第一部『Welcome トゥ 混沌』

吸血鬼の女と出会う

 夜。

 果たして夜が来て嬉しい人間はどの程度いるのだろうか?

 例えば、街中を歩く酔っ払った人間。

 仕事も終わり、顔を赤くさせて千鳥足で歩いてく会社帰りの男たち。

 例えば、ネオン街の一角で小綺麗こぎれいなドレスを身に纏う美女たち。

 自分の感情を押し殺して、ただ男の欲望を満たして金を満たしていく女たち。

 例えば……吸血鬼。

 月の光を浴び、さも人間であるように嘯き、街を歩く一人の女。


 この女の名前は香美蘭かみらんという。

 かの有名な女吸血鬼と奇遇にも名前が酷似した、そこそこ身長の高い女は無駄を削ぎ落とした細身の体を隠す漆黒で革製のロングコートを身につけ、街行く人間たちを掻き分けながら歩いていく。

 

 ふと立ち止まり、スマートフォンを見やる。

 吸血鬼と言えば怪物である、と誰しも思うだろう。

 だが彼女は人間の血を吸う以外に、何かあるわけではない。

 あると言えば改良に改良を加えたお手製のスマートフォン、鉛の鉄槌を下さんといまかいまか待ち構えた信頼できるベレッタ……別にアンダーワールドのセリーンに憧れたわけではあるまいがとは蘭の談。


 しかし特別な力はない。ただ生きる為に日々、賞味期限21日以内で2℃〜6℃にきっちり冷蔵管理された輸血パックを飲むこと、あとは白い素肌を焦がさないように紫外線指数1以下の夜に活動する以外、何もない。


 それさえ守れば、日常を生きていくには困ることはない。

 ……多分ない、そう言い切れないことも蘭の談。

 おかげさまで29年ほど生きていた吸血鬼の生涯で得たものは信頼できる武器の情報、その情報を収集する為の電子機器の知識、息抜きに吸う電子煙草の良し悪し、それから……暇つぶしに映画を鑑賞する為に登録したサブスクリプションの数々。


 それ以外は本当にない。

 改良した違法スマートフォンで友達(仕事がらみの付き合いはあるが)と連絡を取り合ったことはない。そもそも友達がいない。

 別に趣味があるわけでもない。

 

 では香美蘭かみらんには何があるのか?

 その答えは実に初志貫徹したものだった。


 ───道を違えた同族に、鉛玉の鉄槌を。


 そう思えば、彼女の姿は誰にも媚びないものだった。

 漆黒の革コートに袖を通した細身の体も、目は細く鼻も高い凛としている化粧もしない細い顔も、色目もなく額を露わにして耳に若干かかるほどのショートヘアも、どれも誰に媚びるわけでもない。

 

 そう言わんばかりに道行く人間たちも、香美蘭の姿を見ようとはしなかった。

 夜に紛れるように歩く香美蘭かみらんの姿には。


 それでいい。


 スマートフォンをコートの内ポケットにしまってから、前を向く。

 看板の電光や街頭で夜にも関わらず照らされた街の中、人混みの中を蘭は再び歩こうとした。


 が。


 ふと蘭は吸血鬼らしく丸く黒い瞳で、目の前を凝らした。


 そこには自分と同じ黒いコートの女がいた。

 しかし太々ふてぶてしい存在だと、思った。

 その膝まである分厚い黒コートに袖も通さない、金髪でかなり背の高い細身の女。


「なに?そのマフィアのようなチェスターコートの着方。エリザベス・デビッキみたいな見た目なのに、趣味が悪いわね」


 目の前にいる病的なほどに白い素肌、そして右腕に包帯を巻きつけた女の正体を、最初は分からなかった。

 だからというわけでもないが、それとも友好的な話し方を忘れてしまったのか、まるで嫌味を言うように蘭は言葉をぶつけた。


 そうすると目の前の金髪の女は「ぷっ」と鼻で笑った。


「ご挨拶だね、蘭ちゃん。まぁ、デビッキに例えたのは秀逸だが、随分トゲのある言葉をぶつけるじゃあないか。メアリージュンのような顔には似合ってるがね」

「……高橋?言われたことないわ」

「そうかい?キカイダーREBOOTのマリみたいな感じだと私は思うよ」

「そう。どうでもいいけど」


 蘭は気に入らずにそっけなく返す。

 ……というよりあの女優の作品で、何故それを出そうと思ったのか?

 さっさとどこかに消えてしまえばいいのにと思いながら、ふとその金髪の女を観察する。

 

 腰まで伸びたストレートの金髪。

 外人のような顔。

 女よりも大きく思わせる黒いコート。

 白すぎる素肌。

 そして……コートからちらりと見え隠れする、包帯が巻き付いた右腕。

 

 指一本一本に渡っても木乃伊のように綺麗に巻かれた包帯を見て、ふと蘭は首を傾げる。


「……その特徴的な包帯」

「ん?これかね。今日は何回もこれを尋ねられる日だことで。ま、仕方ないさね」


 いよいよ、と言わんばかりに金髪の女はコートから、その右腕を露わにする。

 その女らしくか細い右腕を。

 まるで自分を象徴するように堂々として、その右腕は蘭の前へと現れる。


「……怪我をしているわけじゃないわよね?それにしても滑らかに動いてる。何かあればぎこちなく動くようなものだけど、それすらも感じさせないわね」

「ご説明どうもありがとう。ま、普段は封印しているようなものだからね。これを解き放つのは時さね」


 裁定。

 その言葉で気付き、蘭はコートからスマートフォンを取り出してからとあるメッセージを探す。そして見つける。


 、という単語。


「……そう。あなたが呂畑ロバタとかいうザ・ボーイズのカール・アーバンみたいな顔をした刑事が言っていた女」

「おいおい、ここは日本さね。確かにあの人は顔中かおじゅうが髭まみれだがね。聞いてる人が混乱しちゃうよ。例えるなら日本の映画で」

「誰も興味ないと思うけど?」


 そうして顔を背けるようにして蘭は辺りを見渡す。

 蘭の言うとおり、立ち止まっている二人を無視して皆が皆、歩き続けていた。

 この日本の平和な現代社会を。


 ……最低でも二人、人間でない物がいるとも知らずに。


「それで、イブさん?裁定者であるあなたがここにいる、ということは私の協力をしてくれるからここに来た、ということよね」

「そうさね。呂畑さんから話は聞いてるだろ?」

「話半分で聞いてたわ。いらない、と丁寧に伝えたつもりなのだけれども」

「そうかい?蘭ちゃんは一人で同族狩りをしてるんだろう?それは大変なことさね。ともなれば、私のような狩人がいれば蘭ちゃんの負担が減るってもんだよ」

「必要ないわ……やるのは私だけでいい」


 蘭はそう言って再び、イブとすれ違い、歩いていく。

 そして人混みのように紛れるように───


「いいや」


 出来なかった。

 笑みを浮かべたイブは蘭と隣立つようにして、歩く。

 同じ歩幅で。


「蘭ちゃんに必要なのは相棒だよ」

「相棒ですって?」

「そうさね。バットマンで言えばロビンやバッドガールみたいな相棒さ。マーベルで言えばデッドプールとケーブル。ま、その場合は私がデッドプールだがね」

「はぁ?」


 目的地に行かなければならないから立ち止まれないものの、蘭はいささか怪訝な表情を、笑っているイブに向けた。


「馬鹿言わないで。私がロビンならあなたのような“バッド”マンから離れてすぐにでもナイトウィングになってブルーヘイブンに赴いてやるし、ケーブルだったら最後まであなたを信じずに復讐に走るところよ」

「言うねぇ。しかしアメコミ映画のことが分かるなんて……蘭ちゃんと私は通ずるものがあるねぇ……どうだい、この付近はラブホテルがある。ホテルのチャンネルで映画でも見ながら私と初夜を───」


 イブがそう言いかけた時。

 目的地に行かなければならないから立ち止まれないはずなのに、蘭は苛立って立ち止まり、思わずコートの内側の───冷たいベレッタに手を掛けようとした。


 が。


 一瞬。


 まさに一瞬だった。


 ───革コートに包まれた蘭の左腕を、包帯が巻き付いた右腕が掴んだ。


「やめな」


 その声は先ほどまで飄々として軽口を叩いていたとも思えない女の声ではなかった。裁定者とも呼べる威厳あるほどの低音の声……は誇張しすぎだが、鎖に繋がれ飢えた獣の唸り声ほどに低い声だとも思えた。


 しかしそれ以上に威圧感もあった。

 なにせ自分の身長よりも明らかに高い身長。

 イブの軽口で気にしていなかったが、頭一つ大きいイブの体は蘭を萎縮させるには十分だった。


 されとて、イブの影響たるや、蘭は一瞬、脚をぞわりと震えさせた。

 そして一瞬だけ、心臓の鼓動が早く聞こえるような気もした。

 あとは一瞬……顔を歪めてしまった。


「蘭ちゃんみたいな綺麗な女にその銃は似合わないさね。それはしまっておきな」

「…………」


 イブは笑顔でそう言っていた。

 だが蘭は笑えなかった。

 その反応速度たるや、尋常ではない。

 …………間違いなく戦いに慣れているようであった。

 ともなれば少なくとも足手纏いになることもない。

 それどころかサイドキックのような支える存在ではない。

 

 間違いなく、主役の座さえ喰らってしまう女。


「行きましょう」


 蘭は取り乱す自分を隠すように冷たく言い放ち、再び目的地まで歩き出す。


「おやおや」


 イブは苦笑しながらも、自身も蘭に合わせるように歩き出す。

 その笑みに蘭は腹を立てずにはいられなかった。

 間違いなく自分の今の感情は見透かされている。

 そう思わずにはいられないほど。


「蘭ちゃん蘭ちゃん」


 しかしイブは気にすることなく構ってくる。


「蘭ちゃんはもしかしてバットマンが好きなのかい?ちなみにどのバットマンが好きなんだい?私はね、実を言うとベン・アフレックのバットマンが気に入ってるんだよ。そりゃあクリスチャン・ベールのバットマンも誰しもが言うように好きだがね?私は渋くて、これまでの何があったかをその肉体で語ってくれるベン・アフレックのバットマンも好きなんだ。それで言うとマイケル・キートンのバットマンも───」

「うるさい」


 正直……蘭にとっては感情を抑えられない話ではある。

 正直なところ、自分が好きなバットマンはロバート・パティンソンのバットマンで、ザ・バットマンはこれまでのバットマンにはないミステリーの性質があってパティンソンはそのピースを埋めてくれるような役者だから好きだし、そもそもパティンソンはTENETのような伏線で雁字搦めになった作品でも役割をきっちり果たしてくれるような役者だし、日本語吹き替えもパティンソンに当て嵌まる落とし所を付けてくれたからそこも好感を持てるし、でもバットマンとブルース・ウェインをきっちり使い分けるパティンソンの話は語りたいたいところではあるが。

 この女の前ではしたくない。

 絶対したくない。


 なにより。


「さっきから蘭ちゃん……ですって?」

「ん?蘭ちゃんは蘭ちゃんじゃあないか。香美ちゃん、というのはあまりしっくりこなくてねぇ」

「別に香美さんでいいと思うのだけれども」


 馴れ馴れしい。

 どうしてこんな奴に下の名前で呼ばれないといけないのか。

 こんなエリザベス・デビッキのような美しさを微塵も感じられない女にと、イブの前で苛立ちを隠すことは出来そうもなかった。


「着いてくるのはいいけど。絶対に下の名前で呼ばないで」

「でも香美ちゃんって言うのも、なんだか可笑しくないかい?」

「ニックネームみたいに呼ぶからよ。私のことは香美でいい」

「香美もなんだか変だねぇ」

「じゃあ蘭でいいから。お願いだからちゃん付けはやめて」

「分かったよ、蘭ちゃん」

「だからちゃん付けはやめてって言ってるじゃない……」


 もはや怒りを通り越して、呆れの感情まで出てきそうだと蘭は思わずにはいられなかった。


 ♢


 時刻は深夜12時を回った頃。

 終電も無くなり、歩く人間も減少するような時間帯。

 そこを歩いている者……例えば終電を逃したものや、未だに飲み歩く者、そして客引き……時間を過ぎても、夜の街の光は人間の喜怒哀楽を照らしていた。

 

 その中で街の一角でただ一人、スマートフォンを眺めて虚げな表情をしている女の姿があった。

 普段は誰も通らない裏路地のような場所で女は画面の光を眺め、誰かを待ち侘びているようであった。無論、誰を待っているかなど、誰にも分からない。

 しかし、一つだけ言えることがある。


 ───女の目の前にいる、その男ではないことを。


「……あの、なんですか?」

「素晴らしい」


 黒いスーツに身を包んだ、自分よりも遥かに身長の大きい男。

 スラリとして、上着から見える手はあまりにもかった。不気味なほどに。


「今晩、空いていますか?」


 まるで紳士を装ったような、仕立てのいい黒スーツ。

 耳までかからない短い髪も整ってはいたが、七三分けにした髪型は現代の日本を生きる女には古臭くも思える。


「……」

「何か不安ごとでも?」

「金、持ってるの?」


 女の不躾な質問にも男は紳士的に微笑み、内ポケットから茶封筒を取り出して、そっと手渡す。

 女は怪しみながらもそれを受け取り、すぐに中身を確認する。

 その中身は……間違いなく、喉から欲するもの。

 福沢諭吉が10人並んで、浪費されることを待ちくたびれていた。


「……いいよ」

「ありがとうございます。どうぞ、私に着いてきてください」


 そう言って男は途端に別方向に歩き出した。

 しかし妙だった。男の方角は欲望を閉じ込めておくホテル街とは真反対の方だった。

 女はその時点で危機感を感じていた。

 そして不意に思い出す。


 ───近頃、女性の行方不明者が続出していることを。


 噂程度には聞いていた。なんでも、いなくなっても誰も探さないような女がいなくなり、次の日にはで倒れていることを。

 そう言えば、男が歩いて行く方向。

 それは行方不明者が倒れていた廃ビルがある方向ではないか。

 警察が立ち入り禁止にして、誰も入らないように注意喚起している場所の方向に、何故自分から行こうと思うのか?


 女は思う。

 この諭吉たちを連れて、逃げた方がいいのではないだろうか?

 もし仮に男に着いていったら……。

 女の危機感はすぐに強くなる。


 逃げよう。

 そう思って女は走り出した───。


「どうしました?」


 だが男はいた。

 


「えぇッ!?」


 女は声をあげるしか無かった。

 どうして先ほどまで廃ビルの方へと歩いて行った男が、自分の目の前に立っているのだろうか?

 口調は丁寧なれど、男の雰囲気は先ほどまでと変わっていた。

 前髪を全て上げて、その目を女に向けていた。

 その身長が、女にはそびえ立つ柵にしか見えなかった。

 夜に溶け込むほどの大きな柵。

 そして───その闇に浮かぶ、二つの赤い瞳。


「悪い子だ。まさか金銭だけ私から奪って逃げようだなんて」

「だって……だって……!」


 女は言い訳がましいように、廃ビルの方向を震えて指差した。

 その目にはしたりと涙が溢れる。


「……なんだ、低脳で教養もないただの×××だと思っていたが」


 男はその紳士的な構えさえ、消した。

 その目は相手にも敬意を向けるような眼差しではない。

 相手を見下し、ただ獲物を狙うだけの、赤い目。


 そして闇に紛れながらも浮かぶ白い手は、動いた。

 そして女の手を───掴んだ。


 その女の腕を。黄土色の腕を。その肌に色を浮き立たせるように、掴んだ。

 男の腕の力は、獲物を逃さまいとするように力強かった。

 また、その腕の体温は、女の体温以上に熱かった。

 まるで血が沸き立つほどに。


「最近、の動きが活発になっているからな。手短にさせてもらおうか」


 男は辺りを見渡す。

 そこは運良く、誰もいなかった。

 だから男は───消えた。


 文字通り、消えた。

 先ほどまであった男の姿も、無論、女の姿も消えた。

 そこには月の光も届かないほどの暗い裏路地だけが残されていた。


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イブの激情に苛まれる日々、そして…… 那埜 @nanosousa

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