第11話 ラストショー

「行くぜ!修、掴まってろよ!」


シフトが二速に叩き込まれ、アクセル全開に踏まれた。

背中がシートに押し付けられる。

視野が狭くなる急加速。


「うわぁ、すごいよ!お兄ちゃん!」


加速は一瞬で、すぐ速度を落とし巡行に戻った。

「どうだ。こいつ見た目は傷だらけだけど、結構やるんだぜ」



マンホールを超えるたび、きしむ音を立てる車。

爽やかな緑の香りが、田園風景に流れていた。

どこまでも走り抜けて行けそうだった。

快晴の空に、厚い層の雲。 夏。





洗いざらしのシャツのようにラフな人だった。

長い前髪をかき上げる癖。

ダメージジーンズから見える膝。


茂樹しげき兄ちゃん。

お兄ちゃんと呼んでいるが、叔父である。

年の離れた、父の弟だ。




海へ行こうと誘われた。

昼下がり。海水浴には時間が遅い気がした。



車の中には、いつも浜田省吾と尾崎豊が流れている。

『ラストショー』は僕のお気に入り曲で、ドライブのたびに流してもらった。


「さーよなーらぁーー

バックミラーの なかにぃーー

あの頃のーー 君を 探して 走るぅーー」


窓を全開にして、ふたりで大声で歌った。

この曲が、悲しい別れの歌だと気付くのは、もっと後の事だった。


僕はいつも気付くのが遅い。





「修、お前も大人になったら車を買え。

車ってのは翼でもあり、友達ダチでもあるんだ。

どこへでも連れて行ってくれる。

どこにでも付いてきてくれる」


車を運転できたら、自由で爽快だろうな。





林と 幾つかの集落を抜けると、視界が開けた。

かすか潮の香り。

もうすぐ海だ。


「修、今から目をつぶれ。俺が良いって言うまで目を開けるなよ」

「怖いこと、じゃないよね……?」

「心配すんな。もうすぐ着く。とっておきの、すげえもの見せてやるぜ」


目深にキャップを被せられた。

僕は言う通り、目を閉じた。




車が大きく曲がり、そして停まった。

兄ちゃんが助手席のドアを開けた。潮の香り。


「まだ、そのままだぜ。俺がおぶってやる」

手を引かれ立ち上がり、そして肩の位置を確かめる。


ふわっと体が浮いた。

「お前、軽いなぁ。もっと飯食ってデカくならねえと」


おんぶされるのは、久しぶりだ。

細身な硬い背中、力強い腕、いつもの香り。




階段を降り、足場の悪いところを歩いているのが、背中越しに伝わる。


「もうすぐ?」

「ああ。お前に、どうしても見せたい海があるんだ。まだ、お前で二人目なんだぜ」



背中から降ろされ、キャップを外された。

「いいぜ、目開けな」

目を開ける。

まぶしさに、手をかざした。



「うわぁ __ 」





海が、燃えていた。


蒼い水平線の上を跳ねるように、オレンジゴールドがきらめき、乱反射していた。

まぶしい茜色から、空に紫のグラデーション。

息もつまるような、幻想の海辺には、波の音すら止まっていた。


ただただ美しかった。



お前に、どうしても見せたい海があるんだ __


不意に夕陽がにじんだ。 

涙。

兄ちゃんが無言で、僕の髪をクシャクシャとした。

この光景は今しか見られない。

涙をぬぐい、見続けた。

兄ちゃんの海を。




どれだけ、そうしてただろう。

煙草の匂い。

そばに寄る。

「お兄ちゃん、ありが ……」


見上げたサングラスの隙間に。

胸が詰まるほど、哀しい目をしていた。

兄ちゃんは夕陽に、何を見てるのか。



お前で、二人目なんだぜ __

僕はいつも気付くのが遅い。


言葉が出なかった。

そっと兄ちゃんの手を握った。

それしか出来なかった。

三回、手を握りかえしてきた。


それは寂しさを、寄り添い合わせるようだった。





「後は家に帰るだけだ。寝ちまって良いぜ」

日が暮れはじめていた。



濃青の夜。

ヘッドライトの道路、黒いシルエットの木々が流れていた。

時おり、対向車が車内を照らし、そして夜が続いた。


僕は深くシートに身を沈めた。

兄ちゃんが、ジャケットをかけてくれた。

いつもの香り。




ぼつりぽつりと、話し始めた。

こちらが聞いているか、確かめるもなく独り言のように。

トーンが高く細身で澄んだ、いつもの声。



別れとは、ほんの少し死ぬ事だ。

フィリップ・マーロウって奴の言葉さ。

俺は『ロング・グッドバイ』って小説が好きでさ。

もう何度も読み返してる。



なあ

何で人が死ぬと悲しいか、分かるか。

散々、考えた。

結局、もう二度と会えないって、寂しさじゃないのか。

今は、それが一番しっくりくるんだ。


その人が残したもの、託した想いは、必ず誰かに届く。

俺が今も、尾崎を聴いてるようにさ。



死ぬのが、二度と会えない事なら

二度と会えなくなった奴は、死んだのと同じじゃないか。


遠く空を見上げて、この世界のどこかにいると思うと、時々、その方が辛くなる。




いいか、修。よく覚えとけよ。


会いたい奴には、会いに行け。

見つからなかったら、探すんだ。

そして

俺はここにいると、言い続けろ。

どんなに声が小さくとも、俺はここにいるって言い続けろ。

その想いは誰かに伝わり、寄り添う事になるんだ。

忘れんなよ。



きしむ車の規則正しい揺れと、

兄ちゃんのフレグランスの香りがするジャケットに包まれて、

僕は微睡まどろみの中に浮かんでいた。





茂樹しげき兄ちゃんも、あの車も今はもういない。

思い出を、浜田省吾と尾崎豊の中に残して ___







ラストショー / 浜田省吾


水井幸二 : 逃がれの街 / 北方謙三

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