第34話 月の影 見上げる太陽⑤
「月」とは、占星術では衣食住、感情、身体などを表わす。自分の七歳くらいまでのことを表わしているし、それは母のことを表わしてもいるので、どういう状態の母だったのかということを見ていくことができる。生まれてからの最初の約七年で母親から何を吸収しコピーしたのかということを読み解いていくことが可能なのだ。月は、過去であって未来では無い。
「太陽」とは、自分の開発していくとよい未来の可能性を表わす。それはまだ手元に無いものであり、今後向っていくものである。それは父のことも表わしている。父親という存在から、未来の可能性をどのように広げていくのか、より肯定的なのか否定的なのかということも見つけることができる。私たちは外に見て取り入れて学習するのだ。それが私たち子供という存在である。太陽は未来であって、過去では無い。
そもそも「父」と「母」という存在は相反しているということが占星術からわかってくる。片方は過去に向い、片方は未来に向っているというのだ。それぞれが置く価値は随分違うだろう。
その相反したものを私たち一人の人間が自分の中に持つ、というのだ。過去に向う自分と未来に向おうとする自分の二つである。
これらを理解していく、それだけでも永遠のテーマのように思えた。これを理解出来る日が自分に来るのだろうか。奈々恵は果てしない気がしていた。しかし、四六時中悩み考え続けていたので、結果的に長い時間一緒に居る存在だったということにもなる。確かに年頃の同世代の人たちとの会話には興味も湧かなかったし、話に着いていけなかったが上手い具合にサポートしてくれるような友人が入れ替わり立ち替わり常に居た。小中高と周囲から見ても異質な存在として映っていたらしい。
中学生の頃に書店で手にした本の中で、オカルト系と言ってもいいような怪しい月刊誌があった。表紙は毎号イラストだったがUFOや宇宙人の姿などで、それがいかにもという感じで多くの人向けの雑誌では無いことが明瞭だったと思われる。
雑誌の中の記事には、自然界の不思議現象の報告や体験段、瞑想や幽体離脱の方法など奈々恵にとっては興味津々なことばかりが掲載されていたが、そういった本はその時代には他に全くといっていいほど無かったので、怪しい表紙絵には毎回ガッカリしながらも、その本を見るのを楽しみにしていた。
ある時、購入前にぱらぱらっと立ち読みをしていた。とあるページのその記事に目が留まり、その場で読んでしまった。両面見開きだった。それは占星術や意識の世界について書かれた記事だった。その後半、まとめのような部分に一気に引き込まれていたのをずっと忘れなかった。やがて書かれていた細かな文章の内容を忘れていった後も、理解することが可能かもしれない新しい世界観があるようだという、そんな未知のものとの出会いの衝撃が残っていた。それ以降忘れの日はあっても、忘れ去るということは無かった。むしろそのまだ知らない、理解していない新しい世界観のことやその世界について語っていた文章を書いていた人の存在は色濃くなり続けていったのだ。高校生になっても毎号買っていたが、あの時ほどの衝撃を受けることは二度と無かった。その書き手もその後そんなに登場しなかったと思われる。同じ名前を発見したのは別の雑誌だった。
(知りたいことを知ってる……、たぶん、でも、何がどうって、わからないけど)
奈々恵の人生に、高校を卒業した後も、多くの困難がやって来たことは事実だ。その度に「まだ、まだ今じゃ無い」っていう声がした。雑誌で見つけた書き手の人を探し求めるということはしなかった。時代も昭和であり、平成や令和と違ってホームページやインスタを簡単検索ということも影も形も無い時代だった。よって占星術の個人の出生図であるホロスコープは、雑誌の付録に付いていた天文暦からの計算で作っていく、出生図のその円も天体も手描きであることが普通だった。
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奈々恵がこの蟹座温泉の中に居たと言えるのは、高校二年生までの間。それ以降は学校や温泉の町の外側に広がっているサラリーマンや会社経営などが普通にある町の中で生きていくことの方が増えていった。環境も、人も、常識も蟹座温泉とはずいぶんと違っていた。違っているように見えていた、といった方が近いかもしれない。
新しい町の環境に慣れていくに連れて、あの温泉街の町のことは段々と遠くなっていった。新しい町は常識的で、お行儀がいいように見えるが、社会に出てからそれが建て前であるということも少なくないことをたくさん知った。
しかし住んでいるところはその両方の境目に近かったので、陽が落ちると歌声が聞こえて来る。酔っ払いたちの声も聞こえてくる。町の十字路にあるとある信号から先へと行くことは無かった。こちら側とあちら側とは大きく違う。
どちら側のことも好きにはなれなかったし、馴染むことも無かった。
高校生の後半から父親はより身体を崩し自宅での闘病生活へと入って、段階的に悪くなっていった。それと同時に奈々恵の自由な時間は減っていくことになる。それは奈々恵が金星期という時代の終わり頃からである。占星術では、金星期は一五歳位~二十四歳位の年代のことを表わす。その次に続くのが太陽期である。これは二十五歳~三十四歳くらいのことを表わしている。
ホロスコープを読み解けるほどの自分では無かったので、自分のこれまでも、これからも、予想することは難しかった。ただただ興味がいくのは、どの星座に何の天体が何処のハウスに入っているから、こういう人ってこと、ということを拾い集めること。しかし集めてみても自分の現実は何ひとつ変わることは無い。
(決まっているていうこと自体が不思議……)
当てはめて読んでいく、というやり方自体が違っているのだろうと思った。だが、当てはめないで読むということがどういうことなのか、どうしたらいいのかはわからない。
「結局、本には書いてないのよ」
この自分の立ち位置をどうにかしなければ、そう思った。
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