第17話 イカロス・

興奮が最高潮に達した。


何も考えられない。

熱い吐息が共鳴してゆく。

揺れながら、ふたりが衝動と快感に任せ、ひとつに溶け合ってゆく。




図書館で声をかけられた、あの瞬間が蘇る。

寺西、なに読んでるの


低く立ち込めた、濃灰色の重い空のような日々に、光が差した。


屈託ない無邪気な笑顔。

きらめく時間。

寂しげな横顔。

その全てが、かたくなな俺を溶かしていった。



そして初めてが、君と叶うなんて __

白昼夢に溺れていく。





唐突に、抑えがたい圧力が湧き上がる。

まずい。

焦るが抑えられない。

事態が急転直下する。


初体験者の多くが陥る失敗。



暴発

全身が粟立つ。 狼狽ろうばい

まだ数分も経ってないじゃないか。


マシンをクラッシュさせた、ラリードライバーの心境だった。

後 どの位、余力が残っているのか。



急いで、新しいものと交換する。

そして再び、絵理香と向き合う。

もう一度。

祈るような気持ちだった。




「そこは……」


こぼれ落ちた希望を、再び繫ぐように。

ゆっくりだ。

焦るな。


痛がっていないか。

体勢は辛くないか。

どこを支えるべきか。

呼吸は苦しくなっていないか。


息づかい、呼応する声、握られる手の強さ。

体の微細な反応に、神経を集中させる。



反応が強くなる方向に動かし、それを反復する。

反復される荒い吐息が、快感によるものである事を感じ取る。



いつ尽きるのか。

頼む、持ちこたえてくれ。

祈るしかなかった。


全身に汗が吹き出す。

どこに有るのかも分からないゴールに向かって、全開で駆ける。







満たされた気持ちも、安堵感もなかった。

行為の最低ラインを、クリアしたに過ぎない。


「初めて……」

絵里香がつぶやく。

そう、俺にとっては初めてだった。

また嫉妬混じりの悔しさが、胸を傷付ける。



ベッドの中で抱き合う。

髪をそっと指でなぞり、背中から腰へと触れてゆく。

異変。

いや、違和感を手の平が察知した。


背中とは、こんな形だっただろうか。

俺の背中は、真ん中に背骨が通ってるだけで、ぺらぺらの板切れのようだ。



背骨の両側が、レールのように太く隆起している。

何だ、これは。


背中の側面から脇への、逆三角に広がる外形をなぞる。

しなやかな腕も肩も、整合性の取れた造形によるもので、細くなどなかった。



俺はいつも、気付くのが遅い。





ベッドから降り、バスルームへ向かう。

鏡。

水辺に打ち上げられ、朽ちた棒切れのような俺の姿が映った。



暗いバスルームで、熱いシャワーを顔にぶつける。

そうするしかなかった。



人生を懸命に生きてきた君と、

人生から逃げ回ってきた、情けない男。


その歴然たる差が、隆起した筋肉を通して衝撃のように伝わった。

日々を無難に過ごす事しか考えず、何の努力もしなかった自分。

自業自得が、胸をズタズタに引き裂いてゆく。



異なる世界の住人で、人種すら違うのだ。

初めから分かっている。

涙が流れているかどうか、分からなかった。



会うたびに、魅了され続けた。

それと同じ分だけ、自分の無力感、無価値感、諦念に、さい悩まされた。

嗚咽だけが繰り返し、込み上げる。



修、お前 軽いなぁ もっと飯食ってデカくならねえと


棒切れのような男。

誰の期待にも応えられない、しょうもない俺など、ズタズタに切り裂かれてしまえばいい。



見上げた暗いバスルームに、鬱陶うっとおしいほど鮮やかな、快晴の青空が見えた。








太陽の破片 / 尾崎豊

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