第21話 生活指導の教師と占い師の女⑥

 下げた洗いものをしてくれている美登里さんが居た。横に入って濯いだお皿を布巾で受け取る。マスターと美登里さんの見事な連係プレイに憧れているのだ。少しでも近付きたい、奈々恵はそう思っていた。


 それにしても、生活指導の先生には全てを見られて、聞かれていた可能性が高い。占い師の先生の言うことはよくわからない。自分は変わりたい、どうにか此処の町にある未来じゃ無くて、全く違う未来を歩きたい。けれどどうしたらいいのかは全くわからないし、あても無い。そういう状況なのだ。高校生の間に、ここに居ながらにして何がどこまで出来るのか、毎日毎日ずっと考えていた。

 わかっているのはこのままが一番イヤだってこと。お姉さんたちのことは嫌いじゃ無い。むしろ幼少期から世話になっている。嬉しいこともたくさんあった。けど、それとこれとは違うのだ。


 お姉さんたちは、自分の未来を自分で作って生きていくことなど、その可能性さえ考えていない人たちなのだ。ほとんどが、である。ほんの少数の人だけが、自分の店を出す、とか目標を持っていて、期間も決めてこの町で働く。

 終わりを決めていない人は、ずっとこの町にいて、そして誰か助けてくれる人がやってくるのを待っている。お酒に溺れ、お金は貯まること無く消えていく。そういう人もたくさん居た。その日その日の感情をなんとか騙して明日へと繋げていくという歩き方なのだろう。それもまた努力している、踏ん張っている姿なのだ。良い悪いでは全くない。

 むしろ社会というものの捻れが生み出してしまった家族間の感情や社会での人間関係での感情体験に起因するかもしれないし、その傷の手当ての仕方など誰も教えてくれたりはしない現実がある。傷を負っていることさえ見ない、無かったことにしながら生きていくことが求められていることが多いのだ。


(この町だけが、他の地域もここと同じような作りの町だけが、そうなのだろうか…… いや、たぶん違うのだ、それを確かめていこう。これから)



 生活指導の先生が何か言い出したなら、それはしょうが無い、諦めてまた他を探そう、そう思って腹を括った。先生は、一杯のコーヒーを新聞を読みながらゆっくり観察しているように思えた。彼にとってもそれは仕事なのだろう。


 いつものように灰皿の交換に出た。綺麗に洗った灰皿と、お客様の使っている灰皿を交換するのだ。適度なタイミングで、というのは美登里さんから習った。タバコの吸い殻が灰皿に溜まりすぎるという状態にならないように時折気に掛けながら、お冷やのお代わりを持っていったり、食べ終わった料理のお皿や定食のお盆を下げて来る。

 生活指導の先生の席の灰皿も交換する。長めの吸い殻が四本、平行にどれも同じような長さで綺麗に並んでいる。


「失礼します。新しいお冷やもどうぞ」


 タバコの吸い殻は、ちゃんと火を消す必要がある。残り火があったり、消えていたとしても吸い殻が集まることで着火してしまうこともあるから要注意なのだ。カウンターの内側で吸い殻に水をかけて完全に火を消していく。再び火が点かないように。その後に専用に用意している四角い缶に捨てる。


 でもこの時のタバコの匂いが好きじゃなかった。普段から父親もタバコを吸っていたので、それには慣れていたし、イヤな匂いだとも思わなかったが、吸い殻が集まると強烈に感じた。それにこの多くの吸い殻たちは、なんだか吸う人たちをハッピーにしているようには思えなかった。それが毎日たくさん集まるのだ。いい気持ちはしなかった。しょうがないもの、のように思えた。

 この町の人、あるいはこの店に来る人たち、ということなのかもしれないが、何かの変わりだったり、感情を落ち着かせるためだったり、しているように思えた。お酒と一緒で、それよりは小さいサイズのほんの小さなガス抜きみたいなものなのかもしれない。


(これが必要ってことなんだよね)


 誰もが今という現状にがんじがらめになっていて、そこから抜け出せないで居る。その縛りは苦しいのに苦しいだけじゃ無くて、騙しのような緩みもある。その縛りの中で居続けることによって、逃げられ無い日常が当り前の中での小さな自由を手に入れることを知って小さく満足しながら大きく諦めていくかのような毎日を作っていく。

 そんな人の心を知ってか、ちょうど良い甘いものたちが、この町には色々あるのだ。手を代え品を代えてちょうどいい痛み止めが用意されている。それは買物だったり、賭け事だったり、今で言う推し活だったり、投機だったり、日々日々の贅沢だったりする。お酒に溺れてアル中になる人も少なくない。ギャンブルも同じで、大丈夫って言いながらいつの間にか行き過ぎていく。後で病院に入ったとか、警察沙汰になったとか、母から聞いたり、この店でもお姉さんたちの話で聞く。

 この町では、時に人を騙して、自分を騙して、陽が昇り暮れていく。


(この町でマンガのようなハッピーエンドの話を見たことも聞いたことも無い……)


 それでも一生懸命に皆、この町で生きている。だけど見ていると、多くの人が生きるのが上手とは言えない。上手下手いうものでは無いのかもしれないが、それじゃぁ何なのかはわからない。社会や世界のせいにするのにも、その世界や社会を自分はまだまだ知らないと思える。

 肝心なそれが何かはわからないけれど、きっと自分という船の舵を手離してはいけないのだと、反面教師のようにも見ていた奈々恵が居た。



「お勘定お願ーい」


 奥の席から声が聞こえて来た。三人組の占い師の人たちだ。


「はーい。ただいま」


 美登里さんがすぐに計算して、伝票を持っていく。七十代の先生が全てをお支払いのようだ。そこで奈々恵が呼ばれた。


「本当に困った時には、ここに連絡して」


 そう言って先生が、自分の名刺を差し出して、奈々恵に渡した。筋肉反射のようにそのまま受け取ったものの、差し出していた先生の顔を見て奈々恵はガッカリしていた。


(ダメだよ、先生。渡しちゃ……簡単に)


 三人が支払いを終えて資料を後片付けをしながら、また話し込んだりしているうちに、生活指導の先生が立ち上がった。読んでいたであろう新聞と雑誌を元に戻し、カウンターの端っこに伝票を持って立つ。美登里さんがレジを打ち、会計をする。お釣りを渡した後に財布にそれを入れて、その後に先生は顔を上げた。その瞬間にカンター越しに初めて先生と目が合った。しっかりと、はっきりと。


「ありがとうございました。またお越しください」


 奈々恵はそう言って頭を下げた。それが精一杯だった。




 


 

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