんな。だが不可能な話でもない、どんなに大きくても、今の時代なら材料と設備さえ整えば作ることもできる」
カワラと呼ばれた中年男は区切りをつけるように、砂糖とクリームをたっぷり入れたコーヒーを口に運ぶ。ホットケーキが一枚できる程の激甘コーヒーを愛飲しているせいなのか、寸胴の体はもとより短い四肢も顔も、全てがまん丸であった。
「それと海外支局の同僚が言うにはね、海の向こう、アメリクスの警察では、とうとう人形重機犯罪に対応する部隊を作ったそうだ。それに引き換え我が国はどうだい。戦後十五年経って世の中は目まぐるしく変わっているというのに、旧態然の治安警察はいつも後手の後手。人形重機は一台もなく、凶悪事件はくろがね鬼が居なければ……」
得意げに語っていたカワラの口が止まる。相対する店主が気まずそうな顔で、カワラの背後を見ていたのだ。
振り返ってみると、治安警察の制服を着た屈強な男が一人、怒り顔で立っていた。
「……いなければ、なんだって?」
カイゼル髭を生やした口がゆっくり動く。
「いやあ、これはこれは。治安警察警備部の指揮官殿ではありませんか。ゆうべは大捕物だったとか」
怒りの矛先が向いているにもかかわらず、カワラはよく肥えた丸顔に、ニヤニヤ笑顔を浮かべていた。
「どうも指揮官殿。アタクシは
「ふん。ブン屋
「そう邪険にしないで下さいよお。治安警察が日夜頑張って、くろがね鬼を追いかけていることくらい、ちゃあんと知ってます。大規模な動員を掛けて、皇都の端から端までくまなく調べていることだって」
当然のことながら、くろがね鬼が活躍するのを良しとしない者たちもいる。特に首都「皇都」の平和を司る治安警察は、くろがね鬼……正確にはそうあだ名される人形重機と、搭乗者を広域重要指名手配犯と位置付けて捜査活動に励んでいた。
「そろそろ手掛かりのての字が見つかっても良い頃だと思うんですがね。その辺り、どうなんですか?」
挑発的なニヤニヤ笑いを更に深めるカワラ記者。
「貴様あ!」
当然、治安警察の指揮官は激怒して、シャツの襟を掴みにかかった。
店内がぎゃあぎゃあと騒ぎが大きくなっていく中、我関せずと会計を済ませる少女がいた。
空色の着物に黒緑の女袴を身につけ、長い黒髪を左右に分けて結えて両肩に載せている。
ふっくら肉の付いた顔はあどけなく、赤みを含んだ肌艶からすると、齢は十代半ば頃。
一方で体つきは歳不相応に恵まれており、背丈は大人の男と比べても遜色なく、肉付きも良かった。
そんな長身の少女は、着物の懐に財布を仕舞いながら、若い女給と世間話を交わしていた。
「ようやく林間学校が終わって、今朝ようやく帰ってこれたんです」
少女は春の木漏れ日を思わせる、優しげな笑みを交えて言った。
「どうりでこの数日、シキちゃんを見かけないと思ったわ。つい一昨日も、お宅のお嬢様が遅い時間に一人でいらっしゃっていたし」
女給の言葉に少女……シマ・シキはほんのちょっぴり眉をひそめる。
「あたしが居ない間、お嬢様が粗相を働くようなことはありましたか?」
女給はチラリと視線を彷徨わせた後で「通常営業」と答えた。
たちまちの内にシキの顔が曇る。
「ああ……申し訳ございませんでした」
「いいの、いいの。アタシは賑やかだから好きだけどね。今度は二人で来て頂戴な、うんとサービスしてあげるから」
「ありがとう御座います。では、ご機嫌よう」
世間話を切り上げたシキは喫茶店を後にした。
彼女がいるのは文国町の表通り。これから目指す坂道「D坂」とは、徒歩で数分ばかり離れた位置にあった。
この区画は一五年前の戦災と、その戦争が終わるキッカケにもなった大災害に見舞われて、酷く荒廃した。末期の空襲にも耐えた建物は災害によってトドメを刺され、懸命に生き延びていた人々の命も一瞬で奪ったという。
しかし長い月日の中で着実に復興は進んでいき、今では舗装された道路には車や自転車が列を成し、沿道には活気溢れる店々が建ち並ぶ、賑やかな街となっていた。
そんな街並みを横目に、シキは猫のような軽やかな足取りで進み、やがてD坂へと辿り着いた。目当ての建物は坂の麓に佇む、三階建の古い雑居ビル。坂道の周りにある建物は平屋ばかりなので、その雑居ビルは特に目立っていた。
色褪せた赤煉瓦の外壁には緑豊かな蔦や葉っぱがカーテンのように垂れ下がり、建物の名前を刻んでいたであろうプレートも、文字がはげ落ちてしまっている。
もはや持主不在の空きビルと遜色ない廃れ具合であるが、シキは何食わぬ顔で正面玄関の鍵を開けて中に入った。
「ああ……なんてこと」
入るなり、少女の口からため息が漏れた。
灰色のタイルが敷き詰められた廊下、そして上階に続くシックな色合いの階段には、一本線を描くように、飲み干したワインボトルやら、落下傘の布地を加工して作ったカバンやら、くしゃくしゃの衣類やらが、点々と捨て置かれていたのである。
「どうして部屋の中で着替えられないのかしら、あの人は」
シキは落ちているものを拾い集めながら、階段を上がっていく。
下着まで回収し終えた頃には、二階の最奥にある部屋に辿り着いた。木製ドアがほんの数センチ開いており、隙間からはか細いイビキが聞こえてきた。
「お嬢様、シキです。ただいま戻りました」
ノックをして一言。だが返ってくるのはイビキだけ。仕方なくドアを開けて、シキは部屋の中へと入った。
「ああ……もう、やっぱりここもなのね」
部屋の惨状が目に飛び込むなり、シキはガクリと肩を落とした。
主人の下を離れる前、シキは主人の部屋を徹底的に掃除した。生活能力皆無の彼女を1人残す罪悪感から、最悪の未来が訪れるだろうという予感から、心血注いで綺麗にした筈だった。
その努力は水の泡と化した。
三日。時間にして七十二時間とちょっとの間で、主人の部屋は荒れに荒れ果てていた。
カーペットの床の上には書籍の塔やら、空の酒瓶や丸めたちり紙などのゴミが所狭しと置かれて、足の踏み場は殆どない。
クローゼットは開け広げたまま放置され、衣類箪笥の前には丸めた衣類の塊が出来上がっている。
書棚は滅茶苦茶、机の上も書類やら食器やらが散乱していた。
にもかかわらず、この地獄を作り出した張本人は、窓際のベッドで、毛布を目深に被ってぐうぐう眠っている。シキが部屋に入ったことにすら気付かず、土饅頭のようにこんもり盛り上がった毛布の中から、能天気なイビキをたてながら……。
ベッドに近づいたシキは、すうっと深呼吸をした後、大声を張り上げた。
「起きて下さい、お嬢様ああぁ!!」
「どわああぁっ!!?」
毛布が跳ね上がり、中から全裸の女が飛び出してきた。よほど驚いたのか、勢い余った全裸女はベッドから転げ落ちてしまった。
「言いたいことが山ほどありますが、ひとまずはお早う御座います、マキナお嬢様」
シキは呆れ顔で主人に挨拶する。
「や、やあ……おはよう、シキくぅん……」
シキの主人であるサエグス・マキナは、床に突っ伏したまま挨拶を返してきた。
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