第20話 生活指導の教師と占い師の女⑤

 厨房から出て来たマスターが持っていた二つのお皿に乗っていたのは「チキンライスオムレツ乗せバージョン」だった。当たり!だった。いつも通りサラダも添えてあるワンプレートまかないランチだ。


「はい、ゆっくりどうぞ」


 お皿を受け取って 奈々恵は奥の席へと移動した。店が空いている時にマスターがまかないを用意してくれるタイミングで休憩に入るのだ。

 ちょうど三人組の占い師のテーブルの通路を挟んで横になる形で座ることになった。後から追いかけてくる美登里さんが味噌汁を持ってきてくれた。冷蔵庫に入れてあったタッパーを持ってきて蓋を開けて中身を見せるようにして傾け、奈々恵に食べなさいと合図した。


「菜っ葉とお揚げさん…ですね」


「そうそう、煮物ね。野菜も摂りなさいな」


「茶色くなってない。まだこれ青いですよ。綺麗な緑色」


「葉物はササッとね。火を通した感じ」


「いただきます」


「ちゃんと食べなきゃよ」


 美登里さんはいつも何を食べたのかと聞いてくる人だ。一人息子の母親だというのは知っているが、それだからと言って奈々恵が毎日何を食べているのか気になるわけでも無いだろう。ありのままを伝え、そうした頃から美登里さんは、家のおかずだの余りだから、残りだからと言って、出勤時にいろいろ持ち込んでは冷蔵庫に入れていた。

 美登里さんはこの温泉街の外側に家を構えて家族で住んでいる人だが、外側の町ではあんまり話が合う人が居ないんだと言っていた。そうだろうなと思う。ハッキリし過ぎているのだ。西の方の遠い町からお嫁に来たらしい。


 美登里さんのおかげで、普通の人がよく食べるといういくつかの煮物を知った。「旬」というものがあって、季節ごとに葉物野菜の種類が変わっていくこと。色の薄い葉っぱや色の濃い葉っぱがある。厚みや食感も葉っぱによって随分違うのだ。

 一緒に煮るものは何でもいいけれど、美登里さんのところでは、入っている揚げが薄かったり分厚かったりすること。他にも肉じゃがやおでんを運んで来たりする。

 おそらくは、この町の外側の町に住んでいる人たちが普段食べているもの、ということなのだろうと奈々恵は思った。知らないことを知らなかったのだと知るということが出来ることを奈々恵はありがたいと思っていた。


 知ることで、板には付いていないけれど知ってるという風に偽装することは出来る。何時かこの町を出て行った先で、この町のことしか知らないという自分で居たくは無かった奈々恵は、美登里さんのおかげで色々なことを知った。


 ところでマスターのまかないが美味しいのは当然のこと。洋食を専門としてきていた時代があったそうなので、「路々」は食事が人気でもある。

 チキンライスのケチャップ加減がいい感じで、焼かれているのが特徴だろう。べちゃ付いていない、一粒一粒火が通って水気が飛ばされケチャップが染みこんでいるご飯にオムレツは中が半熟。この店に置いとくのはもったいないくらいだ、と常々奈々恵は思っていた。洋食屋専門で何処に店を出してもきっとお客さんが追いかけてくるはず、勝手にそう思っていた。


 忙しい時間が終わったので、店に入って来るお客さんはぽつりぽつりだった。マスターがこっちはいいよと言って一人で対応してくれている。この時間帯はだいたいが遅めの昼食後のコーヒーを飲みに来た人たちが多いから心配ないらしい。


 そんな私たちを見ていたのだろう三人組みの魔女ならぬ占い師の一番偉い先生が、二人が昼食を食べ終わる頃を見計らったかのように、突然声を掛けてきた。


「あの、いいかしら」


「あ、はい」


 美登里さんが返事をすると、続けて七十代の先生が言った。


「今日も練習を少しお願いしていいかしら」


「じゃぁ、奈々恵ちゃん、どうぞ。占いよ。私はこの間ね、観てもらったから」


 美登里さんが、いってらっしゃいと言わんばかりに手を振る。


(よりによってこれまた、生活指導が居る前で)


 そう言われて、二人手前に並んで座っていた一人が移動して、七十代の先生の席の横に座り直した。奈々恵はどうぞと言われるがままに空いた席へと座った。


 聞かれた生年月日と名前を伝える。そこから始まった。二人の占いを見ている先生という感じだった。流れというのがあるのだろう。いつもこういう感じでやってるのかなぁと思わせる。占われるこちら側が観察してしまうような、たどたどしさがあった。二人は人の顔を見ていない。データとかを見て、それを伝えようとしているような感じだ。


 たぶんこの二人はこの温泉街のような町の中に居たことの無い人たちなのだろうなと奈々恵は思った。どこかのんびりしているというか、自分には思わぬ何かが降りかかってくることなど無いと信じているかのような、周囲が見えていない感じ、気に掛けていないような感じがした。でも七十代の先生と呼ばれている人は少し違っているように思えた。


「あのね、この娘はちょっと違うのよ」


 先生がそう言った。他の二人が手を止めて先生の顔を見る。奈々恵も見た。美登里さんは横の席で聞いている。

 そこからはその先生の方が話を始めた。それまで喋っていた二人の占い師は黙って聞くことになった。


「この人はね、いつか目が覚めるような時がやって来るでしょう。今はまだ寝ているようなものなのよ。冬眠しているみたいにね。その時が来るまでは……」


 唖然として聞いていた奈々恵に、二人のうちの一人の占い師が言葉を添える。


「先生はね、視える人なんですよ。私たちは勉強しているという状態なんだけど、先生はいろんなことを視る人なんです」


 もう一人も大きく頷いていて、この二人がこの凄い先生に就いて勉強しているのだ、という感じが出ていた。先生の方はそう言われても特に反応は無いようだ。そのまま続けて話し出す。


「あなたはね、細い一本の道を歩いて行くかのような人生ね。細いっていうのは、ううん、えーと、細いか太いかが問題では無くて、そうね、たった一つの重要なことっていうのがあって、それをやっていく、というような。そう、迷わない人生だわ」


「そ、そう……ですか?」


 よくわからないので、語尾を上げながら、なんとなく返事をする。


「人生の始まりは遅いわ。普通の人よりね。でも、そこからは普通じゃ無いから、他の誰かと比べたりすることは出来ないわ。背後が強いのよ、とっても」


「えっ……背後?」


「そう、もう決まってるっていうか、決めて来たっていうのかな。遅いようだけど、それでも全てちょうどいいはず。あなた、誰の言うことも聞かないでしょうけれど、でも、それでいい。普通の人たちが居るとして、その中から見ると、誰もわからない、理解出来ないようなこと考えたり、決めたりするのよね。よかったわね、食べるには困らないわ。心配なくそう思ったことへと進んでいくといいわよ。うふふふ」


 いきなりその先生は笑い出した。


「ここに居るこの二人にもわからないわ、あなたの考えること。いつだってあなたには答えが、ヒントがやって来るでしょう。生きている間にお会いできて良かったわ。嬉しいです。」


 二人が顔を見合わせて驚いている。奈々恵も驚く。なんだかわからないままに。


「なかなか会えないような人に会ってるのよ。うふふふ。わからないでしょう。いいのよ、わからなくて。でも、私は嬉しいの。実際にお会いできて。それが今だなんてね。此処で、だなんてね。わからないものね、本当に」


「あの……私は、変わっていけるでしょうか?」


 何かを聞いてみたいと思ったが、何を聞けばいいのかわからない。絞り出すようにして思い付いたことを出して見た。その質問は、今話されていることと旨く噛み合ってはいない感じはしていた。それでもその先生は答えた。


「ええ。あなた、変わってしまうのよ。いつか思い出していくから。大変なことも多いかもしれないけれど、それは普通の人たちと並べて考えてしまった時に感じること。いい? 他の人と比べないまま行きなさい。端から違いすぎるんだから。でもそれをわかる人、理解出来る人って、これまたとっても少ないの。あなたのことがわかる人と関わっていくといいわ。そういう時代も来るから。嫌な思いをすることがあっても、あなたが悪いんじゃ無いのよ。常識とか普通っていうものと噛み合っていなくても、自分を生きていきなさい。」


「なんだか……不安に、なるんですが」


「あっ、ごめんなさい。言い過ぎちゃったかしらね。つい。こんなことも無いから。つい、私ったら。わからないわよね、まだ……」


「あの。仕事とか向いてるものとか、知りたいです」


 苦笑いしながら、先生は奈々恵の質問を聞いて頷いていた。


「思うように、好きなように」


「えっ?」


「あなたにはそう言うのが一番。そう言うしか無いのよ。ふふふふ。そこにいらっしゃるんだもの。あ、いえ、わからなくていいの。」


「あ、ありがとうございます」


 それ以上話すことも無いような気がして、終わらせに入った。背後でまたお客さんがやって来る音がする。


「ご縁に感謝します。この二人はまだまだ勉強ですからね。ありがとうございます」


 丁寧すぎる、そう思った。そう言われて、再度全員に頭を下げてお礼を言い、奈々恵は立ち上がった。なんとなく納得はいかないままだったけれど。


 見届けたかのように、美登里さんは食べ終わったお皿を重ねて、カウンターの方へと先に戻っていった。






 

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