第23話 二人連れの理由①

 高校生活は相も変わらず単純で退屈なものに見えていた。週末や学校が休みの間のアルバイトも変わらず続いていた。喫茶&ラウンジ「路々」での仕事に随分慣れてきていた。美登里さんも一緒に居る。マスターも変わらず美味しいものを作り続けている。夕方以降登場のママにはあまり縁が無いまま過ぎていた。


 夏のある日のこと。その日も開店と同時に「路々」にお客さんがやって来る。奈々恵も開店の少し前からスタンバイOK。学校が休みに入ったため、休みの日以外の毎日店に出ていることになる。

 毎日店に出るシーズンなると、開店前の看板を出すことなどの仕事が少し増えた。開店中のお知らせの看板を持って外に出ると、この街で生きる猫たちと時々出くわす。目が合うだけで、人間に興味も無さそうで、ゆったりと歩いて通り過ぎて行く。

 彼らはグルメだ。各旅館の厨房の人たちとの強いパイプを持っているのだ。どの猫も毛艶が良い。体格も良い。建物もたくさんあるので雨宿りする場所や寝泊まりする場所に困ることも無さそうだ。毎日の食と安全に満たされていると、猫である彼らも表情が穏やかなように見えた。同時に彼らは、餌をくれる相手以外の町に生きる人々のことなどは気にしない。人間に媚びることも無くスタスタと町の中を巡回している。その代わり猫の数は多かった。猫社会での色々というのはあるらしいし、大変なのかもしれない。町には、ボス猫と呼ばれている猫も代々居たし、猫の集会に出くわすこともあった。彼らはこの町の人間を怖れていない。それはこの町の人間たちがどこかしら自分たち寄りの生き物だと思っているかのように。


 昨晩の夜の間のタバコの吸い殻の片付けは、マスターが朝出て来てから慌てて準備していたこともわかった。たぶんお酒を飲むだろうママが、店が終わった後に片付けている図は当然のように想像出来なかったので、納得。多くの場合には店を閉める時に、灰皿をカウンターの一カ所にまとめて置いてくれているようだが、時々は散らばるように放置されていることがあり、そんな時は奈々恵が灰皿を急いで集めてカウンターの端っこに置く。この片付けは、強い匂いがあって、毎日なかなか大変だ。 


 カウンターから奥の全テーブルと、熱いお湯で軽く絞った布巾と冷たい水で固く絞った布巾を二つ持って、状態によっては何度か往復しながら二種類の布巾を再度作って繰り返して拭いていく。汚れ落とし用と拭き上げ用の二段階の手順でひとつひとつのテーブルをリセットしていく。指示されたわけでも教わったわけでも無いが、これをやらせてもらえると気持ちがいい。こうすることでスッキリとした状態を作ることが出来る気がしていた。これをするために少し早めに来ていると言ってもいい。喫茶の時間の「路々」をスタートさせるのだ。奈々恵は自分に出来ることをひとつずつ増やしていくことが好きだった。 マスターは何も言わない。もちろん何をしているかは見ているが、ただ黙って見ている。


 リセットしたところに今日のお客さんたちがやって来る。高かったり低かったり、様々なトーンで「おはよう」って挨拶をしながら店に入ってきて、ひとりずつが所定の場所に吸い込まれるように、セットされるかのように座っていく。


「おはようございまーす」


 奈々恵はそう言うが、マスターは珈琲の豆を挽いたり、ネルドリップで珈琲を淹れたりしながら「おう」と言って頷くだけだったりする。


(次々に所定の位置に自動でセット……みたいで、何回見ても面白い)


 常連さん達に機械の部品の動きを重ねて、そんな想像をして一人で笑っていた。


(さぁ、そろそろもう一組やって来るころ…、今日は遅めだな)


 そう思った時に店のドアが開いて、今まさに想像していた人が入ってきた。


「いらっしゃいませ」


 いつもの二人組だ。この二人は黙っていることが多い。いや、小さく声は出ているのかもしれない。男性の方は、独り言みたいな声の出し方で。「おぅ」とか「ああ」とか、かな。口元が開いて閉じる、その短さからどうも短い言葉に思えた。

 若い女性の方もやっぱりあっという間の口元だけれど、それでも柔らかい感じがした。「へぇ」とか「はい」とか、話掛けられて返事をする時のような、軽く頷くようでいて、そして控えめな声なのだ。

 この二人、コーヒーチケットでは「山田さん」なのだが、その存在の怪しさから「嘘」であろうことがわかりすぎて、ニックネームを付けること無く覚えてしまった二人である。


 それにもう一つ、理由がある。どうも、どう見てもこの女性が若い、若すぎるってこと。マスターも美登里さんもこの二人には話し掛けないし、噂話もしないので、ハッキリしたことはわからないままだったが、大きなワケありだからこそそうなのだろう、ということはわかっていた。


 それでも出来る範囲で普通のお客さんと同じように接することにしよう、そう思っていた。何しろこの温泉街の中に居るということにおいては、同じ町の住人なのだ。


 二人もまた毎日変わること無く、カウンターの同じ席にセットされていくように黙ったまま座る。女性の方はいつもと同じような浴衣姿にロングの髪を一つにまとめてアップにしている。着物姿によく見る髪型だ。


 マスターは、最初にやって来るだろう人数をだいたい読んでいるので、一度に多めのコーヒーを淹れている。店内にやがて濃いめのコーヒーの香りが広がっていく。皆にとっての深呼吸タイムだ。常連さん達は夏でも一杯目はこの熱々のホットコーヒーである。


 お冷やとおしぼりを配りおえた奈々恵は、コーヒーのクリーム、これを「フレッシュ」と呼んでいたりするのだが、取っ手の付いた小さなステンレスの容器に入れて準備していく。

 その間にマスターは、ひとつずつ淹れ立てのコーヒーをカップに注いで、カウンターの端の方から配り始めていた。


 やがて、午前中の仕事を終えたお姉さんたちも少しずつやって来る時間になる。お昼時間が近付くにつれて少しずつ忙しくなっていく。美登里さんも出勤してくる頃になると、いつ急に食事のオーダーが入ってもおかしくない時間帯の始まりなのだ。


「おはようございまーす」


 店のドアを開けて、少し高めのローヒールでカツカツと音を立ててやって来た。いつもバッチリメイクの美登里さんは、今日も正面から見るとオールバックに見えるポニーテールがイケている。




  

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