第19話 生活指導の教師と占い師の女④

 焼きたて熱々のホットケーキを三人分トレーに乗せて急いで運ぶ。


「お待たせしましたー」


 テーブルに広げられていた資料が一度回収されるように消えていく。


「ありがとうございます」


 協力してくれていることにお礼を伝えつつ、三人の前にお皿を置いていく。


「まぁ! これって嬉しいわね。バタ-が多いわ」


 とても嬉しそうに声を上げたのは七十代の女性だった。続いて他の女性たちも言い出す。


「あら、本当ですね」

「小さいのひとつ乗っかってるっていうところが普通ですよ」


「バターは北海道産です。メイプルシロップもカナダ産の本物です。今、コーヒーをお持ちします。ごゆっくりどうぞ」


「ありがとう」


 七十代の女性が顔を上げて奈々恵をじっと見ている。

 カウンターへと戻ると、美登里さんがコーヒーカップを三つ用意してくれていた。


 その時、また一人お客さんが入って来た。


「いらっしゃいませー」


 そう言った瞬間に奈々恵は入って来た人を見て固まった。見たことがある顔だったからだ。


(えっ、えっ? 誰、誰だっけ、えっ)


 とある場所で見慣れている人のことでも、別の場所で出会うと全く別人に見えたり知らない人に見えるということがある。今まさにそれが起きていた。


「いらっしゃいませ」


 美登里さんも声を掛けている。


「空いているお席、お好きなところへどうぞー」


 そう言われて奥へと進んでいく一人の男性があった。奈々恵は慌てていたが、それをすでに察知していた美登里さんがお冷やとおしぼりをスッと運びに行った。その場で注文があったようだ。


 奈々恵は奥の席の方にコーヒーを三つ運んだ。


「お待たせしました。ごゆっくりどうぞ」


「はぁい。ありがとねー」


 七十代の女性がそう言った。


 カウンターと奥の座席の間を往復している、その間に思い出した。誰なのかを。

 それは奈々恵の高校の生活指導の先生なのだ。たぶん、おそらく、あまりに似ている。そのおじさんは普通の休日仕様の格好をしている。学校で見るスーツ姿とは印象が随分違っていて、この人が本当に先生なのかも疑わしい感じがした。何しろ顔をしっかりとは覚えていない。思い出せない。その先生とは話すことや関わることが無い分ニックネームも付けていないのだ。


 通学時、朝の校門でよく立っている先生っていうこととか、講堂で何時だったかの集まりで生活の注意などの話をしていたってこととかしか覚えていない。怒ると怖いっていう噂だけはよく聞いていた。同級生の中で、何人かこっぴどく叱られて存在がトラウマになったという話を聞いたことがあるのだ。確かにその同級生たちは、無実では無かったらしいけれど。名前は岩田先生。


 この場所で騒ぎになることは避けたかった。というかお願いだから店に迷惑は掛けないで、って一瞬祈った。


(なっ、何しに…… っていうか、マズいのかな、ここがバレると)


 美登里さんが奈々恵の様子を見て「どうした?」ということをアクションで聞いてくる。奈々恵はメモ紙にささっと書いて知らせた。


「生活指導の先生かな」


 メモには汗のイラストを三つ、文字に添えていた。

 それを見た美登里さんは「そう」と言って頷いた。そしてコーヒーを用意していた。準備出来た後に「さぁ」そうは言わなかったが、奈々恵に持って行けとジェスチャーで表わしている美登里さん。


(ああ……、もうしょうが無い。なるようにしかならないよね)


 そう覚悟をして、コーヒーを持っていった。


「お待たせしました。コーヒーです。ミルクはこちらです」


 普通に、いつも通りに置いた。そのように置くことが出来たのは、先生が新聞を読んでいたからだ。自分の方を見てはいない。目が合う状態だったなら、このようにはいかなかっただろう。今すぐ何かを言いたいというわけでは無さそうだ。


「ごゆっくりどうぞ」


 いつもと同じ、同じように動いた。岩田先生は黙っている。


 カウンターに戻ると美登里さんが頷いている。


「大丈夫。いつも通りでいこう」


 そう言ってくれてホッとする。急なことで驚いて緊張していたが、いつもと同じように片付け物、洗い物をしているうちに段々と落ち着いていく自分が居た。


 店に来て今コーヒーを飲んでいるのは、三学年全体を見ている生活指導の岩田先生だ。これまで直接的に関わることも無く、何か言われたと言うこともないので、話をしたことが無い先生だ。だからこそ奈々恵は挨拶もしなかった。一人のお客さんとして対応していた。いやむしろ、気が付いていなかったということにしよう、と自分に言い聞かせていた。


 洗い物をしながら考えるに、おそらくは、喫茶店でアルバイトをしている高校生がいるということがどこからか学校に連絡が入ったのだろう、と思われた。ましてや、カウンターの背後には夜の部用のお酒がずらりと並んでいる。環境がいいとはけして言えない。誤解もされやすいだろう。しかし、マスターはきっちりしている人なので、この店では、ということかもしれないが、お昼の部では一切お酒は出していなかった。


 そうは言っても、そういうことが伝わるとは思えないので、何か疑いを持って調査しに来たのかもしれない。奈々恵もアルバイトの許可を申請して許可をもらう際に、この店の状態を話したりはしなかったのだ。嘘を付いたわけでは無いが、正直にありのままを説明したわけでも無い。なので、そういうところを突っ込まれたら終わりかな……と思った。学生とお酒が並んでいるというのは、学校としても許可を出しにくい、出せない、それが当然かもしれない。


 起きていることは、何しろ先生がこの店におそらく始めて来た、ということ。この町に住んでいるわけでも無い先生なので、わざわざ何らかの理由でこの店にやって来た、ということ。こういう時、想像すればするほどいいことは思い付かないものだ。


(ああ、もう開き直っていこう……)


 なすがまま、なるようになる。どういう結果だとしても。出来るだけいつも通りに仕事をすることにした。最初から美登里さんもそう思っているようだ。マスターは奥の厨房で美登里さんと奈々恵のまかないを作ってくれている。よりによってこんなタイミングでケチャップの美味しい香りがした。


(あぁ、チキンライス、かな……)



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