第29話 二人連れの理由⑦
その年の夏は暑い夏だった。
暑中見舞いとか夏休み用に売り出されていたポストカードが、通学路途中の大型スーパーの中にある文房具屋で売っていた。自転車で時々立ち寄っていた。
いくつかを手に取る。ノート、ファイル、ペンなどの文房具が好きなのだ。どれだけ見ていても飽きない。何をどう考えてこのような形にしたのか、機能にしたのか、デザインや色なのか、なぜこういうことを思い付くのか、これらを作っている人たちに興味があった。
その日、気に入った夏のポストカードを何枚かを買った。
絵を飾るかのように、視界に入るところに置いておくのが好きなのだが、今回は変わったものを見つけて余分に買った。いや、余分では無い。思い付いたことがあって、それを実行すべくその何種類かをを購入したのだ。
ある日、路々に毎日通っている二人連れの山田のおじさんと
美登里さんが今日は今日なりのサービスを考えて実行している。ハムを半分に切って両端を合せるとくるっと輪っかが出来る。それを数重ねて合せると花のようになっていくのだ。それをぎゅっと器の中に詰めて野菜サラダが出来上がっていく。今日はコーンも入れていた。赤色のトマトに緑色のキュウリ、ピンク色にも見えるスライスハムの花に、黄色の粒コーンがキャベツの千切りの上に乗っている。他の人たちにはこんなにハムは入っていない。
山田のおじさんが何度か支払おうとしたこともあったが、美登里さんもマスターも受取りはしない。全ては、この若い彼女の稼ぎから出て行くものであることを知っているからだ。少しでも一日でも早く終わる日が来ることを願っている人が、思っている以上に願っている人が多いことを知った。
山田のおじさんにもその気持ちは伝わっているようだった。全くの無表情でも無いし、いつも怒っているわけでも無いのだ。この人にも感情はある。親もいるだろう。もしかしたら大切な人がいるかもしれない。好き好んでこの仕事をしているわけでは無いのかもしれない。いつしか奈々恵はそう考えてみているのだった。
誰も手取り足取り教えてくれることでは無いが、自分から何かを知ることで、寝付けないまま考え続けることで、目の前に起きていることや、人のことさえも、その見え方が変わっていく、という体験をしていた。
(ああ、なんか凄いことだ。夏休みの研究以上だわ。発表なんて出来ないけど)
奈々恵は奥の席に座っているお姉さんたちに「いつものお礼でーす」と言って、ソーダの飴と準備していた夏のポストカードをひとりずつに渡していった。お姉さんたちには時々驕ってもらっている、という理由があるので渡しやすい。そして難なく受け取ってくれた。すぐに取り出してさっそく使ってくれている。
「あぁ、ええやん。便利。これ
「あら、ホント、けっこう風来るわぁ。いっちょ前やん」
「小さいミニうちわなんです。見つけたんで。よかったら使ってください」
カウンターに座っている山田のおじさんと
「これ、好きなんです。よかったら」
「まぁ、これ。美味しかったです」
隣の人の顔色を伺うこと無く、
奈々恵はもう帰る頃だろうか、というタイミングを見計らっていた。
二人のアイスコーヒーが空になった。
立ち上がろうとする、そのちょうどのタイミングで、奈々恵は山田のおじさんの方に向って声を掛けるようにして、用意していた透明な袋に入った
「あの、綺麗なカードがあったので、よかったらどうぞ。小さいけど
おじさんは頭を軽く下げて、彼女の方に合図をする。彼女が奈々恵が置いたその二枚の
出来るだけ、違和感なく、彼女に渡したかった。
「星。昼間には無いのに。夜には会える……」
「変わらず、そこにあるんですよね。……よかったら使ってください」
「……えぇ、はい。私、いつも星を見てるんです。ありがとう。大切にします」
夏が終わると出勤がまた週末だけになるし、いつバイトをやめるなんてことになるかもわからない。どうしてもこの休みの間に渡したかった。
それからも、変わること無く同じような風景は続いた。二人は同じ時間にやって来て、そして出て行く。彼女がいつも浴衣を着ていたのは、お稽古があるということも理由だったらしい。数年前、この町にやって来てすぐに踊りの稽古が始まったらしいのだ。彼女はきっと多くのことを学ぼうとしている。そう思えた。
旅館の宴会で毎晩彼女は踊る、舞うのだろう。山田という男はどの宴会に出すか、営業をしているということだ。そこで彼女を気に入ったお客さんからの声が掛かるかどうか、ということだろうことは想像が付く。彼女の時間にお金を出す大人達がいる。そしてそれが今は、彼女の受け入れている約束という縛り。
毎日見ている間に奈々恵は気が付いていた。彼女の背筋がいつもピンとしていて、それでいて無理矢理作っているようでもなく自然に真っ直ぐなような気がしたのだ。それは日替わりでは無かったので、その時の感情によって違うということでも無いのだと思った。
好き好んで習い始めた踊りでは無くても、その機会を採用しているのだろう。きっと新しく知っていくことを受け入れているのだ。それはその踊りの師匠との縁とか関係性の中にあるものが理由かもしれないが、それにしても彼女には静かにいつかの日のために準備しているかのような「逞しさ」があるような気がした。
いつかの日。それはきっと自由になる、という日のことだろう。「年季が明ける」という言い方が近い気がした。望まぬままに勝手に課せられたものが終わる日のこと。
毎晩、彼女は深夜遅くから朝方までの中で、きっと眠ることなく星を見上げていることが多いのだろう。そんな風景を思い浮かべた。天空の星だけは何一つ言わず彼女のすべてを受け入れている。彼女はそれを知っているのだ。
彼女には彼女のこれまで歩いてきた道がある。それは強制的に流されたのかもしれないし、それを知って受け入れたのかもしれないし、わからない。ただ、自ら望んで、喜んでここに居るわけが無かった。
けれど、いつか、彼女自身が「選ぶ」ことの出来る局面がやって来るかもしれない。始まりがあれば終わりがある。いつかそういう時がやって来る可能性を勝手に信じたかった。それ以上に、彼女の座る姿、歩く姿には力強さがあって、たくさんのことを考えて生きてる、毎日生き抜いているのだということを教えられているように思えた。
(ただ一人、旅をしている)
(そしていつか……、きっと選ぶことの出来る日がやって来る)
自分の歩いて来た道がある。それは、どんな人にもある。過去っていうやつだ。
母にも父にも、出会った人たちの全てに、その道がある。万歩計にしたり、歩いてきた道に線を引き続けてみたとしたならと、想像する。歩いてきた道は、生きている以上は、それはずっと今日まで繋がっている。
でもそれを、果たして道と呼んでいいのか、ということ。
ただただ押し寄せる出来事に翻弄され、その流れに巻かれるように流されてしまった、ということなのかもしれない。端からどうしたいから、という理由で選び続けることの方が人生は少ない気がする。
そこに「私」は居たのか。そこに「あなた」は居たのか。
次から次へとやって来る環境の中で、私であれるのか。
これまででは無く、これからに掛かっているのだろうと思われた。それはどの人にとってもだから、いつだってそしてどこまででもチャンスはあるってこと。きっとそのチャンスというものが無くなることは無いのだ。
ただ、私たちは、それをチャンスと見ることが出来るかどうかはわからない。実際、苦しいことは多い。その中で、何を思うことが、何を考えることが、チャンスと見なしている人の「選択」なのだろうか。
自分を飲み込もうとする渦が、少しずつ近寄って来ているのを感じていた。
二人連れの理由①~⑦
完
この後へと続く。
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2024/06/28 スタート
2024/07/06 アップ
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