第30話 月の影 見上げる太陽①

 最初は不慣れだった「路々ろろ」でのバイトも季節ごとに慣れていった。いつの間にかお店に居ることが当り前になり、週末には「元気だったか」と声を掛けてくれる人が増えた。学校の休み中には毎日出勤していたので、昨日の話が続いていたりして、その環境の中に居る自分に違和感が無くなっていった。それはちょっと嬉しいことでもあった。話をする、会話をするという意味で仲良くなる人も増えた。要するにここに居て当り前、という人になってきたということだ。

 美登里さんと奈々恵は、何しろ看板娘一号&二号の最強コンビだ。


 朝からやって来る常連さん達のことも少しずつわかってきて、今日は来ませんね、どうしたんでしょうか? なんてことも言うようになっていた。

 頷きっぱなしの赤べこの牛崎さんも、朝からお肌つるつるのもっち餅の持田さんも元気に毎日通っていた。背中が痛い、腰が痛いと言いながら、おじさんたちは情報交換している。よく聞く指圧マッサージや鍼灸のお店のこと、お医者さんのこと、食べたり飲んだりすると身体に良いよということなど、話すことはいつもたくさんある。もちろん何処の誰が綺麗だとか、いい女だねぇなんて言ってるのは当り前。先日はそのいい女の一人が、この町のどこかのご主人と逃げた、駆け落ちしたっていう話で盛り上がっていた。


「だいたいねぇ。金が切れたら終わりだって」


 おじさんたちの意見は揃っていた。


「奈々恵ちゃんだってね、わかんないなんて顔してるけどさ。そういうもんなのよ。お金が無くなったら、おじさんたちを見向きもしない。奈々恵ちゃんに捨てられちゃうのよ」


「いやいや、それは無いって。奈々恵ちゃんにも選ぶ権利はあるもの。俺たちみたいなの選ぶわけ無いって。捨てられる以前の話、拾われもしないっていう……」


「あー、もう……夢の無いこと言うねぇ」


「そうだねぇ、まったく」


「万が一、俺のことがいいって、言うかもしれないじゃん。そう思いたいの」


「お金じゃ無いのよ。あんたのことがスキッ」


「あぁ、馬鹿だねぇ」


「あなたの側に居たいのよっ。お金じゃ無いわ、あっちでも無いわってね」


「また、かぁちゃんに、どやされるって。変な夢ばっかり見てないで、仕事しろって。ははは」


「あー。奈々恵ちゃん。俺たち、男って馬鹿なのよ」


「そうそう……どこまでも馬鹿なのよぉ」


「いやっ、奈々恵ちゃんがその気ならっ、おじさんだってもう一踏ん張りっ」


「ぶぁーか」


「ばぁーか」


「悲しくなんねぇか。俺たち見えない紐でつながれてんの。飼い慣らされちまったのよぉ」


「はぁ……」


 しみじみしながら、ちょっと逃げた二人のことが羨ましそうなおじさんたちがコーヒーを飲んでいた。それともそれぞれに何か、思い出すことがあるのかもしれない。それはおじさんたちにとって案外大切な思い出なのかもしれない。チラッと奈々恵はそう思った。深い、浅い、それぞれのため息が聞こえた。


(結局はそのお金でも無い、自分がいいって言われたいっていう、おじさんたちが欲しいものっていうのを手に入れては居るようにも見えるんだけどなぁ)


「家に帰ったら、お母ちゃんが居て……、よかったですね」


「あぁ、痛いわぁ、それ」


「奈々恵ちゃん、男の夢ってものもあるのよん。寂しさっていうものもあるのよぉ。わかんないかなぁ」


「わかりません、ねぇ」


「ふぅ……」


「はぁ……」


「カッコよく居られないわけ、だよな」


「あぁ、マスター。ここで入ってくるかね。マスターのとこは違うよな。ここの美人ママはきっついのよ。それでも若い頃は狙ってたヤツもいただろうから心配も多かったかねぇ。ねぇ、マスター」


「あぁ、いやぁ、もうどうでもよくなったけどなぁ」


「そっかぁ。俺たちは、財布握られて飛べなくなった哀しい生き物よ」


「昔は頼られたり憧れられたり、ぶいぶい言わせてたり、これでもいろいろあったのよぉ」


「そっか。良いとこばかり見ていて欲しいのですね! お姉ちゃんにはそう見せたいけど、奥さんというかぁちゃんは、いろいろ知られちゃって見られちゃって、お財布も渡しちゃってるから思うようにはいかないと……あ、自由になるお金が無いってこと、ですか?」


「あぁーっ」


 何人かが下がってくように同時に声を上げた。


「奈々恵ちゃん、案外厳しぃ……のよなぁ」


「あぁーぁ」



 それでもおじさんたちは案外と楽しそうな毎日を送っているように見えた。コーヒーのお代わりを皆が頼んでいる。話は尽きないらしい。




 お喋りなおじさんたちもけして触れようとはしないお客さんがやって来た。怪しい山田のおじさんは小枝さえさんと一緒に変わることなく来ている。

 変わったのはある時、山田のおじさんがお会計を終えた後に、奈々恵に向って小さな声で「ありがとう」って言って店を出ていったという事件が起きたこと。奈々恵も驚いたが、美登里さんもびっくりしていた。

 その「ありがとう」は自分に対してというよりも小枝さえさんに対しての日頃の対応というか、出会い方のようなものにだろうか。そしてそれ以降、どこか山田のおじさんの背中から醸し出されていた緊張感が、いくらか和らいでいたように感じられたことが不思議だった。


 確かにあれから小枝さえの食欲が増えたというか、意思が発揮され始めたということが起きている。毎回黙って「いつものバタートースト」では無くて、時々サンドイッチやランチを頼むようになったのだ。山田のおじさんの方はバタートーストがほとんどだった。

 美登里さんは、食べるということに興味を持った小枝さえを見て喜んでいた。

 たぶん「生きろ」って言い続けてきていたのだと思った。今までの食事に付けてきたおまけの数々は、美登里さんからの目の前の現実になんとか「負けるな」なんとか「乗り越えて行け」っていう精一杯のエールだったのだ。

 だが、誰もそんなことをわざわざ口にするものは「路々ろろ」には居ない。マスターも同じだった。誰もが呑み込んで、忘れずに居て、自分に出来ることをさり気なく行動していたことを奈々恵は徐々に知っていった。


(喋らない時間に、人生は進んでる。動いてる。選び、そして行動しているのだ)


 奈々恵と二人で直接話すということは無かったが、無い方がいいと思ってもいたので、そこは努力したということなのかもしれない。お互いそう感じていたように思えた。

 お互いこの町に居る間での通りすがりでありたいからこそ、この町以外の未来という可能性を終わりにしてしまいたくないからこその選択だった。自分たちには生まれや生い立ちを条件としないような、そして確定などしていない望むことの出来る未来があると信じたかった。だから今日も、ここという場所に居ながら笑っている。

 どんな日々の中にあっても、何かしら選ぶことの出来る自分が居るということに、細やかな自由が自分にあることを確かめるかのようだった。


(選ぼう。選び続けよう。いつかの明日を信じて)


小枝さえさんもね」


 うっかり呟いた奈々恵の声が微かに聞こえてしまったのかもしれない。小枝さえさんの顔がこちらを向いた気がした。

 そんな彼女の顔を見て目が合う。

 少し頭を傾けて目を見開いた。とぼけた奈々恵だった。



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