第27話 二人連れの理由⑤

 その後も同じ時間に、いつもの山田のおじさんと小枝さえさんという二人連れはやって来ていた。もう同じ目で見ることは出来ないけれど、奈々恵は出来る限りの普通を装っていた。


 自分と小枝さえとの間にはそんなに違わないものがあるのかもしれないとも思った。しかし決定的な何かが違っているのだとも思った。それが何かは、まだわからなかった。自分だって同じ境遇になる可能性だってあったかもしれないのだ。そうだったとしたなら、自分だったなら、一体どうしていただろうか……。


 彼女と同じように、逃げることを諦めただろうか、死ぬことを選ばなかっただろうか。あれからずっと考えていた。


 自分は、おそらく言うことは聞かなかっただろう。そう思った。だいたい父が、それを望むような人では無いと思われた。母の考えを聞いたなら、どれだけか怒っただろう。母は父の前では言わないのだ、きっと。そこまでの借金も無いと思ったので、小枝さえとは、同じことにはなっていないだろうと思われた。


 しかし、お金というものが理由なら、想像することの出来ないような理由がやって来て、他に方法も無いということになったなら、母は、そして父はどういう状態になっただろうか。想像しないような彼らの感情や考えを見るということだってあるのかもしれない。考えたくは無かったが、小枝さえだって、そうだったのかもしれないではないか。


 父はよく言っていた。


「この町から出て行けよ。いつか、いつか、な。必ずだぞ。自分みたいにここおったらあかん。お前は出て行かんと。東でええんや。お前さんの縁で運ばれていくよ、あとは」


 母もよく言っていた。


「ここで、家建ててぇ、時々来る社長でいいやんか。毎月の生活費にも困ること無いし、良い暮らしできるし、私もこの仕事からも足洗える。、悪くないやんか。あの子も、あの家もそうなんやで。婆は孫の守りして暮らしてる。親孝行やわ」


 二人の言うことはそれぞれ違っていた。しかし同じ点がひとつだけあったことに気が付いていた。それは奈々恵にとってほんの小さな気がかりだった。

 父と母の二人共が、お互いが居ない時に奈々恵に話していたことだった、ということ。三人でいる時にはそういう話にはならない。なったことがない。

 このほんの小さな部分に重要なことは隠れている。少しずつ奈々恵は人生の現場で学んでいった。


(答えは、答えを出すのは急がない方がいい……きっと)


 自分が父親寄りにものを考えている人間であることは自覚していた。ただ、その父親も身体を悪くする中で、徐々に自分の人生をこの町の外で創っていくことを諦めていったように思って見ていた。腹立たしかったが、どうすることも出来なかった。何も言えなかった。ただただ、考え続けた。いずれ、高校を卒業する。そこから先だ。そう思っていた。



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 時々驕ってくれる風薫る二人組にもソーダの飴を渡した。クリームソーダやアイスコーヒーの、ほんのお礼の気持ちだ。このお姉さんたちは、奈々恵が思っている鬼のような母と同じ旅館に居る、働いている人たちだった。その母の娘であることを知っている数少ない人たちだ。けれど、この二人が母のことをどう思っているのかはわからなかった。


 この町に突然やって来て、小学校に入る前から奈々恵は旅館の中で働いていた。預けるところも無かったというのが理由なのだが、そういう子供たちが何人かいたということもあって、旅館の中でうろついていても怒られることは無かった。

 その上、子供たちそれぞれがお手伝いをしていた。奈々恵はお客さんに出しているおしぼりを畳むことや、宴会場のセッティングの手伝いをひとつひとつ覚えていったのだ。何百人分というお膳が大小、毎日並ぶ。座布団も、背もたれのある座椅子も同じだけの数を並べていく。縦横揃っているか、畳の目からズレていないか、舞台のある一番前方と一番後ろ側からも最終チェックをして、きっちり綺麗にセットされているかどうかを確認する。この仕事も奈々恵はさっさと覚えて手伝っていた。

 お膳の上には、小さな小皿がいくつお並ぶが、その宿泊の内容によって料理の種類やランクがいくつもあり、それによってお皿の数やお皿の種類まで違ってくる。それを覚えるのが大変なのだとお姉さんたちはいつも文句のように言っていた。


 宴会場の入口と逆の奥の方にあるふすまを開けると、廊下状の長い作業場になっていた。簡易的な厨房にもなっていて、料理を運ぶ専用のエレベーターもある。熱いもの、冷たいものを、ちょうど良い温度でそのまま提供できるようにという作りなのだろう。コンロも用意されているので、味噌汁もここで温め直す。時には注文の入った熱燗が出来上がるとお盆に乗せてお姉さんたちが協力し合って運んでいる姿を見ているのが日常だった。



 奈々恵が五歳の頃に勤めていた旅館が最初で、母も父もいくつかの旅館をそれぞれ何年かごとに移動していた。奈々恵は小学生三年生くらいからは、家で留守番をすることになり、旅館の方には行かなくなった。

 そうすると変なもので、子供であっても仕事が減ってしまったような気がして退屈になり、しばらくは呆けていた。そのうち一人で留守番をする時間が長いということに慣れていって、自分の内側の世界へと向うことが極端に多くなっていったのはこの頃からだった。いろんなことを答えが出ないままにずっと考え続けていることが多かった。


 中学校時代には、学校で相談相手というか話を聞くということが少なくなかった。主に放課後ということになるが、それを見つけた先生は、早く帰れと学校から追い出そうとしていた。理由を聞いてからにした方がいいと言い続けたことが一度だけある。

 生活指導の先生に職員室に連れて行かれて、床に正座で座らされた。もう一人の子は早々に頭を下げて謝っていた。それで許されて職員室を出て行くことを許される。

 奈々恵は、頭を下げなかった、反省もしなかった。目の前で一段高いところに座って自分を見下ろし、怒り続けている男性教師から目を離さなかった。多くの先生たちが職員室の中にはいた。


「理由があるから話をしていた。それを知らないまま、仮定もしないまま、ルールというものに従った自分たちの正しさだけを突き付けるのが学校なのですか? 生徒が一人抱えているかもしれない問題の方じゃ無く、学校だからこそ話せる場所かもしれないっていうんじゃ無く。間違ったことをしている前提で、叱る、追い出す、それが先生なのですか? それは正しいのですか? 教えてください」


 学校の授業が終わった後、校内に居続けて話をしている理由、という点では自分が間違っているとは思えないので、頭は下げません、と言った覚えがある。

 最後には先生が力無く、もういい、わかった、そう言って帰されたのだが、その後々も先生間で自分のことが話題になったらしい。どこかで聞かされてそれを知ったのだが、あの子にはやめとけ、というものだったらしい。それ以後、様々な場面で放置されることが増えた。怒られるということが無くなった。


 考えれば嫌な中学生だったろうなぁと思う。いわゆる尖っていたのだ、と自分のことを振り返って考えていた。


(やはり、ただ黙って、自分は売られてはいかぬ、だろう……)


 何度も何度も考え続けていた。



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