第17話 生活指導の教師と占い師の女②
常連さん達が新聞を読み終えて、あらためてひと息着こうかという頃、お昼のランチをたべようかという人たちが「路々」にやって来る。常連さん達の多くは帰っていくが、時々ランチを食べてから帰るというロングバージョンで店に居続ける人もいたりする。
その日の午前中の仕事を終えたお姉さんたちが昼ご飯を食べにやって来た。 一歩店に入って来るなり日替わりランチの内容を聞く。一応店内のボードには二カ所に書いてはあるが、彼女たちは見ていない。美登里さんに聞く方が確かに早いしわかりやすい。
「肉野菜炒め、豚バラと野菜ねーっ。今日はキャベツ多め」
そう美登里さんが他の人にも聞こえるように大きな声で答えるやいなやお姉さんはオーダーをする。
「じゃ、それよろしくぅー」
「わたしも」
「あ、私は生姜焼きで!」
「私も生姜焼きぃ」
「あぁ、私はやっぱり日替わりや」
「あとは、アフターいつも通り、コーヒーね」
「そうよぉ」
最後の返事は上手い具合に皆がひとつになって、まるで合唱になっている。
お姉さんたちの小さい団体さんがいくつかやって来ると、やがて一番忙しいお昼の時間が終わっていく。中には、マキ姉さんとサオリ姉さんのように二人でやって来るという人も多い。お姉さんたちは、友達だったり、先輩後輩だったり、中には恋人という場合もある。
「路々」にやって来るのは、この店の一番近くにある五件ほどの旅館で働いているお姉さんたちが多い。この町は特別だ。他の町には無い常識が存在している。
一般の人たちが住んでいる町も温泉顔の外側には広がっている。そこに住む人たちはサラリーマンが多い。農家も多い。水の良さや地域の特産物を使った飲食業も生産業もある。多くの場合はその地域は家族が揃っていることが多い。土地を持ってその上に家を建てて家族が一緒に住んでいる。そんなの当り前ではないか、いや、この温泉街の中では当り前では無い。
この温泉街に限っては、家族が揃っているとか、一緒に住んでいることも稀である。親のどちらかがいないというのも通常であり、それ以前に結婚をして夫婦としてこの町に住んでいるという存在はなかなか居ないのだ。独り者が一番多い。次にワケありの人が多い。それだからこそ、この町の中にだけに居ることを選ぶと、外の世界のことは何も知らない人、というのが出来上がってしまう。実際にそういう人もいる。まるで籠の中の鳥のように。この町にはその外側の町には無い独特なルールや常識が存在している。
町には町のルールや常識が存在しているのも然り。その両方に足を掛けるようにして行ったり来たりする人は、両方の世界のルールや常識を知ることになる。最初は混乱するがやがて慣れてくる。そうして移動した際には、その町に合った顔をするようになり、その町にあった話をするようになっていく。チャンネルやスイッチを切換えていくみたいに。
町の外側の方に住む人たちは、この温泉街に通常の生活では入っては来ない。会社の宴会や宿泊という形でお客様として入って来ることはあっても、通常の生活の中ではむしろこの町やこの町で働く人たち、その子供たちとは距離を置きたがることが多いのだ。
「住む世界が違うから」
そういう理由なのだそうだ。奈々恵もこのセリフを小さな頃からよく聞いた。小学校は温泉街近くだったため違和感は無かったが、中学に入ると他の町に住む同級生たちと友達になることがあるわけで、そんな時に自分の子供が心配だと言って出てくるのが親だった。
「うちの子に近付かないで」
「もう遊ばないでください」
「何してるかわかったもんじゃないんだから」
「家を借りてるなんて信用ならないわ」
そんなセリフを何度も温泉街の子供たちは、温泉街の外側の世界の大人の人たちに言われることが多かった。何するかわからない、常識が無い、暴力的に違いない、親も非常識に違いない、危ないことに手を出しているに違いないから巻き込まれる、変なことを自分の子供に教えたり、犯罪へと運ばれていく、などなど、様々な心配があるようで、そうならないようにという親の前もっての保護活動だったらしい。
子供たちはそう扱われることで、自分が他の家の子と違うのだと、覚えていく。否定され続けることで、存在していい人と存在してはいけない人とが居るかのような、その世界の常識を思い知らされていくのだった。
町の人の方にこそ実際犯罪を起こしていたり、暴力を振るったり、盗みを働いていたということがあるのを皆が徐々に知っていく。子供たちも知っていく。奈々恵もそうだった。ただこの町に住み、育った子は、観察をして様々を見ていても、それをすぐにそのまま口にはしない。黙っていることが多い。
特にこの町に居ても商売をしている人はまだいい。建てた家があったり、お金持ちだったり、何らかの会の役職に就いていたりすることで、この温泉の外側に住む人たちは逆に納得してしまうようだった。尊敬しているかのように見えることさえある。不思議な話だ。
一番寂しい扱いをされやすいのは、賃貸で仮住まいの人たち。お姉さんの仕事や芸者さんたちと、そこで生まれた子供たちだった。一番この町を支えている人たちだ。
奈々恵の家は途中からこの町に入ってきたので、温泉街に住み働く人たちと、温泉街の外側に住む人たちとのどちらからも浮いていたというのが実際だった。
お姉さんたちは一カ所に居ないことも多いので、旅館を転々と移動するということもあって住まいはその旅館が持っている寮ということも多い。さらに違う地方の温泉場との繋がり、ルートというのもあって、少人数のチームで移動するお姉さんたちも居た。
いずれもお姉さんたちが移動を決断するのは、その旅館や温泉場に泊まりに来るお客さんたちの予約の数の流れを見て、稼ぎになるかならないかを考えてのことである。宿泊客が少なくて、働き対お姉さんの方が多いという場合がある。そういう時には、くじ引きのように「ハズレる」日が発生する。お休みということだ。お休みになればその日の日当は入らない。
まだまだ給料制という働き方が無かった時代の話だ。お金が必要なお姉さんたちはその数を読んで、さっさと移動していく。また状況によっては戻っても来るのだ。タフで身軽としか言いようが無い。
これは昭和の、蟹沢温泉。奈々恵は「蟹座温泉」と呼んでいる。この町では日々の温泉場の朝から晩を通り越しての次の朝へというサイクルの中で起きる、友情も恋も愛もお金儲けもある、嘘も裏切りも時に暴力もある、そんな町に生きる人たちの物語だ。
その町にはまた、必ず占い師という人たちも居た。どこからやって来たのかわからないような占い師たちが、各旅館に陽が落ちるころになると現れる。
ワケありの多くのお姉さんたちは、実家も無い。あっても帰ることは出来ないのだろう。親戚も兄弟姉妹も無いことが多いが、やはり連絡が取れない理由があるのだ。ワケありのワケ(理由)は人それぞれ。占い師に相談したくなることもあるようだ。
奈々恵も「路々」で働くようになって、お姉さんたちに笑って声を掛けられることも増えた。話し相手になることもある。もちろん聞く側である。一回りも二回りも違う年上の、この温泉の町の中で働き生きている、そんなお姉さんたちの話を聞いている高校生の奈々恵。
時々は無自覚に毒舌だったりするらしいが、お姉さんたちはそれでも笑っていた。その風景を美登里さんとマスターは不思議そうに見ていたり、時に苦笑いしているのだった。
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